凪の日
侍とのバトルのあと、凪の日が来る。頼舟への特訓と、共同体の打毬——血のあとに、身体を動かす話。お気楽に見えて、楽園の底は揺れている。崖では、原田が探す「死者のクジラ」の噂が、もう噂ではなくなりそうだ、と教経が言う。
第5話 凪の日
「当たり前でしょ!」
木花が叫んだのと、頼舟が動いたのは、ほぼ同時だった。俺より、ずっと速かった。
頼舟は、長い槍を、回さなかった。回す侍は、踏み込む隙を作る。頼舟は回さず、まっすぐ踏み込んだ。一人の太刀をいなして投げ、もう一人を組み伏せる。鎧を着ていない分、速い。
「全員殺せば」と頼舟が、低く言った。「ここに侍など来なかった、と言える。――そうしてやろうか」
刃は、止まっていた。だが、声は本気だった。殺意だけが、本物だった。
侍たちが、後ずさった。
「……今夜は、退く」
脂の足跡だけ残して、五人は消えた。証拠は残った。だが、今夜は終わった。
言仁は、戦いの間、銛を洗った手のまま、海を見ていた。
俺は、頼舟の背中を見ていた。あの、考えるより先に体が動く速さ。あれが、欲しい、と思った。
翌日から、凪が続いた。
波が、膝まで寄せてこない。海が止まっている。漁はできない。解体は早く終わる。暇だ。
俺は、頼舟のところへ行った。
「教えなくていい。見せてくれないか。おれもあれくらい速くなりたい」
頼舟は、しばらく俺を見て、短く言った。
「速さだけじゃ、死ぬぞ」
それでも、砂浜まで来てくれた。
朝。砂を走る。足の裏に水ぶくれができた。潰れた。それでも走った。
「止まるな。続けろ、飽きてもやめるな。」
頼舟は、それしか言わない。
昼になると、見物が増えた。
「当たったら、肉ね!」
木花が、小石を投げてきた。お先まで、釜の手を止めて、面白がって投げてくる。
「お先さん、本気で当てにきてるっすよ!」と与市が笑った。その与市も、混ざって走り出した。
小石をよけながら走ると、足の裏が、勝手に砂を読むようになった。柔らかいところ、固いところ。次にどこを蹴ればいいか、足が先に決める。
夕方。頼舟が、砂丘の上に立った。
「ここから、頭から落ちろ」
頭から? 砂とはいえ、丘だ。
「受け身だ。空中で、恐れるな。恐れると、固まって折れる」
名前のある落下の技らしいが、頼舟は名を言わなかった。知らなくていい、ということだろう。
一回目。怖くて固まって、肩を打った。痛い。
二回目。三回目。砂が口に入った。
五回目で、落ちたあとの立ち上がりが、ふっと速くなった。
頼舟は、黙って、小さく頷いた。褒めはしない。だが、その頷きが、米より旨かった。
凪は、三日、四日と続いた。暇を持て余して、俺は思いついた。
「走って、打って、避ける遊びがある。ヒマな時間、毎日これに使おうぜ」
教経が、奈良の里の昔話を引っぱり出してきた。流木を三つ置いて塁にする。杖を一本。打って走り、触られたらアウト。三つアウトで交替。
言仁のチームと、木花のチームに分かれた。
「賭けるわよ」と木花。「負けた方が、勝った方の飯も炊く!」
走る理由が、はっきりした。
「早い方が、勝ち」
言仁が、塁の間を走り抜けながら、そう言った。速い。体が大きいのに、速い。
「言仁、走るの速いわよ!」と木花が悔しがる。
木花は、投げる球が、おかしかった。まっすぐ来ない。蛇みたいに曲がる。魔球だ。誰も打てない。
俺の番。頼舟が、後ろから低く言った。
「左に、二歩。体を傾けろ」
言われたとおりにしたら、曲がる球の、曲がりきる前に杖が当たった。当たっただけだ。飛んではいない。だが、足は速くなっている。俺は、足だけで、一塁に着いた。
「足だけかよ!」と与市が笑った。笑え。着いたんだ。
結局、言仁のチームが勝った。
木花が、負け惜しみを言いながら、釜の前に座った。お先が、楽しそうに味付けをしている。
「負けた方が炊くのねえ。――今日は、多めに味付けするわ」
その汁が、妙に旨かった。負けた相手が作った飯が、いちばん旨い。そういう日が、たしかにある。
言仁は、汁をすすって、ぽつりと言った。
「効率的な、訓練だった」
遊びだ、と言ってやりたかったが、やめておいた。こいつには、たぶん、遊びと訓練の区別がない。
たき火が小さくなったころ、教経だけが、笑っていなかった。
火の端で、ひとり、顔を曇らせている。
「どうした、おっちゃん」
教経は、低い声で言った。
「大宰府で、原田が動いた、という噂が――来ておる」
今夜は、負けた方の汁が旨い夜だ。
その次に来るのは、たぶん、旨い夜じゃない。




