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新訳 北条五代記 〜 近所の隠居が書いたメモがガチの戦記だった件 ~ 北条の覇道、その系譜  作者: 条文小説


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8/18

2-2 手柄の三重請求? 〜 一人の敵を三人で討ち取った時の俺のリザルト判定 〜

挿絵(By みてみん)


北条五代記ほうじょうごだいき』は、三浦浄心が著した、後北条氏にまつわる話題を中心とした仮名草子・軍記物語。確認されている最古の版本は寛永18年(1641年)刊。万治2年(1659年)版が流布本で残存数も多い。ともに全10巻だが内容には改変がある。出典:Wikipedia

 俺の名前は北条ほうじょう氏康うじやす。関東という巨大な地域エリアを管理する者として、俺が最も神経を使うのは「合戦」そのものじゃない。戦った後の「報酬リワード分配」……つまり恩賞の査定だ。


 戦場では誰もが「俺が一番手だ!」「俺がトドメを刺した!」と主張する。だが、嘘や誇張がまかり通れば組織ギルド士気モチベーションは崩壊する。だからこそ、俺の「鑑定眼」と「論理的思考」が試されるわけだ。


 今回は、上総かずさの国での合戦イベント中に起きた、ちょっと厄介な「手柄の重複問題」を、俺がいかに解決したか語ってやろう。


 事の始まりは、安房・上総を数十年にわたって支配してきた古参武将プレイヤー里見さとみ義弘よしひろとの上総かずさ奪還戦だ。俺は上総の半分を切り取ったが、そこには里見方の有力な拠点が3つ残っていた。


大滝城: 正木大膳大夫(正木一族のエリート)

勝浦城: 正木左近大夫(正木一族の実力者)

池和田城: 多賀たが蔵人くらんど


 この多賀蔵人ってのが曲者で、両国で「弓矢を取っては並ぶ者なし」と謳われるガチの武闘派だ。俺が池和田城に攻め寄せると、義弘も「蔵人一人では危ない」と判断したのか、正木大膳を増援として送り込んできた。


 この城、立地がまたエグい。東:高い山がそびえ、その尾根を深く掘り切っている。 西・南・北には広大な深田(沼地)が広がり、足場は最悪。


 まさに難攻不落の「要塞ダンジョン」。俺の軍勢が昼夜を問わず攻め立てても、城内の奴らは命を惜しまず抵抗してくる。結局、落城まで100日以上もかかっちまった。


 だが、最後は圧倒的な兵力で山を登り、堀を埋め、塀をなぎ倒してなだれ込んだ。正木も多賀も耐えきれず、裏口である搦手から逃走。俺の軍兵たちが「勝ち馬」に乗って追撃し、数千人を討ち取るという大勝利の結果リザルトになった。


 その時、当時の連中がこんな「風刺落書ツイート」を流していた。


「正木にて ゆいたる桶の 多賀たがきれて 水もだまらぬ 池のわたかな」

(正木という材木で作った桶の多賀タガが切れて、池和田の水が漏れ出しちゃったね、という煽りだな。センスは悪くない)


 敵が散り散りになって敗走する中、一人だけ「逆襲カウンター」を仕掛けてきた勇者がいた。多賀蔵人の弟、多賀たが兵衛助ひょうすけだ。


 こいつはただ一騎で引き返し、長見の槍を振り回して俺の味方を次々と蹴散らしていく。そこに、俺の軍勢ギルドから三人のプレイヤーが突っ込んだ。


 中山左衛門尉(相模の住人。敵の左側=弓手から突撃)、伊達だて越前守(敵の右側=馬手から突撃。弓を引く)、片岡平次兵衛(トドメの首取り担当)だ。


 伊達と中山が同時に馬を寄せ、同時に矢を放った!そのうちの一筋が多賀兵衛助を貫き、奴は馬から転落。そこへ片岡が走り寄り、鮮やかに首をハネた。


 そのため、合戦が終わると、案の定不毛な相論レスバが始まった。片岡が首を持って参上すると、後から伊達と中山がやってきて、「そいつを射殺したのは俺だ!」「いや、俺が射ち落としたんだ!」と譲らない。


 俺は冷静に三人を呼び出して言った。


「いいだろう。戦場での位置、装備、そして敵の鎧の傷跡……すべてを記録ログと照らし合わせて判定してやる」


 まず、首を取った片岡平次兵衛に「現場の状況」を詳しく証言させた。


「敵は萌黄もえぎ威の鎧を着て、槍を持ってただ一騎でした。味方は三人で三方から包囲。その時、栗毛の馬に乗った黒糸威の武者(中山)が敵の左から、鴾毛つきげの馬に乗った節縄ふしなわ目の武者の武者(伊達)が敵の右から同時に矢を放ちました。敵が落ちたところを、それがしが仕留めた次第です」


 証言は完璧だ。次に俺は「現物(証拠)」を提出させた。多賀兵衛助が着ていた萌黄威の鎧だ。 俺が観察眼を駆使して鎧の傷跡をチェックすると……。


「……ほう。馬手(右手)の脇の下、柳葉の根あたりに、射通された穴がただ一つ。」


 判定ジャッジは出た。鴾毛の馬に乗り、敵の右側から射撃したのは伊達越前守だ。中山左衛門尉は、残念ながら「エイム(射術)」がわずかに外れていたということになる。周囲の連中は囁き合った。


「中山殿は、主君の目の前で射損じた上に、嘘の申告をしたことになる。これじゃあ切腹か、さもなくば追放(BAN)だな……」


 だが、俺のシステム運営はそんなに冷酷じゃない。俺は三人を前にして、こう宣言した。


「今回の多賀兵衛助討ち取りに対し、三人に賞を与える。順位は以下の通りだ!」


1位(金) 伊達越前守 正確な射術で敵を馬から射ち落とした「決定力」を評価する。

2位(銀) 中山左衛門尉 強敵に対し、真っ向から馬を寄せて立ち向かった「勇気」を評価する。

3位(銅) 片岡平次兵衛 確実に首を確保し、リザルトを確定させた「実務能力」を評価する。


 片岡が納得いかない顔で食い下がってきた。


「殿! 中山殿は射損じた上に言い掛かりをつけたのですよ? なぜ首を取った俺より上の二番なのですか!」


 俺はニヤリと笑って、関東の管理者としての「評価ロジック」を解説してやった。


「いいか。恩賞の査定ってのは、戦場での進退の深浅で決まる。軍の中で戦って討つも討たれるも武士の本懐だ。中山が射損じたのは単に『運』の問題。だが、あのような猛将に対し、真っ先に弓手(至近距離)へ飛び込んでいったその勇気ガッツは、首を取るよりも遥かに価値があるんだよ。わかったか?」


 これには、不満げだった連中も「……さすが氏康様、現場をよく見ていらっしゃる」と感服して引き下がった。


 実は、この俺の裁定には元ネタ……もとい、歴史的な「前例アーカイブ」がある。 かつて源頼朝が奥州の藤原一族を討伐した時も、大将軍・錦戸太郎国衡にしきどのたろうくにひらの首を巡って、和田義盛と畠山重忠が手柄を争った。

 

 和田義盛が「俺が射ち落としたんだ!」と主張すると、首を持ってきた重忠は「証拠は?」と笑った。そこで義盛はこう言い放った。


「首はどうでもいい。国衡が着ていた鎧を確認しろ。俺の放った矢が、右の袖に三枚ほど穴を開けているはずだ。鎧の色はくれない、馬は黒だ!」


 実際に鎧を召し出すと、まさに義盛の言った通り、ノミで穿ったような鮮やかな矢の跡が残っていた。これで義盛の射術が証明されたわけだ。だが、頼朝公の素晴らしいところは、重忠を責めなかったことだ。


「重忠は最初から矢を放っていないと言っている。単に、部下が持ってきた首を主人の手柄として報告しただけだ。そこに悪意はない」


 古今東西、武士の手柄争いってのは尽きないもんだ。

 だが、俺は知っている。「誰がトドメを刺したか」という結果だけを見るのではなく、「誰が一番リスクを冒して突っ込んだか」という貢献度プロセスを評価することこそが、最強の組織ギルド……北条家を支える根幹なんだってことをな。




校訂 北条五代記 博文館編輯局(明治三十二年)




二 敵一人を三人して討捕事


聞しはむかし、里見義弘さとみよしひろは、安房あはかづさ両国を先代せんだいより十年持来る所に、北条氏康、かづさを半国切てとりたり。然に義弘、かづさの国中に城三ツあり。大滝だき正木大膳だいぜん大夫在城ざいじやうす。勝浦かつら正木左近さこん大夫居城ゐじやう池和田いけのわだ多賀蔵人たがくらんど城主しろぬしたり。此蔵人は、あはかづさにおいて弓矢を取てほまれをえたるがうの者なり。氏康、をびつのしやう池和田の城をせめ落さんと、軍兵ぐんびやう引率いんそつしかづさの国へはつかうす。義弘よしひろ此よしを聞き、蔵人一人有てかなふべからず、加勢かせいとして正木大膳大夫彼城へ入る。氏康城をとりまき、昼夜ちうやをわかずせめるといへ共、城中じやうちうのもの共、めいかろんじたゝかふ故、百余ケ日落城らくじやうせず。扨又此城は、ひがし高山かうざんあり。其尾をつゝきのさきをほり切、城となす。西南北はふか田有て、べう〳〵たり。氏康大軍にて山へせめのぼり、ほりをうめ矢石やせきをはなち、へいを引くづしせめ入ければ、正木大膳の大夫も、たが蔵人もこらへずして、からめ手よりかけゆくを、氏康軍兵ぐんびやうかつにつていきほひ、つかけ数千人討捕うちとりたり。其節の落書らくしよに正木にてゆひたるおけ多賀たがきれて水もだまらぬ池のわたかなとぞよみたり。敵ちり〳〵になりて敗北はいぼくする其中に、たが蔵人がしやてい兵衛の助、たゝ一騎とつて返し、長見のやりを取て、はんくわいをふるひ、おほく味方みかたをほろぼす所に、さがみの国の住人、中山左衛門尉、矢をさしはさみ敵とたがひに、弓手ゆんでふ。扨又伊達だて越前えちぜん守、弓引て敵のめてのかたよりすゝみ、両人駒こまをまちかりかけ、同じ時矢をはなつ。此矢一すぢあたつて、兵衛助馬より落たり。片岡かたをか平次兵衛はしりつてくび討捕うちとり、氏康の御前にさんず。又跡より両人来て、此敵をば我射ころす、わがおとしたると相論さうろんに及ぶ。氏康おほせには、両人の一戦のおなじく、馬よろひのしるしをかる。合戦をはりて後、氏康かの三人をされ、くび取たる片岡平次兵衛に、両人戦場せんぢやうの仕合をとはしめ給ふ。平次兵衛申ていはく、敵はもえぎおどしのよろひ着き、やり持てたゞ一騎味方みかたは三人三方よりすゝむ。其内に栗毛くりげの馬にのり黒糸くろいとのよろひ着きたる者、矢をさしはさみ敵とたがひに弓手ゆんでふ。又鴇毛つきげこまにのり、ふしなはめのよろひ着たる武者むしや、敵のめてよりすゝみ、弓場ゆばもおなじ程へたゝり、弓をも同時はなつと見へ候。敵矢にあたつて馬より落たるを、それがしはせ参じ、くびをうて候と申す。氏康聞召きこしめし、敵のよろひを尋給ふによつて是を尋出し、御前に持来る。御覧ずるに、よろひの毛はもえぎ、めてのわきの下を柳葉やないばにて射通いとをしたるあなたゞ一ツあり。つきげの馬に、捃縄ふしなは目のよろひ着き、てきのめてを射たるは伊達だて越前守なり。此者申つる場所もかはらず、すこぶる矢は越前守に治定ぢぢやうすと云々。人さたしけるは、中山左衛門尉は敵を討そんずるのみならず、御前にをゐて相論さうろんに負、いきがひ有べからず。むかし頼朝公よりともこう下野しもつけの国なすのゝ御狩かりの時、大鹿一しかつせこの内よりかけ下り、幕下ばつかの御前を通る。下河辺しもかはべ六郡行秀ゆきひでこの鹿を射はづし、其場にて出家しゆつけをとげ、ちくてんし行かたしらずとかや。耻をもるさふらひは鹿を射そんじてさへかくのごとし。いはんや中山左衛門尉、矢の相論にまけたるは君の眼前がんぜんにて敵を射はづしたるにあらずや。はらるか、ちくてんするかといふ所に、いくさしづまつて後、氏康彼かの三人をめし、仰出さるゝむね、此度の合戦において、たが兵衛助を討捕に付て三人にしやうをあてをこなはる。次第のをもむき、一番に伊達だて越前守。是は弓にて馬上の敵を射落いおとすによつてなり。二番に中山左衛門尉。是は猛敵まうてきとたがひに弓手ゆんでにあひあふが故也。三番に片岡かたをか平次兵衛。是はくびを取によつて也と云々。平次兵衛仰のむねを奉り、欝憤うつぷんをふくんで申て云、中山左衛門尉は敵を射はづし、其上御前にをいて相論さうろんにまけ、冥加みやうがにそむきたる者を二番に御ほうびあり、首を取たる平次兵衛を一番にこそ御ほうびなく共、三番に御さたある事、いこんやん事なきよしを申す。氏康公きこしめし、それくんこうのけんしやうは戦場せんぢやうにたいし、浅深せんしんけうぢうに進退しんたい有事也。軍中ぐんちうに至てつもうたるゝも武士ぶし名誉めいよ、のぞむ所の本懐ほんくわい也。中山左衛門尉、てきを射そんじたるは其身の運命うんめい厚薄こうはくにこたへたり。左衛門尉すこぶる剛敵がうてきとたがひに弓手ゆんでにあひあふ、勇士ゆうしのほまれかろからずと云々。諸卒御旨ぎよしを承りかんじたりと我語りければ、ある老士らうし此矢軍やいくさ相論さうろんに付て思ひ出せり。頼朝よりとも公、奥州秀衡おうしうひでひら子共退治たいぢとして、文治ぶんぢ五年七月十九日、かまくらを打立給ふ。先陣せんぢんははたけ山の次郎重忠(しげたゞ)也。秀衡ひでひら嫡男ちやくなん、にしき太郎国衡くにひら大将軍しやうぐんとして数万騎すまんきをいんそつし、八月十日あつかし山にをいて合戦かつせんす。国衡うちまけ、軍兵ぐんびやうと〴〵くはいぼくし、国衡もちくてんす。頼朝公其跡あとをおはしめ給ふ。諸卒しよそつの其中に、わだ小太郎義盛、先陣にはせぬけ、柴田のこほり大高宮のへんに至る。国衡は出羽でば道をへ、大関山せきをこえんとす。義盛是を見付、うどんげと名乗なのつてつかけ、返し合すべき由をせうず。国衡義盛と聞、引返し名のらしめ、駕をめぐらすの間、たがひに弓手ゆんでふ。国衡は十四束そくの矢をさしはさむ。よしもりは十三ぞくの矢をとばす。その矢、国衡がいまだゆみをひかざるさきに、国衡がよろひの射向いむけの袖を射とをし、かいなにあたるの間、国衡きずをいたみ、ひらきしりぞくところへ、はたけ山の重忠(しげたゞ)、大軍ぐんそつし出あふ。大串くしの次郎、国衡を討取、十一日に二品ほん舟迫ふなぜのしゆくに滞留たいりうし給ふ。此所において、重忠(しげたゞ)国衡がくびけんず。はなはだ御感ぎよかんのおほせをかうぶるの所に、よしもり御前に参り、すゝんで申ていはく、国衡はよしもりが矢にあたり命をほろぼすの間、重忠がこうにあらずといふ。重忠すこぶるわらつていはく、よしもりの口状こうじやうほうほつといつつべし。ちうせしむるの支証しせうなに事ぞ。重忠首くびをえて持参ぢさんするの上、うたがふ所なからんかと云々。よしもりかさねて申ていはく、首の事は勿論もちろんなり。たゞし国衡がよろひさだてはぎとらるゝか、めし出され彼実否かのじつぷけつせらるべし。其故は大高宮の前の田の中にをいて、義盛と国衡とたがひに弓手ゆんでふて、義盛が討いる所の、国衡にあたりをはんぬ。其矢のあなはよろひの射向いむげそで三枚まいの程に定てこれあらんか。よろひはくれなゐ也。馬は黒毛くろげなりと云々。是によつてくだんよろひをめしいださるゝの所に、先まづくれなゐおどし也。御前にしよせ見給ふに、射向いむけの袖三枚うしろのかたにとりよてとをすのあと炳然いちしるきなり。ほとんどのみをとをすがごとし。時に仰にいはく、国衡にたいし重忠は矢をはなたざるかと。ていれば重忠(しげたゞ)、矢をはなたざるのよしを申す。其後是非ぜひに付て御旨ぎよしなし。是件くだんの矢のあと、他にこととなるの間、重忠が矢にあらざる者也。義盛が矢のでう勿論もちろん也。をよそ義盛が申すことは始終しじうふがうして、あへて一失しつなし。たゞし重忠は其生まれつき、せいけつにしてそぎなきをつて本意ほんいとする者也。今度のにをいてはことに好曲かんきよくを存ぜざるか。彼時は郎従らうじうさきとし、重忠はあとにあり、国衡かねて矢にあたる事一切是をしらず、たゝ大串くしかのくびを持来て重忠にあたふるの間、打えたるのよしを存ず、物儀もつぎにそむかざるかと云々。いにしへも今もかくのごときの勇士ゆうし相論さうろんは有としられたり。

〜参考文献〜

北条五代記(博文館編輯局校訂) - Wikisource

https://share.google/FGo71GTKh9plFa7d0


〜舞台背景〜

 この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、単にWikiなどから貼り付けると元のルビが崩れて文章がグチャグチャになります。そのため原文の体裁は、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。

 せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の雰囲気を感じてもらえたらと思います。

 この「小説+原文併記」という形式は、たぶんなろうではあまり見ない試みだと思います。

 もし面白い試みだと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。

 逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければと思います。率直な感想として謹んで承ります。

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