9-4 「海賊」って呼ぶな! 水軍侍のプライドと、歴史に名を残す「国盗り」の美学。
『北条五代記』は、三浦浄心が著した、後北条氏にまつわる話題を中心とした仮名草子・軍記物語。確認されている最古の版本は寛永18年(1641年)刊。万治2年(1659年)版が流布本で残存数も多い。ともに全10巻だが内容には改変がある。出典:Wikipedia
俺だ、北条氏直だ。今日は、俺たち北条家と安房の里見義頼がバチバチにやり合っていた頃の、「言葉の定義」を巡るちょっと哲学的な話だ。
相模(神奈川)と安房(千葉)の間には、大きな入り海(東京湾)がある。当時は毎日が海上の対人戦(PVP)状態。夜になれば小舟がコッソリ忍び込んで村を荒らし、昼になれば数十艘の大艦隊が村を焼き払い、捕虜を連れ去る。
面白いのは、現地民の生存戦略だ。あまりに襲撃が多いから、村人たちは勝手に敵方と交渉して「貢ぎ物を送るから、夜だけは勘弁して」と裏で契約を結んでいた。これを「半手」と呼ぶ。
捕まった身内を買い戻すために、村人が敵と内通するなんてのは日常茶飯事だったんだ。そんな中、浦々の住人たちは、俺たちの軍船を見かけるたびにこう叫んでいた。
「大変だ! 海賊が来たぞーっ!」
今は天下泰平。平和になった江戸の川には、かつての軍船がのんびりと繋がれている。ある時、そんな船に乗る侍たちを、ある町人がうっかりこう呼んでしまった。
「あ、あの海賊の人たちだ」
それを聞いた一人の侍がブチ切れた。
「貴様! 今、なんと言った! 山賊とか海賊っていうのは、山や海でコソ泥をする犯罪者のことだろ! 誇り高き武士を『賊』呼ばわりするとは、言語道断! この無知な木石めが!」
町人はビビりながらも、素朴な疑問を返した。
「……す、すみません。じゃあ、船に乗って戦うお侍さんのことは、なんて呼べばいいんですか?」
侍は絶句した。
「それは……えーと……『船に乗る武者』とか……? ……うっ、適切な呼び名が思い浮かばない……」
結局、侍は言い返せずに黙り込んでしまった。実は「水軍」という言葉が定着する前、軍船の乗り手は敵味方問わず、十把一絡げに「海賊」と呼ばれていたのがリアルな歴史だったんだ。
ここで、少しメタ的な視点で考えてみよう。なぜ、名誉ある侍が「賊」なんて呼ばれるのか。実は古い歴史の記録、源平合戦などを辿ると敵はすべて『賊』と記されている。
「賊」という字は、単なる泥棒を指すんじゃない。「正しい道(正路)から外れた悪事」を指す総称だ。そして、戦国時代の「武略」は、ある意味で「ハイレベルな盗み」と同じだ。
敵の隙を突いて領土をかすめ取る。調略(裏工作)で相手の心を盗む。孫子が言う「戦わずして勝つ」ためのズル賢い計算。これらはすべて、真正面からぶつかる「正道」ではない。つまり、「優れた戦略家 = 優れた知恵を持つ盗人」という見方もできるわけだ。
仏教で言う「六賊(視覚や聴覚などの感覚)」も、放っておけば俺たちの心をかき乱し、欲望を盗んでいく。人間は生まれながらにして、自分の中に「賊」を飼っているようなものかもしれない。
「賊」の精神は、歴史を動かす力にもなる。大昔、神功皇后が三韓征伐のために大艦隊(これも当時は海賊船のようなものだ)で海を渡った時のこと。
皇后は当時、なんと赤ちゃんを妊娠していた。お腹が大きかったので、持っていた鎧が閉まらなかったんだ。
「これじゃ脇腹がガラ空きじゃない!」
そこで皇后は、手近な楯を小脇に挟んで、強引に隙間をガードした。これ、実は今の日本の鎧にある「脇楯」というパーツのルーツだと言われている。さらに、海の上で馬の餌がなくなったとき、海藻を食べさせたことから、海藻を「神馬草」と呼ぶようになったという記録も残っている。
歴史を切り開く大遠征(海賊ムーブ)から、俺たちの装備の「仕様」が決まったなんて、面白いだろ?
最後に、歴史の残酷な真実を一つ。
「鉤を盗む者は処刑され、国を盗む者は諸侯となる」
小さな金属を盗めば泥棒として死罪だが、知略を尽くして一国をまるごと盗み取れば、それは「英雄」として歴史に刻まれる。俺たち北条家も、初代・早雲が伊豆を「盗み」、氏綱・氏康が関東を「盗んで」作り上げた帝国だ。これを「欲にまみれた賊」と笑うか、「乱世を治めた救世主」と呼ぶか。
それは結局、勝ったほうが歴史をどう紡ぐかによる。海賊と呼ばれようが、英雄と称えられようが、大将にとって一番大切なことは何だ?それは、「運を天に任せ、義を貫き、後代に恥じない物語を残すこと」。
戦いに負けて国を失うことはあっても、それは天命だ。だが、志を失って自分の中の「欲賊」に完全に支配されることこそが、武士にとっての真の敗北なんじゃないかな。
俺たちが乗っていた「戦船」は、ただの強盗の乗り物じゃない。そこには、関東という広大な領土を守り、明日を創ろうとした男たちの、最高に熱い「プライド」が積まれていたんだ。
ちなみに「ささ栗」の話。九州の名物で、年に二度も実る小さな栗がある。名前は「篠」なのに、実際は「柴」の木になるという矛盾。名前と中身が一致しないのは、世の常だ。
「海賊」と呼ばれた俺たちの水軍も、その中身は誰よりも「仁義」を重んじるエキスパート集団だったんだ。
校訂 北条五代記 博文館編輯局(明治三十二年)
四 戦船を海賊といひならはす事
見しはむかし。北条氏直と。里見義頼。弓矢の時節。相模。安房両国の間に入海有て。舟の渡海近し。故に敵も味方も兵船おほく有て。たゝかひやむ事なし。夜になれば。或時は小船一艘二艘にてぬすみに来て。浜辺の里をさはがし。或時は五十艘三十艘渡海し。浦里を放火し。女を生捕り。即刻夜中に帰海す。島崎などの在所の者は。わたくしにくわぼくし。敵方へ貢米を運送して。半手と号し。夜を心やすく居住す。故に生捕の男女をば。是等の者。敵方へ内通して。買返す。去程に夜にいたれば。敵も味方も。海賊や渡海せんと。浦里の者。れまはつて用心をなし。海賊の沙汰日夜にいひ。やむ事なし。今は諸国おさまり。天下泰平。四海遠浪の上までも。をだやかにして。静かなる御時代なり。然共兵船おほく江戸川につなぎをき給ふ。ある人いくさ舟の侍衆を。海賊の者と云ければ。其中に一人此言葉をとがめていはく。むかしより山賊海賊といふ事。山に有て盗みをなし。舟にてぬすみするを名付たり。文字よみもしるなし。侍たるものゝ盗をする者や有。海賊とは言語道断非事かな。物をもしらぬ木石なりといかる。此者聞て。我文盲ゆへ。文字よみもしらず。扨舟乗の侍の名をば何とか申べき。をしへ給へと云時。此侍の返答につまり無言す。愚老是を聞。文字よみをきけば。侍とがめ給へるもことはりなり。又いにしへより。海賊と俗にいひ伝へければ、いふもしかなり。今おもひあたつて。此名をうかゞふに。舟乗にはそれゝのなすわざによて。異名有。商船人。廻船人。海士人。渡守。水主。梶取などゝいふ。然どもいくさ舟の侍をば。兵船武者共。戦船侍共。いひ伝へを。いまだ聞かず。ほとんど。海賊の諍論分明ならずといへば。人聞て兵船を。海賊と云本説おぼつかなし。われ此賊の字の心を察するに。盗みとは。あながちに。物取ばかりに限るべからず。万悪事をさして。いへる惣名なるべし。正路簾直なる事をば。仏といへるがごとし。いにしへ源平のたゝかひを。しるしをきたるふみに。平家の凶賊等を討ちほろぼし。源家の賊徒を追討しなどゝ。敵がたをさして。賊と名付たり。それぬすむといふ詞は。やさしき物にたくへて。歌にもおほく詠みたり。すべて弓馬のみちは。武略を専とす。此心をもて了簡するに。盗賊と武略は。文字かはり。みちことなれ共。心はおなじ。それいかにといふに。よく盗するも。武略もみなはかりごとをもて肝要とせり。すこぶる戦場にをいて。或は相刻相生の五行をかんがへ勝つかたより向ひ。或は孤虚王相とて。日をえらび時を取て。馳来つてしゆうを决せんとほつする時は。味方敵の大将の。てだてをはかつて。其行のならぬ様に。こなたより調略す。是を心をせむるとも。謀りごとを伐つともいへり。交りを伐。兵を伐。城をせむる。其品々(しなゝ)の計策皆順道の外の武略なり。故に第一に謀りごとをうつといへるは。たゝかはずして。勝つ事をはかり。敵の兵の屈するやうに。智計をめぐらし。横道にて利をうるを。善の善なりとす。是孫子が心なり。扨又御成敗式目に。山賊海賊等の事を記せり。これらは人を殺す者なりと計有て。罪科の軽重たしかに注さず。又強窃二盗の沙汰あり。強盗は日中の盗人。威力をもて人の財宝をうばひ取。窃盗は夜の盗人なり。是は威力なく。ひそかに人の物を盗む故。名付てほそるとも。忍びともいふと記せり。窃盗の二字を。忍びとよみ。ひそかにぬすむともよみたり。さす所はおなじ名なれども。盗人といへば。悪逆無道に聞へ。ほそる忍びといへば。やさしかりき。又花鳥風月によそへて。ぬすみのことばを詠ぜり。風花の香をさそふは。風賊也。露月影をうつすは。露賊なり。鳥は鷹にかくれて立てば。鳥賊いづれも。和歌に詠ぜり。其上仏は。眼に耳鼻舌身意是を六賊と説かれたり。見聞くはなにかぎ。舌に味はひ。身にふれ。心におもふ事。皆賊なり。六根六塵六識三六十八の境界。是を仏は盗人妄相煩悩などゝ。様々に異名を付給へり。此欲賊は。人間に付そひ。はなれがたし。爰(こゝ)をあきらむるは心なり。故に古人は万法一心にしかじと云々。禅家にをいて。一千七百の公案といふも。さとりあきらむるをもてせり。故に禅の一法は。一切諸法を備はり。すべて生死の去来を知るが肝要なり。生は不可得の生なり。死又不可得の死なり。然れば生にまかせ。死は死にまかせ。生死にをいて。わづらはざる。是一念不生の所なり。たゞ即心即仏にして。外に仏をもとむべからず。色に形賊あり。心に形賊なし。此色空の二相を分明すべし。一切の境界。心の外になし。まよへるは妄賊。さとる時は万事空にして一物もなし。人間一生涯色欲に着して。生死のきづな。はなれがたし。かくのごときのいましめ。釈儒の二文にくはしく記せり。程子の説に。人のかなうずしも。おぼれ迷ふ所のみにあらず。心のむかふ所。すなはち欲なりといへり。儒者のをしへを。仁義と云も。仏のいましめも。心はことならず。たゞ我が有を有にして。他の有をむさぶらざらんこそ。本意なるべけれ。殆ど君上に有てまつりごとたがふ時は。国乱れ。民くるしめり。ほしいまゝに。国位をうばゝんがため。天下を乱し。黎民是によて愁ふ。そのかみ天神七代。地神五代去つて。神武帝よりこのかた。日本国は王土なり。民は子たり。王位の政。をこたらざる時は。国民安穏にして。風枝をならさず。雨つちくれを。うごかさず。是天よりあたふる所の聖人なるが故也。荘士に云。君は民をもて子とし。民は君をもつて父とすと云々。然に神功皇后女体の御身とし。ひとの国を。うばひとらむと欲賊にまよひ。海賊舟おほくもて。異国へ渡海し。修羅の戦をなし給ふ時に。御きせながをめされしに。たま〳〵懐姙にあたらせ給ふ玉体。はなはだ大にして。御よろひのかこみ。其脇にをよばず。是によつて則ち。楯をもつて脇をかくし給ふ。此例により。日本の武士。脇楯するは此いはれなり。万里遠浪の上。馬にかふべきまぐさなし。海中の藻を取て。馬にかふ。故に神馬草と名付たり。神馬藻と書て。なのりぞとよむも。此時よりと云々。皇后三韓をしたがへ。ひとり御心を。なぐさみ給ひけれ共。万里の道。兵粮米運送するは。日本国の民百姓なり。是によてなげきかなしみ。其ついへあげて尽くべからず。元暦二年安徳天皇同女院も。海賊し給ひぬ。長門の国赤間が関の海上にをいて。源氏は八百余艘。平家は五百余艘をうかめ合戦す。平氏討負。先帝も二位尼上も。こと〳〵く海底にしづみ給ふ。此源を尋ぬるに。上一人の欲賊故。下万民うれふ。爰をもて史記にいはく。鈎をぬすむ者は誅せられ。国を窃む者は佚たりと云々。鈎は帯に付る少さき金なり。此心は小盗みは罪にをこなはれ。大盗は国をぬすめ共。罪科にあはぬといへり。いにしへ三皇五帝世を治め給ふ事。天地の道に叶ひ。政すなほなるが故なり。尭王位に即き給ひて。民のついへをいたみ。さいてんけづらず。ばうしきらずと云々。家をかやにてふき。材木をけづらず。黒木なり。いしやうをそめず。紋をも付ず。是民を憐み。国土ゆたかにとの政事なり。されば今の世までも。尭をば聖君と申伝へり。天下を治る君。かくこそ有べけれ。世は仁義をもつてたもてり。それ人として。仁義の道にたがふは。本意にあらず。まして大将にをいてをや。たとひ生涯に望む共。義の道守るを大将とす。然ば古語に。敵のいばりを呑でも。本意を達すと云々。此詞用ひがたし。越王会稽の耻をすゝぎしは。一眼の亀の浮木にあへるがごとし。此詞残りとゞまつて。越王の口辺。尿の臭香末代までも失ふべからず。ほとんど国を守護するも。滅国となるも。大将の武運にこたへ。天命のなす所なり。故に合戦の勝負はまけたりとても耻辱に有べからず。たゞ運を天にまかせ。義を義とし。後代に名誉を残さんこそ。大将の本懐なるべけれ。右は海賊の二字に付ての子細なり。字面にあふ事あり。ちがふ事あり。一様に定めがたし。筑紫宰府の栗は名物なり。是を御門へさゝげ奉る。一年に二度なる柴栗なり。され共さゝ栗と名付く。歌につくし人。わらことしけりさゝ栗の。篠(さゝ)にはならで。柴にこそなれと。能因法師よめり。すべて人はあへてもつて。すこしきに。かすかなる事を。我心に常にやしなへば。大きなるにあたりても。まどはず。いにしへより俗にいひつたふる。そゞろごとおほし。徃事をば。とがめて益なしといへり。
〜参考文献〜
北条五代記(博文館編輯局校訂) - Wikisource
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、単にWikiなどから貼り付けると元のルビが崩れて文章がグチャグチャになります。そのため原文の体裁は、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の雰囲気を感じてもらえたらと思います。
この「小説+原文併記」という形式は、たぶんなろうではあまり見ない試みだと思います。
もし面白い試みだと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければと思います。率直な感想として謹んで承ります。




