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沖ノ島の警告

彦島へ商いに出る。言仁は「骨を岸に置け」と言い、商人を怒らせる。竹造の通訳は、海の技から商いの技へ広がる。帰路、沖ノ島で神託が下る——これ以上、取るな。楽園の外側に、正規の目が近づく話。警告を破るかどうかは、次の話へ続く。

第3話 沖ノ島の警告



 会合といっても、たいしたものじゃなかった。

 浜の小屋に村の主だった者が集まり、教経が段取りを並べる。それを、俺が言いやすい言葉に直して、みんなに渡す。いつのまにか、そういう役になっていた。

「明後日の明け、出港じゃ」と教経。「行きは彦島。骨と油を売る。帰りは玄界灘で、漁」

 彦島で売り、玄界灘で捕る。米と鉄と網の麻を持ち帰る。それまでの二日、浜では解体の続きだ。俺は二日とも、通訳をして過ごした。骨はどこへ、脂はどの樽へ。言仁ときひとの短い言葉を、村の手に届ける。手は、もう慣れていた。



 出港して、彦島に着いた。

 商人が蔵の前で待っていた。骨と油を運び込み、値の話になる。そこで、言仁ときひとが口を出した。

「油は、岸に下ろすな」

 商人の顔色が変わった。売りに来て、下ろすなとはどういうことだ。

「骨を、岸に置け」

 今度こそ商人は怒った。逆だろう、と。油を下ろして骨を持ち帰る、それでは商いにならない。

 俺は間に入った。

「違う、違う。油は質がいいから、岸の安い蔵にゃ置かねえ。船の樽のまま、高く買う相手に回す。骨はかさばるから先に下ろして、油の値を上乗せして引き取ってくれって話だ。――な?」

 言仁ときひとは、こちらを見もせず頷いた。合っていたらしい。商人は唸って、算盤を弾き直した。

 結局、白米と鉄と麻が、船に戻ってきた。

 言仁ときひとは、金の数を一度も見なかった。海のほうばかり見ていた。商いの間中、どこか上の空で。何を考えているかはわからない。ただ、ここにいたくなさそうな肩の落ち方だった。それくらいなら、読める。



 帰路にかかった。

 教経が、舳先で言った。

「玄界灘へ抜ける道に、沖ノ島がある。女神の島じゃ。左舷に見えたら、供物を流して、通り過ぎる。寄ってはならん」

 宗像の海だという。正しい祈祷を唱える船だけが、通ることを許される。怠れば、水軍の口実になる。

「潮の作法だ」と言仁ときひと。「通れば、整う」

 ところが、彦島を出てしばらくして、左舷に、寄るはずのない島が現れた。

 霧が裂けて、黒い島影が近づいてくる。沖ノ島だ。寄るつもりなどなかった。なのに、舵が効かない。船が、島へ吸い込まれていく。

「導かれてる」と弁助が呟いた。

 親方の親彦が、慌てて祝詞を唱えようとした。だが、声が出ない。口は動くのに、音にならない。宗像の作法が、なぜか届かない。

 言仁ときひとだけが、動じなかった。

「通れ、と言った」

 まるで招かれたかのように、船は島の入り江へ滑り込んだ。



「いちばんいいものを、海へ」

 言仁ときひとが言った。

 供物だ。村の連中が手を止めた。いちばんいいもの。米か。鉄か。せっかく彦島で得たものを。

 だが、実際に流されたのは、潮で固めた塩がひとつまみと、網の端を一尺切ったものだけだった。米も鉄も、樽の中だ。

 教経が、低く笑った。

「いちばんいいもの、と言いながら、いちばん捨てんもの。女神には形を、わしらには腹を。――それでよいのじゃ」

 形と腹。昨日、浜で覚えたのと同じ理屈だった。結節とやらは、神様の前でも変わらないらしい。

 不思議なことに、入り江の風が、ふっと止んだ。



 風が止んだ、その中心に、女がいた。


 光の粒でできた女だった。海面の上に、立っているのか浮いているのか、わからない。船の連中は誰も、その女を見ていなかった。気づいてすらいない。

 ただ、言仁ときひとだけが、その女を見上げていた。

「陸の結節点よ。これ以上、クジラを取るな」

 女の声は、潮の音に混じって、俺の耳にも届いた。

「海を破れば、朝廷の法も、神社の法も、お前たちを呑む。還れ」

 言仁ときひとは、しばらく黙っていた。それから、短く言った。

「忠告には、礼を述べる」

 従う、とは言わなかった。

 女は、悲しそうに目を細めた。

「還れ、と言っても、往くのね。――ゆくすえは、血の海だ」

 光が、ほどけて消えた。風が戻った。

 何が起きたのか、俺にはよくわからなかった。だが、言仁ときひとが今、何か大きなものに「断った」のだということだけは、肩の張り方でわかった。



「従え、って言ってんだろ!」

 気づいたら、俺は怒鳴っていた。神様だか何だか知らないが、向こうは「取るな」「還れ」と言っている。従っておけば、波風が立たない。腹は、冷えていた。

「従わない」

 言仁ときひとは、海を見たまま言った。

「来るなら、来る」

 来るなら、来い。神でも、水軍でも。そういうことらしい。怖い。本気で怖い。なのに――

「行け。網を用意しろ、竹造」

 名を呼ばれて、俺の足が、勝手に動いた。

 彦島で米を積んだ手で、女神に拒まれたばかりの手で、俺は網を握り直した。矛盾している。それくらい、自分でもわかっていた。わかっていて、動いた。


 玄界灘へ向かう途中、視界の端を、見たことのない帆が、横切った。

 誰の船か。名は、まだ聞かなかった。


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― 新着の感想 ―
めっちゃ面白い なぜ拒むのか、強行するのか、腹のうちが気になります……
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