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真贋戦隊コクインジャー ~一番になれなくていい。一点物になれ~  作者: 智珠
第一巻 素焼

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16/21

第015話 幸せな贋の街

> 【鑑定 第十五号】

> 押印累計 ── 六十五。

> 依頼者 ── 佐久間豆腐店。

> 物件 ── 桶、一つ。

> 所見 ── 側板十二枚。竹の箍、二本。二十年前の作と推定する。

>     内側の削り、一枚ごとに厚みが違います。

>     三箇所から滲みます。滲む位置、二十年変わっておりません。

>     製作者 ── 当市の者ではありません。

> ……判定を、開始します。


 ── わしの町では、この春から、桶が漏らなくなった。


 朝は五時に起きる。土間に降りて、水を張った桶を覗く。前の晩に張っておいた水である。縁から下へ目を落として、濡れている場所を探す。滲んでいれば、そこの箍を叩き上げる。滲んでいなければ、水を捨てて次の桶を張る。それだけを六十八年やっている。


 わしは桶屋である。他に何も出来ない。


 その朝も三つ張ってあって、三つとも滲んでいた。安心した、と書くと妙に聞こえるだろう。だが滲む桶は直せる。直す仕事があるということは、まだ仕事だということになる。


 わしは仕事場に上がって、側板がわいたを削りはじめた。せんで内側を削る。膝で押さえて、両手で手前へ引く。木口を合わせて、また削る。削り屑が膝に溜まっていく。杉の匂いが上がってくる。


 屑が薄いと削れていない。厚いと削りすぎている。指の腹で撫でて確かめて、また引く。この確かめ方は師匠に教わったのではない。師匠は何も教えなかった。削っているところを見せて、あとは自分でやらせた。上手く行かないと横から手を出して、直したところを黙って指で叩く。それが教え方だった。


 十二枚を並べて、一枚ずつ厚みを見る。同じにならない。六十八年やって、まだ同じにならない。


 同じにならないから、桶は少し歪む。歪むから、どこか一箇所に力が寄る。寄ったところが、やがて滲む。滲む場所は最初に決まっていて、あとから変わらない。だから二十年前に作った桶の滲む場所を、わしは覚えている。


 川向こうで音がしていた。水音の上に、鉄を叩く音が混じっている。川下の商店街の方である。あの街には工房が五つあって、朝から順に音を出す。鉄、土、機、木、硝子。順番も時刻も、だいたい決まっている。


 わしの町は静まっていた。以前はもっと騒がしかった。



 昼前に、提灯屋の角が合っているのを見た。見たというより、合っていない一つを探して、無かった。


 軒に三つ提げてあった。骨の角が三つとも合っていて、紙の張りが均している。以前は左の一つだけ角が寄っていて、風が吹くとそれだけ違う向きに振れた。振れる方を見て、ああ提灯屋だと分かる。それが目印になっていた。


 今は三つとも同じ向きに振れる。


「箕輪さん、いい天気で」


 提灯屋が中から出てきて、そう言った。以前は挨拶を先にする男ではない。こちらから声を掛けて、それから顔を上げる男だった。


「合ってるな、角が」と、わしは言った。

「腕が上がったんですよ」

「そうか」

「そうです」


 提灯屋の倅が奥から出てきて、頭を下げた。去年、この町を出た男である。仕事が無いと言って出ていって、この春に戻ってきた。店が持ち直したからだと聞いた。


 倅は町の者ではない。休みの日だけ帰ってくる。だから数には入らない。


 わしは頷いて、それから風呂屋の前を通った。暖簾の下から湯気が出ている。夕方に入ると、湯が合っていた。以前は熱すぎて、常連の年寄りが三人続けて出てきてしまう日があった。出てきた三人が縁台に並んで、湯が熱いという話を四十分する。それも風呂屋の一部だった。今は誰も出てこない。


 八百屋の嫁が水を打っていた。声を掛けられて、返した。以前はもっと声が大きかった。通りの端まで届いて、それが時計の代わりになっていた。今は近くで話す。近くで話す方が聞き取りやすい。


 八百屋の台に、傷んだものが並んでいなかった。以前は隅に籠が一つ置いてあって、そこに落ちたのと打ったのを入れてあった。わしはそれを買っていた。安いからではない。桶屋の飯は一人ぶんで、傷んだところを切れば足りる。今はその籠が出ていない。並んでいるものを、並んでいる値で買う。


 町の人は三十一人である。数えたことがある。


 わしは仕事場に戻って、帳面を出した。桶の寸法を書く帳面である。前から寸法を書いて、後ろから別のことを書いている。


> 提灯屋 角が合わん

> 風呂屋 湯が熱い

> 八百屋の嫁 声が大きい


 こういうものが三十人ぶん並んでいる。書いていないのは一人だけになる。


 書き終えて、帳面を閉じた。閉じてから、竹を割りに外へ出た。竹は乾かしすぎると裂ける。湿りすぎていると締まらない。乾き加減を確かめるのに、爪を立てて音を聞く。乾きすぎた竹は高く鳴る。ちょうどのものは、低くて短い。



 三時に、川を渡ってくる者があった。飛び石を踏む音で分かる。渡り慣れない者は、四つ目で一度止まる。


 佐久間である。川下の豆腐屋で、二十年前にわしの桶を買った男になる。桶を胸に抱えていた。抱え方が変わっていない。底を右の掌で受けて、縁を左の肘に掛ける。二十年、同じ抱え方をしている。


「箕輪さん、箍を頼めるか」と佐久間が言った。

「滲むか」

「三箇所」

「二十年前と同じ場所か」

「同じだ」


 佐久間の後ろに、若いのが五人いた。女が二人と男が三人である。工房の子らしい格好をしていて、手だけが年寄りに近かった。


 眼鏡の男が桶を覗き込んで、それから何か言おうとして止めた。口を開けて、指を一本だけ立てている。


「三秒くれ」


 三秒より長く掛かった。掛かってから「二十年で三箇所は少ない」と言う。わしは何も言わなかった。少ないと言われたのは初めてになる。


 背の高い男が桶に手を当てた。見る前に触っている。板の面を上から下へ撫でて、それから木口の合わせ目を指で押した。


「ん」


 それだけ言った。押した場所は、わしが二十年前に一番迷った場所である。教えていない。図も見せていない。


 背の高い男が低い声で何か口ずさんだ。歌ではなく、鳴らしている方に近い。


 隙間あるから 折れずにすむさ。


 わしは手を止めた。


「その唄は、桶にも合う」

「ん」


 それきりだった。


 髪の短い娘が仕事場の隅で寝ていた。寝ていたのに、佐久間が豆腐を出したら起きた。桶に六丁ある。娘は二丁取って、一丁を口へ入れ、もう一丁を手の中に残す。残した方をどうするのかと見ていたら、それも食べた。


 もう一人の娘が、わしの袖を見た。ほつれが出ている。娘は指で糸を拾って、二度巻いて、引いて、切らなかった。


「切らないのか」と、わしは訊いた。

「切ると、また出るから」


 その通りである。桶も同じで、緩んだ箍を外してしまうと、次はもっと緩む。叩き上げて締める方がいい。締めすぎると割れる。緩いと漏る。仕事はそれだけになる。


 眼鏡の男が、削りかけの側板を一枚持ち上げた。持ち上げて、光の方へ向ける。厚みの違いを見ているらしい。片方の目を細めて、板を回した。


「これ、わざとですか」と眼鏡の男が訊いた。

「わざとじゃない」

「揃えないんですか」

「揃わんのだ」


 男は板を戻した。戻し方が丁寧だった。置いた向きが、わしが置いていた向きと同じになっていた。


 赤い上着の若いのが、町の方を見ていた。提灯屋の軒の方である。


「じいさん、この町、変わったか」と、その若いのが言った。

「よくなった」

「よくなったか」

「よくなった」


 嘘は言っていない。訊かれたことに答えただけになる。


 わしは銑を置いて、若いのの方を向いた。訊いておきたいことが一つあった。


「あんたらは、どっちを直しに来た」と、わしは訊いた。

「どっちって」

「町か、桶か」


 若いのは口の中で何か言って、それから顔を上げた。


「桶だ」

「桶だけか」

「今日は、桶だけだ」


 わしは頷いた。頷いてから、また銑を取った。


 日が落ちてから、火が立った。


 仕事場の炉に薪はくべていない。それなのに火が立って、その中から人の形が出てきた。


 わしにはそれが、古い箍に見えた。竹を輪にして、細い体に巻いた形である。顔があったかどうかは分からない。声だけが分かった。


> 鑑定を、開始します。


 落ち着いた声で、書き役の口調をしていた。役所の窓口で書式を読み上げる声に近い。若いのは誰も驚かなかった。毎日聞いている声なのだろう。


> 物件 ── 桶、一つ。

> 側板十二枚。竹の箍、二本。

> 内側の削り、一枚ごとに厚みが違います。

> 判定 ── 真。


「真か」と、赤い上着の若いのが言った。


> はい。

> ならびに、当町の住人について、判定を申し上げます。


 わしは膝を立てた。立てたが、止めなかった。止める言葉を持っていなかったし、持っていたとしても言わなかったと思う。


> 三十一名。

> うち三十名 ── 贋。

> 一名 ── 真。


 誰も何も言わなかった。


 佐久間が桶を土間に置いた。置いた音が高い。


「じいさん」と若いのが言った。「知ってたか」


 わしは削り屑を膝から払った。払ってから答えた。


「知ってた」


「なんで言わねぇ」

「訊かれなかった」


 若いのは口を開けて、それから閉じた。閉じてから、わしの帳面を見た。帳面は開いたままになっていた。


「なんで書いてんだ」

「桶の寸法だ」


 嘘である。若いのは頷いた。頷いてから、もう一度帳面を見た。読めたかどうかは分からない。字は下手ではないが、後ろの頁は鉛筆で薄く書いてある。


 外で竹の割れる音がした。わしの割った竹ではない。



 道に灰白色が並んでいた。数えなかった。数える気にならない量だった。


 その先に、桶が立っていた。


 わしの桶である。二十年前の、佐久間の桶である。それが人の背より高くなって、道に立っている。側板が十二枚のままで、寸法だけが上がっていた。


 箍が三本巻いてあった。二本ではない。


 滲んでいなかった。


 土間の入口に銑と木槌を並べてある。その前に三体立っていたが、跨がずに回り込んでいった。灰白色は、わしの道具に触らない。一体が倒れていた側板を起こして、壁へ立て掛けた。立て掛けてから、また前を向いた。


 若いのが何か叫んで、五人が胸に何かを押した。朱が広がった。円と、角と、細長いのと、四角と、六角である。色は五つで、艶が無い。


 五人が順に何かを言った。言葉としては聞き取れない。七つと五つに切れる言い方だった。桶を叩いて拍を数える時の言い方に似ている。五人ぶん続いて、そこで一つ足りない気がした。何が足りないのかは分からなかった。


 紙が背後に広がって、印が五つ並んだ。右下が白い。


 その後のことは、上手く書けない。


 わしは土間に座っていた。座っていたので、見えたのは足元だけになる。


 深緑の足が地面を踏んで、石が持ち上がった。山吹色の腕が伸びて、細いものが飛んで、桶の縁に巻いた。藍色の足が三歩下がり、三歩目で止まる。桜色の足が横へ抜けて、抜けた跡に、桶の側板が一枚落ちた。


 落ちた板を、わしは拾った。拾って裏を見る。


 わしの削り跡ではなかった。厚みが揃っていた。


 緋色の足が正面から入った。踏み込みが早い。早すぎて、桶の下まで来た時、まだ膝が伸びていなかった。伸びていないのに下がらない。上から箍が落ちてきて、肩に当たった。当たっても、位置は変わらない。


 槌の音が鳴った。技の名を叫んでいたが、聞き取れない。


 箍が鳴った。竹が裂ける音は六十八年聞いている。この音は違った。竹が裂けたのではなく、竹の形をした何かが割れる音だった。


 桶が崩れた。


 側板が縮んで、道に一つだけ残った。


 桶だった。


 わしは膝で寄って、それを覗いた。膝が石を擦って、そこが後で痛んだ。


 側板十二枚。箍は二本。


 水が張ってあった。誰も張っていない。縁から下へ目を落として、濡れている場所を探した。


 濡れていなかった。


 三箇所とも、濡れていなかった。


 叩き上げる場所が無い。


「じいさん」と若いのが言った。


 わしは首を振った。振ったのは、その桶がわしの桶ではないという意味である。若いのには伝わらなかったと思う。


 眼鏡の男が袖を見て、それから数を言った。袖の内側に、何か印が入っているらしい。


「六つだ」

「六つか」


 二人はそれだけ言った。何の数かは分からない。減った数らしいということだけ、言い方から分かった。


 灰白色が消える時、道にいた全部が一斉に口を開いた。声だけが揃った。それから道に足跡が一つも残らない。


 佐久間は桶を抱えなかった。暫く見て、それから抱えた。抱え方は同じである。底を右の掌で受けて、縁を左の肘に掛ける。



 晩に、提灯屋の嫁が飯を持ってきた。戸を半分だけ開けて、土間の隅に盆を置く。


 この二十年、月に何度か持ってくる。中身は決まっていて、飯と、汁と、煮たものが一皿になる。皿は毎回同じ皿である。


「みのさん、置いとくよ」


 わしは箸を取った。


 みのさんと呼ぶのは、この嫁だけになる。嫁に来た年、わしの名を聞き違えて、そのまま二十年呼び続けている。間違ったままの呼び方である。直せば直る。誰も直さなかった。


 わしは返事をした。


「ありがとう」


 嫁は笑って、それから土間の桶を見た。笑い方は、以前と変わらない。


「新しいの、作ったの」と嫁が訊いた。

「もらった」

「よかったねぇ」


 嫁は出ていった。皿は同じ皿である。欠けている場所も同じだった。二十年前に嫁が落として、縁を五分ほど欠かせた皿になる。落とした時、嫁は泣いた。わしは笑って、そのまま使い続けた。


 わしは飯を食った。汁の塩が、以前より合っていた。


 外の道に、赤い上着の若いのが立っていた。帰らずに残っている。


「じいさん、あの人は」と若いのが言った。

「提灯屋の嫁だ」

「贋か」

「贋だな」


「返して欲しいか」


 わしは箸を置いた。置いてから答えを探した。探して、見つからなかった。


「湯が熱い方がいいか、と訊かれてるのと同じだ」


 若いのは何も言わなかった。何も言わずに、道の石を蹴った。蹴ってから、蹴ったのを悪いと思ったのか、足で元へ戻した。


 夜に、川の水が上がった。


 土間まで来て、膝の下で止まった。水が来る前に音が来て、音の前に屋根の影が動いた。影が動くと外が暗くなる。それで上に何かあると分かる。


 わしは外へ出なかった。出なかったが、町の者は出た。


「出たぞ」

「今日は近い」


 それから手を叩く音がした。


 三十人が手を叩いていた。上を見て、手を叩いている。上で何かが継がれる音がして、その度に拍手が大きくなった。屋根の影が伸びて、川の水が押し戻されて、それでも誰も逃げなかった。


 拍手は揃っていた。誰も音頭を取っていないのに揃っている。以前のこの町では、こういうものは揃わなかった。


 提灯屋の倅も並んでいた。休みの日である。父親の隣で、上を見て手を叩いていた。父親の叩き方と、倅の叩き方は合っていなかった。倅の方が半拍遅い。


 わしは土間から見ていた。手は叩かなかった。叩ける気がしなかった。叩いている者を止める気も無い。


 上で声が五つ揃った。技の名だったのだろうと思う。聞き取れなかった。


 水が引いた。


 拍手が止んで、町の者が帰っていった。帰りながら喋っている。声の大きさが、以前の八百屋の嫁くらいになっていた。



 朝になった。六月の朝で、五時に外が明るい。


 わしは新しい桶に水を張って、縁から下へ目を落とした。濡れていない。


 三つとも濡れていなかった。


 仕事場に上がって、側板を削った。銑を引く。膝で押さえて、両手で手前へ引く。屑が膝に溜まる。厚みは揃わない。


 揃わないので、まだ仕事だった。


 外で声がした。


> 銘量 ── 六つ、減っております。

> 火村燈 八百三。陶山蒼 八百四十四。綾織紬 六百九十二。

> 楠木巌 九百八。硝子井玲 七百八十六。


 また数を言っていた。何の数かは分からない。減っていることだけ分かる。減るものを毎日数えている者がいるということも、分かった。


 若いのが五人、順に飛び石を踏んで渡っていった。橋は無い。踏む順は決まっていて、四つ目だけ滑る。誰も教えなかったのに、五人とも四つ目で足を置き直した。


 佐久間はその後ろについた。桶を抱えたまま渡っていく。抱え方は変わらない。


 赤い上着の若いのが、一度だけ振り返った。


 わしの方を見たのではなかった。町の方を見ている。提灯屋の軒の、三つ揃った提灯の方である。


 それから前を向いて、渡っていった。渡り切ってから、桶を抱えた佐久間が上がるのを待っていた。


 わしは帳面を出した。後ろの頁を開いて、書いた。


> 提灯屋の嫁 みのさんと呼ぶ


 三十一人ぶんになった。


> 【鑑定 第十五号】

> 押印累計 ── 六十五。

> 物件 ── 桶、一つ。

> 追記 ── 本日、押印五。搭乗五、刻印一。銘量の減少を確認。

> 所見 ── 川向こうの町、住人の判定を行う。三十一名。

>     うち三十名 ── 贋。一名 ── 真。氏名 ── 記載いたしません。

>     贋作体一体、消失。

>     原物(桶、一つ)── 所在不明。回収に至らず。

>     代替物(桶、一つ)── 滲みません。依頼者が持ち帰る。

>     市の被害 ── なし。川向こうの町の被害 ── 桶、一つ。

>     依頼者以外の申し立て ── 桶の寸法だ。判定 ── 対象外。

> 本件、真贋判定 ── 〈不能〉。

> ただし、

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