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四つの獣

四魂の学舎。和魂・荒魂・奇魂・幸魂——亀、鷹、蛇、狐の四坊に分かれる。校長の演説のあと、分坊試験が始まる。四獣の影と、一対一の試し。言仁ときひとは、奇魂坊——蛇坊へ。木花も、知り合いとして、再会する。

第2話 四つの獣



 翌朝、演武庭に並ばされた。

 潮風の通る、広い庭だった。正面に四つの旗が立っている。亀、鷹、蛇、狐——四つの獣が、布の上で風に揺れていた。

 庭の奥に、ひとりの男が立っていた。

 それが、校長だった。

 白い装束で、声を張るでもなく、ゆっくりと言葉を置いていく。聞いているだけで、背筋が伸びるような声だった。


「国は、一人の胸の中だけでは治まらない。

 結節にかかりを配し、理と非をめ。奉仕とつがいで、潮を結べ。

 祝詞のりとは誠に。怠れば減り、勤めればえる——それが、この学舎の公平だ。

 四つの坊で、己の獣を知れ。互いの係を知れ。

 卒業した者は、故郷へ誉れを持って帰る。

 厳しいことも言う。ついていけないと思うことも、あるかもしれない。ただ潮の導きのままに励むように。

 ——さて。分坊だ」


 言うだけ言って、校長は後ろへ下がり、すうっと姿を消した。

 立派だ、と思った。だが、何を言われたのかは、半分もわからなかった。係。奉仕。番。俺の腹を満たす言葉じゃない。立派なのに、わかんねえ。それが、ちょっと不安だった。

 まわりを見ると、うっとりした顔の子もいれば、腕を組んで黙っている子もいた。よくわかんねえっていう顔をしてたらバカだと思われちまうな、俺がバカだと言仁ときひともバカの仲間だと思われちまうなそれはよくないな。

 隣の組のほうで、背の高い子が、低い声で言ったのが聞こえた。

「……まあ、それが正しいわなあ」

 鎌倉から来た、北条とかいう子らしい。誰かがそう囁いた。俺は、顔も覚えなかった。

 言仁ときひとは、無表情のまま、旗のほうを見ていた。何を見ているのかは、わからない。たぶん、布じゃない。


 庭の隅に、人のいない一画があった。

 壁に木の名札がいくつも掛かっていて、そのうちの何枚かが、剥がした跡だけ残して、消えていた。卒業した者の席だという。誉れを持って帰った者の。

 俺は、なんとなく、そこから目をそらした。



 その背を、いきなり、どんと叩かれた。

「あんたたち、やっぱりいた!」

 振り返るまでもなかった。声で、わかる。

 木花このはだった。

 あのクジラの海で、隣を走った女船長だ。十の歳に、銛を担いで、言仁ときひとに「夫になりなさい」と怒鳴った、あの木花だ。しばらく会わないうちに、背は伸びたが、声はちっとも変わっていなかった。

「出雲から、船で来たの。あんたたちが厳島にいるって聞いて。——ねえ、言仁ときひとは?」

「そこにいる」

 木花は、言仁ときひとを見つけると、まっすぐ歩いていった。

言仁ときひと。久しぶり。——夫の話、まだ返事もらってないんだけど」

「考える」

「また、それ?」

 言仁ときひとは、海を見るときの目で、ちょっとだけ木花を見て、また旗のほうへ視線を戻した。木花は、頬を膨らませたが、怒ってはいなかった。このやりとりも、何年も変わっていない。

 俺は、少し、ほっとした。言仁ときひとの肩は読めない日が多いが、木花は、いつだって読みやすい。こいつが来ると、場の空気が、ひと回り暖かくなる。

「じいじは?」と俺は聞いた。

「出雲で、留守番。今度は、私だけ」

 一瞬だけ、木花の声が、軽くなりすぎた。エヘヘ、と笑ってごまかした。俺は、突かなかった。



 分坊の試験は、変わったやり方だった。

 年寄りの教師が、庭の真ん中に、塩か紙か、何かを撒いた。

 すると、四つの影が、立ち上がった。

 亀の影、鷹の影、蛇の影、狐の影。式の獣だ、と先輩が言った。本物じゃない。光と霧でできた、獣の形だ。だが、目だけは、こちらを見ていた。

「己の魂が、どの獣を呼ぶか。獣が、おまえを選ぶ。並べ」


 木花の番が、先に来た。

 白い狐の影が、すうっと足を止めた。木花の前で、しっぽが増えた。二本、三本。それが、するりと首に巻きついた。

「狐坊だな」と先輩。

「ふうん。狐ねえ」と木花は、さも当然、という顔をしていた。海の上で温かい歌をうたう船の女に、白い狐が寄る。それくらいは、まあ、わかる気がした。


 遠くの列では、もう決まった子もいた。

 例の、背の高い北条という子の腕に、試験が始まった途端、鷹の影が降りて止まった。迷いもしなかった。鷹坊だ、と声が上がった。さすが鎌倉、と誰かが言った。



 言仁ときひとの番が来た。

 あいつが庭の真ん中に立つと、四つの影が、いっせいに動きを止めた。

 亀が首をすくめた。鷹が翼を畳んだ。狐が伏せた。蛇が、とぐろの頭を下げた。

 四獣が、ぜんぶ、跪いた。

 庭が、しんとなった。先輩たちも、声を失っていた。こんなことは、見たことがないという顔だった。

 四つとも動かないなかで、最初に動いたのは、蛇だった。

 地を這って、言仁ときひとの足首に、ゆっくりと巻きついた。


 次が、俺だった。

 庭の真ん中に立った。何も、起きなかった。

 亀は首をすくめたまま。鷹は、北条のほうを向いている。狐は、木花のしっぽになっている。蛇は、言仁ときひとの足にいる。

 誰からも、見向きもされない。

 へへ、と乾いた笑いが出た。やっぱり俺は、網の端を握る役か。そう思ったときだった。

 言仁ときひとの足にいた蛇が、ふっと頭を上げた。

 とぐろを解いて、地を這い、俺のほうへ来た。足首から、脛、腰、背、肩へと、ゆっくり登ってきた。冷たくはなかった。重くもなかった。ただ、肩のあたりで、頭を、こちらの頬につけた。

「……蛇坊だ。宇都宮と、同じだな」

 先輩の声が、少し低かった。


「あんたたち、同じ坊なの? ずるい!」と木花。

「お前は狐坊だろうが」

「だってあんたたち、面白いほうにいるんだもの」

 くぐり抜けた鳥居も、跪く四獣も、俺にはよくわからない。

 わかるのは、ひとつだけだ。あいつのそばには、蛇が来る。そして、あいつのそばにいる俺のところにも、蛇は、ちゃんと回ってくる。それで、十分だった。



 奇魂くしみたま坊——通称、蛇坊。

 西の拝殿のそばにある坊が、俺たちの寝起きする場所になった。蛇の紋が、長い廊下に這っている。灯りが少なく、薄暗い。

 木花は、中央の山の狐坊に入った。別の寮だ。

「あたし、ヒマだから、毎日来るわよ」

「来るな」

「行くわよ」

 そう言って、ほんとうに、その日から入り浸るようになった。追い払おうとは思わない。狐坊にひとりでいるより、こっちにいるほうが落ち着くらしい。じいじのいない海から来た女が、陸で家族を探している。それくらいは、読める。


 その晩、蛇坊の先輩が、新入りを廊下に一列に並べた。

 歓迎だ、と言いながら、目は笑っていなかった。先頭に立った、首藤しゅとうとかいう男が、言仁ときひとの前で足を止めた。

「宇都宮か」

 通称じゃない。苗字で、わざと呼んだ。

「立派な名字だ。——ここが、どういうところか、わからせないとな」

 言仁ときひとは、何も言わなかった。

 俺だけが、いやな予感に、首の後ろをなでていた。


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