第022話 弟子の作
> 【鑑定 第二十二号】
> 押印累計 ── 百。
> 依頼者 ── 銘洲市工芸展。
> 物件 ── 花籃、一つ。
> 所見 ── 竹。底を組み、立ち上げ、縁を巻いてあります。
> 縁巻きの起こし ── 右。
> 編み目のうち一目、締まりが緩うございます。位置は下から七段目。
> 名札の記載 ── 梅木。
> ……判定を、開始します。
── 俺の名前で、あの子の籠が賞をもらった。
あの子は竹を割って、底を組んでいた。工房の土間である。膝の間に材を挟んで、刃を入れて、真っ二つにする。割れる音が乾いていた。
佐和という。二十四で、四年目になる。
割った竹をさらに剥いで、幅を揃える。揃え終わったら、水に浸けて置く。浸けている間に、別の一本を割る。順番が決まっていて、四年でその順番が体に入った。
俺の親指の腹は平らになっている。刃を押すのはここで、四十年押した。佐和の指はまだ丸い。
俺は縁を巻いていた。別の籠である。縁巻きは右から起こす。四十年、一度も左から巻いたことがない。理由は無い。師匠が右だった。
右から起こすと、巻き終わりが左の内側に来る。そこは棚に置くと見えない。見えない場所に手が出る。
佐和の底が組み上がった。立ち上げに掛かる。立ち上げると、そこから編み目が出る。
俺は手を止めて、それを見た。膝の縁の材はそのままにした。
七段目に、緩い一目が入った。
毎回、同じ場所ではない。五段目のことも、九段目のこともある。だが必ず一目ある。四年で、一目も緩んでいない籠を見たことがない。
締める手の力が、最後の一段で抜けるからになる。抜ける段は毎回ちがう。本人に見えることは、まず無い。
佐和はそれに気付いていない。気付いていないから、直さない。
俺は言わなかった。四年、一度も言っていない。
言えば直る。直せば、俺の籠と見分けが付かなくなる。
四年目でそこまで来た。三年目の終わりに、注文の客が佐和の方を取った。取ったのは客で、俺は何も言っていない。言っていないが、そこから縁巻きを自分で全部やるようになった。
客は花を生ける人だった。二つ並べて、持ち替えて、それから佐和のを取る。値は同じにしてある。
縁は俺、編みは佐和。分けたのではない。そうなっただけになる。
俺の師匠も、そうしていた。俺の編んだ底に、あの人が縁を巻いた。名札は師匠の名だった。
俺はそれを四十年、誰にも言っていない。師匠は十二年前に死んだ。
*
工芸展の締切は八月の十日だった。毎年、同じ日である。
鑑館が主催して、五つの工房と、外から来た者と、俺のような細工の者が出す。竹は俺だけになる。三年前までは川向こうの町からも一人来ていたが、来なくなった。
審査は三人でやる。館長と、外から呼ぶ二人である。決まると台に並べて、名札を立てて、十日開ける。
十日の間、市の子どもが見に来る。学校で連れてくる。名札を読んで、それを紙に書き写して帰る。
書き写す紙は鑑館が配る。名と、物の名と、材を書く欄がある。子どもは名から書く。
俺の名を書き写した子どもが、去年は十一人いた。
十一人が「梅木」と書いて帰った。その紙は学校の廊下に貼られる。九月まで貼ってある。
俺は佐和の籠を出した。
自分のも編んであった。並べると、俺の方が仕事は丁寧だった。縁巻きが揃っていて、編み目が全部同じに締まっている。四十年やっているのだから、当たり前になる。
佐和のは、緩い。
その緩い一目のところで、籠が少し撓む。持ち上げると、撓んだ側が下がる。下がってから、戻る。
撓む籠は、水を入れた花器を落としても口が割れない。俺のは割れる。四十年で三つ割った。
戻るのを見て、俺は自分の籠を棚へ戻した。棚の一番下へ入れて、布を掛けた。
名札に俺の名を書いて、佐和のを出した。
佐和は何も言わなかった。運ぶのを手伝い、荷を縄で締め、それで工房へ帰る。
その晩、工房の灯りが遅くまで付いていた。佐和が一人で竹を剥いでいる音がした。俺は母屋から出なかった。
賞をもらった。
鑑館の広間に台が並んで、俺の籠が真ん中に置かれた。台の前に名札が立っている。「梅木」と書いてあった。
書いたのは鑑館長である。筆は自分の物を使っていた。
鑑館長は五十を過ぎた女で、白髪を後ろで括っている。名札は自分で書く。人に書かせない。
書く字が細い。細くて、止めがはっきりしている。役所の書式に近い字だった。
名札の紙も館長が切る。定規を当てて、刃を一度で引く。切り口に毛が立たなかった。
どこで習ったのかを訊いた者はいない。館長は銘洲の生まれではない。知られているのはそれだけになる。
筆を持って、俺の名を書き終えたところだった。墨がまだ光っている。
その時、広間の隅に火が立った。
薪も炭も無い場所である。火の中から子どもの形が出てきた。十歳ぐらいの背丈で、古い着物を着ている。足元が床に溶けていた。
目が朱い。
俺には、割った竹の断ち口のように見えた。白くて、真ん中に節の跡がある。
外から来た者が五人、その後ろにいた。若い連中である。工房の子らしい格好をしていて、手だけが年寄りに近かった。
> 鑑定を、開始します。
子どもがそう言った。書式を読む声である。役所の窓口で、届の記載を確かめる時の声に近い。
鑑館長が筆を止めた。
止めて、その子どもを見た。二秒見て、それから訊いた。
「その書式は、どこで覚えたの」
> 記録にありません。
鑑館長はそれ以上訊かなかった。訊かずに、筆を硯へ戻した。戻してから、書いていた字の途中を墨で塗った。
塗ったのは名札の下の方である。俺の名は残っていて、その下に書きかけていた何かが黒くなった。
塗った墨は乾くのが早かった。硯の水を足していない墨である。館長は水を足さない。
俺には意味が分からなかった。分からないまま、次の名札を渡された。
「梅木さん、こちらもお願い」
「俺が書くんですか」
「あなたの分だけは、あなたが書いて」
俺は筆を持った。持ってから、書けなかった。
子どもが台の前へ来た。足元は床に溶けたままである。
> 物件 ── 花籃、一つ。
> 竹。底を組み、立ち上げ、縁を巻いてあります。
> 縁巻きの起こし ── 右。
> 編み目のうち一目、締まりが緩うございます。位置は下から七段目。
> 判定 ── 真。
真だと言った。俺は台の脚を見ていた。
俺は息を吐いた。吐き終わる前に、続きが来た。
> ただし、記載された製作者と一致しません。
広間が黙った。
黙ったのは五秒ほどである。五秒で誰かが咳をして、それで戻った。
館長は名札を動かさなかった。動かさずに、台の位置だけ一分直した。
外から来た五人のうち、眼鏡の男が前へ出た。台の縁に手を掛けて、七段目を覗いた。
「三秒くれ」
三秒より長く掛かった。掛かってから、男は帳面を出して、緩い一目の位置を写した。
「縁巻きは右だ」と男が言った。
「そうです」
「編み目は右の人のじゃない」
「そうです」
「二人でやったんですか」
俺は答えなかった。
背の高い男が籠に手を当てた。見る前に触った。底を撫でて、それから縁を握った。握って、少し押した。
緩い一目のところで、籠が撓んだ。
「ん」
それだけ言った。それから手を離して、袖で拭いた。
赤い上着の若いのが、俺の前に立った。
「これ、誰が編んだんですか」
佐和は広間の入口にいた。荷を運んできて、そこから中へ入っていない。
俺は佐和を見た。佐和は首を横に振った。
小さい振り方である。それで、俺は言わなかった。
「俺です」
赤い上着はそれを聞いて、口を開けた。開けてから、閉じた。閉じてから、もう一度開いた。
「嘘でしょう」
「嘘じゃない」
「七段目、緩んでますよ」
「俺が緩めた」
言ってから、自分の声が高いのに気付いた。四十年、この工房で声を高くしたことがない。
赤い上着は退がらなかった。退がらずに、台の前に立ったままだった。
「なんで嘘つくんですか」
「嘘じゃないと言った」
「じゃあ、あの人は」
赤い上着は入口の方を指した。佐和はまだそこにいる。
「弟子です」
「それだけですか」
「それだけだ」
言った時、佐和が一歩下がった。下がったのは俺には見えた。赤い上着には見えていない。背を向けていたからになる。
*
広間の外で、砂が鳴った。
乾いた音である。柱の間で二度返って、それから消えた。
灰白色が並んだ。数える気にならない量だった。台の前に一列で並んで、台には触れていない。
その先に男が立っていた。革の前掛けで、作業着に汚れが一つも無い。手に持った布で、細い工具を一本ずつ拭いている。
工具は十七本あった。並べる順が決まっていて、拭き終えた一本を必ず同じ場所へ戻す。俺にも同じ癖がある。
「良い籠であります」と男が言った。
俺は返事をしなかった。籠から手を離していない。
男が掌を開いた。掌に籠が乗っている。掌に乗る大きさで、竹の色が新しい。
「これはあなたの手です」
男は俺の方へそれを差し出した。俺は受け取った。受け取って、縁を見た。
右から起こしてある。
編み目を見た。七段目を見て、それから下から順に上まで見た。
緩い一目が無い。
全部が同じに締まっている。俺が四十年で一度も出来なかった締まり方だった。
締まりの良い籠は、持つと手に応えが無い。硬い箱を持つのと変わらない。俺の手はそれを籠と読まなかった。
「これは俺のじゃない」
「あなたの手であります」
「俺のでもない。あの子のでもない」
男は答えなかった。答えずに、布で工具を拭き終えた。
籠が俺の手から落ちた。落ちた場所から膨らんだ。
台の高さを越えて、天井の梁まで届いた。竹の色が新しいままで、編み目が全部同じに締まっている。
外から来た五人が胸に何かを押した。朱が広がった。円と、角と、細長いのと、四角と、六角である。色は五つで、光を吸っていた。
五人が順に何かを言った。言葉としては聞き取れない。七つと五つに切れる言い方だった。竹を数える時の言い方に似ていた。五人分続いて、そこで一つ足りない気がした。
紙のようなものが背後に広がって、印が五つ並んだ。右下が白い。
俺は台の横に座り込んだ。座り込んだので、見えたのは足元だけになる。
床に手を突いた。突いた掌に竹の粉が付いた。籠が膨らんだ時に落ちたものである。
粉を指で挟んだ。新しい竹の粉だった。今年の竹である。佐和が春に割った分ではない。
粉が乾いていた。乾いた粉は指の皺に入る。俺は膝に擦り付けた。擦り付けても取れない。
山吹色の腕が伸びて、細いものが飛んで、籠の縁に巻いた。巻いてから引く。
撓まなかった。
深緑の足が反対側へ回って、そこから押した。押した力が入った。それでも撓まない。
押した音が返ってこなかった。竹は押されると鳴る。鳴らないものを、俺は竹だと思わない。
竹は撓む。撓むから強い。締まりすぎた籠は、押されると逃げ場が無い。
音がした。
竹が裂ける音である。四十年聞いている音だった。今の音は違った。一本ずつ裂けるのではなく、全部が同じ時に裂けた。
籠が折れた。
誰も打っていない。誰も斬っていない。引いて、押して、それで自分から折れた。
折れた場所から縮んで、床に一つだけ残った。
籠だった。
新しい竹の籠である。俺の縁巻きが入っている。七段目に緩い一目が無い。
俺は膝から立たなかった。立たずに、床の籠を見ていた。誰の物でもない籠が一つ、床にある。
誰も何も言わなかった。
灰白色が動いた。最後の一体が膝を突いた時、広間にいた全部が一斉に口を開いた。声だけが揃った。
「……ありがとうございました」
消えた。床に足跡が一つも無い。
背の高い男が籠を拾って、台の隅へ置いた。置いてから、向きを直した。
*
佐和が広間へ入ってきた。草履の音がしなかった。
入ってきて、台の前に立った。俺の名札を見て、それから自分の籠を見た。
赤い上着の若いのが佐和の横へ行った。
「あなたが編んだんですよね」
「梅木さんの籠です」
「七段目が」
「梅木さんの籠です」
佐和は二度、同じことを言った。言い方が同じだった。
赤い上着は言葉を探した。探して、見つからなかったらしい。それでも一つ言った。
「名前、戻せますよ」
佐和は首を横に振った。
「戻したら、ここに竹の工房が無くなる」
「なんでですか」
「一つしかないんです。この町に」
佐和はそれだけ言って、台の縁を指で撫でた。撫でて、それから俺の方を見た。
見て、何も言わなかった。
赤い上着が俺を見た。俺は目を合わせた。合わせたが、何も言わなかった。
言えることが無かったのではない。言うと、四十年が全部嘘になる。
嘘になっても構わないのなら、言えばよかった。構わないと思えなかった。それだけになる。
台の横の壁に、去年の紙が貼ってあった。子どもの字で「うめき」と平仮名で書いてある。名の下に、籠の絵が描いてあった。
髪の短い娘が台の下に座っていた。座って、豆腐を食べている。桶が横にあって、六丁のうち二丁減っていた。
もう一人の娘が佐和の袖を見た。糸が一本出ている。指で拾って、二度巻いて、引いて、切らなかった。
「切らないの」と佐和が訊いた。
「切ると、また出るから」
「そうですか」
佐和は袖を見た。見てから、その糸を自分でも指で押さえた。押さえて、離した。
佐和は四年前、三つ先の町から来た。竹をやりたいと言って来た。俺は断った。二度断って、三度目に置いた。
置いた理由は、手が良かったからではない。割った竹の幅が揃っていなかったからになる。揃っていない手は、直せば伸びる。揃っている手は、そこで止まる。
伸びた。四年で、俺より伸びた。
*
夜に、外が暗くなった。日が落ちる時刻より早い。
鑑館の高い窓が塞がった。塞がる前に音が来て、音の前に窓の影が動いた。
俺は広間から出なかった。出なかったが、外の声が聞こえた。
「── 量産」
低い声である。昼の男とは違った。
地面から何かが生える音がした。同じ間隔で、同じ数だけ、続けて鳴った。それから重いものが五つ立ち上がって、その後で一つになる。
組み上がる音が、木を組む時と同じだった。俺はその音を知っている。竹ではない。木の音である。それが高いところで鳴った。
鑑館の窓が震えた。震える度に、台の上の籠が一分ずつ動いた。俺は手で押さえた。押さえたのは佐和の籠である。名札は俺のままだった。
外の道で子どもが泣いていた。母親が抱えて走る音が続いた。石畳が濡れていて、足音に滑る音が混ざる。
上で声が五つ揃った。技の名だったのだろうと思う。聞き取れなかった。
揃った声のあとに、低い音が一つ落ちた。何かが刻まれる音に近い。刻むのは俺の仕事ではないが、音は分かる。
彫る音と、押す音は違う。あれは押す音ではなかった。
窓が明るくなった。
外へ出ると、水路の水が石畳まで上がっていた。石段の一枚が割れている。鑑館の壁に、上から落ちたものの跡が一つ付いていた。
水が引くまで半日掛かった。引いた後、石畳の目に細かい灰が残る。
*
朝になった。
工房で、佐和が竹を割っていた。膝の間に材を挟んで、刃を入れて、真っ二つにする。割れる音が乾いている。
俺は縁を巻いた。右から起こした。
佐和の底が組み上がって、立ち上げに掛かった。
六段目に、緩い一目が入った。
俺は見た。見て、言わなかった。四年と一日、言っていない。
言わない理由は四年で変わった。初めは、見分けが付かなくなるからだった。今は違う。
外の道で、あの子どもの声がした。姿は見えない。
> 銘量 ── 火村燈 七百六十一。陶山蒼 八百二。綾織紬 六百五十。
> 楠木巌 八百六十六。硝子井玲 七百四十四。
> 六つ、減っております。
数を言っていた。何の数かは分からない。減っていることだけ分かった。
減るものを毎日数えている者がいる。俺は数えていない。四年分、数えていなかった。
佐和が立ち上げを終えた。終えてから、縁の材を出した。
出して、俺の前に置いた。置いてから、半歩下がった。
「巻いてください」
「お前が巻け」
「わたしは右から起こせません」
俺は材を取った。取って、右から起こした。
起こしてから、手が止まった。止まってから、また動かした。
俺は縁を巻き終えた。巻き終えてから、佐和の底を見た。六段目の緩い一目は、そのままにしてある。
巻き終わった縁に、俺の起こしが残っている。底に、佐和の緩みが残っている。籠は一つである。
直さなかったのは佐和ではない。俺が直さなかった。
次の工芸展は九月にある。工芸祭の後になる。
九月の名札は、館長が書く。俺の分だけは、俺が書くことになっている。
名札は、まだ書いていない。
> 【鑑定 第二十二号】
> 押印累計 ── 百。
> 物件 ── 花籃、一つ。
> 追記 ── 本日、押印五。搭乗五、刻印一。銘量の減少を確認。
> 所見 ── 当該物、判定 ── 真。記載された製作者と一致しません。
> 縁巻きの起こし ── 右。名札の記載者の手によるものと一致。
> 編み目 ── 別人の手によるものであります。氏名の記載、ありません。
> 贋作体一体、消失。撓みを欠いたため自壊。打撃・斬撃、いずれもありません。
> 当該贋作体、縁巻きは名札の記載者の手と一致。編み目に緩みなし。
> 名札の記載者の申し立て ── これは俺のじゃない。あの子のでもない。
> 弟子、製作を継続。氏名の記載 ── ありません。
> 弟子の申し立て ── 戻したら、ここに竹の工房が無くなる。
> 市の被害 ── 石段、一枚。鑑館の壁。
> 押印累計、本日をもって百に達する。
> 本件、真贋判定 ── 〈真〉。
> ただし、




