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新訳 北条五代記 〜 近所の隠居が書いたメモがガチの戦記だった件 ~ 北条の覇道、その系譜  作者: 条文小説


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7-3 越後「御館の乱」〜 黄金に目が眩んだ勝頼と、弟・景虎の悲劇 〜

挿絵(By みてみん)


北条五代記ほうじょうごだいき』は、三浦浄心が著した、後北条氏にまつわる話題を中心とした仮名草子・軍記物語。確認されている最古の版本は寛永18年(1641年)刊。万治2年(1659年)版が流布本で残存数も多い。ともに全10巻だが内容には改変がある。出典:Wikipedia

 俺だ、北条氏政だ。今日は、俺の人生の中でも一、二を争うほど胸が痛む、ある「裏切り」の記録ログを紐解こう。


 主役は、俺の弟である三郎(上杉景虎)だ。かつて俺のじいさん(氏康)と越後の上杉輝虎(謙信)殿が和睦した際、実子のいなかった輝虎殿が「三郎くんを養子にほしい」と熱望した。当時17歳だった三郎は、北条と上杉の平和の架け橋として越後へ渡った。


 輝虎殿は三郎をめちゃくちゃ可愛がってくれた。自分の名前から一字取って「景虎」と名乗らせ、さらには甥の長尾景勝の妹を嫁にまで。


 誰もが「北条と上杉の最強タッグ、完成じゃね?」と思った。……あの日、輝虎殿が急死するまでは。


 天正6年(1578年)3月13日。「越後の龍」輝虎殿が、春日山城で突如としてこの世を去った。遺言がハッキリしていなかったのか、それとも最初から仕組まれていたのか。


 同じ春日山城に住んでいた上杉景勝の動きは異常に速かった。輝虎殿が亡くなったその日のうちに、景勝は本丸を占拠。武器庫と金蔵ゴールドをガッチリ押さえたんだ。


 二の丸にいた俺の弟・景虎は、まさか身内(義理の兄)がこんな強硬手段に出るとは夢にも思っていなかった。

 

「おい、これクーデターだぞ!」


 不意を突かれた景虎は、春日山を脱出。近くにある「御館おたて」という館へ逃げ込み、北条派の重臣・北条丹後守らと合流して抗戦の準備を整えた。これが、越後を二分する泥沼の「御館の乱」の始まりだ。


 ここで、キープレイヤーが登場する。俺の妹婿でもある、甲斐の武田勝頼だ。景虎にとって、勝頼は義理の兄。当然、「助けてくれ!」とヘルプを出す。勝頼も最初は「任せろ」とばかりに出陣してきた。


 ところが、景勝の方が一枚上手だった。景勝は、輝虎殿が京都遠征のために貯め込んでいた黄金の詰まった箱を引っ張り出してきた。勝頼の側近の長坂長閑や跡部道印をそれぞれ1,000両(約1.5億円)で買収し、武田勝頼本人は5,000両+領土の譲渡で買収完了した。


 「三郎(景虎)を見捨てて俺と組めば、この金を全部やるぞ」


 欲深い勝頼の側近たちは、目の前の黄金ゴールドに目が眩んで「三郎殿を殺して景勝と組むのが最適解です!」と勝頼をそそのかした。信じられるか? 金で「義」も「親戚」も売り払ったんだぞ。

 

 勝頼は景虎を救うどころか、景勝と手を組んで景虎を追い詰めた。これが武田家滅亡へのカウントダウンになったとも知らずにな。この大混乱の報は、当然小田原の俺の元にも届いていた。


 「三郎が危ない! すぐに軍を出せ!」


 俺は直ちに出陣し、武州・河越まで進出した。先陣は上州の沼田まで到達していた。だが、関東から越後は遠い。おまけに当時は雪深い季節。


 ……遅すぎたんだ。


 俺がたどり着く前に、勝頼の裏切りによって退路を断たれた三郎景虎は、ついに力尽きて自害。俺は、最愛の弟を救えなかった。その悔しさと無念さは、言葉では言い表せない。


 この事件について、あるベテランがこんな冷酷な考察(メタ読み)をしていた。


「あれは全部、輝虎(謙信)の計算通りだったんだよ。

 彼は自分が死んだ後、北条が越後に手を出さないように、あえて三郎を養子に取って『人質』として10年間キープした。本命の景勝が育つまでの時間稼ぎさ。北条を油断させるための、壮大な罠だったのさ」


 ……もしそれが本当なら、輝虎殿はあまりにも「魔王」すぎる。


 だが別の老兵はこう言った。


「いや、それは考えすぎだ。ただ人間が、欲に負けただけだよ。景勝は国が欲しかった。勝頼は金が欲しかった。その『三毒(貪・瞋・痴)』のせいで、本来守るべき仁義も家族も壊れてしまった。ただそれだけのことさ」


 景勝は越後を手に入れた。勝頼は黄金を手に入れた。

 だが、その結果はどうだ?北条と武田の同盟は完全に崩壊し、四面楚歌となった武田家はわずか数年後に滅亡した。上杉家も、この内乱でボロボロになり、かつての「最強」の威光を失っていった。


 「悪事で得た種は、悪事として芽吹く」。神様は正直だ。不当なやり方で手に入れた利益は、必ず自分に返ってくる。……三郎、すまなかった。お前の命を救えなかった俺の不甲斐なさと、人間の「欲」の深さを、俺は一生忘れない。


 戦国時代。それは華々しい武勇伝の裏で、こんなにも切ない「家族の裏切り」が繰り返されていた時代でもあった。


 「御館の乱」は、北条家にとっても最大のターニングポイントだった。これをきっかけに俺たちは武田と決別し、激動の後半戦へ突入することになる。


 「多数決」や「仁義」を重んじた俺たちと、「黄金と私欲」で動いた連中。最後に誰が笑うかはともかく、誰が「美しく生きたか」は、この歴史の記録ログを読んでいる者なら分かってくれるはずだ。




校訂 北条五代記 博文館編輯局(明治三十二年)


三 上杉三郎景虎滅亡の事


聞しは昔。越後ゑちご上杉藤原輝虎ふぢはらてるとら入道鎌信けんしんと。相摸さがみ北条平氏康たいらのうぢやすと戦。つゐ和睦くわぼくの儀なし。然に輝虎てるとらいかなるおもはくにや。氏康やす一味の心ざし有によて。氏康の七男なん三郎殿を養子やうし所望しよもうせり。輝虎実子じつしなきがゆへなり。是によて三郎殿十七歳さいにして。永禄ゑいろく十二年のはる越後ゑちご越山ゑつざん家老からうには。とを山左衛門尉。山中民部みんぶをさしそへられたり。輝虎てるとらのぞみたんぬと。自他じたの嘉幸(かゝう)なゝめならず。其上甥をい長尾ながを喜平次景勝かげかついもうとを。三郎殿のつまとなし。上杉三郎景虎かげとら改名かいみやうし。家督かとくをつぎ春日かすが山に給ひぬ。然に氏康は元亀げんき元年十月三日に逝去せいきよ輝虎てるとらは天正六年三月十三日頓死とんし也。鎌信けんしん居所きよしよは春日山の本城ほんじやう景虎かげとらは二の曲輪くるわなり。景勝かげかつはならびの曲輪くるわに有しが。野心やしんをさしはさみ。越後ゑちごの国をうばひとらんと。計策けいさくをめぐらすといへ共。景虎かげとら此くはだてを夢にもしらず。鎌信けんしん第一の家老からう北城きたじやう丹後守たんごのかみをはじめ。諸侍しよさふらひ景虎かげとら尊敬そんきやうにより。其心付なく油断ゆだんする所に。時日をうつさず。景勝かげかつ同十三日人数にんじゆひきつれ。本城ほんじやうへはしり入て。もんをかため二の曲輪くるわを。目の下に見て。弓をかけ。鉄砲てつぱうをはなしかくる。景虎かげとらたゝかふといへ共こらへず。出城しゆつじやうし。越後ゑちご府中ふちう。おたちしろこもる。北条丹後たんご守は。越後の内。とちうのしろに。遠路ゑんろをへだて有つるが鎌信けんしん頓死とんしによて。春日かすが山にたゝかひ有よしをきゝ。いそぎはせさんじ。景虎かげとら一味す。是によて諸卒しよそつを。善光寺ぜんくわうじうつし。ぢんはつて。春日山へ人数にんじゆをさしつかはし。いくさ有て。いどみたゝかふ。景勝かげかつがたまけたるべしとぞ。人沙汰さたしける。然ども景勝へおもひゝにはせくはゝり。一揆皆一味す。景勝智略ちりやくをめぐらし。夜中やちうしのび入て。丹後守たんごのかみ陣取ぢんとつ善光寺ぜんくわうじのうしろへ人数にんじゆをまはし。近々(ちかゝ)と取寄よつて。ときをどつとつくり。おめきさけんで切る。北条丹後守は。其名を得たる。大かうの者なりといへ共。おもひのほかとおどろき。すでにはいぐんす。府中ふちうしろを心がけ落行おちゆき所に。景虎かげとらうんすゑにや。北城きたじやういた手負おひ府中ふちうに入て。其日にす。武田勝頼たけだかつよりは。景虎かげとらいもうとむこたり。越後ゑちご鉾楯むじゆんのよしを聞。人数にんじゆをつかはし。勝頼かつよりの跡より出陣しゆつぢんする所に。景虎かげとらうちまけ勝頼の陣中に入。先もて安堵あんどの思ひをなす。其頃勝頼の家老からう長坂長閑ながさかちやうかん跡部道印あとべだういん出頭しゆつたう其威に。甲斐かひ国中こくちう飛鳥とぶとりおちぬべしといふ。此両人深欲しんよくにふけり。無道むだう沙汰さたし。武田たけだいへ滅亡めつばうのはしと。いひならはす。然に輝虎てるとら当夏なつ中。京都へせめのぼるべきよし。かねての支度したくに。貯へをきたる。黄金わうごん数箱すはこに入をきたるを。さいはひなる哉此金きんを取出し。長坂長閑ながさかちやうかんに千両。路部道印あとべだういんに千両。勝頼かつよりへ五千両つかはし。越後ゑちごよりにげゆく。景虎かげとら誅罸ちうばつし。此度景勝かげかつ御引立ひきたてこれあるに付ては。生前しやうぜん大幸たいかうたるべきむね。使札しさつをさしつかはす所に。両臣しん千両ヅヽのきんを見て心まどひ。勝頼へ申て云。きみ織田信長をだのぶながといふ大敵てきを持給ひて。たゝかひやむことなし。其上越後ゑちご相摸さがみ一味にをいては。甲州かうしう持国じこくはたして。あやうかるべし。三郎殿をちうし。越後と和順わじゆん然るべしとしきりに。いさめ申に付て。勝頼かつより万事ばんじ両臣しんはからひなれば。其儀にまかせ。三郎をがいし給ひぬ。越後ゑちご鉾楯むじゆんの義小田原へ聞え。いそ人数にんじゆをさしつかはす所に。先陣せんぢん上州沼田ぬまたに付。氏政うぢまさ武州河越かはごえまで着馬ちやくば遅参ちさんゆへ。三郎は勝頼かつよりのためにちうせらるゝよし。途中とちうより。ゑきなく引返すとかたりければ。かたへなる人聞て。景虎かげとら滅亡めつばうは。輝虎てるとらかねてのはかりごと。遺言によて也。其乱觴らんしやうを尋るに。輝虎実子じつしなきゆへ。をひ景勝かげかつやう子に思ひさだめり。されどもわれ。明日あすにもすならば。氏政は信玄しんげんむこ一味なり。越後ゑちごへはたらくに至ては。景勝は幼雅ようちはたして。ひとの国となるべし。しかしたゞ氏康の三郎を養子にもらひをき。景勝成人せいじんまでは。人ぢちにると心得べしと。家老からうの者にいひふくめ。永禄ゑいろく十二年より。天正六年までは。十年以前いぜんよりの謀計ぼうけいなりとかたる。ある老士聞て。それ人は一生涯しやうがい欲心よくしんにまよひ。おやとあらそひ。弟(をとゝ)はあに鉾楯むじゆんする事。いにしへも今も有ならひなり。輝虎遺言なしといふ共。景勝越後ゑちごを取べき計策けいさく有て。三郎をちうしたるはことはり也。さて又輝虎てるとら遺言。もし治定ぢぢやうにをいては。悪逆無道あくきやくぶだうはたして。仏神ぶつじんのにくみをうくべし。かくのごときの武略ぶりやく先古せんこにも聞きかず。末代まつだいとても有べからず。是偏ひとへに小人のはかりごとにて。大人にはなき事也。かばかり我国あやうく思ふに至ては。隣国りんごく真実しんじつに。和平わへいなくして。仁義じんぎに背きたるはかりごと。たとへ一旦たんをうる事有といふとも。世のゆびさす所。人のをそるゝ計略けいりやく也。ざいくはんもとたねなし。あく事をもて種とすと云々。神明しんめい横道わうだうなし。鬼意正直きいしやうぢきをこのむ。たゞ簾直れんちよくをむねとし。身のわざはひをのがれ。祈念きねんを先として。いへうんまつにはしかじ。然ときんば。悪鬼あくきかへつ守護しゆごし。神明しんめいすなはち利生りしやう有。それ大将と云は。仁道じんだうもつぱらとし。慈悲じひ愛敬あいきやう有て。を心とし。清白せいはくを身として。業報ごうほうを。をそるべき事なりといへり。

〜参考文献〜

北条五代記(博文館編輯局校訂) - Wikisource

https://share.google/FGo71GTKh9plFa7d0


〜舞台背景〜

 この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、単にWikiなどから貼り付けると元のルビが崩れて文章がグチャグチャになります。そのため原文の体裁は、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。

 せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の雰囲気を感じてもらえたらと思います。

 この「小説+原文併記」という形式は、たぶんなろうではあまり見ない試みだと思います。

 もし面白い試みだと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。

 逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければと思います。率直な感想として謹んで承ります。

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