第016話 型抜きの菓子
> 【鑑定 第十六号】
> 押印累計 ── 七十。
> 依頼者 ── 柏木菓子舗。
> 物件 ── 菓子木型、一枚。
> 所見 ── 山桜。菓子の形を逆さに掘り込んであります。四十年の使用と推定する。
> 彫り面が飴色に変わっています。粉と油が木に入ったものであります。
> 製作者 ── 当市の者ではありません。氏名の記録、ありません。
> ……判定を、開始します。
── 佐久間は、新しい桶で豆腐を運んでいた。
白い桶である。側板の角が立っていて、箍が三本巻いてある。持つ手の位置は変わっていない。底を右の掌で受けて、縁を左の肘に掛ける。抱え方だけが二十年前と同じだった。
豆腐が六丁ある。前掛けは濡れていない。
「余ったからな。置いてくぞ」
「六丁ですね」
「余ったんだ」
燈は鉢を出して受けた。桶の中を覗くと、水が減っていなかった。前の桶は、商店街の端まで来る間に一寸ぶん減っていた。減った分を佐久間が足しながら歩いていた。
今は足す必要が無い。
佐久間は空いた手で前掛けを撫でて、それから帰っていった。撫でる癖は残っている。撫でるところが濡れていないだけだった。
*
柏木菓子舗の土間で、粉が鳴っていた。
店の間口は二間しかない。硝子の箱が一つ置いてあって、その中に落雁が並んでいる。売れるのは月に二度、寺の彼岸と、工芸祭の前だけになる。あとは注文で作る。
柏木は注文の日を帳面に書かない。覚えている。
乾いた音である。柏木が篩を振って、粉と砂糖を落としている。振り終わると、掌に水を付けて、粉の上へ二度打った。それから指で混ぜる。混ぜ方が速くない。
台の上に木型が置いてあった。
山桜の板で、長さが柏木の肘から指先ほどある。板の面に菓子の形が掘り込んであった。菊が三つ、桔梗が三つ、葉が二つ。掘った面が飴色をしていて、木目が見えない。四十年分の粉と油が入っている。
柏木は型を持ち上げて、光へ向けた。菊の彫り口の底に、指の当たる場所だけ艶が濃くなっている。詰める時に必ず同じ場所を押すからだと言った。
「ここが減ってる」
「減ると、どうなるんですか」
「花弁が一枚、太くなる」
燈は台の菓子を一つ取って、花弁を数えた。五枚のうち一枚だけ太いものがあった。太いのは同じ場所である。八つとも同じ場所だった。
「これ、逆さなんですね」と燈が言った。
「逆に彫らんと、出た時に逆になる」
「ああ」
「彫るのはうちじゃない。頼むんだ」
柏木は粉を型に詰めた。詰めて、指の腹で押す。角のところだけ二度押した。それから型を裏返して、縁を台に軽く打ちつけた。
落ちた。
菓子が台の上に八つ並んだ。菊が三つ、桔梗が三つ、葉が二つ。角が少し丸い。葉の筋が途中で消えている。
「欠けませんね」
「四十年使ってるからな。離れる」
「離れる」
「新しいのは離れん。木が乾いてて、菓子が張り付く」
柏木は次の粉を詰めた。燈は横で見ていて、それから火村鍛冶へ戻った。
火床の灰を掻いて、下の炭を出した。掻いた手を止めて、鎚を持った。
打てば打つほど 縮んでいくよ。
燈が口の中で鳴らした。鎚が二度落ちる間に入って、そこで切れた。続きは出てこない。出てこないので、そのまま打った。
六月の昼で、火床の前は坐っていられない暑さになる。作務衣の背が濡れて、乾いて、また濡れた。
打っているのは鉄ではない。鏨の頭を直しているだけだった。頭が潰れると、彫った線が太くなる。三年、刀を打っていない。打っていないので、道具の手入ればかりが溜まっていく。
*
三日して、柏木の店に荷が届いた。
問屋の名が入った木箱で、燈が運ぶのを手伝った。柏木が釘を抜いて、藁を出した。
中に木型が入っていた。
白かった。
山桜である。長さも幅も、古い型と同じだった。掘り込みも同じで、菊が三つ、桔梗が三つ、葉が二つ。彫り口が立っていて、葉の筋が端まで通っている。
「頼んでませんよ」と燈が言った。
「頼んでない」
「じゃあ」
「送り状に、うちの名が書いてある」
柏木は送り状を裏返した。問屋の判が押してある。木型師の名は書いていない。
柏木は粉を詰めて、押して、縁を打った。
落ちなかった。
もう一度、縁を打つ。三度目で落ちて、菊の花弁が二枚欠けていた。柏木は欠けたのを脇へ寄せて、また詰めた。
四度目から落ちるようになった。
落ちた菓子は、角が立っていた。葉の筋が端まで出ている。桔梗の中心に、点が五つ並んで見えた。古い型では点が四つで、五つ目は潰れて出なかった。
「出た」と柏木が言った。
「出ましたね」
「五つ目が出るのか、これ」
柏木は菓子を光の方へ向けて、点を数えた。数えてから、もう一度数えた。
玲が土間の隅にいた。欠けた菓子の皿を膝に乗せている。
「これ、売れないやつだよね」
「売れん」
「じゃあ」
「食え」
玲は食べた。八つあった。八つとも食べて、皿の粉を指で集めて、それも食べた。それから水を飲んで、皿を台へ戻した。戻し方だけ丁寧だった。
昼過ぎに、寺の使いが菓子を取りに来た。硝子の箱の前で、新しい方を指した。
「こっちのが綺麗ですね」
「新しい型だ」
「彼岸のは、こっちで頼めますか」
「頼める」
柏木は帳面を出して、初めて何か書いた。書いてから、帳面を引き出しへ戻した。
燈は新しい菓子と古い菓子を並べた。並べて、花弁を数えた。新しい方は五枚とも同じ太さだった。
太い一枚が、無い。
柏木は新しい型を台の中央に置いた。それから古い型を、台の端へ寄せた。
寄せた場所が、竈の傍だった。
*
夜、識が火から立ち上がった。柏木菓子舗の土間である。
> 鑑定を、開始します。
燈は台の中央を指した。白い型が置いてある。
> 物件 ── 菓子木型、一枚。
> 山桜。寸法、掘り込み、いずれも原物に一致。
> 彫り面、粉と油の吸収 ── ありません。
> 判定 ── 贋。
「そっちだよな」と燈が言った。
「そっちだ」と蒼が言った。
蒼は台の端を見ていた。古い型を寄せた場所である。
「三秒くれ」
三秒より長く掛かった。掛かってから、蒼は竈の前へ屈んだ。屈んで、灰を指で掻いた。
灰の中に、焦げた木が一片あった。飴色の面が半分残っている。
「識、これは」
> 原物の一部であります。
> 焼却されております。
蒼は送り状を借りて、問屋の名を写した。写してから、燈に見せた。
「この問屋、去年畳んでる」
「畳んでる?」
「三月に閉めた。俺が窯の土を頼んでた」
燈は送り状を見た。判は新しい。墨の色が、乗ったばかりの色をしている。
「じゃあ、誰が送ったんだ」
「分からん」
紬も送り状を覗いた。覗いて、問屋の名を指でなぞった。
「ここ、わたしも使ってた」
「今も」
「三月で止まった。今は三河から直に買ってる」
蒼は送り状をもとの場所へ戻した。戻す前に、判の位置を指で測った。測った幅を帳面に書いて、閉じた。
燈は柏木を見た。柏木は前掛けを外しているところだった。
「柏木さん」
「うん」
「型、焼いたんですか」
「焼いた」
燈は言い返す言葉を探した。探して、見つからなかった。
「四十年使ったからな。もう十分だ」
柏木はそれだけ言って、前掛けを畳んだ。畳み終わってから、灰の方を一度見た。見て、それから台の白い型を布で拭いた。
拭き方が丁寧だった。丁寧なので、燈は何も言えなかった。
紬が柏木の袖を見た。糸が一本出ている。紬は指で拾って、二度巻いて、引いて、切らなかった。
「切らないのか」
「切ると、また出るから」
「そうか」
柏木は袖を見た。それから頷いた。
「柏木さん、彫った人の名前、知ってますか」
「知らん。問屋に頼むと来る」
「四十年、名前知らずに使ってたんですか」
「そういうもんだ」
柏木はそれだけ言って、奥へ入っていった。
> 製作者 ── 氏名の記録、ありません。
巌が台の白い型に手を当てた。見る前に触っている。彫り口の中へ指を入れて、底を撫でた。
「どうだ」と燈が訊いた。
「ん」
巌は指を抜いて、匂いを嗅いだ。嗅いでから、袖で指を拭いた。
「型は、使うほど良くなる。新しい型が一番悪い」
玲が横から彫り口を覗いた。覗いて、指は入れずに引いた。
「これ、光るね」
「光るか」
「新しい硝子と同じ。使うと曇るの」
玲はそれだけ言って、皿に残った粉を指で拾った。
外で砂が鳴った。乾いた音である。屋根の下で二度返って、それから消えた。
道に灰白色が並んでいた。数える前に八十を超える。柏木菓子舗の軒の下に、一列で並んだ。軒には触れていない。
その先に男が立っていた。革の前掛けで、作業着に汚れが一つも無い。手に持った布で、細い工具を一本ずつ拭いている。
「五つ目の点が出るようになりました」と型取が言った。
「出たな」と燈が言った。
「潰れる点は、無い方がよろしい」
燈は答えなかった。答えずに、印籠を出した。
型取が掌を開いた。掌に白い板が乗っている。掌に乗る大きさで、菊と桔梗と葉が掘り込んであった。
板が地面へ落ちて、落ちた場所から膨らむ。四メートル近くまで立った。左右が寸分違わず対称である。
> 贋作体であります。原物、柏木菓子舗の菓子木型。
> 彫り口、掘り込み、いずれも狂いなし。
> 判定 ── 贋。
「押印!」
五つの胸から朱が広がった。円、角、杼形、縦長方形、六角。五色が残る。艶は何処にも無い。
背後に紙が広がって、五つの印が並んだ。右下だけが白い。
型が倒れてきた。掘り込みの面が下を向いている。
石畳を押した。押した場所が凹んで、石が粉になった。型が上がると、石畳の上に菊が三つ、桔梗が三つ、葉が二つ、浮き上がって残っていた。
押した形が抜けていない。石が型に貼り付いている。
貼り付いた縁から粉が落ちた。石が粉になっている。菓子と同じ落ち方だった。
型は三度目を上げようとして、上がらない。上がらないので横へ振った。振った先に硝子の箱があった。箱が鳴って、中の落雁が全部倒れた。倒れただけで、割れてはいない。
「離れてねぇ」と燈が言った。
「離れてない」と蒼が言った。
型が二度目を押した。今度は上がりきらなかった。石が半分ついたまま、途中で止まる。
巌が前へ出た。歩いて、型の下へ入っていく。
「巌さん」
「ん」
巌は入った場所で膝を落とした。落として、両手を上げた。掌が型の縁に当たった。当たったところで止まっている。型は下がってこない。
燈も入った。巌の隣で同じように上げた。掛かる重さが肩から腰へ抜けて、膝が鳴った。膝は曲がったが、位置は変えなかった。
「玲!」
「はいはい」
玲がスカシバを振った。型の腹に線が入って、線から先が浮いた。
紬が鞭を投げて、浮いた縁に巻いた。巻いてから引く。引いても倒れない。倒れないまま、型が斜めになる。
蒼が三歩待って、三歩目で輪を投げた。輪は貼り付いた石の縁に当たって、そこで止まった。止まった場所から石が剥がれる。剥がれた分だけ、型が軽くなった。
巌が掌を離した。離してから、大鋸を抜いた。
「ツギテノコ!」
歯が型の腹に入った。切ってはいない。切らずに、継ぎ目を作った。
継ぎ目が入った場所で、型が二つに分かれた。
分かれた面が白い。中まで白かった。四十年分の飴色は、表にも中にも無い。
贋作体は形を失っていく。掘り込みが縮んで、菊と桔梗と葉が縮んで、土間に一つだけ残った。
木型だった。
白い木型である。届いた日と同じ形をしている。彫り口が立って、葉の筋が端まで通っている。
誰も何も言わなかった。
灰白色が動いた。最後の一体が膝を突いた時、道にいた全部が一斉に口を開く。顔が平らで、口は無い。それでも声だけが揃った。
「……ありがとうございました」
消えた。道に足跡が一つも無い。
巌が白い型を拾って、台の中央へ置いた。置いてから、傾きを直した。
*
燈は竈の前に立った。
灰の中に、焦げた木の一片がある。飴色の面が半分残っている。半分から先は炭になっていた。
燈は膝を突いて、それを指で挟んだ。挟んで持ち上げると、崩れた。
崩れた分が灰へ落ちた。落ちた場所が分からなくなった。
「打ち直せねぇ」
燈がそう言った。誰も返事をしなかった。
刀なら打ち直せる。包丁も打ち直した。椅子は削り直した。桶は箍を叩き上げれば締まる。看板は書き直せる。
木は、焼くと戻らない。
燈は父の刀のことを考えた。あれは折れていない。折れていないから、まだ火床の奥に置いてある。置いてあるものは、いつでも見られる。
燈は立ち上がった。立ち上がってから、灰へ手を突っ込んだ。まだ温い。温いところを掻いて、指で掬って、掌に乗せる。乗せたものは灰でしかない。
「誰も悪くねぇんだよな」と燈が言った。
「悪くない」と蒼が言った。
「あの人が焼いたんだよな」
「焼いた」
燈は掌の灰を見た。見て、それから握った。
握ったので、余計に細かくなった。
「次は、燃やさせねぇ」
一行で切った。それ以上言わなかった。
紬が横に来て、燈の袖を見た。灰が付いている。紬は払わなかった。払わずに、ほつれの方だけ直した。
直し終わらないうちに、道の向こうで男の声がした。
「── 量産」
灰白色が地面から生えた。石畳の目地から、水路の水面から、柏木菓子舗の屋根の上から。同じ顔で、同じ背丈で、同じ間隔で。一つが別の一つの肩に乗って、その上にまた乗る。
水路が持ち上がって黒い炉が立った。向かいの岸で長い窯が伸びる。裏の林から櫓が起き上がって、織り場の屋根から機が出た。砂の山から硝子を切る台が立つ。
五つが並んだ。素焼のままである。
「巌さん」
「ん」
巌の櫓が動いた。四箇所を継いで、一分ずつ緩める。
> 連結を確認。
「火入れッ!」
炉の底が鳴った。赤が上がって、継ぎ目を通って渡っていく。
> 真、通りました。
「組み継ぎ、合体!」
継手が噛んだ。木を組む時と同じ音が、四十メートルの高さで鳴る。
塊が腕を落としてきた。緋の面が受けた。受けた腕が石畳を掠って、柏木菓子舗の軒が三尺ぶん落ちた。
地上で、宮下が娘の手を引いて走った。走りながら、一度だけ上を見た。娘は上を見なかった。
戸島が路地から出てきて、落ちた軒を見た。それから路地へ戻って、板を抱えて出てきた。
「柏木さん、こっち押さえろ」
「押さえる」
二人で軒の下に板を立てた。立てている間、上を見なかった。
柏木は板を押さえながら、店の中を一度見た。硝子の箱は倒れていない。中の落雁も並んだままだった。上では継手が鳴っている。鳴る度に軒の板が震えて、柏木が押さえ直した。
「刻印!」
右の拳が前へ出た。左の掌が、その甲を上から押す。
「銘刻斬ッ!」
声が五つ揃った。
拳が塊の胴へ入った。入ったところで止まって、そこに朱が走る。線が字の形になっていって、銘が刻まれていた。
塊は崩れた。落ちた先が砂の山である。砂が両側へ逃げた。
軒の板は倒れなかった。二人が押さえていた。
*
朝になった。
柏木が土間で粉を篩っていた。台の中央に白い型が置いてある。
柏木は粉を詰めて、押して、縁を打った。落ちなかった。二度目で落ちて、菊の花弁が一枚欠けた。
欠けたのを脇へ寄せて、また詰めた。
「まだ離れませんね」と燈が言った。
「離れん」
「いつ離れるんですか」
「知らん」
柏木は詰めた。押した。打った。落ちた。
「四十年か」
「そうだな」
「じいさん、四十年もつのか」
「もたんだろうな」
柏木は笑った。笑って、また詰めた。笑ったのを、燈は初めて見た。この三日の間、柏木は一度も笑っていない。
> 銘量 ── 火村燈 七百九十七。陶山蒼 八百三十八。綾織紬 六百八十六。
> 楠木巌 九百二。硝子井玲 七百八十。
> 六つ、減っております。
燈は数を聞いた。数は毎日減っていて、毎日同じだけ減る。減った先のことを、識は言わない。
聞いてから、脇に寄せた菓子の皿を見た。欠けたのが四つ並んでいる。四つとも、菊の同じ場所が欠けていた。
玲が来て、四つとも食べた。
燈は道へ出た。屋根が架かっている道である。歩いて、平尾看板店の前を通った。看板は二十年前の字のままで、右下が空いている。
燈は足を止めなかった。止めずに、火村鍛冶へ入った。
火床の灰を掻いた。下の炭がまだ生きている。
灰は昨日と同じ場所に寄せてある。掻けば下から出てくる。燈は炭を一つ足して、鞴を踏んだ。
三年分の灰の下に、まだ火があった。
> 【鑑定 第十六号】
> 押印累計 ── 七十。
> 物件 ── 菓子木型、一枚。
> 追記 ── 本日、押印五。搭乗五、刻印一。銘量の減少を確認。
> 所見 ── 代替物(菓子木型、一枚)、市外の問屋より到着。注文の記録、ありません。
> 当該物、成形は原物に優る。菓子の点、四から五へ増加。
> ただし離型せず。使用開始より三日、離型の見込み ── 不明。
> 贋作体一体、消失。代替物、依頼者が使用を継続。
> 原物(菓子木型、一枚)── 焼却済み。回収不能。
> 焼却したのは所有者であります。
> 市の被害 ── 軒、三尺。石畳、四枚。
> 所有者の申し立て ── 四十年使ったからな。もう十分だ。
> 本件、真贋判定 ── 〈贋〉。
> ただし、




