9-1 因果応報はマジで怖い、三浦一族の滅亡。
『北条五代記』は、三浦浄心が著した、後北条氏にまつわる話題を中心とした仮名草子・軍記物語。確認されている最古の版本は寛永18年(1641年)刊。万治2年(1659年)版が流布本で残存数も多い。ともに全10巻だが内容には改変がある。出典:Wikipedia
俺だ、北条氏直だ。今日は俺たちの初代・早雲のじいさんが、相模(神奈川県)の覇権を巡って最後に激突した最強のライバル、三浦道寸とその息子・荒次郎の滅亡 記録を公開しよう。
三浦家といえば、源頼朝公の挙兵を支えた名門中の名門。その末裔である道寸父子は、知略も武勇も「カンスト」しているようなバケモノ親子だった。じいさんは彼らを倒すのに、なんと数年もの歳月を費やしたんだ。
追い詰められた三浦父子が最後に立て籠もったのが、三浦半島の先端にある「新井城」だ。この城、地形がチートすぎる。三方向が海で、 切り立った崖に荒波が打ち寄せ、獣すら登れない。唯一の陸路はわずか20間(約36メートル)の幅しかなく、巨大な堀と門で封鎖されている。兵糧庫「千駄矢倉」と呼ぶ 巨大な岩穴に1000駄(膨大な量)の米をストック。まさに「島城」。力攻めなら100万の軍勢でも落とせない。
じいさんは包囲網を敷いてじわじわと攻めた。そして三年。ついにあの巨大な岩穴の米が底をついた。食料が尽き、援軍の上杉軍も撃退された。いよいよ最期の時。
家臣たちは「舟で房総へ逃げて、再起を図りましょう!」と提案した。だが、道寸は涙を拭ってこう言ったんだ。
「いや、これは敵のせいじゃない。俺の『因果応報』なんだ。昔、俺は養父を裏切ってこの地位を奪った。その報いが今、天罰として俺に回ってきただけだ。どこへ逃げても天からは逃げられない。なら、ここで潔く散るのが武士のプライドだろ?」
そう言って道寸は、最期の酒宴を開いた。21歳の息子・荒次郎が「君が代は……」と舞を踊る。それは、この世の未練をすべて断ち切るような、美しくも悲しいラストステージだった。
宴が終わると、三浦軍は「最期の突撃」を敢行した。ここで暴れまわったのが、息子の三浦荒次郎だ。こいつのスペックがもう、人間をやめている。体格は身長が7尺5寸(約225cm)。黒ひげを蓄え、目は血走っている。腕力も85人がかりの力を持ち、武器は 1丈2尺(約3.6メートル)の樫の丸棒。八角形に削り、鉄の筋金を入れた特注品。この巨漢が門から飛び出してきた時の光景は、まさに「夜叉か羅刹」だったという。
棒を振り回せば、一撃で5人10人が肉塊と化す。兜の上から叩けば、頭が胴体に埋まる。北条兵はパニックになり、もはや軍勢ではなく、ただの獲物として狩られていった。荒次郎一人で500人以上の兵を粉砕したというから、もはやクリア不能なラスボスだ。
道寸は「討つ者も、討たれる者も、壊れてしまえば元の土塊だ」という辞世の句を残して切腹。荒次郎も自ら首を掻き切って果てた。……だが、物語はここで終わらない。
荒次郎の首が、死ななかったんだ。地面に転がったその首は、目を見開き、牙を剥き出しにして、北条軍を凄まじい眼光で睨みつけ続けた。その恐怖に、北条の兵たちは誰も近寄ることができなかった。高僧たちが呪文を唱えても効果なし。なんと三年の間、その生首は腐りもせず生き続けていたという。
最後には、小田原の総世寺の禅師がやってきて、
「うつつとも夢とも知らぬ一眠り……」
と優しい歌を詠んで聞かせた。すると、ようやく荒次郎の首はフッと目を閉じ、一瞬で白い髑髏に変わった。
さて、ここからが一番震える話だ。三浦道寸が滅亡したのは、「永正15年・7月11日・寅の刻(午前4時頃)」。
そして、俺の親父である北条氏政が切腹したのは……。
「天正18年・7月11日・寅の刻」。そう。ちょうど73年後の、「同じ月・同じ日・同じ時刻」なんだ。じいさんが三浦家を滅ぼしたその瞬間の「ツケ」が、三代後の親父の代で完璧に決済されたわけだ。
これは俺たち北条家の中でも、最大のミステリーとして語り継がれているんだ。今でも毎年7月11日になると、新井城の跡地には深い霧が立ち込め、雷鳴とともに空中を駆ける幽霊騎馬隊の合戦の音が聞こえるという。近隣の住民は恐れて近づかず、草一本刈ることもない。
俺、氏直は思うんだ。力で国を奪うことはできる。でも、その時に流した血の恨みは、数十年経っても消えずに、運命の因果として必ず回ってくる。
戦国時代ってのは、華やかな勝利の裏に、こういう「逃げられない恐怖」が常にセットになっていた。
誰かを陥れるようなプレイは避けたほうがいいぜ。73年後に、とんでもないデバフが子孫に届くかもしれないからな。
校訂 北条五代記 博文館編輯局(明治三十二年)
一 三浦介道寸父子滅亡の事
聞しは昔。相州の住人三浦介。受領陸奥守従四位下平義同。法名道寸と号す。子息荒次郎。弾正少弼義 意と云て。父子名をえたる侍あり。是は大介義 明の後胤なり。平治の合戦にをいて。三浦荒次郎義 澄は。源氏にくはゝり。軍せし事。古記に見えたり。然に伊豆の国に。伊勢新九郎平 氏茂と云武士あり。後は入道し。北条早雲と号す。此早雲 相摸小田原の城を。明応の比。のつとり上杉朝良居城。同園大庭の城をも責めおとす。永正元年九月。早雲と官領上杉 明定と。大合戦あり。三浦介道寸は。さがみ岡崎の城に有て。早雲とたゝかひしが。叶はずして。同九年八月十三日。城を開退し。同きすみよしの城にうつり。年久しく論敵たりしが。鎌倉合戦に道寸 討負。敗北す。されどる秋尾の大くづれにてきゝへたり。此道は高山くづれて海に入。片岸に道有て。一騎うちなれば。幾万騎むかうといへ共叶ひがたし。然共早雲大 軍にて。小坪。秋屋。長坂。黒石。佐原山を打越ゑみだれ入。道寸かなはず。父子一所に。雑兵二千ほどにて。三浦。新井の城にたて籠る。此城 南西北は入海。白波立て。岸をあらひ。山高く巌けんそにして。獣もかけりがたし。城の広さは二十町四方。東一方わづか。二十間ほど。陸つゞき。是に堀をほり。門一ツ立をきぬれば。百万騎むかふといふ共。力ぜめには成がたし。たゞ是島城也。道寸は至剛智謀兼備せし大将たりといへ其。かまくら合戦に。人数ことゝく討たれ。小勢なれば。叶はずして。三年籠城す。然に千駄矢倉と号し。大きなる岩穴有。是に常に米穀を。千駄つみをく。此穴の内も皆はらつて。兵粮米つきはてぬれば。すでに城中の者共。難儀にをよぶ。其比むさしの国司として上杉修理太夫朝興は。江戸の城を居住とす。新井の城中。兵粮つくる由を聞。武州勢を率し。道寸後詰と有て。さがみの国。中ごほりまで打越し陣取。早雲此よしを聞。新井の城おさへとして。二千騎残しをき。四五千の人数。新井を退て。甘縄の近辺に陣取。合戦し。討つつうたれつ。たゝかふといへ共。叶はずして。上杉人数武州へ皆引返す。新井城中の者ども。力をうしなひ。門をひらき。切て出。討死すべきか。腹を切るべきかと。せんぎしける所に。大森ゑちごの守をはじめ。佐保田河内同彦四郎。三次参河守申けるは。総州の摩呂谷と上総介殿は。荒次郎殿のしうと。親子の契縁也。岸根に。つなぎをく。おほくの舟に取乗。上総の国へ移り。下総。武州上州の勢をもよほし。上杉殿を先立申。さがみの国へ乱入て。早雲を退治し。会稽の耻をすゝぐべしとぞせんぎする。道寸是を聞。暫く有て涙をおさへ。をのゝしさるゝ所神妙也。然にそれがしは。上杉高救が男なり。時高養子と成つて。三浦へ移る。其後継母に弟(おとゝ)一人いできたり。継母の讒言により。弟を世にたてんため。われを害せんはかりごとあり。我心うくおもひ。出家し世を遁れ。小田原総世寺に有し所に。家老の者おほくしたひ来て。みかたとなる。小田原の城主大森筑前守加勢をこひ。父此城にましますを。明応三年九月廿三夜にせめおとし。中村民部をはじめ。ことゝくほろぼしたり。其因果を身にむくひ。かゝるうき目にあふ事。敵のせめにあらず。是ひとへに養父の罰をあたり天の責をかうふる也。世をも人をもうらむまじ。さあらんにをいては。縦いづくへ落ちたり共。行末も頼がたし。高きもいやしきも。死すべき所にて死なざれば。後代の耻辱たり。いにしへを伝聞(つたへきゝ)しに。東方朔が九千歳。うつゝらが八万歳。浦島が七百歳も限有命にて。終にはむなしくなるぞかし。我六十歳を。たもちぬるも。たゞ一炊の夢。生者必滅の世のならひ。歎きてかひなかるべし。今生の名残たゞ今なり。酒をくまんと。道寸盃をひかへ給ひければ。河内守君が代は。千世にや千代とうたふ。荒次郎扇を取て 君が代は。千世にや千代もよしやたゞ。うつゝのうちの。夢のたはふれ と舞給へば。彦四郎も同じく立つて。つれてまふ。実にあはれなる一曲かなで。いつの世にかは立帰り又もあひ見ん事ならねば。おもひ切るとはいひながら。今を最期の舞の袖。思ひやられてあはれなり。道寸諸侍に向つていはく。君臣の礼義。年来の忠功あさからず。然といへ共。予が運命もつきはて。三年の籠城に兵粮つきぬれば。力なし。此中にも落ちんと思ふ人あらば降人と成つて出城すべし。道寸少も恨みなし。死せんと志(こゝろざ)す人は。討死し。後代に名をとゞめよ。道寸父子は腹切るべし。生涯の対面是までなり。越後守が云。こは口惜しき仰哉。それ人の一大事といふは。一期の終をもてせり。年頃日来恩禄を請け。かゝる時にひるがへらば。豈仁の道ならん。白氏文集に。君恩雨露のごとしといへり。旧君の深恩を忘れ。此一大事を遁れ。世に生き残りて。耻をさらす者や候べき。主従ともに討死し。名を後代にとゞめんは。弓矢とる身の本懐なりと申ければ。諸卒是を聞。御返答よく申たりと。をのゝ心ざしを一ツにし。時刻うつさず門をひらき切て出る。道寸うちわを取て。諸卒をいさめ。けふを最期の合戦なれば。父討たるれ共。子助けず。主うたるれ共。従者おち合ず。刀のつかのくだけるを限。死を限りに。天地をひゞかしたゝかふ有様。修羅道もかくやらん。道寸うちわを取て下知し給ふ所に。神谷雅楽頭と名乗つて。道寸を目がけ馳参じ。馬上にてをしならべてむずとくむ。道寸は聞ゆる大力にて。物ともせず。汝やさしき心ばせや。我手にかゝり。くわうせんにて。焔魔の帳の。うつたへにせよと。鞍の前輪にをし付。ほそ首ねぢ切捨てられたり。討死おほき其中に神谷雅楽頭は心ももうなりけるが。道寸の手にかゝり。五十三を一期とし。死して名誉をとゞめたりと。ほめぬ人こそなかりけれ。荒次郎は。家につたはる重代。五尺八寸の正宗の大太刀をぬき持て。大声を立て。切てまはる有様。鬼神のごとし。爰へをつゝめ。かしこへせめよせ。はらひぎり。をひかけぎり。けさがけ。瓜切。よこ手切。から竹わりと云ものに。散々に切つてまはれば。かたきの勢は。四方八方へにげ行て。むかふ敵こそなかりけれ。敵みかたの死がいは。原上に塚をつき。血は野草をそめ。みかたもおほく討死す。生残る輩は。友々さしちがへ。腹を切つてぞ死にける。わづかに残る人々は。心しづかに腹きらんと。主従ともに城に帰り。七十五人おもひゝに腹切て。一人も生残らず同じ枕にふしにけり。荒次郎いはく。父も自害有べし。荒次郎は一人跡に残りとゞまりとふらひ合戦仕り。かたきを思ふまゝに亡ぼして。尸はせんぢやうにさらし。苔の下に埋む共。名を万天にあぐべしとを申けり。扨又道寸は常に和歌をこのましめ給ひしが。すきの道とて生害に至てうつものも討たるゝ者もかはらけよくだけて後は。もとのつちくれ とよみ切腹し給ひぬ。荒次郎は廿一歳。器量こつがら人にすぐれ。長七尺五寸。黒髭有て。血眼なり。手足の筋骨あらゝしく八十五人が力をもてり。さいごの合戦のため。おどし立たる甲冑は鉄をきたひ。あつさ二分にのべ。是を帯しあらかしの丸木を。一丈二尺につゝぎり。八角にけづり。筋がねをわたし。此棒を引さげ。一人門外へゆるぎ出たる有様。やしやらせつのごとし。おめきさけぶこゑ。大山もくづれて海に入。こんちくもおれて。忽ちに沈むがごとし。四方八方へ迯ぐる者を。をつ詰め。甲の頭上をうてばみぢんにくだけて。胴へにえ入。よこ手にうてば。一払ひに。五人十人打ひしぐ。棒にあたりて死する者。五百余人。其尸は地にみちて。足のふみ所もなし。たゞ是らせつこくの鬼王が。いかりもかくやらん。此威きほひに皆敗北して。敵もなければ。みづから首をかき落とし。死にゝたりけり。され共首は死せず。眼はさかさまにさけ。鬼髭は針をすりたるがごとく。牙をくいしばり。にらみつめたる眼のひかり。百れんの鏡(かゞみ)に血をそゝぎたるがごとく。さもおそろしさを一目見たる者。なうれつすれば。此頸又も見る人なし。是によつて。有験の貴僧高僧に仰て。さまゝの大法秘法呪せられけれ共其しるしなし。三年此首死せず。小田原久野の。総世寺の禅師来て。一首の歌を詠じ給ふ。うつゝとも。夢ともしらぬ一ねぶり。浮世のひまを。あけぼのゝ空 とよみて手向け給へば。眼ふさがり。たちまち。肉くちて。白かうべと成ぬ。此荒次郎死所のあたり。百間四方は。今にをいて。田畠にも作らず。草をもからず。牛馬其中に入て草をはめばたちまちに死す。故に獣までもそく知つて其中へ入事なし。常に青草ばうゝと生をひたり。当代の侍衆。新井の城を見物せしに。道寸父子は。名誉の武士。一礼とて。城の大手古堀の外にて下馬し。礼敬す。此合戦と申は。七月十一日なり。今も七月十一日には。毎年新井の城に。雲霧おほひて。日の光もさだかならず。丑寅の方と。未申の方より電かゞやきいでて。両方の光入乱。風猛火を吹き上。光の中に。兵馬虚空にたゝかふ有様。天地をひゞかしおそろしきとも云ばかりなし。かるがゆへに此古塚のあたりには。人家もなし。一里ばかりはなれて。村里見えたり。扨又不思儀の事有。道寸父子の討死には。永正十五年戊寅の年。七月十一日の寅の刻なり。然る所に北条氏政の切腹も。天正十八庚寅の年。七月十一日寅の刻なり。七十三年に当つて。年月日刻。たがはず果て給ひたる。因果のことわりこそ。おそろしかりけれ。父祖の善悪は。かならず子孫にをよぶといへる古人の言葉。おもひしられたり。
〜参考文献〜
北条五代記(博文館編輯局校訂) - Wikisource
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、単にWikiなどから貼り付けると元のルビが崩れて文章がグチャグチャになります。そのため原文の体裁は、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の雰囲気を感じてもらえたらと思います。
この「小説+原文併記」という形式は、たぶんなろうではあまり見ない試みだと思います。
もし面白い試みだと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければと思います。率直な感想として謹んで承ります。




