8-4 【領海侵犯】江戸湾は「超至近距離」のバトルフィールド
『北条五代記』は、三浦浄心が著した、後北条氏にまつわる話題を中心とした仮名草子・軍記物語。確認されている最古の版本は寛永18年(1641年)刊。万治2年(1659年)版が流布本で残存数も多い。ともに全10巻だが内容には改変がある。出典:Wikipedia
俺だ、北条氏直だ。今日は、俺たちの氏政と安房の里見義高がバチバチにやり合っていた頃の、「情報通信」の話をしよう。
相模・武蔵・下総は北条。安房・上総は里見。この五カ国に囲まれた入り海(江戸湾)は、実はめちゃくちゃ狭いところがあるんだ。
特に、三浦の「走水」と上総の「富津」の間なんて、わずか一里(約4km)。潮の流れが矢のように速くて、船を出せばあっという間に向こう岸に着いてしまう。
里見の海賊たちは、夜中に一、二艘でこっそり来て村を荒らしたり、大軍で押し寄せて浦々を焼き払ったりと、とにかく「神出鬼没」だった。
「敵が来た!」と三浦の三崎に知らせが届いてから船を出しても、相手はもう仕事を終えて帰海している……なんてことがザラだった。
そこで開発されたのが、山々の嶺をつなぐ戦国時代の光回線「狼煙」だ。
各拠点の山に薪を積み、貝鐘を吊るして、24時間体制で監視員を配置した。夜は暗闇に光を灯す篝火。昼は煙を高く上げる狼煙。
特に昼間の「狼煙」には、ちょっとしたテクニックがある。「狼のフン」を火に混ぜるんだ。これを入れると、煙が風に流されず、空へまっすぐ高く上がる。中国の古い言葉で「狼煙」と書くのは、文字通り狼のフンを使っていたからなんだ。
このシステムがあれば、一ヶ月かかる道のりも、わずか一日で情報が届く。三浦の端っこで火が上がれば、瞬時に連鎖して三崎の軍港へ。「即レス」で艦隊を出撃させられるようになったわけだ。
この「火で情報を伝える」というやり方は、なにも俺たちの発明じゃない。大昔、奈良時代の天皇も、東からの敵に備えて「春日野」に通信用の火を置いた。そこから、春日野は「とぶ火野」と呼ばれるようになった。
「春日野の。とぶひの野守出て見よ。いまいくかありて。若菜つみてん」
(古今集の一首。通信兵さん、ちょっと出てきてよ、もうすぐ春だよ、なんて風流だろ?)
平和な歌だけど、その背景には「いつ敵が来てもいいように」というガチガチの防衛システムがあったんだな。
実は、この「火」の通信は陸上だけじゃない。海上の「Wi-Fi」として「船の上」でも使われている。俺自身、以前こんな経験をしたことがある。
三浦から伊豆へ渡る、約18里(70km強)の航海。順風満帆で100艘ほどの船団で進んでいたんだが、夜になって急に嵐になった。真っ暗闇で荒波。左右もわからず、「これ、遭難か?」と絶望しかけたその時だ。先頭の船が、パッと火を掲げた。それを見た他の船も、次々に苫に火をつけて掲げる。暗黒の海に、百の火が浮かび上がる幻想的な光景。
俺たちはその「飛火」を目印にして、一列になって進み、夜明け前には無事に伊豆の港へ滑り込んだんだ。「火」は武器である以上に、俺たちの命をつなぐ「絆」でもあった。
最後に、三浦の「走水」に伝わるちょっといい話を。昔々の景行天皇の時代。天皇が船で移動中に逆風に遭い、走水の小さな入江(家が4〜5軒しかない漁村)に漂着したことがあった。
そこに住んでいた名もなき漁師が、天皇に「蛤の鱠」を献上したんだ。これがもう、天皇が感動するほどの絶品だったらしい。
天皇は喜び、「お前、ただ者じゃないな。今日から俺のそばで働け!」とスカウト。その時、彼に与えられた名前が、あの有名な歌人、「大伴黒主」だったという伝説だ。
古今集では「黒主の歌は、薪を背負った山人が花の下で休んでいるような、素朴な感じだ」なんて評価されているけれど、それは彼がこの「走水」という素朴な漁村のルーツを持っていたからなのかもしれない。
山から山へ、波から波へ。狼煙や飛火という「光」で、俺たちは広大な関東を一つのネットワークとして統治していた。
「あいつらは今、何をしているか?」
「敵はどこまで来ているか?」
それを一秒でも早く知ることが、生死を分ける。
俺たちの先祖が築き上げたこの「通信網」があったからこそ、北条五代100年の夢は守り抜かれたんだ。
校訂 北条五代記 博文館編輯局(明治三十二年)
四 東国山嶺に狼煙を立る事付大伴黒主が事
見しは昔。北条氏政と。里見義高たゝかひ有。相摸。武蔵。下総は。氏政の領国。安房。上総は。義高の持国なり。此五ケ国の内に。東西へ長き入海有て。敵味方の。船の渡海近し。三浦走水崎と。上総の富津の洲崎の間。わづか一里有。塩の満干はやき事。矢を射るがごとし。去程にのぼり下りの舟共。御所に来て。塩ざかひを待ちて。舟をのる。たがひに軍船おほく有て。船いくさやむ事なし。氏政の兵船は。三浦三崎に。ことゝく舟をかけをく。義高の海賊。或時は一艘二艘にて。夜中に渡海し。浜辺の在所を。さはがし。或時は。数船をもよほし。俄に来て。浦里をやく。此よし三崎へつけ来る。舟を出すといへ共。わたり近ければ。やがて帰海す。是によて。山々に。薪をつみをき。貝鐘をつるし人守るり居て。敵の舟来るを見付。火をたて貝鐘をならせば。山に火を立つゞけ。即時に三崎へ聞へ。舟を乗いだす。是を夜は。かゞりと名付。昼はのろしといふ。此三国にかぎらず。関東諸国にもあり。兼日燧所をさだめをき。万の約束にも。相図に立る事あり。狼の毛糞を求めをき。是を日中には。少し火中に入るとき。煙空へ高くあがる。褒姒が狐狼野干と。なりたる子細による狼煙と書きて。のろしとよむなれば。狼の子細有べき事也。扨又烽火と書きて。かゞりとも。とぶ火ともよめり。むかし大国に此義あり。朝敵をほろぼさんと。軍兵を召す時は。かならず烽火を上ぐる。大なる明松に火を付。高き嶺に。さゝげともせば。烽火司の人是を見て。四方嵩々嶺々に。ともしつゞけ。一月に行着道も。一日の内に聞へ。軍兵はせ来る。是をすいていの烽火といへり。又我朝にも。異国の例を。用ひ給ひけるにや。奈良の御門の御時。東よりいくさおこらんとせしかば。春日野に。とぶ火を立はじめて。其火を守る人を。をかれたり。是によつて。春日野を。とぶ火野と名付。古今集に 春日野の。とぶひの野守出て見よ。いまいくかありて。若菜つみてん と詠ぜり。老人聞て舟の上にもとぶ火あり。須摩と淡路の間を。かよふ小ふね飛火を立る。それを見て。たがひにとも舟かよはす。是をしるしの煙といふ。われ聞て。今も此義あり。先年予乗たる舟。三浦崎より。伊豆の国へ渡海す。此渡十八里有て。大事のわたり也。順風に帆をあげ。友舟おほかりしに。海中にて。風吹きすさび。又吹き出るといへ共。既に夜に入。波風あらく。行先を見うしなひ。かなしむ所に。先舟一艘。飛火を立る。我乗たる舟も。夜舟の作法と。苫を続松とし。急ぎ火を立る。百艘斗の類船。ちりゝに成つて。前後左右に火を立る。され共先船の火をしるしに。海路を一筋に。夜中に伊豆の国の湊にはせ着たり。とぶ火の事。軍法にかぎらず。舟の上にもありとしられたり。扨又前に注せる。三浦崎。走水に付て。おもひ出せり。彼の在所は山あひに。入江ありて。海士の栖わづかに家四ツ五ツあり。釣をわざとして。身命を送る。されば古今の注に。大伴黒主が歌は。そのさまいやし。いはゞ薪おへる山人の。花のかげに。やすめるがごとし。此人志賀にすみし時は。志賀の黒主といふ。此人の先祖あきらかならず。或物語には。景行天皇。阿波の国へ行幸有し時。逆風にあひ給ひて。三浦のはしり水と云所に着給ふ。海士のかすかなる庵に入奉りしに。蛤の鱠を供御に奉る。有難きあぢはひなり。御門叡感にたへさせ給ひて。彼主を玉体近く召して其時姓を大伴の黒主と給ふ。都へ御供申て上りけるとなん。
〜参考文献〜
北条五代記(博文館編輯局校訂) - Wikisource
https://share.google/FGo71GTKh9plFa7d0
〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、単にWikiなどから貼り付けると元のルビが崩れて文章がグチャグチャになります。そのため原文の体裁は、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の雰囲気を感じてもらえたらと思います。
この「小説+原文併記」という形式は、たぶんなろうではあまり見ない試みだと思います。
もし面白い試みだと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければと思います。率直な感想として謹んで承ります。




