第009話 継手の隙間
> 【鑑定 第九号】
> 押印累計 ── 三十五。
> 依頼者 ── 楠木巌。
> 物件 ── 継手、一箇所。
> 所見 ── 銘洲神社、拝殿の梁と柱の仕口。腰掛蟻継。
> 寸法の狂いなし。当該箇所、隙間 一分。
> 同一の職人が、他の十一箇所にも同じ隙間を残している。
> ……判定を、開始します。
── 一分は、指の腹の半分ほどである。
巌はその隙間に、鉋屑を一枚差し込んでいた。差し込んで、抜いて、また差し込む。抜く時に引っ掛からない。引っ掛からないのを三度確かめて、それから次の継手へ移った。
銘洲神社の拝殿である。足場が組んである。組んだのは巌で、継ぎ目に釘が一本もない。継いだ材の色が周りと合っていない。合っていないまま、そこで支えていた。
巌の仕事はこの春で三度目になる。一度目が足場、二度目が屋根の下地、三度目が拝殿の仕口である。仕口は十二箇所ある。十二箇所とも、巌が刻んだのではない。
春の朝で、日が拝殿の板を温めている。板は冷たい。温まる速さが板ごとに違う。
「隙間があるぞ」と燈が言った。
巌は手を止めなかった。鉋屑を差し込む手つきが変わらない。
「ある」
「詰めねぇのか」
「詰めん」
燈は継手を覗きこんだ。梁が柱に差し込まれていて、その差し口の下に細い影が走っている。影の幅が、指の腹の半分ほどだった。
「揺れたら抜けるだろ」
「抜けん」
「詰まってた方が強いだろ」
巌は鉋屑を挟んだまま、燈を見た。見てから、鑿を置いた。置いてから、口を開くまでに時間が掛かった。
「継手は、隙間があるから強い」
燈は言葉の意味を取り違えた。取り違えたまま、もう一度訊いた。
「隙間があると、強いのか」
「木は動く。夏に膨らんで、冬に縮む。雨で膨らんで、晴れで縮む。動く分の場所を残しておく」
「残さねぇと」
「詰めて組んだら、裂けるだけだ」
巌はそこで一度、口の中で低く鳴らした。
隙間あるから 折れずにすむさ。
燈は続きを待った。巌は続けた。二節目を歌う人を、燈は初めて見た。
詰めて組んだら 裂けるだけ。
二行あった。燈が知っている唄は、どれも一行で切れていた。
「二つあるのか」
「二節ある」
「俺の唄も、二節あるのか」
「あるだろう」
燈は思い出そうとした。父が炉の前で鳴らしていた唄である。一節目は覚えている。打てば打つほど縮んでいくよ、減った鉄だけ締まるのさ。それを二十二年聞いた。
二節目が出てこなかった。出てこないのが、思い出せないからなのか、そもそも聞いていないからなのか、燈には分からなかった。
「知らねぇな」
「そうか」
巌はそれきり訊かなかった。訊かずに、次の継手へ移って、鉋屑を差し込んだ。
昼に、佐久間が境内まで豆腐を持ってきた。四丁あった。
「余ったからな。置いてくぞ」
「四丁だな」と燈が言った。
「余ったんだ」
佐久間は本殿に一度手を合わせて、帰っていく。腰は曲がっていない。
玲が二丁食べた。紬が残りを鉢に移して、水を張った。蒼が石段の上に座って、鉋屑を一枚拾って、それを指で曲げていた。
「三秒くれ」と蒼が言った。三秒たった。
「この屑、厚みが端まで同じだ。楠木さん、刃の出を途中で変えてないな」
「変えん」
「変えると屑の厚みが変わる。変わったところが仕上げに出る」
「ん」
*
翌朝、境内に人が立っていた。
拝殿の前である。氏子総代の年寄りが三人と、宮司が一人。四人とも上を見ていた。
燈が近付いて、同じ方を見た。
拝殿が直っていた。足場が消えていて、下から見上げると屋根の下が一続きに見えた。
足場が消えている。継いだ材の色が違っていた場所が、周りと同じ色になっている。梁と柱の継手を覗くと、影が無かった。
隙間が消えていた。指を当てると、木と木の間が冷たくない。
十二箇所とも消えていた。指の腹の半分ほどあった影が、何処にも無い。木と木が触れ合って、そこで止まっている。
「綺麗になったなあ」と総代の一人が言った。
「見違えたよ。楠木さんは仕事が速いね」
巌は境内の砂利の上に立っていた。立って、上を見ていた。何も言わない。褒められた顔もしていなかった。
宮司が巌に近付いて、頭を下げた。
「思っていたより早く上がって、助かりました。祭りに間に合います」
「ん」
「予算の方も、少なくて済みそうで」
巌は頭を下げ返した。下げてから、拝殿の階を上がって、継手に指を当てた。
指が入らなかった。爪の先も入らない。
巌は鉋屑を出して、差し込もうとした。入らない。二箇所目でも入らない。三箇所目でも入らなかった。
「駄目か」と燈が訊いた。
「駄目だ」
巌は階を降りて、砂利の上に戻った。それから拝殿の屋根の隅を見上げた。
「梅雨が来る」
「来るな」
「六月に膨らむ。膨らむ場所が無い」
「どうなるんだ」
巌は答えなかった。答えずに、道具箱を担いだ。担いで、境内から出ていこうとした。
「どこ行くんだ」
「材を見に行く」
「直せるのか」
「直せん」
巌は止まって、それから振り向いた。
「直すには、全部外す。外すには、氏子の許しが要る。綺麗になった物を外す許しは、出ん」
燈は境内の人を見た。四人とも拝殿を見上げて、褒めていた。褒めているのは本心である。綺麗になったのも本当だった。
*
夜、識が火から立ち上がった。
> 鑑定を、開始します。
境内の砂利の上である。識は拝殿の階の高さに立って、そこから継手を見た。
> 物件 ── 継手、一箇所。
> 材、寸法、仕口の形、いずれも原物に一致。
> 隙間、ありません。十二箇所とも、ありません。
> 判定 ── 贋。
「隙間が無いだけか」と燈が訊いた。
> 隙間が無いだけであります。
> 他に相違点はありません。
「それで駄目なのか」
> 判定は、駄目とは申しておりません。贋であると申しております。
燈は言い返す言葉を探した。探しているうちに、巌が階に腰を下ろした。
「一分だ」と巌が言った。
「一分でどうなるんだ」
「六月に膨らんで、逃げ場が無くて、柱が割れる。割れるのは柱の内側だから、外からは見えん。三年か五年で、屋根が下がる」
巌は自分の掌を見た。
「俺の親父の仕事だ。この十二箇所は、親父が刻んだ」
「親父さんの」
「俺が入る前の年だ。俺は隙間の意味が分からんで、詰めて刻んだことがある。一度だけ。親父に外させられた」
燈は巌の顔を見た。巌は上を見ていた。
「あの時は、俺が悪いと思わなかった。詰めた方が丁寧だと思ってた」
「今は」
「今は、丁寧の意味が違うと分かる」
紬が石段の上から降りてきて、巌の隣に立った。
「わたし、糸を余らせるよ」
「知ってる」
「同じ?」
「同じだ」
紬は自分の袖から糸を一本抜いた。抜いて、指の幅で二つ余らせて、そこを鋏で切る真似をした。
「切る時、要る長さより先で切るの。誰かが要るかも知れないから」
「木は誰も来ん」
「木は?」
「木は自分で動く。動く場所を残す」
紬はうなずいた。うなずいてから、糸を懐へ入れた。
巌は顎を一度下げた。
*
境内の砂利が鳴った。音のしない足音が、砂利の上では鳴る。
灰白色が鳥居をくぐって入ってきた。数える前に五十を超えた。玉垣の内側に並んで、一体も砂利を蹴らなかった。
その先に男が立っていた。革の前掛けで、作業着に汚れが一つも無い。手に持った布で、細い工具を一本ずつ拭いていた。
「祭りに間に合いました」と型取が言った。
「梅雨が来るぞ」と巌が言った。
「その時に、また調整いたします」
巌は立ち上がった。立つのに時間が掛かった。
「調整するな」
「何故でしょう」
「毎年調整するなら、それは建物じゃない」
型取は工具を袋へ戻した。戻す位置がいつもと同じだった。
「建物とは、何でしょうか」
「千年立ってるもんだ」
型取は少し黙った。黙ってから、掌を開いた。
掌に木の欠片が乗っていた。継手の一部である。凹凸が刻まれていて、その凹凸に隙間が無い。
欠片が地面へ落ちて、落ちた場所から膨らむ。木の胴が伸びて、腕が四本、脚が二本出た。三メートルほどで止まる。左右が寸分違わず対称である。全身が継手で出来ていて、継ぎ目に影が一本もなかった。
> 贋作体であります。原物、銘洲神社拝殿の仕口。
> 継ぎ目の隙間、ありません。寸法の狂い、ありません。
> 判定 ── 贋。
「隙間が無い」と巌が言った。
声が低い。低いまま、印籠を出していた。
「押印!」
五つの胸から朱が広がった。円、角、杼形、縦長方形、六角。麻の葉と亀甲と格子と魚子の縫い目が走って、五色が残る。艶は何処にも無い。
背後に紙が広がって、五つの印が並んだ。
> ── 以上、五点。全て、一点物。
贋作体が動いた。腕が四本、同時に来る。速い。継ぎ目が一つも遊ばないので、力が全部先まで届いた。
燈が槌を上げた。上げたところへ腕が入って、槌の柄が横へ払われた。
「重い!」
「遊びが無いからだ」と巌が言った。
玲がスカシバを振った。腕の一本に線が入って、そこから先が落ちた。落ちた腕の断面に、継ぎ目が三つ並んでいた。三つとも隙間が無い。
贋作体はすぐ腕を継ぎ足す。継ぎ足した場所にも隙間が無かった。
紬が鞭を投げて、脚の一本を縛る。縛って、引かなかった。送って、緩めて、また締める。縛った場所が動かない。
「動かないの、この子」
「関節が無いんだ」と蒼が言った。「全部が一枚の木みたいになってる」
蒼は三歩待った。三歩目で輪を投げる。輪は胴の中ほどに当たって、そこで止まる。止まった場所が鳴った。
高い音である。
「巌さん」と蒼が言った。「今の音、聞こえたか」
「聞こえた」
「詰まってる木の音だ」
巌は鋸を出した。出すのが遅い。この日はもっと遅かった。
「ツギテノコ!」
巌は贋作体に向けなかった。向けずに、拝殿の階の下の材に歯を当てた。父が刻んだ十二箇所の、一番下の一つである。
歯が入った。凹凸を作って、そこへ横木を渡す。渡した横木を、贋作体の脚の前に置いた。
贋作体は横木の上へ乗る。乗って、そこで止まった。
巌は横木の端に、もう一つ凹凸を作った。作った凹凸に、材を差し込んだ。差し込んで、途中で止めた。
一分残した。残した場所に、細い影が走った。
「そこ、隙間があるぞ」と燈が言った。
「ある」
巌は材の反対の端を、拝殿の柱に噛ませた。噛ませてから、下がった。
贋作体が動いた。横木の上で、四本の腕を同時に振り下ろす。
力が横木へ入った。横木は折れなかった。折れずに、一分ぶん動いた。
動いた先で、材が柱を押した。柱は動かない。押した力が戻ってきて、横木の反対の端へ抜けた。
抜けた先に、贋作体の脚があった。
脚が裂けた。音は上からではなく、木の内側から来た。
継ぎ目からではない。継ぎ目の間の、木の真ん中から縦に裂けた。
「裂けた」と燈が言った。
「詰めて組んだら、裂けるだけだ」
巌は同じ言葉を二度言った。二度目の方が短い。唄の一行がそのまま技の名前になっていた。誰もそれを指摘しなかった。
贋作体は脚を継ぎ足そうとした。継ぎ足した場所が、また裂けた。裂けた場所を継ぐと、その隣が裂ける。
「燈」
「見えてる」
燈は走った。走って、裂け目の下で足を止めた。
鎚を高く上げなかった。腰の高さから短く振った。
「ホムラヅチ!」
ばき、と鳴った。
低くて、乾いた音だった。裂け目が胴まで走って、そこで胴が二つに分かれた。
贋作体は形を失っていく。木の胴が縮んで、腕が縮んで、砂利の上に一つだけ残った。
継手の欠片だった。
凹凸が刻まれていて、その下に細い影が走っている。影の幅が、指の腹の半分ほどだった。
巌はそれを拾って、鉋屑を差し込んだ。入った。抜いた。引っ掛からない。それを三度やって、それから懐へ入れた。
「これは親父のだ」
灰白色が動いた。最後の一体が膝を突いた時、境内にいた全部が一斉に口を開いた。顔が平らで、口は無い。それでも声だけが揃った。
「……ありがとうございました」
消えた。砂利の上に足跡が一つも残っていない。
巌は欠片を握ったまま、拝殿を見上げた。
「十二箇所は、まだ詰まってる」
「直せねぇのか」
「許しが出ん」
巌は石段に腰を下ろして、道具箱を膝に置いた。開けなかった。
「梅雨まで、二か月ある」
「二か月で、何か出来るのか」
「氏子と喋る。それしかない」
紬が巌の隣に座った。
「わたし、氏子の家、七軒知ってる」
「七軒か」
「明日から行く」
「ん」
*
鳥居の外で、男の声がした。
「── 量産」
灰白色が地面から生えた。境内の砂利から、玉垣の隙間から、水路の水面から。同じ顔で、同じ背丈で、同じ間隔で。一つが別の一つの肩に乗る。その上にまた乗った。
水路が持ち上がって黒い炉が立つ。向かいの岸で長い窯が伸びた。境内の裏の林から櫓が起き上がる。織り場の屋根から機が出た。砂の山から硝子を切る台が立った。
五つが並んだ。素焼のままである。
「巌さん」
「ん」
巌の櫓が動いた。炉の肩に鋸を当てて、凹凸を作って噛ませる。窯へ、機へ、台へ。四箇所を継いだ。
継いでから、巌が一度、噛ませた場所を戻した。
「今、緩めたか」
「緩めた。一分」
> 連結を確認。
「火入れッ!」
炉の底が鳴った。赤が上がって、継ぎ目を通って渡っていく。
> 真、通りました。
「組み継ぎ、合体!」
継手が噛んだ。木を組む時と同じ音が、四十メートルの高さで鳴る。低くて、短くて、一度きりだった。
いつもより低い。継ぎ目に一分の遊びがあると、音が下へ抜ける。
地上で、宮司が拝殿の前から見上げていた。氏子総代の三人が、鳥居の下に並んで見ていた。
「四回目だな」と戸島が言った。
「四回目だ」と佐久間が言った。
塊が腕を振る。腕が胸に当たって、緋の面が鳴った。凹んだが割れない。凹んだ場所が、少し戻った。
「戻ったぞ」
「一分あるからだ」と巌が言った。
「刻印!」
右の拳が前へ出た。左の掌が、その甲を上から押す。
「銘刻斬ッ!」
声が五つ揃った。
拳が塊の胴へ入った。入った場所に朱が走って、線が字の形になっていく。銘が刻まれていた。
塊は真ん中から裂けた。裂けた線が上まで走って、そこから左右に分かれて落ちた。落ちた先が水路である。水が両側へ逃げた。
拝殿の屋根には何も届かなかった。鳥居も立っていた。氏子総代の三人は、鳥居の下から一歩も動かなかった。
*
夜が明けた。
巌は境内の砂利の上に、継手の欠片を置いていた。置いて、その隣に鉋屑を一枚並べた。
宮司が出てきて、それを見た。
「それは」
「拝殿の仕口です。前のやつの」
「前のは、もう無いでしょう」
「一つだけ残りました」
巌は鉋屑を欠片の隙間に差し込んだ。差し込んで、抜いた。それを宮司の前で三度やった。
「入ります」
「入りますね」
「今のは、入りません」
宮司は拝殿を見た。それから、暫く黙っていた。
「六月に、どうなりますか」
「柱の内側が割れます。外からは見えません」
「見えないなら」
「三年か五年で、屋根が下がります」
宮司は社務所へ戻った。戻って、すぐに出てきた。出てきた時、後ろに氏子総代の三人がいた。昨日、綺麗になったと言った三人である。
総代は拝殿を見上げて、それから巌を見た。
「昨日の話を、宮司さんから聞いた」と一人が言った。
「はい」
「あんたの親父さんが刻んだやつだろう、あれ」
「はい」
総代は境内の砂利を靴の先で均した。均してから、顔を上げた。
「外してくれ」
「十二箇所、全部外します」
「祭りに間に合うか」
「間に合わせます」
巌は頭を下げた。下げるのに時間が掛かった。下げてから、道具箱を開けた。二日ぶりである。
紬が境内の外から手を振った。手には紙が七枚ある。氏子の家の名前が書いてあった。字が丸い。
「七軒、行かなくてよくなったよ」
「行っとけ」と巌が言った。
「なんで」
「梅雨の前に、もう一度言っといた方がいい」
紬は紙を七枚とも前掛けに入れた。入れて、そのまま境内から出ていく。
> 銘量 ── 火村燈 八百三十九。陶山蒼 八百八十。綾織紬 七百二十八。
> 楠木巌 九百四十四。硝子井玲 八百二十二。
> 六つ、減っております。
「勝ったな」と燈が言った。
「勝った」と巌が言った。
四回目である。四回目は、言ってから拝殿を見てしまった。
燈は境内を出て、商店街の道を歩いた。屋根が架かっている道である。骨が細くて、前より高い。歩きながら、その骨の継ぎ目を見上げた。
継ぎ目に影が無かった。
燈は足を止めない。止めずに、平尾看板店の前を通った。平尾が脚立の上で墨を磨っていた。
「燈坊、おはよう」
「おはようございます」
燈はそのまま歩いた。
> 【鑑定 第九号】
> 押印累計 ── 三十五。
> 物件 ── 継手、一箇所。
> 追記 ── 本日、押印五。搭乗五、刻印一。銘量の減少を確認。
> 所見 ── 代替物、十二箇所とも稼働を継続。撤去の申し出、なし。
> 原物、一箇所ぶんを回収。隙間 一分。使用者が保管。
> 贋作体一体、消失。裂断による。市の被害、なし。
> 工房機、連結時に一分の遊びを設けた。合体音、従前より低い。
> 依頼者の申し立て ── 六月に膨らむ。膨らむ場所が無い。
> 本件、真贋判定 ── 〈真〉。
> ただし、




