第019話 揃いすぎた瓦
> 【鑑定 第十九号】
> 押印累計 ── 八十五。
> 依頼者 ── 銘洲神社。
> 物件 ── 瓦、八百枚。
> 所見 ── 拝殿の屋根。手による成形と推定する。
> 反りが一枚ごとに違います。重ねの深さも一定ではありません。
> 六十一年前の葺き替えと記録にあります。葺いた者の氏名 ── 記載がありません。
> ……判定を、開始します。
── 巌は、垂木の先を一本ずつ削っていた。
銘洲神社の境内である。拝殿の横に材を並べて、その端に腰を下ろしている。膝で押さえて、手前へ引く。屑が足元に溜まっていく。
削っている先は、屋根の端から出る場所になる。雨の落ちる位置が、この一寸で変わると巌が言った。
この屋根の下地は、巌が春に組んだものになる。野地板を張って、垂木を入れて、そこまでで手を離した。瓦は瓦師の仕事である。巌は瓦を葺かない。
だから今は、自分が組んだものの上に何が乗るかを待っている。待ちながら、垂木の先を削っていた。
春の仕口は十二箇所あって、十二箇所とも巌が刻んだのではない。刻んだものは、綺麗になって戻ってきた。外す許しは出ていない。巌はそのことを一度も言わない。
「一寸でですか」と燈が訊いた。
「ん」
「変わるんですか」
「変わる」
巌は削った先を掌で撫でて、それからもう一度引いた。引く回数を数えていない。撫でて足りなければ引く。それだけを繰り返していた。
垂木は十六本ある。十六本とも先の出し方が違った。屋根の隅へ行くほど短くなって、隅の一本だけ、ほかより一分だけ長く残してある。
「そこ、長いですよ」
「ん」
「揃えないんですか」
「隅は水が集まる」
巌はそれだけ言って、次の材へ移った。
七月である。境内の砂利が焼けていて、日陰が拝殿の下にしか無い。巌は日向に座っている。汗が顎から落ちて、砂利に丸い跡を作った。
急ぐな待てよ 木は千年で。
巌が口の中で鳴らした。鋸の音の間に入って、そこで切れた。
建てて千年 まだ若い。
二行目まで出た。それから続けずに、材を裏返した。
颯太が拝殿の階に座っていた。膝に紙を乗せて、鉛筆で線を引いている。
「巌さん、瓦って何枚あるの」
「知らん」
「数えていい?」
「ん」
颯太は階を降りて、屋根を見上げた。指で追って、口の中で数えはじめた。途中で首が痛くなって、下を向いて、また上を向いた。
「七百六十二枚」
颯太がそう言った。蒼が横で聞いていて、それから自分でも数えた。眼鏡を上げて、下げて、指で列を追った。
「三秒くれ」
三秒より長く掛かった。掛かってから、蒼は帳面に数を書いた。
「八百枚だ」
「ちがうよ」
「合ってる。一列二十枚で四十列だ」
「七百六十二枚だよ」
颯太は紙を見せた。線が並んでいて、数えた跡が残っている。途中で二度、線が飛んでいた。
蒼は紙を受け取って、飛んだ場所を指で押さえた。押さえてから、颯太に返した。
「そうだな。七百六十二枚だ」
「でしょ」
巌が横で聞いていた。聞いて、顎を一度下げた。
「巌さん、八百枚じゃないんですか」と燈が訊いた。
「数えたやつの数でいい」
「合ってなくても」
「上から見て数えられる枚数が、上から見える枚数だ」
燈は横で聞いていた。聞いていて、それきり何も言わなかった。
佐久間が桶を持って階の下まで来た。豆腐が六丁ある。白い桶で、水が減っていない。
「余ったからな。置いてくぞ」
「六丁ですね」
「余ったんだ」
佐久間は本殿に一度手を合わせて、それから帰っていった。合わせる時間が短い。短いのが毎回同じだった。
*
三日して、境内に荷が入った。
平の台に瓦が積んである。八百枚あると運んできた者が言った。氏子総代の年寄りが三人来て、積み荷を上から覗いた。
瓦は灰色で、面に艶がある。一枚持ち上げると、次の一枚が同じ形で出てきた。
「揃ってるなあ」と年寄りの一人が言った。
「揃ってます」
「これなら雨が漏らんだろう」
「漏りません」
燈は一枚を借りて、裏を見た。裏に指の跡が無い。
古い瓦には、裏の隅に必ず親指の跡が入っている。土を型へ詰める時に押した跡である。押さないと空気が残って、焼いた時に膨らむ。だから必ず押す。押す場所は人によって違う。
新しい瓦の裏は、四隅とも同じ深さで均してあった。押した跡ではない。均した跡である。
巌が来て、瓦を二枚重ねた。重ねて、上から掌で押した。
隙間が無かった。
巌は二枚を戻して、それから拝殿の屋根を見上げた。見上げてから、階の下に置いてある古い瓦の山へ行った。
外した分である。三日前から少しずつ下ろしてあった。
巌は山から一枚だけ抜いた。抜いて、裏の親指の跡に自分の親指を当てた。合わなかった。合わないまま、それを法被の内側へ入れた。
「巌さん」と燈が言った。
「ん」
「それ、持ってくんですか」
「ん」
巌はそれだけ言って、材の方へ戻った。
昼過ぎに、古い瓦を積んだ台が境内を出ていった。行き先は市の破砕場である。砕いて、道の下に敷く砂利にすると聞いた。
燈は氏子総代の一人に訊いた。
「あれ、取っておけないんですか」
「置く場所が無い。蔵は米で埋まってる」
「一枚でも」
「一枚残して、何にする」
年寄りは笑って、それから拝殿を見上げた。笑い方に嫌なところが一つも無かった。
誰も止めなかった。止める理由が無い。外した瓦を置いておく場所も無い。
春に仕口を直した時と同じである。綺麗になった物を外す許しは出ない。今度は、綺麗になる前に古い方が出ていった。早くなっていた。
*
夜、識が火から立ち上がった。境内の砂利の上である。
> 鑑定を、開始します。
燈は拝殿の屋根を指した。新しい瓦が葺かれている。四十列が揃っていた。
> 物件 ── 瓦、八百枚。
> 成形、寸法、反り、いずれも同一。
> 裏面 ── 指の跡、ありません。
> 判定 ── 贋。
「原物は」と燈が言った。
> 市の破砕場にあります。
「まだあるんだな」
> 破砕は本日の午後に開始されております。
燈は走った。
境内を出て、水路沿いを下って、橋を渡る。渡ってから右へ折れて、破砕場の門まで走った。門は閉まっていない。中で機械が止まっていた。
燈は門の内側で足を止めなかった。止めずに、山の前まで行った。
瓦の山が無い。砕いた欠片の山があった。
「これ、全部か」と燈が訊いた。
「全部だ」と作業の者が言った。
「一枚も残ってねぇのか」
「籠に一杯だけある。見本に取っといた」
燈は籠を見た。欠片が入っている。大きいのは掌ほど、小さいのは爪ほどだった。
機械は止まっている。昼の分が終わって、明日の分を待っているらしかった。作業の者は帽子を脱いで、首の汗を拭いていた。
「これ、道の下に入るんですか」
「入る。水はけがいい」
「そうですか」
「古い瓦の方が具合がいいんだ。焼きが甘いから、水を吸う」
燈は籠から一つ取った。取って、裏を見た。
親指の跡があった。
跡の半分から先は欠けている。欠けた縁が粉になっていて、指で触ると落ちた。
燈は欠片を握った。握って、そのまま門まで戻った。戻る速さが行きより遅い。
門の手前で一度立ち止まって、籠の方を振り返った。籠はまだそこにある。明日には道の下へ入る。
燈は一つしか取らなかった。全部を持って帰る場所が無かった。それは氏子総代と同じ理由になる。
境内に戻ると、砂利の上に灰白色が並んでいた。数える前に百十を超える。拝殿の階の前に一列で並んで、階には触れていない。
その先に男が立っていた。革の前掛けで、作業着に汚れが一つも無い。手に持った布で、細い工具を一本ずつ拭いている。
「反りが揃いました」と型取が言った。
「揃ったな」と燈が言った。
「揃った屋根は、漏りません」
燈は答えなかった。答えずに、印籠を出した。
「押印!」
五つの胸から朱が広がった。円、角、杼形、縦長方形、六角。五色が残る。艶は何処にも無い。
背後に紙が広がって、五つの印が並んだ。右下だけが白い。
型取が掌を開いた。掌に瓦が乗っている。掌に乗る大きさで、灰色で、面に艶がある。
瓦が地面へ落ちて、落ちた場所から膨らんだ。四メートル近くまで立つ。表が瓦で覆われていて、一枚ごとの境が見える。境が全部同じ幅だった。
> 贋作体であります。原物、銘洲神社拝殿の瓦。
> 反り、重ね、いずれも同一。
> 判定 ── 贋。
塊が腕を振った。腕の表面の瓦が鳴る。鳴り方が一つの音になっている。八百枚が同じ音で鳴った。
燈が前へ出た。振られた腕の下へ入って、そこで受けた。
肩に来た。石が肩から腰へ抜けて、砂利へ膝が落ちた。落ちたが、位置は変えない。
腕がもう一度上がった。上がりきる前に紬が走って、腕の届かない側へ回った。回った先で足を止めて、そこで鞭を構えた。
「紬!」
「なに」
「一枚抜け!」
紬が鞭を投げた。
鞭が腕の表面の一枚に巻いた。巻いてから引く。倒さない。倒さずに、引き寄せた。
瓦が一枚、抜けた。
抜けた場所に穴が空いた。穴の縁で、周りの瓦が動こうとする。動いて、閉まらない。
「閉まらねぇ」と燈が言った。
「閉まらない」と巌が言った。「一通りしか置けん」
巌が穴の縁を見ていた。見て、それから言った。
「手で葺いた瓦は、一枚ずつ据わりを見て、少しずつずらす。揃った瓦は、置き方が一つしか無い。一枚抜けたら、そこで終いだ」
言い終わってから、穴の位置を指で示した。示しただけで、動かなかった。
蒼が三歩待って、三歩目で輪を投げた。
輪は穴の中へ入って、そこで止まった。縁に引っ掛かって、動かない。輪が入っている間、穴は閉まらない。
「取れねぇぞ」と燈が言った。
「取らない」と蒼が言った。
玲がスカシバを持つ。穴の縁から下へ、線を引くように振った。
線が入った。
線は瓦の境を通らずに、瓦の面を横切っていく。境ではないところで切れたので、表面が一枚ごとに分かれずに、まとめて剥がれた。
贋作体は形を失っていく。表が縮んで、境が縮んで、砂利の上に一つだけ残った。
瓦だった。
灰色の瓦である。面に艶がある。裏に指の跡が無い。
誰も何も言わなかった。
玲が屈んで、剥がれた面の端を拾った。拾って、境内の灯の方へ透かした。
斬った跡に文様が出ていた。細い線が交差して、六角が並んでいる。玲はそれを二秒見て、それから捨てた。
灰白色が動いた。最後の一体が膝を突いた時、砂利にいた全部が一斉に口を開く。顔が平らで、口は無い。それでも声だけが揃った。
「……ありがとうございました」
消えた。砂利に足跡が一つも無い。
巌が瓦を拾って、階の下へ置いた。置いてから、向きを直した。
*
巌は法被の内側から古い瓦を出した。
出して、燈に渡した。燈は受け取って、裏を見た。親指の跡がある。欠けていない。
燈は反対の手を開いた。破砕場の欠片が入っている。跡が半分だけ残ったものだった。
二つを並べた。
跡の位置が違う。欠片の方は隅から一寸ほど内側で、巌が持ってきた方は隅に寄っていた。
「別の人が押してんですね」と燈が言った。
「ん」
「六十一年前に、何人で葺いたんですか」
「知らん。三人か四人だ」
「なんで分かるんですか」
「跡の場所が三通りか四通りある」
巌は階の板に二つを並べ直した。並べてから、指で二つの間を測った。一寸ほどある。
「三人か四人が、六十一年前にここへ上がった」
「名前は」
「残ってない」
「残らないんですか」
「瓦に名前は入れん」
巌はそれだけ言った。それから階に腰を下ろして、掌の上で二つを持ち直した。
「巌さん、なんで一枚だけ抜いたんですか」
巌は答えなかった。答えずに、拝殿の屋根を見上げた。四十列が揃っている。
「全部合うと、逃げ場が無い」
巌はそう言って、瓦を階の板に置いた。置いた音が低い。
宮司が本殿の方から歩いてきた。歩いてきて、屋根を見上げた。
「綺麗になりましたなあ」
「綺麗です」
「六十一年ぶりですよ」
「そうですね」
宮司は満足そうに頷いて、それから戻っていった。誰も何も言わなかった。
燈は宮司の背中を見ていた。見て、それから屋根を見上げた。六十一年前に上がった三人か四人の跡は、もう屋根の上には無い。
あるのは階の板に置いた一枚と、燈の掌の欠片だけになる。
紬が巌の袖を見た。糸が一本出ている。指で拾って、二度巻いて、引いて、切らなかった。
「切らないの」
「ん」
紬は少し笑った。笑ってから、階の板の瓦を見た。前掛けの内側から半紙を出しかけて、止めた。
止めてから、瓦の横に手を置いた。置いただけで、並べなかった。
「これ、置いとくの」
「ん」
「一枚だけ」
「一枚あれば足りる」
*
道の向こうで、男の声がした。
「── 量産」
灰白色が地面から生えた。砂利の目地から、水路の水面から、拝殿の屋根の上から。同じ顔で、同じ背丈で、同じ間隔で。一つが別の一つの肩に乗って、その上にまた乗る。
水路が持ち上がって黒い炉が立った。向かいの岸で長い窯が伸びる。裏の林から櫓が起き上がって、織り場の屋根から機が出た。砂の山から硝子を切る台が立つ。
五つが並んだ。素焼のままである。
「巌さん」
「ん」
巌の櫓が動いた。四箇所を継いで、一分ずつ緩める。
> 連結を確認。
「火入れッ!」
炉の底が鳴った。赤が上がって、継ぎ目を通って渡っていく。
> 真、通りました。
「組み継ぎ、合体!」
継手が噛んだ。木を組む時と同じ音が、四十メートルの高さで鳴る。
塊が腕を落としてきた。緋の面が受けた。受けた足が境内の鳥居を掠って、貫が半分から折れた。
折れた先が石段へ落ちて、石段の三段目が割れた。
地上で、氏子総代の三人が本殿の裏へ回った。回りながら、一人が上を見た。二人は見なかった。
「宮司さん、こっちだ」
「行きます」
颯太が階の下から出てきて、瓦を一枚抱えた。巌が置いた一枚である。抱えて、拝殿の縁の下へ入った。
「刻印!」
右の拳が前へ出た。左の掌が、その甲を上から押す。
「銘刻斬ッ!」
声が五つ揃った。
拳が塊の胴へ入った。入ったところで止まって、そこに朱が走る。線が字の形になっていって、銘が刻まれていた。
塊は崩れた。落ちた先が裏の林である。木が三本倒れた。
拝殿の屋根には何も届かなかった。
*
朝になった。
鳥居に足場が立っている。組んだのは巌で、継ぎ目に釘が一本もない。折れた貫の下に材を回して、そこで受けていた。
拝殿の屋根は揃っている。四十列が同じ幅で並んで、朝の日を同じ角度で返していた。
六十一年前の屋根は、朝の日を一枚ごとに違う角度で返していた。返す角度が違うので、下から見ると屋根が波打って見えた。
今は波打っていない。真っ平らに光っている。
燈は階の下に座っていた。掌に破砕場の欠片を乗せている。
颯太が来て、隣に座った。抱えていた瓦を膝に置く。
「これ、返す」
「持ってていいぞ」
「巌さんのだよ」
「巌さんが置いてったんだ」
颯太は瓦を膝に乗せたまま、裏の親指の跡を指で押した。押しても合わない。颯太の指の方が小さかった。
「合わないね」
「合わねぇな」
「誰の?」
「知らねぇ」
颯太は跡の縁を指で辿った。辿って、そこで止めた。
「この人、生きてるの」
「知らねぇ」
「訊けないの」
「訊けねぇな」
颯太は瓦を膝の上で回した。回して、裏をもう一度見た。それから膝に戻して、そこで手を置いた。
> 銘量 ── 火村燈 七百七十九。陶山蒼 八百二十。綾織紬 六百六十八。
> 楠木巌 八百八十四。硝子井玲 七百六十二。
> 六つ、減っております。
燈は数を聞いた。数のうちの一つが、颯太が数えた瓦の数と同じだった。誰も気付かなかった。
燈は欠片を懐へ入れた。入れてから、境内を出た。
商店街の東の端で、木暮印判店の看板がまだ出ていた。硝子の内側は空である。看板の朱は抜けかけたままだった。
燈は足を止めずに通った。通ってから、火村鍛冶へ入る。
壁に紙が三枚貼ってある。半紙が二枚と、新聞紙が一枚だった。
燈は懐の欠片を出して、壁の下の板に置いた。貼らなかった。置いただけである。
板の上には、他に何も置いていない。欠片が一つだけになった。
それから火床の灰を掻いた。下の炭が生きている。炭を一つ足して、鞴を踏んだ。踏んだ回数は数えなかった。
> 【鑑定 第十九号】
> 押印累計 ── 八十五。
> 物件 ── 瓦、八百枚。
> 追記 ── 本日、押印五。搭乗五、刻印一。銘量の減少を確認。
> 所見 ── 代替物(瓦、八百枚)、葺き替え完了。反り、重ね、いずれも同一。
> 裏面の指の跡 ── ありません。雨漏りの見込み ── ありません。
> 贋作体一体、消失。表面の一枚を引き抜いたことにより閉合が不能となる。
> 引き抜いたのは綾織紬であります。
> 原物(瓦、八百枚)── 内、七百九十九枚 破砕済み。回収不能。
> 回収 ── 一枚。楠木巌が葺き替えの前に抜いております。
> ならびに破片一点、火村燈が破砕場より持ち帰る。
> 葺いた者 ── 三名または四名と推定する。氏名の記録、ありません。
> 市の被害 ── 鳥居の貫、半分より折損。石段、三段目に割れ。裏の林、木三本。
> 所有者の申し立て ── 綺麗になりましたなあ。
> 本件、真贋判定 ── 〈贋〉。
> ただし、




