7-2 駿河湾、鉄火の波濤。〜 安宅船vs俊足の小舟、そしてキレ散らかす勝頼 〜
『北条五代記』は、三浦浄心が著した、後北条氏にまつわる話題を中心とした仮名草子・軍記物語。確認されている最古の版本は寛永18年(1641年)刊。万治2年(1659年)版が流布本で残存数も多い。ともに全10巻だが内容には改変がある。出典:Wikipedia
俺だ、北条氏直だ。戦国大名にとって、領土争いは陸だけじゃない。海もまた、奪い奪われの最前線だ。
当時、駿河の支配権を巡って、俺と武田勝頼は激しく火花を散らしていた。勝頼は高国寺と三枚橋の二城をキープしていたが、長久保や志師浜など、駿河国内の重要な拠点の多くは、俺たち北条が代々守り抜いてきた「絶対譲れないエリア」だったんだ。
特に志師浜には、俺の信頼する大石越後守を配置し、その後ろの鷲頭山には、勝頼の動きを丸裸にする「超高性能な監視ポスト」を設置していた。
そこから見下ろす浮島ヶ原は、まさに手のひらの上の庭のよう。勝頼が動けば、即座に俺の耳に入る。そんな状況だった。
駿河湾の制海権を握るため、俺は伊豆の重須港に最強の海軍を集結させた。梶原、清水、富永といった名だたる船大将たちを呼び寄せ、俺は10艘の巨大軍船を建造した。
それが、伝説の「安宅船」だ。
安宅船のスペックは櫓は左右合わせて50丁。装甲は敵の鉄砲を完璧に弾き返すため、厚いムクの木の板で船体全体をガード。兵員は下層に漕ぎ手50人。上層の櫓には戦闘員(侍)50人。武装も船首には巨大な「大鉄砲」を搭載。まさに、海に浮かぶ「重装甲戦車」。これに勝てる船など、日本中どこを探してもいなかったはずだ。
天正8年(1580年)春。勝頼が駿河に出陣してきた。俺も三島に旗を立てて迎え撃つ。同時に、重須の艦隊に下知を飛ばした。「駿河の海へ乗り出し、敵の横っ腹を叩け!」
勝頼のメインキャンプは浮島ヶ原。その軍勢は沼津から吉原まで、砂浜を埋め尽くさんばかりの大軍だ。そこへ、俺の安宅船10艘がぬうっと現れた。
「撃てーーーっ!!」
船首の大鉄砲が火を噴く。ドォォォン!という轟音とともに、砂浜の敵陣が吹き飛ぶ。武田の兵たちは「なんだこれ!?」とパニックになり、逃げ惑う。白砂の海岸線は一瞬で無人地帯になった。
もちろん敵も黙っていない。砂を掘り起こして土塁を作り、数百挺の鉄砲を並べて待ち構えた。海と陸の撃ち合い。雨のように弾丸が船に当たるが、安宅船の装甲板はビクともしない。勝頼側の船は清水の港にいたが、サイズが小さすぎて俺たちの巨艦には近づくことすらできなかったんだ。
3月15日の未明。勝頼が仕掛けてきた。敵の小舟3艘が、重須の港を奇襲してきたんだ。
「おのれ、返り討ちだ! 全艦、出撃!」
俺の10艘の巨艦が追う。だが、敵の小舟は櫓20丁立て。とにかく足が速い。敵は沼津の川へ逃げ込むかと思いきや、沖へ出て、浮島ヶ原の勝頼の陣の目の前を、ひらりひらりと逃げ回る。さらに沼津から2艘が合流し、合計5艘で俺たちを挑発してきた。
勝頼は、海戦を「特等席」で見ようと、わざわざ砂浜まで降りてきた。部下たちは腰まで海水に浸かりながら、必死に弓や鉄砲を放つ。
「よし、沖から包囲して一網打尽にしろ!」
俺の艦隊は智略を巡らせて追い詰めるが、いかんせん安宅船は巨体だ。小回りが利く敵の小舟に、あと一歩のところで逃げられる。「広大な海での鬼ごっこ」は、延々と続いた。
この様子を見ていた勝頼が、ついにキレた。
「……おい。俺は『海戦』が見たいと言ったんだ。俺の船が逃げ回る無様な姿を、見学に来たんじゃない!」
5艘の船が、ただ時間を稼ぐためだけに逃げ続ける。それを見守る数万の軍勢。勝頼はあまりの恥ずかしさと苛立ちに耐えきれず、その場でとんでもない行動に出た。なんと、その場に持参していた自軍の旗や馬印、さらには武具などを、まとめてドロドロに焼き捨ててしまったんだ。
「こんな不甲斐ない戦い、見てられるか! 全員、帰るぞ!」
勝頼は不機嫌の極致で本陣へ引き上げていった。日も暮れ、俺たちの安宅船も「……あいつ、帰っちゃったよ」と呆れながら、伊豆へと帰還した。
ある老兵が言っていた。
「大将たるもの、勝負の時を見極めるべきだ。負けたとしても恥ではないが、逃げるだけの戦いを見せて部下に遺憾の意を抱かせるのは、大将の不覚というものよ」
かつて鴨長明が絶賛した、浮島ヶ原の絶景。富士の根に漂う白雲を「天女の袖か」と詠み、鏡のような沼の水面に緑を映した、神仙の住処のような場所。だが、戦はこの美しい景色すら変えてしまった。
沼津の海岸に広がっていた、あの有名な「千本松原」。勝頼は、「敵の船が隠れる障害物になる」という理由で、あの歴史ある松の木をすべて切り倒してしまったんだ。
今はもう、名前だけが残る切ない風景。波間には軍船がうかび、原には硝煙が立ち込める。
……どうだい?どんなに美しい景色も、人の欲と怒りの前では一瞬で「修羅の巷」と化す。
俺たちの最強の安宅船も、勝頼の意地の焼き討ちも、富士の嶺から見れば、ただのちっぽけな夢の跡に過ぎなかったのかもしれない。
校訂 北条五代記 博文館編輯局(明治三十二年)
二 駿河海にて船軍の事
見しは昔。北条氏直と武田勝頼戦の時節。駿州の内。高国寺と三枚橋は。勝頼の城也。泉頭。長久保。戸倉。志師浜。此四ケ城はするがの国中たりといへ共。先年今川義元時代。北条氏綱切て取しより以来このかた。氏直領国となる。義元信玄時代。此するが領を取返さんと。遺恨やむことなしといへ共。つゐに叶はず。扨又沼津の浦つゞき。香貫。志下。志師浜。真籠。江浦。田飛。口野。此等の浦里もするが領氏直持也。志師浜には大石越後守在城す。此城の後に。わしずと云高山あり。勝頼するがへ出陣の時は。わしず山に物見の番所有て。人しかと住し。浮島が原を見わたせば。勝頼の陣場の様子目の下に手に取がごとし。さればするが浦に。氏直兵船かけをくべき湊なきゆへ。伊豆重須の湊に。兵船ことゝくかけをく。沼津よりは二里へだゝりぬ。梶原備前守子息兵部大夫。かしらとし。清水越前守。富長左兵衛尉。山角治部少輔。松下三郎左衛門尉。山本信濃の守などゝ云船大将此重須浦に居住す。氏直伊豆の国にをいて。軍船を十艘作り給ひぬ。是をあたけと名付たり。一方に櫓二十五丁両方合五十丁立の兵船也。常にひとりさぐる鉄砲にて。十五間前に板を立玉のぬけぬ程に。むくの木板をもて。船の左右艫舳をかこひ。下に水手五十人。上の矢倉に侍五十人有て。矢さまより弓鉄砲はなつ様に作りたり。舳さきに大鉄砲を仕付たり。然に天正八年の春。勝頼駿河に出陣す。氏直も伊豆の国へ出馬し。三島にはたを立たゝかひ有。重須の兵船駿河海へ働をなすべき由。氏直下知に付て。毎日駿河海へ乗出す。勝頼旗本は。浮島が原。諸勢は沼津千本の松原より吉原迄。寸地のすきまなく真砂の上海まで陣取。然に十艘の舟にかけをきたる。大鉄炮をはなしかくる。敵こらへず皆ことゝく退散しへいたる真砂地白妙に見えたり。扨又敵の諸勢浜へ来て。砂をほり上其中に有て。鉄炮を数百挺がけをき舟を待所に。十艘の舟汀をつたひこぎ行。陸と舟との鉄炮。雨のごとく舟にあたるといへ共兼ての用意。板垣とをる事なし。敵船は清水のみなとにかけをくといへ共。小船ゆへ終に出あはず。日暮ぬれば伊豆へ帰海す。然る所に勝頼下知として三月十五日の夜いまだ明ざるに。敵船三艘重須のみなとへ来て。鉄炮をはなつ。すは敵船こそ来りたれと。舟を出す。敵船は櫓二十丁立にて小船なり。此舟をおひ行所に。沼津河へも入ずして。勝頼の陣場浮島が原下へこぎ行所に。又沼津川より舟二艘出し。合五艘に成ぬ。浜辺に付てこぎ行を十艘の舟をひかへる。此五艘の舟沖へこぎ出ては又浮島が原下へこき帰る。勝頼は舟いくさ見物として浜へおり下り。旗馬見えたり。諸勢浜へ打出塩水の中。腰だけに入て。弓鉄炮をはなつ。十艘の舟あつまりて。評定していはく。敵船清水沼津へもにげゆかず。又勝頼の旗本浮島が原の前海に来る事。勝頼下知として。舟いくさ見物としられたり。すべて味方の舟二艘は。浜辺の前後に有て。八艘の舟は沖より敵船を取まはし。うつとらんと智略をめぐらすといへども。小船にてはやければ。をひつきがたく。広き海中に。算をみだしをひめぐる。勝頼五艘の船共。にぐるを見て。はらわたをたつ。其節持出たる。はた馬。甲冑ことゝく其仕場居にて。焼すて本陣に帰り給ひぬ。日も暮ぬれば。十艘の舟。伊豆へ帰海す。或老士云けるは。それ大将は是非を分明し進退有べき事也。軍の勝負は時の運による事なれば。まけたるとても耻にあらず。たゞ引まじき所引。かくまじき所をかくるを。大将の不覚といへり。武略智謀は武士の名誉。是をしるを。文武の達者。懸引上手の勇士とはいへり。然に敵小船にて大船に出あひ。とられぬを手柄にすといへどもにぐる計にては。何の益あらん。相摸はたつかたと俗に云てわが立方を引は。世のならひ也。いかにいはん味方。終日。にぐるを見て。諸軍もいかで遺恨なからん。益なき舟軍見物をこのみ。却て耻辱を招き。大将末代まで不覚と申されし。されば浮島が原。田子の浦は。分てことなる名所。海士の釣舟うかび。原にはしほやく煙をこそ。歌にもよみたれ。其比はむかしにかはり。波には軍舟数々うかび。原には鉄炮の薬の煙空によこをれ。鬨音矢さけびの音のみやむ事なく。修羅のちまたとなれり。いにしへ鴨の長明。東国行脚せし。海道路次の記に。田子の浦に出て。富士の高嶺を打ながめて云。貞観十七年冬の比。白衣の美女二人ありて。山のいたゞきにならび。都のこしかゞ富士の山記に書たる。いかなるゆへぞとおぼつかなし。富士の根の。風にたゞよふ白雲は。あまつ乙女が袖かとぞ見る。とよめり。浮島が原は。いづくよりもすぐれて見ゆ。北は富士の麓にて。東西へはるゝとながき沼あり。布をひけるがごとし。山のみどり陰をひたし。空も水もひとつなり。芦かり小舟所々にさほさして。むれたる鳥おほくさり来る。南は海のおもて遠く見わたされて。雲の波けふりのなみ。いとふかき詠なり。すべて孤島の真砂にさへぎりなし。わづかに。遠孤の空につらなれるをのぞむ。こなたかなたの眺望。いづれもとりゝに心ぼそし。原にはしほやのけふり。たへゝ立わたりて。浦風松の梢にむせぶ。此原昔は海の上にうかびて。蓬萊の三の島のごとくに有けるによりて。浮島と名付たりと。聞にもをのづから。神仙の栖にもやあるらん。いとゞおくゆかしく見ゆ。影ひたす。沼の入江に富士の根の。煙も雲も浮島が原。と詠ぜり。やがて此原につゞきて。千本の松原と云所あり。海の渚遠からず。松はるかに生わたりて緑の陰きはもなし。沖には舟は行ちがひて木の葉のうける様に見ゆ。彼千株の松の本に。双峯の寺。一葉の舟の中の。万里の身と作れるに。彼も是もはづれず。眺望いづくにもすぐれたり。見わたせば。千もとの松のすゑ遠み。みどりにつゞく浪のうへかな。と長明よめり。彼千本の松原は。勝頼時代海賊のためのさはりとて。切捨げり。今は其名ばかりぞ残りける。
〜参考文献〜
北条五代記(博文館編輯局校訂) - Wikisource
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、単にWikiなどから貼り付けると元のルビが崩れて文章がグチャグチャになります。そのため原文の体裁は、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の雰囲気を感じてもらえたらと思います。
この「小説+原文併記」という形式は、たぶんなろうではあまり見ない試みだと思います。
もし面白い試みだと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければと思います。率直な感想として謹んで承ります。




