↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
新訳 北条五代記 〜 近所の隠居が書いたメモがガチの戦記だった件 ~ 北条の覇道、その系譜  作者: 条文小説


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
8/56

2-2 手柄の三重請求? 〜 一人の敵を三人で討ち取った時の俺のリザルト判定 〜

挿絵(By みてみん)


『北条五代記(ほうじょうごだいき)』は、三浦浄心が著した、後北条氏にまつわる話題を中心とした仮名草子・軍記物語。確認されている最古の版本は寛永18年(1641年)刊。万治2年(1659年)版が流布本で残存数も多い。ともに全10巻だが内容には改変がある。出典:Wikipedia

 俺の名前は北条(ほうじょう)氏康(うじやす)。関東という巨大な地域(エリア)を管理する者として、俺が最も神経を使うのは「合戦」そのものじゃない。戦った後の「報酬(リワード)分配」……つまり恩賞の査定だ。


 戦場では誰もが「俺が一番手だ!」「俺がトドメを刺した!」と主張する。だが、嘘や誇張がまかり通れば組織(ギルド)の士気(モチベーション)は崩壊する。だからこそ、俺の「鑑定眼」と「論理的思考」が試されるわけだ。


 今回は、上総(かずさ)の国での合戦(イベント)中に起きた、ちょっと厄介な「手柄の重複問題」を、俺がいかに解決したか語ってやろう。


 事の始まりは、安房・上総を数十年にわたって支配してきた古参武将(プレイヤー)、里見(さとみ)義弘(よしひろ)との上総(かずさ)奪還戦だ。俺は上総の半分を切り取ったが、そこには里見方の有力な拠点が3つ残っていた。


大滝城: 正木大膳大夫(正木一族のエリート)

勝浦城: 正木左近大夫(正木一族の実力者)

池和田城: 多賀(たが)蔵人(くらんど)


 この多賀蔵人ってのが曲者で、両国で「弓矢を取っては並ぶ者なし」と謳われるガチの武闘派だ。俺が池和田城に攻め寄せると、義弘も「蔵人一人では危ない」と判断したのか、正木大膳を増援として送り込んできた。


 この城、立地がまたエグい。東:高い山がそびえ、その尾根を深く掘り切っている。 西・南・北には広大な深田(沼地)が広がり、足場は最悪。


 まさに難攻不落の「要塞(ダンジョン)」。俺の軍勢が昼夜を問わず攻め立てても、城内の奴らは命を惜しまず抵抗してくる。結局、落城まで100日以上もかかっちまった。


 だが、最後は圧倒的な兵力で山を登り、堀を埋め、塀をなぎ倒してなだれ込んだ。正木も多賀も耐えきれず、裏口である搦手から逃走。俺の軍兵たちが「勝ち馬」に乗って追撃し、数千人を討ち取るという大勝利の結果(リザルト)になった。


 その時、当時の連中がこんな「風刺落書(ツイート)」を流していた。


「正木にて ゆいたる桶の 多賀(たが)きれて 水もだまらぬ 池のわたかな」

(正木という材木で作った桶の多賀(タガ)が切れて、池和田の水が漏れ出しちゃったね、という煽りだな。センスは悪くない)


 敵が散り散りになって敗走する中、一人だけ「逆襲(カウンター)」を仕掛けてきた勇者がいた。多賀蔵人の弟、多賀(たが)兵衛助(ひょうすけ)だ。


 こいつはただ一騎で引き返し、長見の槍を振り回して俺の味方を次々と蹴散らしていく。そこに、俺の軍勢(ギルド)から三人のプレイヤーが突っ込んだ。


 中山左衛門尉(相模の住人。敵の左側=弓手から突撃)、伊達(だて)越前守(敵の右側=馬手から突撃。弓を引く)、片岡平次兵衛(トドメの首取り担当)だ。


 伊達と中山が同時に馬を寄せ、同時に矢を放った!そのうちの一筋が多賀兵衛助を貫き、奴は馬から転落。そこへ片岡が走り寄り、鮮やかに首をハネた。


 そのため、合戦が終わると、案の定不毛な相論(レスバ)が始まった。片岡が首を持って参上すると、後から伊達と中山がやってきて、「そいつを射殺したのは俺だ!」「いや、俺が射ち落としたんだ!」と譲らない。


 俺は冷静に三人を呼び出して言った。


「いいだろう。戦場での位置、装備、そして敵の鎧の傷跡……すべてを記録(ログ)と照らし合わせて判定してやる」


 まず、首を取った片岡平次兵衛に「現場の状況」を詳しく証言させた。


「敵は萌黄(もえぎ)威の鎧を着て、槍を持ってただ一騎でした。味方は三人で三方から包囲。その時、栗毛の馬に乗った黒糸威の武者(中山)が敵の左から、鴾毛(つきげ)の馬に乗った節縄(ふしなわ)目の武者の武者(伊達)が敵の右から同時に矢を放ちました。敵が落ちたところを、それがしが仕留めた次第です」


 証言は完璧だ。次に俺は「現物(証拠)」を提出させた。多賀兵衛助が着ていた萌黄威の鎧だ。 俺が観察眼を駆使して鎧の傷跡をチェックすると……。


「……ほう。馬手(右手)の脇の下、柳葉の根あたりに、射通された穴がただ一つ。」


 判定(ジャッジ)は出た。鴾毛の馬に乗り、敵の右側から射撃したのは伊達越前守だ。中山左衛門尉は、残念ながら「エイム(射術)」がわずかに外れていたということになる。周囲の連中は囁き合った。


「中山殿は、主君の目の前で射損じた上に、嘘の申告をしたことになる。これじゃあ切腹か、さもなくば追放(BAN)だな……」


 だが、俺のシステム運営はそんなに冷酷じゃない。俺は三人を前にして、こう宣言した。


「今回の多賀兵衛助討ち取りに対し、三人に賞を与える。順位は以下の通りだ!」


1位(金) 伊達越前守 正確な射術で敵を馬から射ち落とした「決定力」を評価する。

2位(銀) 中山左衛門尉 強敵に対し、真っ向から馬を寄せて立ち向かった「勇気」を評価する。

3位(銅) 片岡平次兵衛 確実に首を確保し、リザルトを確定させた「実務能力」を評価する。


 片岡が納得いかない顔で食い下がってきた。


「殿! 中山殿は射損じた上に言い掛かりをつけたのですよ? なぜ首を取った俺より上の二番なのですか!」


 俺はニヤリと笑って、関東の管理者としての「評価ロジック」を解説してやった。


「いいか。恩賞の査定ってのは、戦場での進退の深浅で決まる。軍の中で戦って討つも討たれるも武士の本懐だ。中山が射損じたのは単に『運』の問題。だが、あのような猛将に対し、真っ先に弓手(至近距離)へ飛び込んでいったその勇気(ガッツ)は、首を取るよりも遥かに価値があるんだよ。わかったか?」


 これには、不満げだった連中も「……さすが氏康様、現場をよく見ていらっしゃる」と感服して引き下がった。


 実は、この俺の裁定には元ネタ……もとい、歴史的な「前例(アーカイブ)」がある。 かつて源頼朝が奥州の藤原一族を討伐した時も、大将軍・錦戸太郎国衡(にしきどのたろうくにひら)の首を巡って、和田義盛と畠山重忠が手柄を争った。

 

 和田義盛が「俺が射ち落としたんだ!」と主張すると、首を持ってきた重忠は「証拠は?」と笑った。そこで義盛はこう言い放った。


「首はどうでもいい。国衡が着ていた鎧を確認しろ。俺の放った矢が、右の袖に三枚ほど穴を開けているはずだ。鎧の色は紅(くれない)、馬は黒だ!」


 実際に鎧を召し出すと、まさに義盛の言った通り、ノミで穿ったような鮮やかな矢の跡が残っていた。これで義盛の射術が証明されたわけだ。だが、頼朝公の素晴らしいところは、重忠を責めなかったことだ。


「重忠は最初から矢を放っていないと言っている。単に、部下が持ってきた首を主人の手柄として報告しただけだ。そこに悪意はない」


 古今東西、武士の手柄争いってのは尽きないもんだ。

 だが、俺は知っている。「誰がトドメを刺したか」という結果だけを見るのではなく、「誰が一番リスクを冒して突っ込んだか」という貢献度(プロセス)を評価することこそが、最強の組織(ギルド)……北条家を支える根幹なんだってことをな。




校訂 北条五代記 博文館編輯局(明治三十二年)




二 敵一人を三人して討捕事


聞しはむかし、里見義弘(さとみよしひろ)は、安房(あは)かづさ両国を先代(せんだい)より数(す)十年持来る所に、北条氏康、かづさを半国切てとりたり。然に義弘、かづさの国中に城三ツあり。大滝(だき)は正木大膳(だいぜん)の大夫在城(ざいじやう)す。勝浦(かつら)は正木左近(さこん)の大夫居城(ゐじやう)。池和田(いけのわだ)は多賀蔵人(たがくらんど)城主(しろぬし)たり。此蔵人は、あはかづさにおいて弓矢を取てほまれをえたる剛(がう)の者なり。氏康、をびつのしやう池和田の城をせめ落さんと、軍兵(ぐんびやう)を引率(いんそつ)しかづさの国へはつかうす。義弘(よしひろ)此よしを聞き、蔵人一人有てかなふべからず、加勢(かせい)として正木大膳大夫彼城へ入る。氏康城をとりまき、昼夜(ちうや)をわかずせめるといへ共、城中(じやうちう)のもの共、命(めい)を軽(かろん)じたゝかふ故、百余ケ日落城(らくじやう)せず。扨又此城は、東(ひがし)は高山(かうざん)あり。其尾をつゝきのさきをほり切、城となす。西南北は深(ふか)田有て、べう〳〵たり。氏康大軍にて山へ責(せめ)のぼり、堀(ほり)をうめ矢石(やせき)をはなち、塀(へい)を引くづしせめ入ければ、正木大膳の大夫も、たが蔵人もこらへずして、からめ手よりかけゆくを、氏康軍兵(ぐんびやう)かつに乗(の)つていきほひ、追(お)つかけ数千人討捕(うちとり)たり。其節の落書(らくしよ)に正木にてゆひたる桶(おけ)の多賀(たが)きれて水もだまらぬ池のわたかなとぞよみたり。敵ちり〳〵になりて敗北(はいぼく)する其中に、たが蔵人がしやてい兵衛の助、たゝ一騎(き)とつて返し、長見の鎗(やり)を取て、はんくわいをふるひ、おほく味方(みかた)をほろぼす所に、さがみの国の住人、中山左衛門尉、矢をさしはさみ敵とたがひに、弓手(ゆんで)に相(あ)ふ。扨又伊達(だて)越前(えちぜん)守、弓引て敵のめてのかたよりすゝみ、両人駒(こま)をま近(ちか)く乗(の)りかけ、同じ時矢(や)をはなつ。此矢一すぢあたつて、兵衛助馬より落たり。片岡(かたをか)平次兵衛はしり寄(よ)つて首(くび)を討捕(うちとり)、氏康の御前に参(さん)ず。又跡より両人来て、此敵をば我射(い)ころす、わが射(い)おとしたると相論(さうろん)に及ぶ。氏康おほせには、両人の一戦の場(ば)おなじく、馬よろひの毛(け)を記(しるし)をかる。合戦をはりて後、氏康かの三人を召(め)され、首(くび)取たる片岡平次兵衛に、両人戦場(せんぢやう)の仕合をとはしめ給ふ。平次兵衛申ていはく、敵はもえぎおどしのよろひ着き、鎗(やり)持てたゞ一騎(き)、味方(みかた)は三人三方よりすゝむ。其内に栗毛(くりげ)の馬にのり黒糸(くろいと)のよろひ着きたる者、矢をさしはさみ敵とたがひに弓手(ゆんで)に相(あ)ふ。又鴇毛(つきげ)の駒(こま)にのり、ふしなはめのよろひ着たる武者(むしや)、敵のめてよりすゝみ、弓場(ゆば)もおなじ程へたゝり、弓をも同時はなつと見へ候。敵矢にあたつて馬より落たるを、それがしはせ参じ、首(くび)をうて候と申す。氏康聞召(きこしめ)し、敵のよろひを尋給ふによつて是を尋出し、御前に持来る。御覧ずるに、よろひの毛はもえぎ、めてのわきの下を柳葉(やないば)の根(ね)にて射通いとをしたる穴(あな)たゞ一ツあり。つきげの馬に、捃縄(ふしなは)目のよろひ着き、敵(てき)のめてを射たるは伊達(だて)越前守なり。此者申つる場所もかはらず、すこぶる矢は越前守に治定(ぢぢやう)すと云々。人さたしけるは、中山左衛門尉は敵を討そんずるのみならず、御前にをゐて相論(さうろん)に負、いきがひ有べからず。むかし頼朝公(よりともこう)、下野(しもつけ)の国なすのゝ御狩(かり)の時、大鹿一しかつせこの内よりかけ下り、幕下(ばつか)の御前を通る。下河辺(しもかはべ)の六郡行秀(ゆきひで)この鹿を射はづし、其場(ば)にて出家(しゆつけ)をとげ、ちくてんし行かたしらずとかや。耻をもる侍(さふらひ)は鹿を射そんじてさへかくのごとし。いはんや中山左衛門尉、矢の相論にまけたるは君の眼前(がんぜん)にて敵を射はづしたるにあらずや。腹(はら)を切(き)るか、ちくてんするかといふ所に、いくさしづまつて後、氏康彼(かの)三人をめし、仰出さるゝ旨(むね)、此度の合戦において、たが兵衛助を討捕に付て三人に賞(しやう)をあてをこなはる。次第のをもむき、一番に伊達(だて)越前守。是は弓にて馬上の敵を射落(いおと)すによつてなり。二番に中山左衛門尉。是は猛敵(まうてき)とたがひに弓手(ゆんで)にあひあふが故也。三番に片岡(かたをか)平次兵衛。是は首(くび)を取によつて也と云々。平次兵衛仰のむねを奉り、欝憤(うつぷん)をふくんで申て云、中山左衛門尉は敵を射はづし、其上御前にをいて相論(さうろん)にまけ、冥加(みやうが)にそむきたる者を二番に御ほうびあり、首を取たる平次兵衛を一番にこそ御ほうびなく共、三番に御さたある事、いこんやん事なきよしを申す。氏康公きこしめし、それくんこうのけんしやうは戦場(せんぢやう)にたいし、浅深(せんしん)けうぢうに進退(しんたい)有事也。軍中(ぐんちう)に至て討(う)つもうたるゝも武士(ぶし)の名誉(めいよ)、のぞむ所の本懐(ほんくわい)也。中山左衛門尉、敵(てき)を射そんじたるは其身の運命(うんめい)の厚薄(こうはく)にこたへたり。左衛門尉すこぶる剛敵(がうてき)とたがひに弓手(ゆんで)にあひあふ、勇士(ゆうし)のほまれかろからずと云々。諸卒御旨(ぎよし)を承り感(かん)じたりと我語りければ、或(ある)老士(らうし)は此矢軍(やいくさ)相論(さうろん)に付て思ひ出せり。頼朝(よりとも)公、奥州秀衡(おうしうひでひら)が子共退治(たいぢ)として、文治(ぶんぢ)五年七月十九日、かまくらを打立給ふ。先陣(せんぢん)ははたけ山の次郎重忠(しげたゞ)也。秀衡(ひでひら)が嫡男(ちやくなん)、にしき戸(ど)の太郎国衡(くにひら)、大将軍(しやうぐん)として数万騎(すまんき)をいんそつし、八月十日あつかし山にをいて合戦(かつせん)す。国衡うちまけ、軍兵(ぐんびやう)と〴〵くはいぼくし、国衡もちくてんす。頼朝公其跡(あと)をおはしめ給ふ。諸卒(しよそつ)の其中に、わだ小太郎義盛、先陣にはせぬけ、柴田のこほり大高宮の辺(へん)に至る。国衡は出羽(でば)道をへ、大関山(せき)をこえんとす。義盛是を見付、うどんげと名乗(なの)つて追(を)つかけ、返し合すべき由をせうず。国衡義盛と聞、引返し名のらしめ、駕をめぐらすの間、たがひに弓手(ゆんで)に相(あ)ふ。国衡は十四束(そく)の矢をさしはさむ。よしもりは十三ぞくの矢をとばす。その矢、国衡がいまだ弓(ゆみ)をひかざるさきに、国衡がよろひの射向(いむけ)の袖を射とをし、かいなにあたるの間、国衡きずをいたみ、ひらきしりぞくところへ、はたけ山の重忠(しげたゞ)、大軍(ぐん)を率(そつ)し出あふ。大串(くし)の次郎、国衡を討取、十一日に二品(ほん)、舟迫(ふなぜ)のしゆくに滞留(たいりう)し給ふ。此所において、重忠(しげたゞ)国衡が首(くび)を献(けん)ず。はなはだ御感(ぎよかん)のおほせを承(かうぶ)るの所に、よしもり御前に参り、すゝんで申ていはく、国衡はよしもりが矢にあたり命をほろぼすの間、重忠が功(こう)にあらずといふ。重忠すこぶる笑(わら)つていはく、よしもりの口状(こうじやう)ほうほつといつつべし。誅(ちう)せしむるの支証(しせう)なに事ぞ。重忠首(くび)をえて持参(ぢさん)するの上、うたがふ所なからんかと云々。よしもりかさねて申ていはく、首の事は勿論(もちろん)なり。たゞし国衡が鎧(よろひ)を定(さだ)てはぎとらるゝか、めし出され彼実否(かのじつぷ)を决(けつ)せらるべし。其故は大高宮の前の田の中にをいて、義盛と国衡とたがひに弓手(ゆんで)に相(あ)ふて、義盛が討いる所の矢(や)、国衡にあたりをはんぬ。其矢の穴(あな)はよろひの射向(いむげ)の袖(そで)、三枚(まい)の程に定てこれあらんか。鎧(よろひ)の毛(け)はくれなゐ也。馬は黒毛(くろげ)なりと云々。是によつて件(くだん)の甲(よろひ)をめしいださるゝの所に、先まづくれなゐおどし也。御前に召(め)しよせ見給ふに、射向(いむけ)の袖三枚うしろの方(かた)にとりよて射(い)とをすのあと炳然(いちしる)きなり。ほとんど鏨(のみ)をとをすがごとし。時に仰にいはく、国衡に対(たい)し重忠は矢をはなたざるかと。ていれば重忠(しげたゞ)、矢をはなたざるのよしを申す。其後是非(ぜひ)に付て御旨(ぎよし)なし。是件(くだん)の矢の跡(あと)、他にこととなるの間、重忠が矢にあらざる者也。義盛が矢の条(でう)勿論(もちろん)也。をよそ義盛が申すことは始終(しじう)ふがうして、あへて一失(しつ)なし。たゞし重忠は其生(う)まれつき、せいけつにしてそぎなきを持(も)つて本意(ほんい)とする者也。今度の義(ぎ)にをいてはことに好曲(かんきよく)を存ぜざるか。彼時は郎従(らうじう)を先(さき)とし、重忠は後(あと)にあり、国衡かねて矢にあたる事一切是をしらず、たゝ大串(くし)、彼(かの)くびを持来て重忠にあたふるの間、打えたるのよしを存ず、物儀(もつぎ)にそむかざるかと云々。いにしへも今もかくのごときの勇士(ゆうし)の相論(さうろん)は有としられたり。

〜参考文献〜

北条五代記(博文館編輯局校訂) - Wikisource

https://share.google/FGo71GTKh9plFa7d0


〜舞台背景〜

 この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、単にWikiなどから貼り付けると元のルビが崩れて文章がグチャグチャになります。そのため原文の体裁は、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。

 せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の雰囲気を感じてもらえたらと思います。

 この「小説+原文併記」という形式は、たぶんなろうではあまり見ない試みだと思います。

 もし面白い試みだと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。

 逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければと思います。率直な感想として謹んで承ります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
さくら司法書士補助者の法務帳 〜 昭和に転生して泥沼の争いを収めたら、実務と試験知識が完全にリンクしました 〜
こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜
宅建見習い栞の人情事件簿 〜転生したら昭和の不動産屋だったので、巻き込まれているうちに宅建過去問が解けるようになりました〜
名探偵 藤原彰子の宮中事件簿 ――『転生皇后 藤原彰子』スピンオフ外伝
転生皇后 藤原彰子 〜 欠けることのない望月の世は私が創る 〜
新訳 太閤記 ~ 転生 豊臣秀吉、未来を識る僕は史実の道を静かに歩む 〜
新訳 三河物語 〜 徳川家康と家臣団の戦国サバイバル 〜 with 逆行転生犬シロ
新訳 北条五代記 〜 近所の隠居が書いたメモがガチの戦記だった件〜
美しき女帝 北条政子 〜 婚約破棄どころか強制結婚!? 平家のエリートに嫁がされそうになったので、豪雨の山を越えて愛する無職の元へ走ってみた 〜
新訳 曽我物語 〜 復讐系なろうの原点、父を殺された兄弟の二十年の復讐譚〜
箴言・格言・名言集 〜頑張るあなたへ、今日を乗り越えるための一言〜
拝啓、愛読者様。― 想いを少しだけ 謹呈 条文小説
六道輪廻抄 〜 戦国転生記 〜
コミックス「六道輪廻抄〜戦国転生記〜」
動画生成AIが作成したイメージビデオ
動画生成AIが作成したなろう小説イメージビデオ
動画生成AIが作成したなろう小説イメージビデオ
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。