8-1 「物見」は戦場の一番人気にして最難関のジョブ
『北条五代記』は、三浦浄心が著した、後北条氏にまつわる話題を中心とした仮名草子・軍記物語。確認されている最古の版本は寛永18年(1641年)刊。万治2年(1659年)版が流布本で残存数も多い。ともに全10巻だが内容には改変がある。出典:Wikipedia
俺だ、北条氏直だ。戦国時代において、最も「腕の差」が出る役割は何か。
それは先陣を切る勇気でも、大将の知略でもない。「物見(偵察)」だ。ある老兵が語っていたよ。「物見に選ばれる奴は、単に度胸があるだけじゃダメだ。馬術を極め、地形を熟知し、何より『現場の空気』を読める功者でなきゃ務まらない」と。
大将が陣を張る前、あるいは対陣している時、俺たちの周囲には常に「草」……いわゆる忍びの連中が潜んでいる。夜に紛れて敵情を探り、明け方に帰る彼らだが、時々昼間まで居残って獲物を待っていることがある。
もし物見が油断して彼らの罠に飛び込めば、即座に退路を断たれてゲームオーバーだ。今日は、天正13年(1585年)の秋。下野国(栃木県)で佐竹義宣と対峙した際に起きた、伝説の「逃走劇」の話をしよう。
俺は本陣から五騎の物見を送り出した。その中に、山上三右衛門尉と波賀彦十郎がいた。
この二人は「地形マニア」と言えるほど土地勘があった。だからこそ、ついつい深入りしてしまったんだ。
「よし、あの高台まで行けば敵の旗印が全部見えるぞ」
彼らが境界線を一町(約100メートル)ほど超えて丘に登った瞬間。
「ガサガサッ!」
潜んでいた敵の「草」たちが、ハチの巣をつついたように一斉に飛び出してきた。退路は完全に遮断。二人は網にかかった魚のように、敵陣のど真ん中に取り残されてしまった。
まずは山上三右衛門だ。後ろを塞がれた彼は、なんと逆方向に、つまり敵軍がいる北側へと馬を走らせた。「逃げる」のではなく、あえて「突っ込む」ことで敵の裏をかいた。
野原を爆走する山上。そこへ運悪く出くわした敵の偵察を、彼はすれ違いざまに馬から飛び降りて斬り伏せる。
「ただでは帰らん! これが俺の『見た』証拠だ!」
彼は敵の首を一つ引っ掴むと、再び馬に飛び乗り、そのまま巨大な山を駆け上がった。敵の追っ手を馬術で振り切り、嶺を越え、谷を抜け……最後には俺たちの陣地へと悠々と帰還した。首級という「最高のお土産」をぶら下げて。
一方、波賀彦十郎はもっとヤバい状況だった。逃げ場を失った彼は、なんと敵の本陣近くまで馬を乗り入れた。だが、これは自暴自棄じゃない。彼は知っていた。敵陣の先に、堤防づたいの隠れた「順路」があることを。
「かかれーっ! あの物見を逃すな!」
敵陣から無数の騎馬武者が飛び出し、波賀を包囲する。ある者は横から並走して切りかかり、ある者は正面から組み付こうとする。だが、波賀は鞭を入れ、鐙を踏ん張り、一気に馬を数メートルもジャンプさせた。組み付こうとする手をすり抜け、声をかけて馬を加速させる。その神がかった馬術に、敵軍さえも一瞬見惚れたという。最後には巨大な河に馬ごと飛び込み、荒波を泳ぎきって対岸の俺たちの元へ。まさに「前代未聞の剛者」だ。
報告を聞いた俺は、感銘を受けずにはいられなかった。すぐに二人を俺の前に呼び寄せ、こう宣言した。
「山上三右衛門。敵に囲まれながら、冷静に首を獲って山を越えてきたその勇気、軍中の誉れだ! 比類なき高名(MVP)である!」
「波賀彦十郎。敵陣を通り抜け、あえて困難な道を選んで生還したその知略と馬術。まさに摩利支天の化身か。前代未聞の猛者である!」
そして俺は、自慢の二頭の名馬を引き出させた。信州高井郡から出た漆黒の名馬、高井黒。上州多胡郡から出た美しく力強い馬、多胡河原毛。俺は二人にこれらの馬を同時にプレゼントした。
誇らしげに二頭の名馬と並ぶ山上と波賀。その姿を見て、他の侍たちも「よし、俺ももっと馬術を磨かなきゃ!」と、北条軍全体のモチベーションが爆上がりしたんだ。
物見の武者というのは、大将の「目」そのものだ。彼らが有能でなければ、軍は盲目となり、死地へ踏み込むことになる。命を預ける馬を鍛え、地形を愛し、絶体絶命の瞬間でも「どうすれば帰れるか」を考える。
山上と波賀。この二人のプロフェッショナルがいたからこそ、俺たちは戦い続けられた。首を獲ることだけが手柄じゃない。生きて、正確な情報を持ち帰り、そして仲間を鼓舞する。それこそが北条の誇る「機動力」の秘密だった。
校訂 北条五代記 博文館編輯局(明治三十二年)
一 物見の武者はまれ有事
聞しは昔。或老士物語せられしは。われ小田原北条家に有て。数度の軍にあひたり。然ば敵味方対陣の時に至て。物見にさゝるゝ人は先まづもつて。馬に鍜練し。其所の案内をしり。功者を専とす。物見の武者。さかひ目へ乗出し。其日の気色を見合せ。さかひをこへ。高き所へ乗上。敵の軍旗をはかり。急ぎ帰陣す。されば大将軍出馬し。対陣をはる時は。敵もみかたも。前手の役として。夜に入ば。足軽共。さかひ目へ行。草に臥して。敵をうかゞひ。あかつきには帰る。是を草共忍共名付けたり。夜の草昼まで残る事有。是を知らず。物見の武者。さかひ目を過ぐる時。かの草おこつて。帰路を取切うたんとす。其節に至ては。馬達者を力とし。野のへも山へも乗上。はせ過る事。兼て案の内になくては叶ひがたし。陣取の事たとひ敵遠く。水づかひよく共。太山の麓。くぼみの地。大河のはた。森の陰うしろの。節所をきらひ。魚鱗鶴翼に陣をはる。かやうの義は。武者奉行下知すといへ共。猶も物見の了簡による事也。一夜の陣にも壁塁をもつぱらとす。是すなはち勝つべきは。たゝかひ。勝じきには。たゝかはざるのてだてなり。天正十三年の秋。佐竹義宣と。北条氏直。下野の国にをいて。対陣をはり。東西に旗をなびかす。氏直はたもとより。物見を五騎さしつかはさる。さかひ目へ乗り出し。敵の軍旗をはかる所に。其内に山上三右衛門尉。波賀彦十郎二騎は。其所の案内をよく存ずる故にや。さかひを一町ほど乗過し。高き所へ乗り上る。敵の草是を見。はちのごとくおこつて。二騎の武者を取まきぬれば。網にかゝる魚のごとし。三右衛門尉跡をば取切られ。敵地たりといへ共。北方をさしむちうて。稀有に其場をのがれ。野原をはせすぐる所に。草苅共にげゆくを。追ひたをし。飛んでおり。首一ツ取。敵あまたをひかくるといへ共。馬達者なる故。大山へ乗り上り。嶺を下りみかたの地にはせ付たり。彦十郎は敵にかごまれ。落ちべきかたなく。敵陣まぢかく乗り入。堤づたひに。道有を兼てしり。それより南をはるかに。駒にむちうち。落行を。陣中より騎馬おほく乗り出し。前後左右を取切。或ひは乗りかけ討たんとすれば。むちに鐙をもみそへ。二間三間馬をとばせ。或はよつてくまんとすれば。馬に声をかけてはせすぎ。数度あやうく見えしが。終にうたれずして。大河へ乗り入馬をおよがせ。こなたの岸に付ぬ。氏直両人のはたらきの次第をきこしめし。御感なゝめならず。諸侍かんたんせずと云事なし。やがて両人を御前にめされ。仰せ出さるゝをもむき。山上三右衛門尉。敵あまたにかごまれ。戦場をはせ過ぐるのみならず。敵一人討捕。太山をこへ。帰陣する事。心剛にして馬も達者たる故。軍中のほまれ。比類なき高名なり。扨又波賀彦十郎。敵に取こめられ。よん所なきが故。敵陣へ馬を乗り入。堤づたひの順路を知て。南をさしてはせ過ぎ。其上又陣中より。あまたの騎馬に出あひ。数度難義にをよぶ処に。樊会をふるひ。かれらにも討れず。大河へ乗入。敵みかたの目をおどろかし。こなたの峯に。馳せ付事。前代未聞の剛者也。ていれば首を取たる三右衛門が武勇。いづれをとり。まさり有べからず。此度のけんしやうと有て。高ゐ黒といふ名馬。是は信州高井郡より出たり。扨又多胡河原毛と号す。是は上州多胡郡より出たり。此二疋の名馬に。鞍をかせ引立。御前にをいて。当時の御ほうびと有て。両人相並で。一度に是を拝領す。諸侍是を感じ。前登にのぞむ者。馬鍛練なくして叶ふべからずと。いよゝ弓馬のみちを。たしなみ給へり。
〜参考文献〜
北条五代記(博文館編輯局校訂) - Wikisource
https://share.google/FGo71GTKh9plFa7d0
〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、単にWikiなどから貼り付けると元のルビが崩れて文章がグチャグチャになります。そのため原文の体裁は、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の雰囲気を感じてもらえたらと思います。
この「小説+原文併記」という形式は、たぶんなろうではあまり見ない試みだと思います。
もし面白い試みだと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければと思います。率直な感想として謹んで承ります。




