第012話 窯変の茶碗
> 【鑑定 第十二号】
> 押印累計 ── 五十。
> 依頼者 ── 陶山蒼。
> 物件 ── 茶碗、一つ。
> 所見 ── 窯変。釉が窯の中で走り、片側だけ色が変わっている。
> 変化の始点は、火の通り道に接した一点。
> 左右対称ではありません。同じものが二つ存在しません。
> ……判定を、開始します。
── 窯の火を落とすまでに、あと十二時間あった。
蒼は焚き口の前に座っていた。三日目である。三日、ここを離れていない。
薪を一本入れた。奥へ押し込まずに、口の手前で止める。炎が横へ倒れて、窯の天井を舐めていった。
「熱いな」と燈が言った。
「熱い」
「顔が焼けるぞ」
「焼ける」
蒼は覗き穴に目を当てた。当てて、三秒より長く見ていた。
「三秒くれ」
「もう見てるだろ」
「見てから三秒だ」
蒼は目を離して、それから薪をもう一本入れた。入れる位置が、さっきより二寸奥だった。
「なんで場所を変えるんだ」
「奥が上がりすぎてる」
「見えるのか」
「色が違う。奥が白くて、手前が橙だ」
燈は覗き穴に目を当てた。全部同じ色に見えた。
土は嘘つく 練れば練るほど。
蒼が低く鳴らした。薪の割れる音の間に入って、そこで切れた。
嘘が澄んでく 手のひらで。
二行目まで出た。それきり続かない。
玲が窯場の隅に座っていた。座って、窯の腹に手を当てている。腹の外側である。
「あったかい」
「離れろ。火傷する」
「あったかいだけだよ」
玲は手を離して、それから窯の脇の棚に手を伸ばした。焼く前の器を並べる棚である。今は空いている。
空いているところに、紙包みが置いてあった。棚の一番奥である。
玲が開けた。饅頭が二つ入っていた。温まっている。
「陶山さん」
「置くな。今は置くなと言ったろ」
「余熱で温めてたね」
「温めてない」
「あったかいよ」
蒼は薪を入れる手を止めない。止めずに、耳だけが赤くなった。紬が笑って、巌が「ん」と返す。
佐久間が窯場の入口に豆腐を四丁置いていった。前掛けが濡れている。
「余ったからな。置いてくぞ」
「四丁だな」と燈が言った。
「余ったんだ」
夜、蒼は火を落とした。落としてから、焚き口を土で塞いだ。
「開けるのは」
「二日後だ」
「二日待つのか」
「急に冷ますと割れる」
蒼は塞いだ焚き口の前に座り直した。座って、そのまま動かなかった。
「三日座って、あと二日座るのか」
「座る」
「何を見てるんだ」
「何も見てない。離れると、聞こえないからだ」
燈は黙って、蒼の隣に座った。座ってから、自分の炉の火のことを考えた。三日座ったことは一度もない。
窯の中で、何かが小さく鳴った。冷えていく音である。器が縮む音だと蒼が言った。割れる音とは違うらしい。
*
二日後の朝、蒼が窯場から動かなくなった。
燈が着いた時、焚き口は開いていた。塞いだ土が崩されている。崩したのは蒼ではなかった。
窯の中に、器が並んでいた。奥まで見える。前は奥が暗くて、数えられなかった。
六十四ある。蒼が入れたのは六十四である。数は合っていた。
蒼は一つ取り出して、両手で持った。それから次を取り出した。三つ目、四つ目。十まで出して、そこで手を止めた。
「揃ってる」
「割れてねぇのか」
「一つも割れてない」
蒼は器を板の上に並べた。六十四並べた。並べ終わるまでに時間が掛かった。
六十四とも同じ色だった。並べた端から端まで、目が滑る。
釉の溶け方が同じで、貫入の入り方が同じで、底の縮み方が同じである。窯の奥に入れたものと、手前に入れたものの区別が付かない。
「良くなってるな」と燈が言った。
「良くなってる」
「全部使えるだろ」
「使える」
蒼は板の端に立って、六十四を見た。長く見ていた。
「歩留まりが十割だ」
「いい話じゃねぇのか」
「良い話だ。陶芸を三十年やった人間が、一度も見たことのない良い話だ」
蒼は窯の中へ入った。屈んで、天井を撫でた。撫でながら、奥へ進んでいく。
出てきた時、掌に煤が付いていなかった。
「煤が無い」
「無いのか」
「窯の中に、火の通り道が無い。天井が全部同じ温度で焼けてる」
蒼は窯の外へ出て、それから棚の一番下を見た。伏せて置いてある器が並んでいる。十七ある。
蒼はその中から一つだけ取って、板に置いた。
片側の色が違った。持ち替えると、別の器に見える。
青灰色の釉が、片側だけ紫に走っている。走りの始点が高台の脇にあって、そこから斜め上へ流れていた。流れの縁が滲んでいる。左右が対称ではない。
「これは」
「去年のだ」
「綺麗だな」
「窯変だ」
蒼はそれを板の上に置いたまま、手を離した。
「割らねぇのか」と燈が訊いた。
「割ろうとして、割れなかった」
蒼はそこで一度、言葉を止めた。
「去年、これが窯から出た。師匠が来て、これを見て、褒めた」
「良かったじゃねぇか」
「三十年で一番いい仕事だと言われた」
蒼は自分の掌を見た。
「俺は、これに何もしてない」
燈は器を見た。紫が斜めに走っている。誰が引いた線でもない。それでも、線に見えた。
「土を練った。轆轤で挽いた。釉を掛けた。窯に入れた。そこまでは俺だ」
「そこまでやったんだろ」
「その先を、窯がやった」
蒼は器の縁に指を掛けた。掛けて、そのまま持ち上げなかった。
「窯変は狙って出せない。出そうとして出たら、それは窯変じゃない」
「じゃあ」
「褒められたのは、俺じゃない」
*
夜、識が火から立ち上がった。窯場の土間である。
> 鑑定を、開始します。
識は新しい窯の焚き口の前に立った。それから中へ入って、出てきた。
> 物件 ── 登り窯、一基。
> 全長、室数、煙道の断面、いずれも原物に一致。
> 窯内の温度勾配、ありません。火の通り道、ありません。
> 判定 ── 贋。
「勾配が無いと、どうなるんだ」と燈が訊いた。
> 全ての器が同じに焼けます。
> 歩留まりは十割になります。
「じゃあ、いいだろ」
識は答えなかった。答えの項目が無いのではない。答えを持っているのに言わない、という間だった。
蒼が焚き口の前に座った。座って、土間の土を指で掻いた。
「識」
「はい」
「元に戻したら、どうなる」
「窯の奥が上がりすぎます。手前が上がりません。焼き損じが出ます」
「何割だ」
「六つに一つ、と推定します」
蒼は数を聞いて、指を止めた。
「六つに一つ」
「はい」
「窯変も出るか」
「出ます。ただし、出ない年もあります」
蒼はそれきり黙った。玲が窯の腹に手を当てて、離した。
「あったかくない」
「冷めたんだろ」と燈が言った。
「違うよ。どこも同じ温かさ」
玲は窯の腹に沿って歩いた。歩きながら、手を当てていく。三十歩ぶん当てて、戻ってきた。
「全部おんなじ」
「前は違ったのか」
「前は、五歩目と十七歩目が熱かった。焚き口から数えて」
蒼が顔を上げた。
「数えてたのか」
「うん。あったかいところに座ってたから」
蒼は玲を見た。見てから、窯を見た。それから立ち上がった。
「元に戻す」
言い方が短い。三秒も掛けなかった。
誰も反対しなかった。反対する前に、蒼が焚き口の土を掻き出しはじめた。
「六つに一つ死ぬぞ」と燈が言った。
「死ぬ」
「十割の方が」
「十割は、俺の窯じゃない」
蒼は手を止めて、それから燈の方を向いた。
「理由は言えない」
「言えねぇのか」
「言えない。でも、こっちの方がいい」
燈はその言葉を知っていた。自分が言ったことがある。硝子井の工房の、板の上の三十八本の前でである。
*
窯場の外で、砂が鳴った。
灰白色が並んでいた。数える前に六十を超えた。窯の煙突の影の中に、隙間なく並んだ。
その先に男が立っていた。革の前掛けで、作業着に汚れが一つも無い。手に持った布で、細い工具を一本ずつ拭いていた。
「十割では、ご不満でしたか」と型取が言った。
「不満じゃない」と蒼が言った。
「では」
「不満じゃないから、駄目なんだ」
型取は工具を袋へ戻した。戻す位置がいつもと同じである。
「一つ、お訊きしてよいですか」
「言え」
「六つに一つ捨てる仕事を、あなたはお続けになるのですか」
「続ける」
「捨てられる一つは、どう思うでしょうか」
蒼は答えなかった。答えられなかった。
型取が掌を開いた。掌に茶碗が乗っていた。片側だけ紫に走っている。去年の窯変の器である。板の上に置いたはずのものだった。
茶碗が地面へ落ちて、落ちた場所から膨らむ。胴が伸びて、腕が二本、脚が二本出た。三メートルほどで止まる。左右が寸分違わず対称である。
紫が、両側に走っていた。走りの形まで同じである。
> 贋作体であります。原物、陶山蒼の作、去年の窯変。
> 釉の走り、両側に一致。始点、両側に一致。滲みの幅、両側に一致。
> 判定 ── 贋。
「両側?」と蒼が言った。
声が低い。低いまま、印籠を出していた。
「押印!」
五つの胸から朱が広がった。円、角、杼形、縦長方形、六角。五色が残る。艶は何処にも無い。
背後に紙が広がって、五つの印が並んだ。右下だけが白い。
> ── 以上、五点。全て、一点物。
贋作体が来た。腕が上から落ちてくる。燈が槌で受けた。受けた場所が欠けて、欠けたところがすぐ埋まった。
「直るぞ」
「焼き直してる」と蒼が言った。「割れたところに釉が回ってる」
玲がスカシバを振った。胴に線が入って、上下が離れた。離れた面が合わさって、そこに釉が流れた。流れて、繋がった。
「治るの、速い」
「うん」
紬が鞭を投げて、腕を縛った。縛って、送って、締める。縛った場所の陶が締まって、そこだけ硬くなる。
「硬くなった」
「焼きが進んでる」と蒼が言った。
巌が地面に凹凸を作って、材を渡した。渡した材を贋作体が踏んで、材が割れた。
「持たん」
蒼は三歩待った。三歩目で輪を投げる。輪は贋作体の胴の紫の上に当たって、そこで止まった。止まった場所の紫が、色を変えなかった。
蒼は輪の当たった場所を見た。長く見た。
「両側とも同じだ」
「さっきそう言われたぞ」
「窯変は、両側に出ない」
蒼は窯の方を向いた。
「燈」
「何だ」
「焚き口を開ける」
「今か」
「今だ」
蒼は走った。走って、焚き口の土を蹴り崩した。崩した先に、元に戻った窯がある。奥が上がりすぎて、手前が上がらない窯である。
「玲! 五歩目と十七歩目は」
「熱かったよ」
「今も熱いか」
玲は窯の腹に手を当てた。三歩、五歩、十七歩。
「熱い。戻ってる」
蒼は焚き口の前に立って、贋作体の方を向いた。
「来い」
贋作体が来た。腕が伸びて、蒼の肩に当たった。当たって、蒼が後ろへ下がった。焚き口の中へである。
蒼は下がりながら、贋作体の腕を掴んだ。掴んで、引いた。
贋作体の腕が、焚き口の中へ入った。肩までは入らない。腕一本だけである。
「巌さん!」
「ん」
巌が鋸を焚き口の枠に当てた。凹凸を作って、材を差し込む。差し込んだ材が、贋作体の腕を焚き口の中に留めた。
「燈!」
「火入れか」
「火入れだ」
燈は焚き口の脇の薪を掴んだ。掴んで、そこへ槌を当てた。
「ホムラヅチ!」
打撃面が橙に灼けている。燈は薪を叩かなかった。叩かずに、焚き口の底へ打撃面を押し付けた。
炭が鳴った。
火が上がる。
上がった火は、真っ直ぐ立たなかった。奥へ倒れた。奥が上がりすぎる窯だからである。火は贋作体の腕の片側だけを舐めて、そこを通り抜けていった。
しゅう、と鳴った。
贋作体の腕の片側が、色を変えた。
青灰色が紫に走った。走りの始点が肘の脇で、そこから斜め上へ流れていく。流れの縁が滲んだ。
片側だけである。
> 釉の走り、片側のみ。始点、一箇所。
> 左右対称ではありません。
「対称じゃなくなったぞ」と燈が言った。
> 原物との一致、失われました。
> 判定 ── 不能。
贋作体が止まった。腕を引こうとして、引けていない。
止まって、それから胴が鳴る。指で弾いた時のような音である。濁っていた。
「割れる」と蒼が言った。
「割れるのか」
「片側だけ焼けたものは、冷える時に割れる」
贋作体の胴に、縦の線が入った。線が肩まで走って、腕まで走って、脚まで走った。
崩れた。上からではなく、真ん中からである。
陶の破片が地面に落ちて、落ちた音が高かった。破片は形を失わない。陶のままで残った。
灰白色が動いた。最後の一体が膝を突いた時、窯場にいた全部が一斉に口を開いた。顔が平らで、口は無い。それでも声だけが揃った。
「……ありがとうございました」
消えた。窯場の土に足跡が一つも無い。
蒼は破片の前に膝を突いた。
片側だけ紫の破片が三つあった。蒼はそれを拾って、掌に並べた。
「これは、俺の窯変じゃない」
「今、窯で焼いたんだろ」
「焼いた。だが、俺が狙って出した」
蒼は破片を三つとも布に包んだ。包んで、棚の下の箱に入れた。同じ箱がいくつも積んである。
「狙って出したら、窯変じゃないんだよな」と燈が言った。
「そうだ」
「じゃあ、これは何なんだ」
蒼は箱の蓋を閉めた。閉めてから、そこで手を止めた。
「もう、どこのでもない」
蒼は箱の上を指で撫でた。それから立ち上がって、板の上の六十四を見た。六十四とも同じ色である。
「これは、どうすんだ」
「使う」
「贋物だろ」
「器は器だ。飯は食える」
蒼は六十四のうち一つを取って、指で弾いた。
かん。
高い音だった。
二つ目を弾く。同じ音だった。三つ目も、四つ目も同じである。十まで弾いて、十とも同じ高さだった。
蒼は十一個目を弾かなかった。
「同じだな」
「同じだ」
「それは、いいことなんだよな」
「いいことだ」
蒼は器を板に戻した。戻して、そこから離れた。離れ方が、去年の窯変を棚に戻した時と同じだった。
*
窯場の外で、男の声がした。
「── 量産」
灰白色が地面から生えた。窯の煉瓦の隙間から、水路の水面から、板壁の下から。同じ顔で、同じ背丈で、同じ間隔で。一つが別の一つの肩に乗る。その上にまた乗った。
水路が持ち上がって黒い炉が立つ。向かいの岸で長い窯が伸びた。裏の林から櫓が起き上がる。織り場の屋根から機が出た。砂の山から硝子を切る台が立った。
五つが並んだ。素焼のままである。
「巌さん」
「ん」
巌の櫓が動いた。四箇所を継いで、一分ずつ緩めた。
> 連結を確認。
「火入れッ!」
炉の底が鳴った。赤が上がって、継ぎ目を通って渡っていく。土が磁器になった。
> 真、通りました。
「組み継ぎ、合体!」
継手が噛んだ。木を組む時と同じ音が、四十メートルの高さで鳴る。
地上で、玲の母が窯場の入口に立って見上げていた。
「七回目だな」と戸島が言った。
「七回目だ」と佐久間が言った。
塊が腕を振る。腕が右の肩に当たった。右の肩は磁器である。
磁器が鳴った。割れない。
「硬いな」と燈が言った。
「焼き締まってるからだ」と蒼が言った。「その肩は、俺の窯で焼いた分じゃない」
燈は返事をしなかった。返事の代わりに、拳を握った。握った位置が、いつもより低い。
「刻印!」
右の拳が前へ出た。左の掌が、その甲を上から押す。
「銘刻斬ッ!」
声が五つ揃った。
拳が塊の胴へ入った。入った場所に朱が走って、線が字の形になっていく。銘が刻まれていた。
塊は胴から崩れた。落ちた先が水路である。水が両側へ逃げた。
窯の煙突には何も届かなかった。
*
夜が明けた。
蒼は轆轤の前に座っていた。
土を練っている。菊練りである。押して、回して、折り返す。三つで一つになる。
練り終わった土を轆轤に載せて、水を掛けて、挽きはじめた。
一つ目が上がった。飯茶碗である。口の径が三寸五分ほどで、高台が低い。
二つ目を挽いた。一つ目より少し大きい。三つ目は口が広がった。四つ目は少し歪んだ。
六つ挽いて、蒼は手を止める。轆轤が止まるまでに、少し掛かった。
燈は数えた。
「六つあるぞ」
「六つだ」
「五人だろ」
「五人だ」
蒼は板の上の六つを見た。六つとも形が違う。
「窯で一つは死ぬ」
燈はそれを聞いて、口を開いて、閉じた。
蒼は六つを板ごと持ち上げて、棚へ運んだ。運んだ棚は、元に戻った窯の脇である。奥が上がりすぎて、手前が上がらない窯になる。
> 銘量 ── 火村燈 八百二十一。陶山蒼 八百六十二。綾織紬 七百十。
> 楠木巌 九百二十六。硝子井玲 八百四。
> 六つ、減っております。
「勝ったな」と燈が言った。
「勝った」と巌が言った。
七回目である。七回目は、蒼が轆轤を回している音の上に乗った。
燈は窯場を出て、商店街の道を歩いた。屋根が架かっている道である。歩いて、平尾看板店の前を通った。平尾が脚立の上で、看板の縁を拭いていた。
「燈坊、おはよう」
「おはようございます」
燈はそのまま歩いた。
> 【鑑定 第十二号】
> 押印累計 ── 五十。
> 物件 ── 茶碗、一つ。
> 追記 ── 本日、押印五。搭乗五、刻印一。銘量の減少を確認。
> 所見 ── 登り窯(代替物)、依頼者により原状へ復す。温度勾配、回復。
> 焼き損じの見込み ── 六つに一つ。依頼者の了解あり。
> 窯出し六十四点(代替物の焼成分)、依頼者が使用を継続。
> 贋作体一体、片側焼成により判定不能。冷却により自壊。
> 破片三点、依頼者が回収。同一の箱に保管。
> 市の被害 ── 材木一本。
> 依頼者の申し立て ── もう、どこのでもない。
> 本件、真贋判定 ── 〈真〉。
> ただし、




