第16話 王都中が匙を投げた魔王の遺骸を、俺だけが解体できると言った
「俺は、お前の下で、学びたい」
ノクスは、そう言った。ジークより、先に。
口を開く前に、ノクスは、一度だけ、ジークを見た。昔なら、そこで、黙ったはずだ。リーダーの顔を立てて。だが、今回は、黙らなかった。裏切るつもりは、なかっただろう。ただ、数字は、情では消えない。
「ジーク。もう、計算は出てる」ノクスは、続けた。「竜一頭。昔なら、素材で金貨二百は残った。今は、討伐報酬が銀貨数枚で、修理費を引けば、赤字だ。——俺たちは、勝っても、赤字なんだよ。ダグを切った、あの日から、ずっと」
数字を見る男だった。魔術師は、火力だけでなく、計算もできる。だから、こいつは、一番早く、現実に追いついた。素材収入の欄が、ある日からゼロになり、未払いだけが増えていく。その意味を、誰よりも早く、読み取っていた。プライドより、現実を取る。ノクスは、そういう男だった。
「いいだろう」俺は、頷いた。「明日から、若手の列だ。遅刻は、するな」
ジークは、何も言えずにいた。ボズは、まだ、迷っていた。だが、それは、それぞれの話だ。並ぶか、去るか。決めるのは、本人だ。
ノクスを若手の列に加えた、その翌日。
俺は、王都の地下深く——魔王の遺骸が封じられた、封印庫へ、降りた。本体の、予備調査のためだ。新しく若手に入ったノクスが、補助で、付いてきた。レンも、護衛として。立ち会いは、騎士団長と、賢者だけ。国家最高機密の封印庫に、降りられる人間は、限られている。
封印庫の底は、冷たく、暗かった。中央に、それは、横たわっていた。
魔王の、遺骸。
人の三倍はある巨躯。百年前に倒され、封じられた。倒された——ただ、それだけ。誰も、その後始末を、できなかった。だから、百年、ここで、腐りつづけている。
俺の目に、線が、見えた。
価値線。金色の線が、無数に。竜種一頭ぶんの素材が、この巨躯には、何十頭ぶんも詰まっている。
呪線。黒い線が、網のように、全身を覆う。呪骸一体ぶんの呪いが、ここには、いくつも。
そして——腐敗線。赤錆色の線が、幹のように太く、体の中心を、貫いている。
竜膜が、霞んだ。呪骸が、かわいく見えた。線の密度が、桁違いだった。
「……これが」ノクスが、ごくりと喉を鳴らした。「世界を、腐らせてる……」
そのとき、封印の緩みから、黒い靄がにじみ、呪われた小物が、二匹、湧き出した。
俺は、動けなかった。生きて動くものは、俺の専門じゃない。
レンの剣が、閃いた。二匹を、瞬きの間に、斬り伏せる。
「下がっていろ」レンは、短く言った。「これは、俺の領分だ」
それから、剣を収めながら、低く付け足した。
「死体相手に、あれだけ迷いのない男は、初めて見た。——倒すのは、俺がやる。そっちは、お前の戦場だ」
——倒すのは、剣士の仕事。倒した後が、俺の仕事。役割が、はっきりしている。それで、いい。
俺は、屈み込んで、線を、端から端まで、たどった。地図を、頭に入れる。それから、立ち上がって、騎士団長に告げた。
「解体できる。だが、王都の連中は、納得しないだろう。——なら、見せる場を、作れ」
数日後。予備調査とは別に、国が、改めて王都中の御用解体師を、封印庫に集めた。失敗の許されない国家案件だ。誰に任せるか、衆目の前で、決める——そういう、公開の査定の場だった。機密の封印庫を、これだけの人数に開く。それ自体が、国の本気だった。当然、まだ筆頭の座にあったバルドも、呼ばれていた。賢者も、騎士団長も。並み居る解体師の誰もが、この遺骸を前に、立ち尽くしていた。
「……どこに、刃を入れればいいのか」御用解体師の一人が、青い顔で呟いた。「どこを切っても、呪いが、腐敗が……手の、つけようが」
バルドは、何も言えなかった。彼の目には、ただの、不気味な巨大な死骸にしか見えていない。金も、黒も、赤錆も、一本も、見えていない。
俺は、バルドを、見た。
「筆頭なら、見えてるんだろ」魔王の遺骸を、指した。「どこに、刃を入れる」
バルドは、答えなかった。口を開きかけて、閉じた。資格が、家柄が、年功が——その全部が、この一問の前で、沈黙した。
「見えないなら、邪魔になる」俺は、静かに言った。「下がってろ」
衆目の中で、バルドが、一歩、退いた。
その中で、俺だけが、前に出た。
「解体できる」
封印庫が、しん、とした。
「一気には、無理だ。腐敗線が、太すぎる。外側の呪線から、順に解いて、価値線を抜きながら、腐敗を、外から少しずつ殺す。最後に、中心の腐敗核を、断つ。——段取りさえ間違えなければ、できる」
賢者が、震える声で聞いた。「……本当に、可能なのか。王都中の解体師が、匙を投げたのだぞ」
「倒した後が、俺の仕事だ」俺は、答えた。「百年、誰もやらなかっただけで、できないわけじゃない」
バルドが、衆目の中で、顔を伏せた。資格でも、家柄でも、年功でもない。線が見え、線を断てる者だけが、ここに立てる。それを、王都中の人間が、見ていた。
騎士団長が、進み出た。
「ダグ殿。国家の名において、魔王遺骸・本体の解体を、正式に依頼する。報酬も、権限も、必要なものは、すべて用意する」
「引き受ける」俺は、頷いた。それから、付け足した。「ただし、これだけは、言っておく。成功すれば、世界の腐敗を、百年、止められる。だが、失敗すれば——この王都は、腐る。そして、解体している俺自身も、腐敗を受けて、戻らない」
封印庫が、ざわついた。
「やめておけ、とは、言わないんだな」レンが、低く言った。
「言うわけ、ないだろう」俺は、笑った。「世界で一番、難しくて、一番、高い解体だ。——断る理由が、どこにある」
バルドだけが、最後に、小さく呟いた。「……失敗すれば、責任は、すべて、あの男だ」
その声を、俺は、聞かなかったことにした。失敗しなければ、いい話だ。
《所持金:金貨三万枚》
《魔王遺骸・本体:解体難度 S+》
《御用解体師組合:バルド、衆目の前で面目を失う》




