表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
新訳 北条五代記 〜 近所の隠居が書いたメモがガチの戦記だった件 ~ 北条の覇道、その系譜  作者: 条文小説


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

47/56

9-1 因果応報はマジで怖い、三浦一族の滅亡。

挿絵(By みてみん)


北条五代記ほうじょうごだいき』は、三浦浄心が著した、後北条氏にまつわる話題を中心とした仮名草子・軍記物語。確認されている最古の版本は寛永18年(1641年)刊。万治2年(1659年)版が流布本で残存数も多い。ともに全10巻だが内容には改変がある。出典:Wikipedia

 俺だ、北条氏直だ。今日は俺たちの初代・早雲のじいさんが、相模(神奈川県)の覇権を巡って最後に激突した最強のライバル、三浦みうら道寸どうすんとその息子・荒次郎の滅亡 記録ログを公開しよう。


 三浦家といえば、源頼朝公の挙兵を支えた名門中の名門。その末裔である道寸父子は、知略も武勇も「カンスト」しているようなバケモノ親子だった。じいさんは彼らを倒すのに、なんと数年もの歳月を費やしたんだ。


 追い詰められた三浦父子が最後に立て籠もったのが、三浦半島の先端にある「新井城あらいじょう」だ。この城、地形がチートすぎる。三方向が海で、 切り立った崖に荒波が打ち寄せ、獣すら登れない。唯一の陸路はわずか20間(約36メートル)の幅しかなく、巨大な堀と門で封鎖されている。兵糧庫「千駄矢倉」と呼ぶ 巨大な岩穴に1000駄(膨大な量)の米をストック。まさに「島城」。力攻めなら100万の軍勢でも落とせない。


 じいさんは包囲網を敷いてじわじわと攻めた。そして三年。ついにあの巨大な岩穴の米が底をついた。食料が尽き、援軍の上杉軍も撃退された。いよいよ最期の時。


 家臣たちは「舟で房総へ逃げて、再起を図りましょう!」と提案した。だが、道寸は涙を拭ってこう言ったんだ。


「いや、これは敵のせいじゃない。俺の『因果応報』なんだ。昔、俺は養父を裏切ってこの地位を奪った。その報いが今、天罰として俺に回ってきただけだ。どこへ逃げても天からは逃げられない。なら、ここで潔く散るのが武士のプライドだろ?」


 そう言って道寸は、最期の酒宴を開いた。21歳の息子・荒次郎が「君が代は……」と舞を踊る。それは、この世の未練をすべて断ち切るような、美しくも悲しいラストステージだった。


 宴が終わると、三浦軍は「最期の突撃」を敢行した。ここで暴れまわったのが、息子の三浦荒次郎だ。こいつのスペックがもう、人間をやめている。体格は身長が7尺5寸(約225cm)。黒ひげを蓄え、目は血走っている。腕力も85人がかりの力を持ち、武器は 1丈2尺(約3.6メートル)の樫の丸棒。八角形に削り、鉄の筋金を入れた特注品。この巨漢が門から飛び出してきた時の光景は、まさに「夜叉か羅刹」だったという。


 棒を振り回せば、一撃で5人10人が肉塊と化す。兜の上から叩けば、頭が胴体に埋まる。北条兵はパニックになり、もはや軍勢ではなく、ただの獲物として狩られていった。荒次郎一人で500人以上の兵を粉砕したというから、もはやクリア不能なラスボスだ。


 道寸は「討つ者も、討たれる者も、壊れてしまえば元の土塊つちくれだ」という辞世の句を残して切腹。荒次郎も自ら首を掻き切って果てた。……だが、物語はここで終わらない。


 荒次郎の首が、死ななかったんだ。地面に転がったその首は、目を見開き、牙を剥き出しにして、北条軍を凄まじい眼光で睨みつけ続けた。その恐怖に、北条の兵たちは誰も近寄ることができなかった。高僧たちが呪文を唱えても効果なし。なんと三年の間、その生首は腐りもせず生き続けていたという。


 最後には、小田原の総世寺の禅師がやってきて、


「うつつとも夢とも知らぬ一眠り……」


 と優しい歌を詠んで聞かせた。すると、ようやく荒次郎の首はフッと目を閉じ、一瞬で白い髑髏どくろに変わった。


 さて、ここからが一番震える話だ。三浦道寸が滅亡したのは、「永正15年・7月11日・寅の刻(午前4時頃)」。


 そして、俺の親父である北条氏政が切腹したのは……。


「天正18年・7月11日・寅の刻」。そう。ちょうど73年後の、「同じ月・同じ日・同じ時刻」なんだ。じいさんが三浦家を滅ぼしたその瞬間の「ツケ」が、三代後の親父の代で完璧に決済されたわけだ。


 これは俺たち北条家の中でも、最大のミステリーとして語り継がれているんだ。今でも毎年7月11日になると、新井城の跡地には深い霧が立ち込め、雷鳴とともに空中を駆ける幽霊騎馬隊の合戦の音が聞こえるという。近隣の住民は恐れて近づかず、草一本刈ることもない。


俺、氏直は思うんだ。力で国を奪うことはできる。でも、その時に流した血の恨みは、数十年経っても消えずに、運命の因果として必ず回ってくる。


 戦国時代ってのは、華やかな勝利の裏に、こういう「逃げられない恐怖」が常にセットになっていた。

 

 誰かを陥れるようなプレイは避けたほうがいいぜ。73年後に、とんでもないデバフが子孫に届くかもしれないからな。




校訂 北条五代記 博文館編輯局(明治三十二年)




一 三浦介道寸父子滅亡の事


聞しはむかし相州さうしうぢう人三浦介。受領じゆりやう陸奥守むつのかみじう四位下ゐげ平義同たいらのよしあつ法名ほうみやう道寸だうすんがうす。子息しそくあら次郎。弾正少弼だんじやうせうひつもとと云て。父子名をえたるさふらひあり。是は大介義 あきら後胤こういんなり。平治へいぢの合戦にをいて。三浦荒次郎義 すみは。源氏げんじにくはゝり。いくさせし事。古記こきに見えたり。然に伊豆いづの国に。伊勢新九郎平 氏茂うぢしげ云武士ぶしあり。後は入道し。北条早雲さううんと号す。此早雲 相摸さがみ小田原の城を。明応めいおうほひ。のつとり上杉朝良ともよし居城ゐじやう同園大庭の城をもめおとす。永正元年九月。早雲と官領くわんれい上杉 明定あきさだと。大合戦かつせんあり。三浦うら介道寸だうすんは。さがみ岡崎をかざきの城に有て。早雲とたゝかひしが。かなはずして。同九年八月十三日。城を開退かいたいし。同きすみよしの城にうつり。年久しく論敵ろんてきたりしが。鎌倉かまくら合戦に道寸 討負うちまけ敗北はいぼくす。されどる秋尾の大くづれにてきゝへたり。此道は高山かうざんくづれてうみに入。片岸かたきしに道有て。一騎うちなれば。いく万騎むかうといへ共叶ひがたし。然共早雲大 ぐんにて。小坪つぼ。秋屋。長坂。黒石。佐原さはら山を打越ゑみだれ入。道寸かなはず。父子ふし一所に。雑兵ざいひやう二千ほどにて。三浦うら新井あらゐの城にたてこもる。此城 南西北なんさいぼく入海うみ白波しらなみ立て。きしをあらひ。山高くいはほけんそにして。けだものもかけりがたし。城の広さは二十町四方。東一方わづか。二十間ほど。くがつゞき。是に堀をほり。門一ツ立をきぬれば。百万騎むかふといふ共。力ぜめには成がたし。たゞ是島城しまじろ也。道寸は至剛しがう智謀ちぼう兼備けんびせし大将たりといへ其。かまくら合戦に。人数にんじゆことゝくたれ。小勢なれば。叶はずして。三年籠城ろうじやうす。然に千駄矢倉だやぐらと号し。大きなる岩穴いはあな有。是につね米穀べいこくを。千駄つみをく。此穴の内も皆はらつて。兵粮ひやうらう米つきはてぬれば。すでに城中の者共。難儀なんぎにをよぶ。其比むさしの国司こくしとして上杉修理しゆり太夫朝興ともおきは。江戸の城を居住ゐぢうとす。新井の城中。兵粮つくる由を聞。武州勢せいを率し。道寸後詰ごづめと有て。さがみの国。中ごほりまで打越し陣取ぢんとり。早雲此よしを聞。新井の城おさへとして。二千騎残しをき。四五千の人数。新井を退しりぞて。甘縄たまなはの近辺に陣取。合戦し。討つつうたれつ。たゝかふといへ共。叶はずして。上杉人数武州へ皆引返す。新井城中の者ども。力をうしなひ。門をひらき。切て出。討死うちじにすべきか。腹を切るべきかと。せんぎしける所に。大森もりゑちごの守をはじめ。佐保田さほだ河内かはち同彦四郎。三次参河守みかはのかみ申けるは。総州そうしう摩呂谷まろや上総かづさ介殿は。荒次郎殿のしうと。親子の契縁けいえん也。岸根きしねに。つなぎをく。おほくの舟に取乗のり。上総の国へ移り。下総。武州上州の勢をもよほし。上杉殿を先立申。さがみの国へ乱入みだれいりて。早雲を退治たいぢし。会稽くわいけいはぢをすゝぐべしとぞせんぎする。道寸是を聞。しばらく有て涙をおさへ。をのゝしさるゝ所神妙しんべう也。然にそれがしは。上杉高救たかすけが男なり。時高ときたか養子と成つて。三浦へ移る。其後継母けいぼに弟(おとゝ)一人いできたり。継母の讒言ざんげんにより。弟を世にたてんため。われをがいせんはかりごとあり。我心うくおもひ。出家しゆつけし世をのがれ。小田原総世そうせい寺に有し所に。家老からうの者おほくしたひ来て。みかたとなる。小田原の城主しろぬし大森もり筑前ちくぜん守加勢かせいをこひ。父此城にましますを。明応めいおう三年九月廿三夜にせめおとし。中村むら民部みんぶをはじめ。ことゝくほろぼしたり。其因果ゐんぐわを身にむくひ。かゝるうき目にあふ事。てきのせめにあらず。是ひとへに養父やうふばつをあたり天のせめをかうふる也。世をも人をもうらむまじ。さあらんにをいては。たとへいづくへちたり共。行末ゆくすゑたのみがたし。高きもいやしきも。すべき所にて死なざれば。後代こうだい耻辱ちじよくたり。いにしへを伝聞(つたへきゝ)しに。東方朔とうほうさくが九千歳。うつゝらが八万歳。浦島うらしまが七百歳もかぎり有命いのちにて。つゐにはむなしくなるぞかし。我六十歳を。たもちぬるも。たゞ一炊すいゆめ生者しやうじや必滅ひつめつの世のならひ。なげきてかひなかるべし。今生こんじやう名残なごりたゞ今なり。さけをくまんと。道寸盃さかづきをひかへ給ひければ。河内守かはちのかみぎみが代は。千世ちよにや千代ちよとうたふ。荒次郎扇あふぎを取て きみが代は。千世にや千代もよしやたゞ。うつゝのうちの。ゆめのたはふれ とまひ給へば。彦四郎も同じくつて。つれてまふ。にあはれなる一曲きよくかなで。いつの世にかは立帰たちかへり又もあひ見ん事ならねば。おもひるとはいひながら。今を最期さいごの舞の袖。思ひやられてあはれなり。道寸諸侍にむかつていはく。君臣くんしん礼義れいぎ年来ねんらい忠功ちうこうあさからず。然といへ共。運命うんめいもつきはて。三年の籠城ろうじやう兵粮ひやうらうつきぬれば。力なし。此中にもちんと思ふ人あらば降人かうにんと成つて出城しゆつじやうすべし。道寸少もうらみなし。死せんと志(こゝろざ)す人は。討死うちじにし。後代に名をとゞめよ。道寸父子は腹切はらきるべし。生涯しやうがい対面たいめん是までなり。越後守ゑちごのかみが云。こは口惜くちをしきおほせ哉。それ人の一大事といふは。一期をはりをもてせり。年頃としごろ日来ひごろ恩禄をんろくけ。かゝる時にひるがへらば。あにじんの道ならん。白氏文集はくしぶんしうに。君恩くんをん雨露うろのごとしといへり。旧君きうくん深恩しんをんわすれ。此一大事をのがれ。世にき残りて。はぢをさらす者や候べき。主従ともに討死し。名を後代にとゞめんは。弓矢とる身の本懐ほんぐわいなりと申ければ。諸卒是を聞。御返答よく申たりと。をのゝ心ざしを一ツにし。時刻うつさず門をひらき切て出る。道寸うちわを取て。諸卒をいさめ。けふを最期の合戦なれば。父討たるれ共。子助たすけず。主うたるれ共。従者じゆうしやおち合ず。かたなのつかのくだけるをかぎり。死を限りに。天地をひゞかしたゝかふ有様。修羅道しゆらだうもかくやらん。道寸うちわを取て下知し給ふ所に。神谷雅楽頭かんやうたのかみ名乗なのつて。道寸を目がけ馳参はせさんじ。馬上にてをしならべてむずとくむ。道寸は聞ゆる大力ちからにて。物ともせず。なんぢやさしき心ばせや。我手にかゝり。くわうせんにて。焔魔ゑんまちやうの。うつたへにせよと。くら前輪まへわにをし付。ほそ首ねぢ切捨きりすてられたり。討死おほき其中に神谷雅楽頭は心ももうなりけるが。道寸の手にかゝり。五十三を一期とし。死して名誉をとゞめたりと。ほめぬ人こそなかりけれ。荒次郎は。家につたはる重代ぢうだい。五尺八寸の正宗まさむね大太刀たちをぬき持て。大声を立て。切てまはる有様。鬼神きじんのごとし。爰へをつゝめ。かしこへせめよせ。はらひぎり。をひかけぎり。けさがけ。瓜切うりぎり。よこ手切。から竹わりと云ものに。散々に切つてまはれば。かたきの勢は。四方八方へにげ行て。むかふ敵こそなかりけれ。敵みかたの死がいは。原上げんじやうつかをつき。血は野草やさうをそめ。みかたもおほく討死す。生残る輩は。友々さしちがへ。腹を切つてぞ死にける。わづかに残る人々は。心しづかに腹きらんと。主従ともに城に帰り。七十五人おもひゝに腹切て。一人も生残らず同じ枕にふしにけり。荒次郎いはく。父も自害有べし。荒次郎は一人跡に残りとゞまりとふらひ合戦仕り。かたきを思ふまゝにほろぼして。かばねはせんぢやうにさらし。苔の下にうづむ共。名を万天ばんてんにあぐべしとを申けり。扨又道寸は常に和歌をこのましめ給ひしが。すきの道とて生害しやうがいに至てうつものも討たるゝ者もかはらけよくだけて後は。もとのつちくれ とよみ切腹せつぷくし給ひぬ。荒次郎は廿一歳さい器量きりやうこつがら人にすぐれ。長七尺五寸。黒髭くろひげ有て。血眼ちまなこなり。手足の筋骨すぢほねあらゝしく八十五人が力をもてり。さいごの合戦のため。おどし立たる甲冑かつちうくろがねをきたひ。あつさ二分にのべ。是を帯しあらかしの丸木を。一丈二尺につゝぎり。八角にけづり。筋がねをわたし。此棒ぼうを引さげ。一人門外へゆるぎ出たる有様。やしやらせつのごとし。おめきさけぶこゑ。大山もくづれて海に入。こんちくもおれて。たちまちにしづむがごとし。四方八方へぐる者を。をつめ。甲の頭上づじやうをうてばみぢんにくだけて。どうへにえ入。よこ手にうてば。一払はらひに。五人十人打ひしぐ。棒にあたりて死する者。五百余人。其尸かばねは地にみちて。足のふみ所もなし。たゞ是らせつこくの鬼王きわうが。いかりもかくやらん。此威きほひに皆敗北はいぼくして。敵もなければ。みづからくびをかきとし。死にゝたりけり。され共首は死せず。眼はさかさまにさけ。鬼髭きしは針をすりたるがごとく。きばをくいしばり。にらみつめたる眼のひかり。百れんの鏡(かゞみ)に血をそゝぎたるがごとく。さもおそろしさを一目見たる者。なうれつすれば。此頸くび又も見る人なし。是によつて。有験うげん貴僧きそう高僧かうそうに仰て。さまゝの大法秘法ほうひほうしゆせられけれ共其しるしなし。三年此首死せず。小田原久野くのの。総世寺そうせいじ禅師せんじ来て。一首の歌をゑいじ給ふ。うつゝとも。ゆめともしらぬ一ねぶり。浮世うきよのひまを。あけぼのゝそら とよみて手向たむけ給へば。眼ふさがり。たちまち。肉くちて。しらかうべと成ぬ。此荒次郎死所のあたり。百間四方は。今にをいて。田畠てんはくにも作らず。草をもからず。牛馬ぎうば其中に入て草をはめばたちまちに死す。故にけだものまでもそくつて其中へ入事なし。常に青草せいさうばうゝと生をひたり。当代たうだいの侍衆。新井あらゐの城を見物けんぶつせしに。道寸父子は。名誉めいよの武士。一礼とて。城の大手古堀ふるぼりの外にて下馬げばし。礼敬れいきやうす。此合戦と申は。七月十一日なり。今も七月十一日には。毎年新井の城に。雲霧くもきりおほひて。日の光もさだかならず。丑寅うしとらの方と。未申ひつじさるの方よりいなびかりかゞやきいでて。両方の光入乱みだれ風猛火みやうくわを吹き上。光の中に。兵馬ひやうば虚空こくうにたゝかふ有様。天地をひゞかしおそろしきとも云ばかりなし。かるがゆへに此古塚ふるつかのあたりには。人家じんかもなし。一里ばかりはなれて。村里そんり見えたり。扨又不思儀の事有。道寸父子の討死には。永正十五年戊寅つちのへとらの年。七月十一日のとらの刻なり。然る所に北条氏政の切腹せつぷくも。天正十八庚寅かのへとらの年。七月十一日寅の刻なり。七十三年にあたつて。年月日刻。たがはずて給ひたる。因果ゐんぐわのことわりこそ。おそろしかりけれ。父祖ふそ善悪ぜんあくは。かならず子孫しそんにをよぶといへる古人の言葉。おもひしられたり。

〜参考文献〜

北条五代記(博文館編輯局校訂) - Wikisource

https://share.google/FGo71GTKh9plFa7d0


〜舞台背景〜

 この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、単にWikiなどから貼り付けると元のルビが崩れて文章がグチャグチャになります。そのため原文の体裁は、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。

 せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の雰囲気を感じてもらえたらと思います。

 この「小説+原文併記」という形式は、たぶんなろうではあまり見ない試みだと思います。

 もし面白い試みだと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。

 逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければと思います。率直な感想として謹んで承ります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
新訳 三河物語 〜 徳川家康と家臣団の戦国サバイバル 〜 with 逆行転生犬シロ
新訳 北条五代記 〜 近所の隠居が書いたメモがガチの戦記だった件〜
美しき女帝 北条政子 〜 婚約破棄どころか強制結婚!? 平家のエリートに嫁がされそうになったので、豪雨の山を越えて愛する無職の元へ走ってみた 〜
新訳 曽我物語 〜 復讐系なろうの原点、父を殺された兄弟の二十年の復讐譚〜
箴言・格言・名言集 〜頑張るあなたへ、今日を乗り越えるための一言〜
拝啓、愛読者様。― 想いを少しだけ 謹呈 条文小説
六道輪廻抄 〜 戦国転生記 〜
コミックス「六道輪廻抄〜戦国転生記〜」
動画生成AIが作成したイメージビデオ
動画生成AIが作成したなろう小説イメージビデオ
動画生成AIが作成したなろう小説イメージビデオ
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ