7-1 俺は伊豆の王になる! 〜 パンデミックを救ったら国がついてきた件 〜
『北条五代記』は、三浦浄心が著した、後北条氏にまつわる話題を中心とした仮名草子・軍記物語。確認されている最古の版本は寛永18年(1641年)刊。万治2年(1659年)版が流布本で残存数も多い。ともに全10巻だが内容には改変がある。出典:Wikipedia
天正18年(1590年)7月6日。俺たち北条家が関八州を支配した100年の歴史が、ついに幕を閉じた。
最後にパッと燃え上がるロウソクの火みたいに、滅びる直前が一番輝いていた……なんて言われるけど、当事者からすれば「あーあ、ついに天運が尽きたか」って感じだ。
でも、悲しんでばかりもいられない。俺たちのルーツ……初代・北条早雲がどうやってこの巨大な「北条」というブランドを立ち上げたのか。俺、氏直がその「伝説の始まり」をアーカイブしておこう。
初代の名前は伊勢新九郎氏茂。のちの早雲だ。もともとは山城国の侍だったが、何を思ったか駿河へ下ってきた。当時は今川氏親の親戚として、いわば「居候の牢人」みたいな立場だった。
でも、ただのニートじゃない。文武両道、智謀の塊。そんな早雲が目をつけたのが、お隣の「伊豆の国」だ。当時の伊豆は、足利茶々丸っていうお坊ちゃまが治めていたんだが、家臣たちが内乱を起こしてドロドロの無政府状態。
「――これ、神様が俺に『獲れ』って言ってるよね?」
早雲はイベントの発生を確信した。ある老兵が語る「異説」がある。早雲は病気を装って、伊豆の修善寺温泉に湯治(潜入捜査)へ行った。そこで早雲が見たのは、意外な光景だった。伊豆は山に囲まれた閉鎖的な国。侍と百姓の区別がつかないくらい、みんな地味に田んぼを耕している。圧倒的なリーダー(カリスマ)が不在。早雲は駿河に戻ると、今川氏親にこうプレゼンした。
「俺、自前で200人の精鋭(ガチ勢)を抱えてます。あと300人貸してください。500人いれば、伊豆、余裕で落とせます」
氏親も「お前の頭脳ならいけるかもな」と、300人の増援を承諾。合計500人の「伊豆遠征パーティー」が結成された。延徳年間。早雲たちは清水の港から大船10艘で出航。伊豆の松崎や田子に着岸したとき、村人たちは「海賊だー!」とパニックになって山へ逃げた。
だが、早雲はここで「略奪」ではなく「ガバナンス」を見せる。空き家に入って勝手に物を触るな。一銭でも盗むな。侍も農民も、逃げずにそのまま住んでろ。
さらに、村を調べてみると、家々には流行り病で倒れた人々が1,000人以上もいたんだ。
「親は子を捨て、子は親を捨てて逃げる……。これは不便だな」
普通なら放っておくところだが、早雲は違った。彼は「仁政」のスイッチを入れた。医師を呼んで薬を調合させ、500人の部下全員に「看病しろ!」と命令したんだ。「ほら、お薬ですよ」「お粥、食べられますか?」
数日後。死にかけていた村人たちが、全員ミラクル復活。
「海賊かと思ったら、甲冑を着た『生仏』**だった……!」
この「神対応」の噂は一瞬で広まり、30里四方の住人たちが「早雲様についていきます!」と次々に軍門に降った。武力を使わずに、民心という名の最強バフを手に入れたわけだ。
もちろん、全員が素直に従うわけじゃない。深根という場所に、関戸播磨守というガンコな侍が500人の手勢で立て籠もった。早雲は「おっ、血祭りにちょうどいいな」と冷徹に切り替える。
地元軍も合流して2,000人になった早雲軍は、深根へ進撃。敵の城は湿地帯に守られた難攻不落の要塞だったが、早雲はこう命じた。
「近所の家を100軒ほど壊して、その材木や土で堀を埋めろ。今すぐにだ!」
瞬時に堀が埋まり、平地になった。そこへ一気に突入。早雲軍500人のガチ勢が、一致団結して攻めかかる。関戸父子は鑓の下で討たれ、敗走する者、立て籠もる者……。
早雲はここで、あえて「恐怖」を植え付けた。女子供、僧侶に至るまで一人残らず首を切り、城の周りに1,000の首を晒したんだ。
「優しくすれば神、逆らえば魔王」。
この圧倒的な格差を見せつけられ、伊豆中の侍たちは震え上がって降伏した。こうして早雲は、居ながらにして伊豆一国を完全制覇したんだ。
伊豆を平らげた早雲は、かつて源頼朝が挙兵した吉例の地、伊豆の「北条」に居城を構えた。
「あ、あの人、北条に住んでるから『北条殿』だね」
周囲が勝手にそう呼び始め、彼は正式に「北条家」を名乗ることにした。リブランディングにも成功する。
そんなある夜、早雲は不思議な夢を見た。「大きな杉の木が二本。それを一匹のネズミがバリバリと食い倒してしまった」夢占いの答えはこうだ。「二本の杉は、関東の支配者・両上杉(扇谷・山内)。ネズミは子年生まれのあなたです。つまり、あなたが関東の王になるという予言ですよ!」
「よし、やってやるか」
早雲は箱根を越え、小田原の城を奪い、相模(神奈川)の半分を手に入れた。これが、小田原北条氏100年の夢の第一歩。
早雲の志は、二代目氏綱、三代目氏康へと受け継がれた。じいちゃん(氏康)は言っていた。
「罪が疑わしいときは軽くし、手柄が疑わしいときは重く評価せよ」
そんな「仁義」と「智謀」でガチガチに固めた俺たちの帝国も、最後は時代の波に飲まれて消えていった。でも、伊豆の小さな港に500人で上陸したあの日から始まったこの物語は、今でも俺たちの誇りだ。
……どうだい?一人の牢人が、パンデミックを救い、魔王として敵を殲滅し、ついには夢の予言を現実に変えた。これこそ、歴史の最高の展開だろ?
俺たちの歴史はここで途切れるけど、誰かがこの物語を読み返してくれる限り、北条の火は消えないのさ。
校訂 北条五代記 博文館編輯局(明治三十二年)
一 伊勢新九郎伊豆相摸を治る事
見しは昔。北条氏直公関八州を静謐におさめ。賞罸たゞしく。国の政道を取をこなひ。民豊にして後々末代(ごゞまつだい)までも。目でたかるべしとおもひつるに。天運つくるにや。天正十八寅の年七月六日。氏直公をはじめ。一家一門関八州の諸侍ほろび果てぬ。たゞ五更の油かはひて。灯まさにきえんとほつする時。光をますがごとし。なげきても甲斐なかるべし。然るにわれ。氏直の先祖を尋ねるに。古き文にも見へず。あらかじめ聞伝ふるに。むかし山城の国に伊勢新九郎氏茂といふ侍あり。後は入道し北条早雲庵主と改名す。此早雲京都よりするがの国へ下り。今川五郎氏親(うぢゝか)をたのみ。牢人分にて有しが文武智謀の侍たるにより。今川殿縁者となり。其後早雲は駿河高国寺に在城也。其比伊豆国に堀越の御所と申て。北条にまします。是は義教公の三男。左兵衛督政知公の御子。茶々丸(ちやゝまる)成就院殿と号す。されば伊豆の国は年久しく無事に有て。弓矢もなかりけり。然る所に御所に逆臣有て。伊豆の国みだれしづかならず。早雲此よしを聞。ねがふにさいはひ哉時来りぬと人数をもよほし。伊豆とするがのさかひ。きせ川を夜中に取こし。北条へ乱れ入て戦(たゝか)ひ。終には御所を亡し。伊豆の国を切て取よしあまねく云つたへり。扨又或老士語りけるは。早雲は今川殿と府中に一所に有しが。清水浦より舟にて渡海し。伊豆を切しよし物語せり。是は異説なりといへ共しるし侍る。老士語ていはく。早雲病気となぞらへ。伊豆の国修善寺の湯にしばらく入て。諸人の物語を聞に。伊豆の国は三郡山国也。東西へ一日南北へ半日の行程。南の海中へ出。島国とおなじ。関東永享より乱国といへ共。伊豆は無事に有て。一郡を十人廿人宛(づゝ)分持にし。下々の侍共は田地を手作し。礼義風俗。侍共百姓共見分がたく。しかとしたる大将一人もなきよしつぶさに聞届(とゞ)け。早雲府中に帰り。氏親(うぢゝか)に語て云予。年来拝領せしむる所帯をもて。勇士を二百人かゝへ置けり。ねがはくば三百人御加勢有にをいては。伊豆の国をたやすく。切て取べき計策有むね申されければ。氏親聞て早雲。智謀武略の心ざしを感じ。勇士をえらび。三百人加勢也。早雲のぞみたんぬと喜悦浅からず。清水浦にをいて。大船十艘用意し。都合五百人の勇士に。下知していはく。それ合戦の勝負。大勢小勢によらず。たゞ士卒の心ざしを。一つにするとせざると也。此等の兵士。他国に目をかけ。はるかの海路を渡。戦場にをもむく所存たのもしき成。たとひ敵百万騎むかふといふ共。なかじは雌雄を決せざるべき。其上たけて。いさめるのみにあらず。兼てははかりごとを廻らし。智恵を先とす。一方に戦(たゝかひ)を决し。万方に勝事をうるは。是武略の威徳なり。埋れぬ名を永き世に残さんこそ。弓矢取身の本懐なれ。頗る勇士の本意といふは。智仁勇の三ツの徳をかね。死を善道にまもり。節ををもくするをもて義とせり。此度諸卒軍戦を。はげますにをいては。恩賞は忠功によるべしと申されければ。をのゝいさみすゝみて。義を金石よりも。かたくし。命を一塵よりかろく忠をいたさんとす。延徳年中清水浦より。太船十艘に。五百人取乗。纜といて順風に帆をあげ。明に乗出し。日中に伊豆の国。松崎。西奈田子。あられの湊に着岸す。此舟共はたを立。みな甲冑を帯しぬれば。浜辺在所のもの共是を見て。やれ敵海賊来るぞと。おどろきさはぎ。親をすて。子をすて。我先にて。山嶺谷底へぞにげ入たる。五百人は舟よりくがにあがり。さはぐけしきもなく。おもひゝに舟道具を陸へあげ。苫ぶきに陣屋をかけ。其屋に入て。まづ三ケ条の高札を立る。
禁制
一 あき家に入諸道具に手をかくる事
一 一銭に当る物何にても取候事
一 伊豆国中の侍并土民に至る迄其住所を去る事
右条々(でうゝ)堅停止せしめ若し違犯の輩是あるにをいては。在家を放火すべき者也。仍て執達件のごとし。と。右の三ケ条を。在々所々(ざいゝしよゝ)に立置たり。扨村里のあき家を見るに。いかなる家にも五人三人宛(づゝ)。病者ふしてあり。大かた千人にも越つべし。是はいかにと尋ぬれば。此比風病はやり。諸人五日七日(づゝ)前後もわきまへず。一家に十人わづらひ。八九は死に候。敵海賤。俄の事なれば。我等あしたゝず親は子をすて。子は親をすて。いづくともしらず迯行くといふ。早雲聞て不便の次第哉。孟子に大人は其赤子の心をうしなはざる者也と云々。故に君子は万事に通じてしらざる所なく。よくせざる所なし。情は人の為ならず。かれらを打捨て。われさきへ行ならば。此病人みな死すべし。生くべき者をばいかし。殺すべき者をば殺すをもつて。仁政の道とせり。急ぎ医師に仰て。良薬を調合し。五百人の人々打散て。看病し。薬を用ひ。好物の食事を与へ給へば。此療養によつて。一人も死せず。五日三日の中に。皆本復し。命助かりたる御恩賞いつの世にかは。報じ尽しがたしとよろこび。此者どもいそぎ。山嶺に入て。子は親に語。おやは子にしらせ。なふ此人々よろひ甲を着き給へば。あらけなき鬼神のやうに見へけれ共。御心はやさしく。慈悲忍辱の生仏にて。我々が命を助け給ひ候ぞや。急ぎ山を出て。親の命子の命。助かりたる御礼申上給へといへば。皆山峯を出て我屋に帰り。よろこびけり。是を聞つたへて。五里十里四方の者。皆ことゝく来つて。是はそんじやう其所の侍。是は山守。是は在所の肝煎などいへば。其所前々(ぜんゝ)のごとく。相違有べからずと。印判を出す。早雲病者ゆへ一七日滞留。其うちに三十里近辺は。皆みかたにはせ参じたり。然る所に関東道二十里。山のおく深根と云所に。関戸幡摩守吉信といふ者あり。是はいにしへ御所のゆかりと云つたへ。名高き人也。みかたにも参らず。あまつさへ。古城を取立候。手勢わづか二百。其外一類の侍共あつまりて。雑兵五百有べしと告来る。早雲聞て。ねがふにさひはひかな。当国へ発向すといへども。むかふ敵なければ物さびしく思ひつるに。先まづかれをほろぼし。軍神の血まつりにせんと。鶏鳴より此在所を打立。うしろの山を越。日中に深根へはせ着たり。扨又爰(こゝ)かしこの侍共はせ来て。はた下に付ぬれば。みかたの勢二千よきになる。此城北は山。東南はぬまにて。寄所なし。西一方に城ほりをほり。堀へいさかも木を引せ。門矢蔵を立。こゝを専とぞかためたる。早雲是を見て。あたりの在家を。百家引破り。二千の人一かづきづゝ持寄て。堀をうめ即時に平地となる。すきもあらせず責入たり。幡摩守は衆をいさめ。爰をせんどゝたゝかひ。長刀にて切てまはるといへ共。五百人心ざしを一ツにして責ければ。縦千騎万騎。くろがねの楯をつきふせぐといふ共。かなふべしとは見へず。幡摩守父子五人。鑓下にて討るれば。残る者其敗軍し。にぐるを追たをし。追まはし。城に籠る者どもをば。女わらはべ法師までも。一人残さず首を切。城めぐりに千余かけをきぬれば。是を見聞しより。国中の諸侍。此威にをそれ。急ぎはせ来て。降人となる。居ながら伊豆一国は。早雲の国となる事。武略世にこへたる名将。仁義をもつぱらとをこなひ給へるがゆへ也。仁者といふは慈悲愛敬有て。あやうきを助け。災難をすくはんとす。敵国へ来。死にのぞむ病者。千余人を助け。諸人の心をなだめ給へるも。是仁の道なり。扨又義者と云は。万事よく思ひ切て。死すべき所にて死するも義なり。敵をほろぼし国を治むるも義の道也。聖人の制詞にも。道理に当てころす時は数万の敵をうつといへども。無道にあらず。殺すまじき道理あらば。罪なき者一人。つみすといふとも。仁道にあらずといへり。然に早雲翌日。伊豆の北条に付給ひぬ。此所むかし北条時政居住と。在所の者申ければ。早雲聞て。前の右兵衛佐頼朝。平治の比此北条蛭が小島へながされ。廿一年の星霜をむなしくをくられしが。四郎時政をかたらひ。治承四年八月十七日。伊豆の国の目代。和泉判官兼隆を屋牧が舘にて夜討にし。義兵をあげられし所。吉例なりとて。此旧跡を再興有て。早雲居城し給へば。皆人北条殿といふ。早雲いはく。北条家たえて久しき跡也。われ此名もとめずといへ共。諸人其名をよぶ。早雲この家をつがん願望によて。三島大明神に参籠通夜し給ふ霊夢に。不思儀のつげ有とかや。扨又大杉二本有けるを。鼠一ツ出て喰折たると見て覚めぬ。此夢をうらかたに尋ね給へば。此目でたき御霊夢なり。関東奥州までの国司。両上杉殿上野相摸両国にまします。此二本の上杉を。御退治有べしと申ければ。早雲観喜浅からず。此両上杉をほろぼさんと。昼夜思量をめぐらさるといへ共。上杉殿は。さがみ武蔵下総常陸下野上野越後佐渡出羽奥州までもことごとく。彼下知に随ふ。然る所に。両上杉殿運の末にや。扇谷修理大夫定正の家老。長尾兄弟の中に。鉾楯出来。其上長尾左衛門尉。子息四郎右衛門尉し。あまつさへ両上杉殿の中あしく成て。弓矢乱れ。やむ事なし。早雲此由を聞。讒臣国を乱すといへる。古人の言葉是也。両上杉ほろぶべき時至りぬと。人数をもよほし。箱根足柄山を越。小田原の城をのつとる事明応の比也。此勢に其年。相摸半国切て取。其後定正は病死。民部大夫顕定も滅亡し。早雲永正十五年七月十一日。三浦の介道寸居城三浦の新井の城をせめ落す。早雲子息氏綱時代小弓の御所義明公。上杉朝興子息朝定父子を討ほろばし。武総両国へ手をかけ。氏康時代に。豆相武総四ケ国の人数にて。上杉憲政数万騎と。年久しくたゝかひ。数度に勝利をえ。天文十五丙午年の大合戦に氏康うちかつて。憲政を追討し。関八州を治め給へる事。文武智謀世にまれなる猛強の大将たる故也。氏康いはく。罪のうたがひをば。是かろくし。功のうたがひをば。是をもくするにしかじ。近年諸侍身命をなげうつて粉骨を尽し。数度の忠功軽重に応じ。国郡をさきあたへ給ひければ。諸侍よろこびの眉をひらき。名誉を関八州にあげ。子孫繁昌万歳をいはひ。氏政氏直まで五代。静謐に国を治め給ひしが。北条家武運末になり。宿報やうやくかたぶき。天心にも背き。仏神もすて給ふにや。天正十八寅の年。氏直時代に至てほろびぬと語る。早雲の合戦是は異説なりといへ共。此物語の題号。見聞の二字に応じてしるし侍る者也。
〜参考文献〜
北条五代記(博文館編輯局校訂) - Wikisource
https://share.google/FGo71GTKh9plFa7d0
〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、単にWikiなどから貼り付けると元のルビが崩れて文章がグチャグチャになります。そのため原文の体裁は、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の雰囲気を感じてもらえたらと思います。
この「小説+原文併記」という形式は、たぶんなろうではあまり見ない試みだと思います。
もし面白い試みだと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければと思います。率直な感想として謹んで承ります。




