表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
19/30

泳がせる

木花を追う。潮見の封じのなか、獅子坂が道を開き、首藤と津島も舟に乗る。満月の下、帆走して鳥居をくぐり、潮の回廊の十人をすれ違う。言仁ときひとが「泳がせる」と言い、竹造だけが走り出す。十二棺の入口で、崇徳が骨を見て、安徳と確かめる。

第9話 泳がせる



 校長室を出ると、学園じゅうが、ざわついていた。

 木花このはがさらわれた、と、誰かが叫んでいる。だが、誰も、動けなかった。

 南浜のほうに、和魂にぎみたま坊の坊長——潮見しおみが、立っていた。寡黙な、あの年寄りだ。両手を、ゆっくりと広げている。それだけで、学園じゅうの足が、地面に縫いつけられたように、止まった。

「動くな」

 たった一言だった。生徒も、教師も、その封じの中で、もがいていた。

 だが、俺たちの足は、止まらなかった。

 荒魂あらみたま坊の獅子坂ししざかが、南浜の岩を、刀の一振りで、割っていた。海へ降りる、細い道が開く。

「追うなら、こっちだ。それがしが道を開く。——行け」

 その向こうで、蜷川にながわが、低く言った。

「追う者だけ、通れ」

 封じは、全校にかかっている。だが、その封じの目を、坊長たちが、俺たちのためだけに、開けてくれていた。山のほうでは、玉垣たまがきが、大潮の式そのものを、止めにかかっているらしかった。


 小舟に、飛び乗った。

 言仁ときひと、俺、北条。この舟は、三人だ。

「追うか」と、さっき北条は言った。今は、もう、何も言わずに、櫂を取っていた。

「本番だ」

 それだけ言って、漕ぎ出した。

 だが、舟は、一艘じゃなかった。

 南浜の細い道を、どやどやと、降りてくる連中がいた。蛇坊の、首藤しゅとうだ。その後ろに、腰巾着の伴野ばんのやら、蛇坊の面々が、数人。木花が、いつも入り浸っていた、あの坊の連中だった。

「おい、宇都宮! 木花を、持っていかれたんだってな!」首藤が、別の舟に飛び乗りながら、怒鳴った。「蛇坊の盤面を、勝手に荒らされて、黙ってられるかってんだ」

 驚いたことに、狐坊の津島つしままで、いた。木花に、いつも、きついことばかり言っていた、あの三年だ。それが、舟の縁を、ぎゅっと握って、唇を、結んでいる。なんで来たのか。理由は、聞かなかった。聞いている暇も、なかった。

 月の海へ、何艘もの小舟が、いっせいに、漕ぎ出した。


 大潮が、上がりはじめていた。

 空に、満月が出ている。その月が、海の向こうの、鳥居の赤い柱に、ちょうど、当たっていた。赤い柱と、白い月。きれいだ、なんて思っている場合じゃない。

 木花を奪った船は、もう、ずっと先だ。鳥居の方角に、灯りが、ひとつ、遠く揺れている。

 俺は、ふと、休校の日に見た、鳥居の足元の、あの彫り物を思い出した。札みたいな、刻印みたいな、あれ。なぜ、今、思い出したのかは、わからなかった。



 帆を張った。

 瀬戸内の海は、おだやかだ。荒波も、突風もない。なのに、大潮の流れだけが、生き物みたいに、速かった。その流れを、どう乗りこなすか。それだけで、船の速さが、まるで変わる。

 向こうの船——卒業した者たちの操る船は、帆に、見えない風を縫いつけていた。潮目を、ずらしてくる。じわじわと、距離が開く。

「潮の、レールがある」と言仁ときひと

 あいつは、海の底の、見えない筋を読んでいた。蛇坊の、抜け道だ。流れの中の、いちばん速い一本へ、船を、するりと滑り込ませる。

「北条。帆の角だ」

「言われなくても」

 北条は、鷹の影を、空へ放っていた。上から、潮目と、向こうの帆の角度を、読んでいる。

「来るぞ。——軽くする」

 北条が、腕を振った。荒魂の一撃だ。突風じゃない。船の重さが、一瞬だけ、ふっと抜けた。その隙に、船が、ぐん、と伸びた。

 俺は、櫂と、綱と、帆を、行ったり来たりした。魔術はない。だが、帆に最初に触れるのは、いつだって、俺だ。言仁ときひとの読んだ筋に、北条の上げた帆を、合わせていく。三人で、一艘を、走らせた。


 遠くの船から、歌の断片が、風に乗って届いた。

 木花の声だ。低い和音が、混じっている。じいじの——いや、出雲のじいじは、ここにはいない。なのに、海のどこかから、あの温かい和音が、かすかに、届く気がした。木花を守る祈りなのか、さらった連中への、拒否の祈祷なのか。区別が、つかなかった。出雲で、じいじが、何か、誓いでも立てたのか。考えても、わからない。


 満潮が、頂に近づいた。

 鳥居が、目の前に、せまっていた。向こうの船は、もう、赤い柱の、その奥へ、消えようとしている。

 くぐるしか、ない。



 鳥居を、くぐった。

 とたん、時間が、ぐにゃりと歪んだ。一漕ぎが、やけに長い。息が、詰まる。だが、誰も、海には落ちなかった。入学のときと、逆だ。あのときは、入る試し。今度は、出ちゃいけないところへ、自分から入っていく。


 くぐった先に、宮島の、切り立った岸壁があった。

 その根元に、ぽっかりと、洞窟の口が開いている。大潮で、満潮の、今夜だけ。船からしか、入れない。波は、おだやかだった。洞窟の口に、潮の水位の線が、くっきりと残っている。

 誘拐船は、もう、奥へ消えていた。灯りだけが、奥のほうに、点々と残っている。

 俺たちは、船を、岩場につけ、陸に、上がった。後ろの舟も、次々と着いた。首藤たちも、津島も、青い顔で、ぬめる岩を、踏んだ。誰も、引き返さなかった。


 洞窟の中は、潮の回廊だった。

 歩いていくと——人が、いた。

 壁に沿って、何人も、立っていた。十人くらいだ。みんな、顔が、ある。ちゃんと、顔がある。なのに、動かない。低い声で、歌のようなものを、口ずさんでいる。だが、その歌が、ずっと、同じところで、止まっていた。石になった歌、みたいに。

 話しかけても、たぶん、応えない。そういう、目だった。

 ここにいた。卒業した奴らだ。故郷にも、学園にも、いなかったわけだ。ここに、いたんだ。誉れを持って帰ったはずの連中が、潮の回廊で、止まった歌を、うたい続けている。

 その一人の顔を見て、俺は、息を呑んだ。

 入学の日、桟橋で、俺の継ぎ当てを鼻で笑った、あの、刀の子だった。鳥居渡しで、潮に落とされた、あの子だ。帰されたんじゃ、なかったのか。——口を、つぐんだ。聞いても、しょうがない。今は、木花だ。


 奥へ進むと、前室があった。

 そこで、顔のない祝詞が、飛んできた。卒業した者の、霊だ。二体、三体。短い呪を、ぶつけてくる。

「役目を、果たせ」

「低いものには理解できないのか?」

 霊が、そう、言った。

 低いもの。

 その言葉に、腹の底が、かっと熱くなった。木花を思い出したんだ。校長室で、役目があると言われて、目を輝かせた、あいつの顔を。役に立てるかも、と、嬉しそうに、こっちを見た、あの顔を。それを「役目」だと言って、こんなところに、止めておく。ふざけるな。

「北条!」

「おう」

 北条の鷹が、霊の祝詞のレーンを、一本、撃ち落とした。その隙に、言仁ときひとが、抜け道を縫って、先へ進む。俺は、その背を追った。



 奥の、広い間で、言仁ときひとが、足を止めた。

「竹造。——今は、泳がせる」

「は?」

「このまま、奥へ通す。木花を、中心まで運ばせる。術が起きる寸前に、反撃の算段がある」

 頭が、真っ白になった。

 泳がせる。木花を、餌にする、ってことだ。

「ふざけんな」と、俺は言った。「今は追いかけてる段だろう、あとは崇徳院を追い詰めるだけだ」

「いちばん、確実だ」

「確実だろうが、なんだろうが、だめだ!」

 声が、洞窟に、跳ね返った。

「お前、ここで俺たちを止めるなんて、さっきの霊と、何が違う。崇徳院を倒せれば木花がどうなってもいいのか?——それじゃあ、お前だって、校長と、同じようなもんだ!」

 言いすぎた、と、思った。だが、止まらなかった。

 言仁ときひとは、何も言わなかった。肩が、わずかに、硬くなった。怒ったんじゃない。たぶん、こいつなりに、正しいことを言っているのに、なぜ伝わらないのか、という顔だ。

 俺には、わかってしまう。読めてしまう。

 崇徳院は、言仁ときひとにとって、ただの校長じゃない。母にまつわる、古い因縁の相手だ。あの人が遺したものを、根こそぎ奪おうとしている男だ。いつか倒さなきゃいけない敵で、——たぶん、今夜、ここで、くじいておかなきゃいけない相手だ。あいつの腹の底には、その使命が、ずっと、座っている。

 だから、言仁ときひとが「泳がせる」と言うのは、冷たいからじゃない。木花を取り返して、そのうえで、崇徳まで、まとめて仕留める。あいつは、そういう、大きな盤面を、見ている。木花ひとりじゃない、その先の、もっと大きな勝ち負けを、見ている。

 読める。読めるから、よけいに、腹が立った。

 その大きな盤面の上で、今、木花が、餌になっている。そのことが、俺には、どうしても、許せなかった。


 北条が、ふっと、口を開いた。

「……言仁ときひとの言う筋は、理解できる。このまま追って、こちらに被害がある場合もあるだろう」

 武士らしい、静かな声だった。「ここで暴れて、式を中途半端に起こせば、木花も、俺たちも、巻き込まれる。泳がせて、術の隙を突く。——理にかなってる」

 首藤も、腕を組んでいた。「蛇坊の頭で考えりゃ、そうだ。今、まっすぐ突っ込むのは、下策だな。宇都宮の言うことに、理がある」

 津島は、何も言わなかった。けれど、止めようと、しなかった。

 みんな、わかったんだ。言仁ときひとの言うことには、理がある。じゃあ、ここは、こらえるか。待つか。——洞窟の空気が、すうっと、そっちに、傾いていった。

 全員が、正しいほうを、選ぼうとしていた。

 俺、ひとりを、残して。



 わかってる。

 頭の隅では、ちゃんと、わかっていた。言仁ときひとの言う通りにするのが、たぶん、いちばん確実だ。へたに突っ込めば、木花も、俺たちも、まとめて呑まれる。みんなが選ぼうとしているほうが、大局では、正しい。一行の隙もなく、正しい。

 知ったことか、と、思った。

 正しさなんざ、知ったことか。木花が、今、餌にされて、奥で、待たされている。その一瞬一瞬が、俺には、許せない。正しいかどうかなんて、あとで、いくらでも考えてやる。

「——おい」と、俺は言った。低い声だった。「お前らが、ここで、こらえるってんなら、それでいい。理屈じゃ、お前らが、正しいよ」

 刀の柄を、握りしめた。

言仁ときひとがいかない、そして誰も行かないなら、俺ひとりで、木花を、連れて帰る」

 走り出した。

 刀を握って、潮の回廊の、奥へ。ひとりで。

 ——背中で、足音がした。

 北条だった。「……正しいのと、行くのは、別の話だよな」そう言って、ついてきた。

 それから、首藤の、舌打ちが聞こえた。「あー、くそ! 蛇坊ってのは、義理に弱いんだよ!」そう怒鳴って、面々を引き連れて、走ってくる。その中に、津島の足音も、混じっていた。

 最後に、もう一つ。

 言仁ときひとだ。

 あいつは、反撃の算段を、否定された。不貞腐れた、子供みたいな顔を、一瞬だけした。それでも、ついてきた。たぶん、こう考えたんだろう——木花が、完全に無事なら、そっちのほうが、結局、得だ、と。あるいは、ただ、俺を、放っておけなかったのか。そっちは、読めなかった。

 ひとりで走り出したはずが、いつのまにか、みんな、後ろにいた。



 走った先に、それは、あった。

 大きな、円い広間の、入口だ。

 中に、棺が、並んでいた。十二。円を描いて。十は、蓋が閉じている。二つだけ、空いていた。

 そして、その円の、真ん中。

 木花が、台の上に、寝かされていた。

 その体のまわりで、呪が、ゆっくりと、立ち上がりはじめている。

 木花は、目を閉じていた。だが、ただ眠っているんじゃない。唇が、低く、動いている。あの、狐の審のときの、祈りだ。立ち上がろうとする呪が、その祈りに、ほんの少し、乱されている。——まだ、抵抗している。さすが、俺たちの女船長だ。



 間に合うのか。間に合わないのか。

 わからない。だが、足は、もう、止められなかった。

 そのとき、円の中心の、空気の奥から、声とも気配ともつかないものが、漏れた。

「……依代は、十三」

 ぞっとする、声だった。

「だが——あれが、あれなら。十一でも、足りよう」

 一体、欠く。それでも、構わぬ。——そんな、勘定の気配だった。

 何の数だか、俺には、わからない。

 わからないが、ひとつだけ、わかった。あいつは、木花だけじゃ、満足していない。もう一つ、欲しがっている。それが、誰のことなのか、考えるのも、怖かった。

 俺は、入口を、蹴って、踏み込んだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ