真ん中の孤独
木花視点。竹造と別れ、じいじと別れ、ひとりで頂へ。真ん中にいるのに、なぜこんなに孤独なのか。
第7話 真ん中の孤独
◇ 木花 ◇
雨の中を、馬で駆けていた。
霧島の頂は、ずっと上だ。雲に隠れて、見えない。そこへまっすぐ登っていくと、身体の中の熱が、近づくほどに強くなる。神気が、私を上へ上へと引っぱっていくみたいだった。
後ろから、馬の蹄がひとつ、ついてくる。竹造だ。
「おい、待てって! 木花、ひとりで行くな!」
私は止まらなかった。止まったら、たぶんもう行けなくなる。
「竹造」と、前を向いたまま言った。「あんた、さっき言ったよね。私が強いから、ひとりでなんでもできるって」
「……ああ、言った」
「あれ、嬉しくなかったの」
竹造が黙った。しばらく、雨の音だけが、ふたりのあいだを埋めていた。
「でも、いまは、ちょっとわかる」と私は言った。「ひとりで行かなきゃいけないことが、あるんだって」
道が、二股に分かれた。
片方はなだらかで、馬がたくさん通れる。もう片方は細く急で、頂へまっすぐ突き上げている。私は、細いほうへ馬の頭を向けた。
「竹造は、こっち来ちゃだめ」と私は言った。「あんたは、みんなのところにいて。言仁の、そばに」
竹造は何か言いたそうな顔をしたが、結局、馬を止めた。あいつはこういうとき、無理に止めない。昔から、そうだ。
「……死ぬなよ」と、それだけ言った。
「死なないよ」と私は笑った。たぶん、うまく笑えていた。
じいじも、細い道の入り口で馬を止めた。痩せた身体でここまで必死についてきてくれた、私の、たったひとりの家族だ。
「じいじ。ここから先は、私ひとりで行く。祈りも、いらない」
じいじの祈りは、私のいちばんの支えだった。戦場で何度も、これに助けられてきた。その支えを、いま、置いていこうとしている。
「あなたを、ひとりには」とじいじが言いかけた。
「ひとりじゃないと、わからないことがあるの」と私は遮った。「ずっと、誰かに祈ってもらって、誰かに守られてきた。——でも私、一度くらい、自分の足だけで立ってみたい」
じいじは、しばらく私を見ていた。それから深く頭を下げて、何も言わなかった。その沈黙が、いちばんのはなむけだった。
私は、ひとりで、細い道を登りはじめた。
ひとりになって、はじめてわかったことがある。
私はずっと、みんなの真ん中にいた。竹造がいて、言仁がいて、じいじがいて、たくさんの人が私を「太陽のような依代」と呼んで囲んでいた。いつだって、真ん中だったのだ。
なのに、ずっと孤独だった。
なんで私は、みんなの真ん中にいるのに、こんなにひとりだったんだろう。馬の背で雨に打たれながら、その問いだけが、ぐるぐると回っていた。
細い道の先に、女がひとり、立っていた。
馬に乗り、濡れた髪を肩に張りつかせて、雨の中なのに背筋だけはすっと伸びている。見た瞬間にわかった。鏡を見ているみたいだ、と。
「あなたが、太陽の巫女」と、その女は言った。「——偽物の依代が、陛下の隣にいる」
土持妙、と名乗った。高千穂の、神和ぎの巫女だという。
「馬で来るなら、山で落としてあげる」
妙が薙刀を構えるなり、私たちはぶつかった。
馬と馬がすれ違うたびに、刃が鳴る。妙の薙刀は、ただ斬ってくるのではなかった。雨の筋や風に古い祈りの力を乗せて、私の馬の脚をすくおうとしてくる。私はそれを馬の脚でかわし、かわしながら削られ、向こうもまた削られていった。
すれ違うたびに、言葉も交わした。
「あなたは、家族になりたいだけ」と妙は言った。「私は、神に選ばれた。——格が、違う」
「家族になりたいよ」と私は返した。「なって、何が悪いの」
「神を入れる器が、人になりたがる。みっともない」
みっともない、か。でも妙の声は、本当に蔑んでいる声には聞こえなかった。
「私はね」と妙は、馬を寄せて言った。「もう、戻らない。この身を焼いて、神を通す。それが、私の誉れ」
死ぬつもりなのだ、この女は。最初から。誇らしげに、嬉しそうに、死出の支度をして、ここに立っている。
ぞっとした。それと同時に、何かが、すとんと胸に落ちた。
ああ、私は、これにはなれない。
神に選ばれて、神に殉じて、それを誉れだと笑う——私は、そうはなりたくない。私は人でいたい。竹造みたいに、じいじみたいに、笑って、飯を食って、誰かと家族になりたい。妙の誇り高い死を目の前にして、はじめて、私の行きたい道がはっきりした。
「私は、神にはなりきらない」と私は言った。「——人で、いる」
妙の手が、一瞬止まった。その目が、雨の中で、揺れた。
「……うらやましい、なんて」と妙は言いかけて、口をつぐんだ。「言うわけ、ないでしょう」
最後の一合で、妙の薙刀が私の肩を浅く裂き、私の刀が、妙の手から薙刀をはじき飛ばした。
妙は、馬からゆっくりと崩れ落ちた。倒れてもなお、その顔は嘆いていなかった。選んだ者の、静かな顔だった。私にはその静けさが、まぶしくて、そして哀しかった。
妙のいなくなった道を、私はまた、ひとりで登った。
頂が、近い。
身体の熱は、もう抑えきれなかった。神気が滝のように私の中へ流れ込み、指の先まで熱い。足の下で、影が短くなっていく。雨の中なのに、私のまわりだけ、日が差しているように明るかった。
声がした。頂の、ずっと上から。姿は見えないのに、空気だけが、ぐっと重くなった。
「——よく来た」
崇徳だ、厳島の学舎の校長の声。あの時倒すことができなかった、かたき。
「真ん中へ、おいで」
真ん中。
私はずっと、みんなの真ん中にいて、それが孤独だった。そしていま、私は別の真ん中へ引き寄せられている。儀式の、いちばん深い真ん中へ。ふたつの真ん中が重なって、私をのみこもうとしていた。
それでも私は、馬を進めた。
引き寄せられたんじゃない。私が決めて、来たのだ。囮でも、依代でも、神でもなく——木花として。それだけは、誰にも譲らない。
頂の中央に、立った。
ぐるりと、雨に煙る山々が、足の下にあった。私は、たった一人だった。これ以上ないほど、ひとりだった。それでも、自分の足で、立っていた。
上から、声が降ってきた。満足そうな、底の見えない声だった。
「——よく来た、わが神よ」
雨が、いちだんと強くなる。
頂の石が、ひとつ、またひとつと、光りはじめた。
なにかが、動き出していた。




