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新訳 北条五代記 〜 近所の隠居が書いたメモがガチの戦記だった件 ~ 北条の覇道、その系譜  作者: 条文小説


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8-5 戦国時代の「ボイスチャット(VC)」事情

挿絵(By みてみん)


『北条五代記(ほうじょうごだいき)』は、三浦浄心が著した、後北条氏にまつわる話題を中心とした仮名草子・軍記物語。確認されている最古の版本は寛永18年(1641年)刊。万治2年(1659年)版が流布本で残存数も多い。ともに全10巻だが内容には改変がある。出典:Wikipedia

 俺だ、北条氏直だ。戦国時代の合戦っていうのは、数万人が入り乱れる巨大なマルチプレイだ。スマホも無線機もない時代、どうやって全軍の動きを同期(シンクロ)させていたか知ってるか?


 答えは「法螺貝」と「太鼓」だ。俺たち北条家が五代にわたって勝ち続けられたのは、この「音」による情報伝達システムが他家より圧倒的に洗練されていたからなんだ。今日は、北条軍の「サウンド・マネジメント」と、絶体絶命のピンチを救った「伝説のイベント」について語ろう。


 俺たちの軍勢は、法螺貝の音一つで完璧なスケジュール管理をこなしていた。一番貝(夜八ツ/午前2時)では「起床・準備開始」の合図。各陣営の貝吹きが一斉に鳴らし、全軍が武装を整える。二番貝(夜七ツ/午前4時)で、腹が減っては戦はできぬ、全員ここでエナジー補給の朝食。三番貝(夜六ツ/午前6時)の音とともに、全軍が目標に向かって移動を開始する。「出陣・打立」の合図だ。


 さらに、俺たちの陣には「音のプロフェッショナル」がいた。相模の大山(おおやま)からスカウトしてきた山伏の薩摩(さつま)という男だ。彼が吹く巨大な法螺貝の音は、なんと50町(約5.4km)先まで届いた。まさに爆音スピーカー。この「神の声」があるからこそ、数万の兵が迷わず動けた。


 ある日の駿河(静岡)での小競り合い。味方の足軽200人が、敵の「わざとらしい後退(釣り野伏せ)」に乗ってしまい、深追いしすぎたことがあった。敵の伏兵(草)がハチの巣のように湧き出てきて、味方の退路を断とうとする。


 「あ、これ全滅(詰み)パターンだ……」


 前線の連中は目の前の敵に夢中で、背後の包囲に気づいていない。そこで本陣の俺たちは、すぐさま「のけ貝(退却の合図)」を吹き鳴らし、太鼓をドンドンと打ち鳴らした。


 すると、乱戦の真っ只中にいた兵たちが、貝の音を聞いた瞬間に「パッ」と持ち場を捨てて一斉に引き返してきたんだ。「鰐(ワニ)の口に指を突っ込んだ瞬間に引き抜いた」ような鮮やかさ。これこそが、音で制御された組織の強さだ。


 ちなみに、北条軍の標準装備(メイン武器)は「三間鑓(約5.4メートル)」だ。普通の侍は二間一尺(約4メートル強)を使うけれど、初代・早雲のじいさんの代から「集団戦なら長いほうが勝つに決まってるだろ」という結論に達した。


 5月5日の印地(石合戦)みたいな乱暴な戦い方じゃなく、長い槍の壁で「面」で制圧する。これが北条の基本タクティクスだ。


 話は変わって、三代目・氏康じいちゃんの時代の話だ。天文14年(1545年)。北条家は最大のピンチを迎えていた。河越城を数万の大軍に包囲され、兵糧は底をつき、まさに「餓死か全滅か」という絶望的な状況だ。

 じいちゃんは必死に神仏に祈った。


 すると翌年3月20日。小田原の砂浜に、とんでもなくデカい亀が這い上がってきたんだ。大人8人がかりでやっと運べるレベルの巨大亀だ。じいちゃんはこれを見て大喜びした。


「これは吉兆だ! 天下泰平のシンボル、『亀鑑(きかん)』が現れたぞ!」


 じいちゃんは亀の甲羅の上に鏡を置いて祝杯を挙げ、その亀を海へ逃がしてやった。亀は小田原の海をいつまでも泳いでいたという。……これ、どう見ても「勝利フラグ」だよな?


 亀の出現からちょうど一ヶ月後の4月20日。じいちゃんは「河越城」の包囲網に対し、歴史に残る「夜襲」を仕掛けた。


 あえて法螺貝も鳴らさず、霧に紛れて忍び寄り、一気に勝どきを上げる!数倍の兵力差を覆し、上杉憲政や足利晴氏といったビッグネームをまとめて敗走させた。

 この一戦で、北条家は関東八州の支配権をほぼ手中に収めた。


 亀が現れたのが3月20日、大勝利が4月20日。「日付まで一致している」という神がかった演出に、当時の人々は「やっぱり北条は天に選ばれてるんだな」と震え上がったのさ。


 「盛者必衰」なんて言葉があるけれど、運が尽きるときはどんなに知恵があっても負ける。でも、運が向いてきたときにそのチャンスを逃さず、完璧な「音」の指揮系統で勝利を掴み取る。それが、北条五代100年の強さの秘訣だった。




校訂 北条五代記 博文館編輯局(明治三十二年)




五 北条家の軍に貝太皷を用る事


聞しはむかし。老士(らうし)物語せられしは。北条早雲(さううん)氏茂(うぢしげ)子息(しそく)氏綱(つな)。二代の軍(いくさ)は聞及(をよ)びぬ。以後(いご)三代に至て。数度(すど)の合戦に。われあひたり。それ大将軍(しやうぐん)。戦場(せんぢやう)に出て。或(ある)ひは団扇(うちわ)を取て士卒(じそつ)をいさめ。或はざいをふつて下知(げぢ)する事。かんか本朝古今(ほんちようここん)の例(れい)たり。扨又小田原北条家(け)の軍(いくさ)に。貝(かい)太皷(こ)を専(もつぱら)と用る事。遠近(ゑんきん)共に諸卒(しよそつ)等。心指(ざし)を一同(どう)し。いさみを本意(ほんい)とするが故也。合戦算(さん)を乱(みだ)す時節(じせつ)にも。のけ貝(かい)をふき。同き太鼓(たいこ)の声(こゑ)を聞ては士卒等。善悪を捨て退(しりぞ)き。懸る声を聞ては。無二(むに)にすゝむ。ていれば。軍(いくさ)はすゝむ計がよきにもあらず。退(しりぞ)くとても。あしきに非(あら)ず。かつて負(ま)くる事あり。負(ま)けて勝(か)つ事あり。懸引(かけひき)兵略(ひやうりやく)は。大将(しやう)の心にあり。陣取(ぢんどり)の事。旗本(はたもと)を中(うち)に。諸勢(しよせい)前後左右(ぜんごさう)に陣す。一手(て)を備(そな)へる大将の陣場(ぢんば)。東西南北(とうざいなんぼく)に。兼(かね)て定(さだ)めをかるゝ故(ゆへ)。尋(たづ)ねるに隠(かく)れなし。一夜(や)の陣(ぢん)にも。堀(ほり)をほり。土手(どて)芝手(しばて)をつけ。逆茂木(さかもぎ)をゆひ。夜(よる)は篝を焼(た)き。旗本の大手に矢倉(やぐら)をあげ。貝太鼓(かいたいこ)をつるしをき。明日(あす)打立(うちた)つには。夜(よる)八ツ太鼓(だいこ)を持(も)つて。はた本(もと)に一番貝(ばんがい)を吹(ふ)く。是を聞て惣陣(そうぢん)貝吹(かいふき)おきて支度(したく)す。七ツ太鼓に二番貝(ばんがい)を吹く。惣陣貝吹食(しよく)す。六ツ太鼓に三番貝吹く。惣陣貝吹打立。すべて軍中(ぐんちう)にをいて。士卒(しそつ)等。遠近共に。あまねく下知(げぢ)にしたがふ事。貝太皷(かいたいこ)の声(こゑ)にしくはなし。相摸(さがみ)大山(おほやま)に。学善坊(がくぜんばう)と名付。山臥(ぶし)薩摩(さつま)と号(がう)す。大貝(おほかい)一ツ持たり。此山臥より別(べち)に吹者(ふくもの)なし。五十町へ聞ゆる。氏直(なを)出陣(しゆつぢん)には大山寺(せんじ)より。此山臥来り。旗本(はたもと)に有て貝吹(かいふく)。今も其子孫(しそん)貝(かい)よく吹(ふ)くといふ。然に大将たる人は。団扇(うちわ)を肘(ひし)にかけ。貝(かい)にをゝ付。よろひの妻手(つまで)の脇(わき)に。我(わが)と付給へり。合戦(かつせん)興(こう)ずる時に至ては。をし太鼓(だいこ)をうち。貝(から)をならし。軍兵(ぐんびやう)かゝるも。とゞまるも。引(ひ)くも声(こゑ)次第に有て。軍(いくさ)を乱(みだ)さず。敵(てき)味方(みかた)対陣(たいぢん)をはる時。先手(さきて)の役(やく)として。夜明(よあけ)ぬれば。さかひめへ出向(いでむか)つて陣(ぢん)す。其間へ足軽(あしがる)ども。五人十人たがひにはしり出(い)で。矢軍(やいくさ)をなす。是は下知(げぢ)を請(う)けてするにもあらず。故に大将もなし。或(ある)ひは前登(ぜんとう)を心がくる者(もの)。或(ある)ひは若手(わかて)の侍(さふらひ)。陣中(ぢんちう)を一人二人ぬきんで。集(あつま)りて合戦(かつせん)す。此時も味方(みかた)の旗本(はたもと)の。貝太皷(かいたいこ)の声(こゑ)を聞て。懸引(かけひき)兵略(ひやうりやく)をつくすを見れば。俗(ぞく)にいふ。かゆき所へ手をあてるがごとくにて。いさぎよく目(め)をおどろかす。駿河(するが)陣(ぢん)にてある日(じつ)。せりあひ軍(いくさ)に。敵(てき)も味方(みかた)も。二百程づゝ出(い)であひ。かけつ。返しつ。首(くび)を取(と)つ。とられつ。入乱(みだれ)たゝかふ。敵(てき)がたに。草(くさ)臥(ふ)したる故。わざとよはみを見せ退(しりぞ)く。みかたは草(くさ)あるをしらず。かつに乗(の)つてすゝみ。五十間程敵地(てきぢ)へ。をしこむ時。すでに草(くさ)。はちのごとくおこつて。跡(あと)を取切(とりきり)。討(う)たんとす。味方(みかた)はむかふかたきに目をかけ。是をしらず。見かたのはたもと遥(はるか)にへだつといへども。是を見て。のけ貝(かい)を吹(ふ)き。太鼓(たいこ)を撞(う)ちければ。入乱(みだれ)たるいくさなれ共。引(ひ)き声(こゑ)を聞て。先(さき)を見捨(す)てて皆(みな)引返す。誠(まこと)に鰐(わに)の口をのがれたる心ちにて。貝太皷(かいたいこ)の威徳(いとく)をかんじたり。ていれば。常(つね)の鑓(やり)は。二間一尺を用(もち)ると云伝(つた)へたり。但し是は敵(てき)一人に対(たい)して益(ゑき)あらんか。早雲(さううん)よりこのかた。五代の合戦。其数をしらず。敵(てき)も味方(みかた)。鑓を持上。五月五日印地(ゐんぢ)をするにことならず。是によつて一戦(せん)には三間鑓にしくはなしと。是を用ひ来れり。北条家(け)軍法(ぐんほう)。諸侍(しよさふらひ)へふれらるゝ趣(おもむき)の次第。様々の儀あり。其上大将たる人は。八陣(ぢん)の図(づ)をかんがみ。孤虚支干(こきよしかん)を専(もつぱら)と用ひ。兵気(へいき)を見て。軍(いくさ)を興(こう)ず。扨又大合戦(かつせん)には。常(つね)の軍法(ぐんほう)にはかはり。人数(にんじゆ)いか程有といふ共。三段(だん)にわかち。はた本(もと)は二陣(ぢん)に有て。前後(ぜんご)数(す)十町に目を付。下知(げぢ)したまふ。され共時刻(じごく)により。事に望(のぞ)んで定(さだ)まらざるが。下総(しもおさ)の国の。高野台(かうのだい)合戦(かつせん)には氏康(やす)氏政(まさ)両旗本(はたもと)。二手に分(わ)けて。両方より懸り。いづれも前陣(せんぢん)なり。ていれば此合戦は。永禄(ゑいろく)七甲子(きのへね)の年。正月八日申(さる)の刻(こく)也。是をかんがふるに。味方(みかた)に一ツとして吉事(きちじ)なし。甲子(きのへね)は。殷(いん)の紂(ちう)が亡(ほろ)びたり。是一ツ。他国(たこく)へ打越(こへ)。申の刻に至て。軍(いくさ)を興ずる事。是二ツ。がらめきの大河(が)をこえ。うしろに節所(せつしよ)有事。是三ツ。辰(たつ)の刻のたゝかひに。味方(みかた)打負(まけ)。をくれをとり。敵(てき)はいきほひをえたり。是四ツ。数度(すど)の合戦に。軍兵(ぐんびやう)貝太皷(かいたいこ)の声(こゑ)を聞て。いさみすゝみたり。其声なし。是五ツ。皆(みな)もてわざはひをまねくに似(に)たるか。然(しか)といへ共其節(せつ)につかはす所の。物見の武者(むしや)帰(かへ)り来ていはく。義弘(よしひろ)かつて。甲冑(かつちう)をぬくと云々。氏康(やす)此よしを聞。油断(ゆだん)強敵(がうてき)とすと云古老(こらう)のいさめを。肝心(かんしん)と取(と)りさだめ。霞(かすみ)たつを幸(さいはひ)とし。貝太皷(かいたいこ)をもならさず。敵陣(てきぢん)間近(まぢか)くをしよせ。鬨声(ときのこゑ)をあげ。無二(むに)に責(せ)めかゝり。勝利(しようり)をえられたり。然るときんば。武略(ぶりやく)智謀(ちぼう)は常(つね)になし。すこぶる敵(てき)によて。転化(てんくは)すと。知(し)られたりと申されし。


六 大亀陸へあがる事


聞しはむかし。関東(くわんとう)官領(くわんれい)上杉憲政(のりまさ)と。北条平(たひら)の氏康(やす)と。弓矢(ゆみや)を取てやむ事なし。然に公方(くばう)春氏(はるうぢ)公。上杉と一味(み)し。天文十四年の春(はる)。武州(ぶしう)河越(かはこへ)。氏康(やす)城(しろ)を。大軍(ぐん)をもて取まき責(せ)める。関東(くわんとう)諸侍(しよさふらひ)も。ことゝく一味(み)す。氏康(うぢやす)無勢(ぶぜい)の故(ゆへ)。合戦(かつせん)かなはずして。両年通路(つうろ)をとめられ。城中(じやうちう)三千余人。籠置(とめを)く者共。兵粮(ひやうらう)つき。既(すで)に餓死(がし)に望(のぞ)むに付て。氏康(やす)城中の者。身命(しんみやう)ばかりを。たすけらるゝにをいては。城(しろ)をあけ渡(はた)すべきむね。和平(わへい)をつくすといへ共。皆(みな)打果(うちはた)すべき。いきどをりに依(よ)つて。難義(なんぎ)にをよぶ。氏康(やす)此上は。一合戦(かつせん)し。運(うん)を天にまかせ。宿意(しゆくい)を達(たつ)せんと。おもひ定(さだ)めらるゝによつて。伊豆(いづ)。箱根(はこね)。両所権現(ごんげん)。三島(しま)大明神(みやうじん)へ御祈祷(ごきたう)の義あり。鎌倉(かまくら)八幡宮(まんぐう)にをいて。如意輪(よいりん)の秘法(ひほう)を修(しゆ)せられ。別(べつ)して当所(たうしよ)。松原(せうげん)大明神。宮寺(ぐうじ)にて。護摩(ごま)を修し。善行(ぜんぎやう)をつくし給ひぬ。然る所におなじき年。三月廿日の日中(につちう)。大亀(がめ)一ツ。小田原浦。真砂地(まさごち)へはひあがる。町人是をあやしみ。とらへ持来て。松原大明神の。池(いけ)の辺(ほとり)にをく。八人が力(ちから)にてもちわづらふ程也。氏康(やす)聞召。大亀陸地(りくち)へあがる事。目出度(めでた)き端相(ずいさう)なりとて。即刻(そくこく)宮寺へ出御(しゆつぎよ)有て。亀(かめ)を見給ひ仰(おほ)せにいはく。天下泰平(たいへい)なるべき前表(ぜんぺう)には。鳥獣甲(てうじうかう)出現(しゆつげん)する。往古(わうご)の吉例(きちれい)おほし。是ひとへに当家(たうけ)平安(へいあん)の奇瑞(きずい)。かねて神明(しんめい)の示(しめ)す所の幸(さいはひ)なりと。御鏡を取よせ。亀(かめ)の甲(かう)の上に。是をおかしめ給ひ。それ亀鏡(きけい)と云事は。さしあらはして。隠(かく)れなき目出度(いはれ)ありと。御感悦(かんゑつ)なゝめならず。竹葉(ちくえ)う宴酔(えんすい)をすゝめ。一家一門(もん)ことゝく。参集列候(さんしうれつかう)し。盃酒(はいしゆ)数順(すじゆん)に及ぶ。万歳(ばんぜい)の祝詞(しうし)をのべ給ひてのち。件(くだん)の亀(かめ)を。大海(かい)へはなつべしと有しかば。海へぞはなちける。此亀(かめ)小田原の浦をはなれず。うかびて見ゆる。廿二日は。松原(せうげん)大明神(みやうじん)。御前(まへ)の庭にをいて。四座(ざ)の太夫。御ほうらくの能(のふ)七番あり。おさめには。四座(ざ)の太夫。四人出て。泰平楽(たいへいらく)をぞ舞納(まひおさ)めける。爰に人有ていはく。是に目出度(めでた)きいはれあり。伶人(れいじん)舞童(ぶどう)と云は。児(ちご)四人してまふ也。是を泰平楽(たいへいらく)といふ。むかし漢(かん)の国に王(わう)まします。名(な)をば高祖(かうそ)と申奉る。ならびに楚(そ)といふ国あり。王の御名を。項羽(かうう)と申。ある時高祖(かうそ)の。項羽(かうう)の内裏(だいり)へ行幸(ぎやうがう)ありしに。彼(か)の泰平楽(たいへいらく)をまひ給ふ。舞台(ぶたい)をこしらへ。人をのけ。門(もん)をとりて。項羽と高祖と。又項羽の臣に。項荘(かうしやう)といふ者を。めしぐせられたり。かれと已上三人。三尺の釼(けん)をぬき持(も)つて。悪魔(あくま)がうふくの。へんばいと号(がう)して。楽(がく)をはやさせて舞(まひ)給ふ。是しかしながら。項羽(かうう)の高祖(かうそ)を討(う)つべきとの。はかりごとなり。門をば閉(と)ぢて。人を通(とを)さず。門外(もんぐわい)に高祖の兵(つはもの)。樊会(はんくわい)と云者。御楽(がく)をちやうもんしけるが。急(きう)の楽に成て死(し)の位(くらゐ)のがくあり。樊会(うんくわい)扨は今わが。帝王(ていわう)の御命。あやしとて。鉄(くろがね)の門をおし破(やぶ)つて。内へ参り。我も祖王(そわう)の方人(かたふど)の楽(らく)とて。大動練(どうれん)といふ釼(けん)を。ぬき持て舞(まひ)ければ。項羽のはかりごとも。叶(かな)はず。其時より。泰平楽(たいへいらく)は。四人になりたり。今の世に。舞給ふも是なり。災難をはらふべくは。泰平楽(たいへいらく)にしくはなし。四人にて舞は。四方のゑびすを切(き)る心なり。又外聞(ぐわんぶん)といふ言葉。此時よりおこれり。外に聞(き)くといふは。我よりすぐれたる。樊会(はんくわい)といふしれもの。門外に有に。何とて勝負(しようぶ)を決(けつ)せん。さしもなき事を仕出(しいだ)し。後人(こうじん)のあざけりとなれり。深淵(しんえん)に望(のぞ)んで。薄氷(はくひよう)をふむといふ事是なり。文選(もんせん)の表巻(へうくわん)に。具(つぶ)さに見えたりと云々。同廿五日氏康(やす)。軍(ぐん)兵を率(そつ)し。武(ぶ)州へ出馬(しゆつば)。河越(かはごゑ)の地へをしよせ。天文十五年四月廿日。午(むま)の刻に至て。合戦し。氏康討勝(うちか)ちて。公方(くばう)春氏公(はるうぢこう)。上杉(すぎ)憲政(のりまさ)を追討(ついたう)し。猛威(まうひ)を遠近(ゑんきん)にふるひしかば。関東諸侍(しよさふらひ)。此いきほひにをそれ。ことゝくはせ来て。幕下(ばつか)付ぬれば。此一合戦に。関八州をおさめられたり。猶(なを)ふしぎあり。此亀(かめ)くがへあがりしは。三月廿日の日中(につちう)なり。此合戦も同四月廿日。午の刻なり。日刻(ひこく)違(たが)はず。奇端(きずい)のしるしあらはれたると。皆人是を感(かん)ぜりと語れば。老人(らうじん)聞て。むかし漢土(かんど)に。照旦鏡(せうたんけい)といふ鏡あり。此鏡は裏(うら)より。表(おもて)へ見えとをる。其外人の吉凶(きつけう)。罪科(ざいくわ)の軽重(けうぢう)を。見鏡するなり。たてたこ一尺あり。ますかゞみと是をいふ。十寸(すん)のかゞみなり。件(くだん)の鏡を。亀(かめ)負(を)ひて陸(くが)へ上(あ)がる。其程に鏡のうら毎(ごと)に。かめを鋳付(いづ)るは。此いはれなり。故に亀鑑(きかん)と書(か)きて。かめのかゞみとよめり。此儀にをもひ当(あた)つて。氏康(やす)鏡を。甲(かう)の上にをきて。賀(が)し給ひぬ。扨又いくさに付て。右にたがはぬいはれあり。むかし源平(げんぺい)戦て。平家討負(へいけうちまけ)。長門(ながと)の国へ落行(おちゆき)。文治(ぶんぢ)元年に至て。赤間関(あかまがせき)の海上(かいじやう)に。軍船(ぐんせん)をうかめ戦有て。数月(すげつ)を送(をく)る砌(みぎり)。大亀(がめ)一ツ陸(くが)へ上る。海人(あま)是をとらへて。源氏(げんじ)の大将軍(しやうぐん)。参河守(みかはのかみ)範頼(のりより)へ奉る。参河守御覧(らん)じて。是は吉事(きちじ)也と制禁(せいきん)を加(くは)へ。ことに札(ふだ)を付て。蒼海(そうかい)にはなさるゝ。然に赤間関(あかまがせき)の海上に。源平(げんぺい)たがひに。兵船(ひやうせん)をうかべ。勝負(しようぶ)を決(けつ)すべき。日刻をうかゞふ所に。同年の三月廿三日。件の大亀。源氏の船の前へうかぶ。ふたをもつて是をしる。源氏の大将是を見給ひ。今日雌雄(しゆう)を決すべき。亀のつげよとて。いさみすゝんで合戦す。源氏討勝(うちか)ちて。平氏(へいぢ)をことゝくほろぼし。安徳天皇(あんとくてんわう)も。海底(かいてい)に没(ぼつ)したまふ。それよりこのかた。天下太平。海内(かいない)しづかに。民(たみ)ゆたかなり。亀(かめ)は万歳(ばんぜい)の生類(しようるい)。是によて。千秋(せんしう)の鶴(つる)の声(こゑ)は。五岳(がく)の嶺(みね)にひゞけば。万歳の亀。海中(かいちう)より涌出(ゆじゆつ)して。蓬萊(ほうらい)爰に現(げん)ずといひて。目出(めで)たかりける事共なり。

〜参考文献〜

北条五代記(博文館編輯局校訂) - Wikisource

https://share.google/FGo71GTKh9plFa7d0


〜舞台背景〜

 この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、単にWikiなどから貼り付けると元のルビが崩れて文章がグチャグチャになります。そのため原文の体裁は、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。

 せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の雰囲気を感じてもらえたらと思います。

 この「小説+原文併記」という形式は、たぶんなろうではあまり見ない試みだと思います。

 もし面白い試みだと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。

 逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければと思います。率直な感想として謹んで承ります。

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