作られた神
古墳の戦い。勝った。斬らずに済んだ。なのに言仁の顔、晴れねえ。幕府に加担するって、こういうことか。
第2話 作られた神
◇ 竹崎 ◇
軍勢というものを、俺は、間近で見たことがなかった。
海では、船の数で力を量った。陸では、人の数だ。日向へ向かう山道に、それが三つの色をして連なっていた。
ひとつは、鎌倉の色。北条が率いてきた、幕府の侍たちだ。きちんと隊伍を組み、旗指物の高さまで揃っている。日向の悪党狩り——武藤の帳簿には、そう一行で書いてあるという。その一行のために、これだけの隙のない列が動いていた。
ひとつは、宇都宮の色。言仁の姓を掲げた軍だ。宇佐の網がかき集めた、豊前やら豊後やらの人間が、あの空っぽの殿様名ひとつで、こうして並んでいる。
残るひとつが、肥後だ。俺の手の者。数は少ない。祝詞のひとつも唱えられない、ただの人間ばかりだ。
その三つの先頭を、誰が歩くか。
馬の上で、言仁が、潮の流れを読んでいた。指が、見えない筋をなぞる。だが、号令はかけない。
「……この谷を抜けたところで、墓が一基。賊が、拠っている」
それだけ言って、あいつは俺を見た。墓?古墳のことか。
羅針盤が、行き先を指す。あとは、それを伝える俺の仕事だ。
「肥後はみな、前へ。鎌倉は、左の尾根に回れ」と俺は言った。北条が、うなずいて馬を返す。
「お前が決めるのか」と、鎌倉から来た若い侍が一人、横で目を丸くした。宇都宮の殿様でもない、肥後の地頭代ふぜいが、と言いたげだ。
「決めるさ。あいつが読んで、俺が決める。昔からだ」
北条は、何も言わなかった。ただ、ぼそりと、「……それで治まるなら、文句はねえ」と付け足した。法で物を量る男は武功を焦らない。むしろ言仁の潮流を読む力を信頼しているようでもある。
谷を抜けると、言仁の言うとおり、墓があった。古墳である。誰のものかはわかりはしないが、きれいな円形である以上、誰かが土を盛ったのだ。
木に覆われた、ただの土盛りだ。それが、息をしていた。
頂のあたりに、男が一人、立っていた。痩せて、目だけが、ぎらぎらと据わっている。落ちぶれた残党の顔だ。だが、その背に——俺には見えないが、言仁の目には見えるという、太い白い光、何かが、古墳から男へと、ねっとり流れ込んでいた。
男は、こちらを見下ろして、笑った。
「源氏か」
声が、妙に通った。一人の喉から出た声には、聞こえなかった。
「父を、奴隷にした源氏か。——陛下のために、貴様らを呪ってやる」
陛下のために。
その言葉に、俺の横で、言仁の手綱を握る指が、ほんの少し、固くなった。
「原田だ」と、誰かが言った。「原田種直の、息子だ。——種守、という名だった」
俺は、その姓を知っていた。五年前、海の上で俺たちに縄を打ち、それから岩門の城まで、生きて運んだ男。あの、紅い旗の前で泣いた男の——子だ。
その原田の名が、また、古墳の前に立っていた。
「来やがった」
古墳が、潮を吐いた。
その途端、曇っていただけの空が、ぼろぼろと崩れた。雨だ。先触れもなく、太い雨脚が、谷いっぱいに落ちてきた。馬の背で、雨が跳ねる。土盛りの肌を、幾筋もの水が流れ落ちていく。
地面の割れ目から、白っぽい霧のようなものが噴き上がり、雨に溶けて、賊どもの足下を流れていく。これらは俺にも見える。雨を吸って、霧はかえって濃くなった。流れに浸かった連中の目が、いっせいに据わった。死を恐れぬ顔だ。神に守られていると、信じきった顔だった。
数で押される。——と、頭で思うより先に、俺の足は、もう前へ出ていた。
これは、俺の持論だが、戦というものは、結局のところ倒すことが目的なのである。誰の号令も必要ない、考えるより先に前へ出る。出てから、考える。
昔、クジラを追う船の上で頼舟の背中を見て、あの「考えるより先に、体が動く速さ」が欲しいと思った。凪の浜で、足の裏に水ぶくれをこさえて、毎日走った。砂丘から頭で落ちて、受け身を覚えた。あの続きが、いまになって、こんな癖になって出る。頼舟は、あのとき「速さだけじゃ、死ぬぞ」と言っていた。——きっと俺なら、死なない。
刀を抜く。雨で柄が滑る。霧に巻かれた賊の、結び目みたいなところを、片っ端から払っていく。斬るんじゃない、ほどくのだ。船で綱をほどいてきた、あの手つきで。海も、雨の日のほうが綱はよく締まった。だが、ほどいたそばから、雨を吸って、霧がまた湧く。降れば降るほど、賊の足が、地に根を張るように据わっていく。一人では、じきに呑まれる。
「ばか、竹造、また一人で出るな!」
木花だった。
馬で、俺の横についた。俺が無防備に空けた左側面を、ぴたりと庇う。こいつは、誰かと戦うと、人が変わるのか。俺を家族認定しているのだ、俺だってこいつを傷つけるようなヘマはしない。木花は、出雲のじいじ仕込みの眼で、霧の濃いところと薄いところをひと目で見分け、嘘の流れには乗らず、俺の首を狙う刃だけを、横から払い落としていく。
妙なものだ。木花が左側面についた途端、俺の刀が、ひとまわり軽くなった。足場が、据わる。こいつは、ただ守るんじゃない。守る相手を、強くする。馬の上のこいつは、こんなに頼りになるのか、知らなかった。
二人で、敵の真ん中に、穴をこじ開けていく。雨を蹴立て、泥を撥ねて、爽快に敵の間を撃ち開いていく。この小さな身体の俺が、割ったんだぜこの敵軍を。
その、こじ開けた穴の、ずっと先を——言仁が、見ていた。
俺たちには、目の前の刃しか見えない。あいつには、戦さ全体の、大きな動きが見えている。霧がどこから湧き、どこへ流れ、どこで束になるか。その太い流れの、大本だ。
古墳頂上の原田種守が、長く、格式ばった祝詞を唱えていた。墓の力を呼ぶ、整った文句だ。
言仁は、それを、言いなおす。
同じ響きを借りて、途中から、まったく違う意味へずらしていく。長いものを、短く。古墳へ向かっていた太い流れが、その大本から行き場をなくして、横へ逸れた。
雨脚が、ふっと、細くなった。降りやみはしない。だが、さっきまでの、叩きつけるような勢いが、抜けた。
据わっていた賊の目が、雨と同じに、ふっと、ただの人間の目に戻った。
「……今だ」
北条の鷹が、尾根の影を舐めて降りてきた。鎌倉の隊伍が、左から雪崩れ込む。
竹崎が穴を開け、木花が固め、言仁が流れを逸らし、北条が法で囲う。三つの色が、ここで一本に噛み合った。
墓の頂で、種守が、膝をついた。
勝った。
はずだった。
種守が膝をついたのと、ほとんど同じころ、雨が、上がった。来たときと同じで、唐突だった。雲の切れ目から、洗ったばかりの日が差して、濡れた土盛りが、きらきらと湯気を立てる。賊は捕らえられ、霧は薄れ、古墳は、また、ただの土盛りに戻りつつあった。鎌倉の侍は、もう縄の支度をしている。
なのに、言仁は、馬を降りて、捕らえられた種守の前に、立っていた。
種守のほうは、肩で息をしながら、なおも睨んでいる。目の前の男が誰なのか、こいつは知らない。海に沈んだはずの天子が、自分の縄を見下ろしているなどとは、思いもしない。ただ、源氏の手先の一人だと思っている。
「……お前たちの父に」
言仁が、低く言った。
「俺は、生かされた」
種守は、わけがわからない、という顔をした。当たり前だ。
「知らない恩ほど、返しようが、ない」
言仁は、そう言ってから、北条のほうを向いた。
「北条。——斬らないでくれないか」
嘆願だった。あいつが、人に頼む声で、そう言うのは、珍しい。
俺も、前に出た。五年前の岩門の城へ運ばれる、あの船の監房を思い出した。縄を打たれていたのは、言仁だけじゃない。俺も、一緒だった。原田は、殺さず、生きて運んでくれた。あの、紅い旗の前で泣いた男の恩は、俺にもある。
「俺も、頼む」と俺は言った。「斬らないでくれ。——北条」
北条は、縄を打たれた種直の息子を、長く見ていた。
「……礼を破ったか、法を破ったか」と、ぼそりと言う。「主筋を呪うのは、忠と思えば、礼かもしれん。だが、墓を焼いて人を狂わせたのは、法に外れる」
この男は、いつもこうだ。誰かを裁くたびに、礼で裁くべきか、法で裁くべきかを、いちいち天秤にかける。厳島からの、面倒な癖だった。しかしそれが、俺にとっては信頼につながってもいる。
「乱の首謀者は、死罪と決まっている」と、北条は続けた。「帳簿にも、そう書かれる。武藤の帳簿だ。ここで斬れば、それで済む」
俺の胃の底が、冷えた。
「……しかしな」と、北条は言った。「竹崎。お前が、一緒に鎌倉への言い訳を考えてくれるなら——死罪は、まぬがれるかもしれん」
言い訳。帳簿の上の、言い訳だ。
「首謀ではなく、誰かに従った者だ、とか。神気に触れ、正気を失っていた、とか。——法のあるところで裁く前に、俺たちが、紙の上を整える。お前は、通訳だろう。人の言葉と、帳簿の言葉の、あいだが、わかるはずだ」
言仁が、俺を見た。頼む、という目だった。
「……わかった」と俺は言った。「言い訳くらい、考える。——種守の命が、助かるなら」
「斬るな」
言仁が、もう一度、北条に言った。
「北条。今の法に、照らしてくれ」
北条は、短くうなずいた。
しかし言仁は、その北条への言葉に、半分しか心を乗せなかった。法に託しはする。けれど、もう半分は、まだ自分の手で抱え込んでいる。任せきれていない。言仁が責任をもってまとめなければならない。そういう、焦りが、背中に出ていた。
「あいつ、晴れねえな」と、俺は北条に小声で言った。
「斬らずに済んだのに、あの顔か」と北条も返す。「……難しい主君を持ったな、お前」
「主君じゃねえよ」と俺は言った。「羅針盤みたいなもんだ」
縄を打たれた種守が、馬に乗せられ、引かれていく。その目は、最後まで、源氏を呪っていた。陛下のために、と。
その陛下だった言仁が名を変え、すぐ後ろで、それを見送っていることを、こいつは知らないままだ。俺は、これから鎌倉へ送る言い訳を、一緒に考える、と言ってしまった。
その夜、陣の篝火を背に、言仁は、また日向の奥を見ていた。
こっちは、すっかり晴れていた。星まで出ている。なのに、遠くの峰の一つだけが、黒い雲をかぶって、そこにだけ雨の糸を垂らしていた。別の古墳が、うっすらと、潮を吸い始めている。ひとつではない。あの男が最初の、ただの一基だったというだけだ。
「止まらねえのか」と俺は聞いた。
「止まらない」と言仁。「あれは、試しの、ひとつだ」
試し。
誰かが、人を神に作り変えられるかどうか、墓ひとつで、試したということだ。うまくいった。だから、次がある。奥の墓も、そのまた奥の墓も。
俺は、捕らえられて引かれていった、種守の目を思い出した。父を奪われたと信じて、知りもしない陛下のために、今の政府、幕府、源氏を呪った目。あれを、これから何人、縄にかけることになるのか。
言仁の肩は、晴れない。
背負わなくていいものまで、勝手に背負うとしても、俺が口を出せる範疇ではないのかもしれない。
こう思えばいいのに。ただ「斬らずに済んだ」と。それだけで上等だ。命がひとつ、助かったのに。
——あいつの顔は、晴れねえ。
潮の気配が、奥の山から、こっちまで、薄く流れてきていた。




