取りに来い
三人、そろった。変わらねえな、と笑ったあと——「取りに来い、崇徳!」
第8話 取りに来い
◇ 竹崎 ◇
木花を、ひとりで行かせた。
あの細い道の入り口で、俺は馬を止めた。止めるしかなかった。あいつが「自分の足で立ってみたい」と言ったとき、その背中はもう、誰にも止められない背中になっていた。
だが、行かせるのと、見捨てるのは、違う。
俺は馬の頭を返し、なだらかなほうの道を駆けおりた。言仁のところへ戻るためだ。羅針盤と船長がそろわなければ、話にならない。
言仁は麓の陣で、ひとり頂を見上げていた。相変わらず潮のど真ん中で、何もかも抱え込んだ顔をして。
「木花が、頂へ行った」と俺は言った。「ひとりでだ。——追うぞ」
言仁は俺を見た。何か言いかけて、やめた。それから、黙って馬に乗った。
二人で頂を目指した。北条が法で兵をまとめ、後ろからついてくる。雨の中を、登りに登った。
頂の中央に、木花がいた。
たった一人で雨に打たれて立っていた。そのまわりだけが、妙に明るい。日が差しているみたいだ。あいつの足の下で、古い石が、ひとつ、またひとつと光りはじめていた。
上から声が降ってくる。姿のない、底の見えない声だ。崇徳の声だ、思い出したくもない大魔縁の顕現。
「——わが神よ。さあ、神になれ」
木花の身体が、ふらりと揺れた。神気に引かれているのだ。あのまま立っていたら、ほんとうに何かになってしまう。そんな気がした。
「木花!」と俺は叫んだ。
あいつが、振り返った。
俺たち三人が、雨の頂の上で、そろった。
俺は、考えるより先に口が動いていた。気の利いたことなんて言えやしないから、ずっと思っていたことを、そのまま口にした。
「いつだって、俺は、お前らが大切だ」
言仁が隣で息を吸った。それから、ぽつりと言った。
「……やっぱり、俺の国は、おまえたちだ」
空っぽの殿様の名でも、海の底に沈んだ天子の名でもない。こいつがほんとうに自分の国だと思っているものが、いま、口からこぼれ落ちた。
木花が、笑った。雨と、たぶん涙とで、ぐしゃぐしゃの顔のまま笑って、それから、頂の上の声のない声へ、まっすぐに言い放った。
「——神様よりも、家族のほうが、大切だ」
それが、こいつの答えだった。「わが神よ」と呼んだ男への、これ以上ないほどまっすぐな、答えだった。
俺は、なんだかおかしくなってきた。
「お前ら、変わらねえな」
「お前もな」と言仁。
「変わってないよ、みんな」と木花。
雨の頂の上で、俺たちは笑った。十の歳の、あの海の上と、何ひとつ変わっていなかった。
その瞬間、言仁の肩から、何かがひとつ、下りた気がした。
湖の夜、俺と北条が「飲まれてる、休め」と言ったとき、こいつは聞かないふりをした。受け取れなかったのだ。ひとりで背負うことを、どうしてもやめられなかった。それがいま、ようやくほどけた。ひとりでなんとかするという縄を、こいつは自分の手で、解いたのだ。
「竹崎」と言仁が言った。声に、前とは違う軽さがあった。「ひとりじゃ、無理だ。手を貸してくれ」
「おう」と俺は返した。それだけで、十分だった。
頂の上の声が、低くなった。歓ぶ声から、苛立つ声へと変わっていく。要の依代が、神にならない。あの男の計画に、穴が空いたのだ。
その穴を埋めようと、崇徳が潮をぶつけてきた。本人は出てこない。出てこないまま、雨を、霧を、石の光を束にして、俺たちを頂から振り落としにかかる。
だが、もう俺たちは、ばらばらじゃなかった。
「右だ、竹崎。石の光が、束になる」と言仁が流れを読む。
俺は旗を振って、兵を右へ動かした。北条が法で列を崩さず囲いを作り、木花が騎馬で、その先をこじ開けていく。
羅針盤、船長、法、前衛。四つが、はじめて一本に噛み合った。雨の頂で、俺たちは押し返した。崇徳の潮が、はじめてたじろいだのが、肌でわかった。
潮の引いたその隙に、言仁が、頂のいちばん高いところを見上げた。
そこに、何かが深く刺さっていた跡がある。栓の、抜かれた跡だ。
「天逆鉾を、立て直す」と言仁は言った。「あれをもう一度立てれば、この潮は止まる」
覚悟の決まった、静かな声だった。
そして言仁は、雨の天に向かって、声を張った。
あいつがこんなに大きな声を出すのを、俺は初めて聞いた。
「崇徳!」
頂が、しんとなった。
「お前の国は、ここにあるぞ! ——取りに来い、崇徳!」
国、と言った。
こいつの言う国は、領地のことじゃない。こいつ自身のことだ。その身の内に載っている、でかくて重いもの。それを餌にして、言仁は、姿のない敵を、この頂へ誘い込もうとしていた。
雨が、いっそう激しくなった。
頂の向こうで、何かがこちらへ動きはじめる気配がした。
——来る。
崇徳院という大魔縁が、すぐそこまで、来ていた。




