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新訳 北条五代記 〜 近所の隠居が書いたメモがガチの戦記だった件 ~ 北条の覇道、その系譜  作者: 条文小説


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6-4 智将・北条氏康のスペックが完ストしている件

挿絵(By みてみん)


北条五代記ほうじょうごだいき』は、三浦浄心が著した、後北条氏にまつわる話題を中心とした仮名草子・軍記物語。確認されている最古の版本は寛永18年(1641年)刊。万治2年(1659年)版が流布本で残存数も多い。ともに全10巻だが内容には改変がある。出典:Wikipedia

 俺だ、北条氏直だ。今日は俺の自慢のじいちゃん、三代目・氏康じいちゃんの話をしよう。


 戦国時代、関東八州にその名を轟かせた北条 氏康じいちゃんは、まさに「文武両道」を具現化したようなおとこだった。昼夜を問わず戦の軍議シミュレーションに明け暮れ、四方の敵と渡り合う。普通ならこれだけで手一杯なはずだが、じいちゃんは「文化系スキル」も完ストしていた。


 特に和歌。京都の超一流文化人である逍遥院・三条西実隆に自作の百首を送って、「これ、どうっすか?」と添削を頼み、何度も高評価をもらうほどのガチ勢だったんだ。


 ある夏の夕暮れ、じいちゃんが高台の楼閣で涼んでいた時のことだ。どこからか一匹の狐がやってきて、「コン、コン!」と激しく鳴き始めた。居合わせた近習たちは「……え、夏に狐が鳴くとか、なんか不吉じゃね?」と顔を見合わせた。


 そこで古参の老士が、源頼朝公の時代の伝説――「夏に鳴く狐を和歌で追い払って領地をゲットした侍」の話を持ち出したんだ。


「殿、ここは一つ、頼朝公の時代のように風雅な歌でこの状況を収めてみては?」


 じいちゃんはニヤリと笑って、「面白い、みんなで案を出してみろ」と無茶振りをかました。だが、プロの歌人でもない家臣たちは冷や汗をかいて黙り込むばかり。

 そこでじいちゃんがサラリと詠んだのが、この一首だ。


夏はきつ、ねになく蝉のから衣、をのれをのれが身の上にきよ

(夏が来た。根(音)に鳴く蝉の空蝉(抜け殻)よ。お前はお前自身の身の上に、その運命をまとうがいい)


 ※この歌、「夏はきつ(夏が来た)」と「きつね」、「ねになく(根に鳴く)」と「鳴き声」をかけた、高度なテクニカル・ポエムなんだ。


 翌朝、驚くべきことが起きた。昨晩、狐が鳴いていた場所に、その狐が死んでいたんだ。

 

「殿の歌の力(言霊)が、狐を成仏させた……!?」

 

 家臣たちはドン引き……いや、あまりの不思議さに感動したという。じいちゃんの文芸スキル、もはや魔法レベルである。


 じいちゃんは超人的なカリスマだったが、性格は驚くほど「慈悲深く、謙虚」だった。

 

「俺が何度も合戦に勝てているのは、俺の武力が高いからじゃない。神仏の加護と、部下たちが命懸けで戦ってくれているおかげなんだよ」


 ……これ、部下の前で本気で言っちゃうんだぜ?だからこそ、家臣たちは「この人のためなら死ねる!」と結束した。


 じいちゃんは鶴岡八幡宮を再建したり、由比ヶ浜に巨大な鳥居を建てたりと、神仏へのリスペクト(課金)も忘れなかった。「上に義があれば、下は勝手についてくる」これが、北条家が100年続いた黄金 統治ガバナンスの秘訣だ。


 氏康じいちゃんの経営戦略で一番凄かったのは、他国からのヘッドハンティング」だ。じいちゃんは宝物なんて興味がない。「優秀な人材こそが宝だ」と断言していた。


 京都から流れてきた有職故実マナーのプロや、他国で居場所をなくした浪人たちを、どんどん小田原に迎え入れたんだ。そして、こんな「規定おきて」を作った。


「戦場や軍略で『これだ!』というアイデアを思いついた奴は、身分に関係なく、予約なしで俺のところに直接言いに来い。忖度はいらん!」


 これ、すごくないか?足軽でも農民でも、良いアイデアがあれば殿様に直訴ダイレクトメッセージできるんだ。じいちゃんは面白い提案をした奴には、その場ですぐに褒美ボーナスを出したり、側近に抜擢したりした。おかげで、北条軍の全員が「次は俺が軍師だ!」と日夜兵法を勉強するようになったんだ。


 極めつけはじいちゃんの「意思決定プロセス」だ。「俺が何かを決める時は、必ず多くの者に相談する。もし三人が意見を言って、二人が同じ意見なら、俺は迷わずその二人の方に乗るんだ」


 ……そう。じいちゃんは、あえて自分の天才的な直感ソロプレイを封印し、合議制チームプレイを徹底したんだ。


 自分の分別をあえて隠し、部下たちの意見を採用することで、「自分たちがこの国を動かしているんだ」という当事者意識を持たせた。これが、他国の侍たちまでもが「北条で働きたい!」と憧れた、ホワイト企業・小田原の正体だったのさ。


 君臣が一体となり、智仁勇の三拍子が揃う。氏康じいちゃんの時代、関東八州はまさに「静謐へいわ」そのものだった。和歌を愛でる心。神仏を敬う心。そして、名もなき者の意見に耳を傾ける度量。


 ……どうだい?ただ力が強いだけの武将ならいくらでもいるが、和歌で狐を黙らせ、多数決で国を治めるなんて、最高にクールな「名将」だろ?




校訂 北条五代記 博文館編輯局(明治三十二年)




四 北条氏康和歌の事


聞しはむかし北条氏 やす公。近習きんじゆつかへし高山たかやま伊予守いよのかみといふ老士らうしかたりけるは、氏康は文武ぶんぶたつ人。弓矢ゆみやを取て関八州にをふるひ、東西南北とうざいなんぼくに敵有てたゝかひ、昼夜ちうやいくさ評定ひやうぢやうやんごとなく、寸暇すんかをえ給はず。され共すきの道にや、其内にも和歌わかをこのましめ給ひたり。ある時は和漢わかん才人さいじんあつめ、或時は歌の会あり。氏康百首しゆ自詠じえいを京都へ上せられ、逍遥院殿せうえうゐんどの合点がつてんを度々取給ひぬ。或夕ゆふつかた高楼かうろうにのぼりすゞみ給ひける時に、其近辺へきつね来て鳴きつるを、御前にかうする人々あやしみけれ共、兎角いふ人なし。梅窓軒かいそうけんと云者申けるは、むかし頼朝よりとも公、信州しんしう浅間あさまみはら野の御狩みかりに、狐鳴きて北をさして飛去りぬ。人々是をとゞめんとて矢はづを取てをつかけしかども、にげ過ぎぬ。頼朝公御覧じ、秋の野の狐とこそいへ、夏野に狐鳴く事不審ふしんなり、誰か有歌よみ候へと仰下されければ、工藤祐経くどうすけつね承りて、誠に昨日の御狩にをいて梶原源太景季かぢはらげんたかげすゑが歌には、鳴神なるかみもめでゝ、あめはれ候ひぬ是にも歌あらばくるしかるまじ、誰々もと申けれ共よむ人なかりしに、武蔵むさしの国の住人、愛甲かいかふ三郎季隆すゑかた、ゐだけだかになり、うかべるいろ見えしが、やがてるならば、こう〳〵とこそくべきに、あさまにはしるひるきつねかなと申ければ、君聞召して神妙に申たり。誠に狐におほせて吉凶きつけう有べからずとて、上野かうづけ国松井まつゐ田にて三百町を給はるとかや。愚老ぐらう和歌の道をまなび候はゞ、をよばぬまでも案じて見候べきをと申。氏康きこしめし、夏狐なつぎつね鳴く事珍事ちんじなり。皆々歌を案じ、出来次第に一首仕るべしと仰有ければ、各々案ずる体見えけれ共詠人なし。やがて氏康公、夏はきつ、ねになくせみのからころも、をのれ〳〵が身の上にきよとよみ給ひしに、夜明て見れば其狐の鳴きつる所に死にて有けり。皆人奇妙不思議きめうふしぎ也と感あへり。氏康やす希代きたいの大将、うんを天にまかせ、じんを人にほどこし、諸人しよにん親兄しんきやうのごとくおもひ、慈悲深重じひしんぢうにして寛仁大度かんじんたいどなり。常に祇候しかう諸侍しよさふらひに、あるひ礼義れいぎあつうして対面たいめんし、或はなさけ有言葉ことばをかけ、しよくするひまも仁にたがはず。累年るいねん過来すぎきたる。氏康いはく、数度すど合戦かつせん勝利しようりをうる事、武力ぶりきのいたす所にあらず。たゞしかしながら天運全まつたうして神明しんめい仏陀ぶつだ擁護おうごにかゝるがゆへ也と、仏神を信敬しんきやうし、諸寺しよじ諸社しや建立こんりうせり。亡父ばうふ氏綱つな天文てんぶん九年、鶴岡山かくかうざん八幡宮まんぐう造立ざうりうし、氏康は同十一壬寅みづのへとら年卯月うづき十二日、由井ゆゐはま大鳥居とりゐを立、旧規きうきにまかせ、千遍陁羅尼せんべんだらにを七日をこなはるゝ。供養くやうに至て一切経転読さいきやうてんどく先例に相かはらず、布施等ふせとう品々(しな〳〵)の目録もくろくもあげてしるしがたし。其大鳥居天正年中まで有、今はたえてなし。氏康かく有て家運かうんを守り給ひぬ。かみあれば、しもあへてもてふくせずといふ事なし。諸侍 身命しんみやうきみになげうちちうをいたさんとす。されば仁義礼智信じんぎれいちしんの五ツの名ありといへ共、たゞ一心にきはまれり。君としては万民ばんみんをあいし、臣は君にくつかへ、父としては子をあはれみ、子は親にかうをつくし、友は礼義をもてまじはりをむつまじくす。是みな智仁勇ちじんゆうの内にあり。君臣 合体がつていすれば国家安泰こつかあんたいなり。其上氏康は他国たこくよりきたる侍をあまねく扶持ふちし、猶もて有職いうしよくの者をば慇懃いんぎんにせられたり。楚国そこくにはたからをたからとせず、ぜんをたからとすと云々。珠玉しゆぎよくをたからとする者かならずわざはひをまねくといへり。賢人けんじん内に有ときんば小人せうじん外に有、小人内に有ときんば賢人外にる。かるがゆへに故実こじつそんずる侍は他国に有ても北条家に心をよせ、諸国より小田原へ来るをかゝへをき、ことにもて近習に召つかはれ、其国々の弓矢のてだてを朝暮ちようぼ尋聞たづねきかしめ給ひたり。故に諸国の大将の弓矢のてだて軍法ぐんぱうをよくり、戦場に至てはそれ〳〵の行てだてにたいして智謀ちほう武略ぶりやくをつくし、勝利をえ、持国ぢこくをまつたく守護しゆごし給へり。つたへ聞く、けつ無道むだうにして君臣の礼をうしなふ。扨又殷いん湯王たうわうは賢人をもとめ、はかりごとを聞てまつりごとを正しく取をこなへり。故に諸候しよかうも夏をそむき、百姓もとくを湯にをさむ。つひには湯王夏の桀をちて天下を治め給ひぬ。されば小田原に小笠原播摩守、伊勢備中守、大和やまと彦三郎、是はのち兵部少輔ひやうぶのせうゆう改名かいみやうす。此三人は京都公方くばう様につかへ御他界以後関東へ下向げかうし、牢人ろうにん分にて小田原に堪忍かんにんなり。仁義の道有て弓法きうはふをしれる人々也。氏康御 自愛じあいなゝめならず、常に御はなしの衆なり。氏康掟をきてに、軍陣ぐんぢんにをいて諸侍いくさの行てだてを見付思ひよる兵術ひやうじゆつ是あるに至ては、貴賤きせん上下をえらばず推参すいさんをはゞからず、急ぎはせ参じ直に申上べしと云々。故に諸侍武略をたしなみ、軍中にをいて存ずるてだてあればすなはち言上す。其節に至て時々刻々(じゝこく〳〵)すこぶるほうびし、或は近習に召つかひ、或は賞をあたへ給ひぬ。是によて又も云しらしめ奉らんと、下々に至までも兵法ひやうはふをたしなみ、有職の人に近付ちかづき軍法を尋聞たづねききて弓馬きうばの道を日夜にちやにまなび、其身〳〵の術計じゆつけい勝利えん事をもつぱらとす。氏康いはく、我いくさこうずるに至ては、あまたの者に相談さうだんし、三人いふ時はかならず二人いふかたにく。其ゆへは数度の合戦にをえたりと、わが分別ふんべつを云かくし郎従を取立給ひぬ。かく有により他国の侍までも北条家に心をよせずといふ事なし。此時代に至て関八州 静謐せいひつにをおさまりたりと物がたりせり。

〜参考文献〜

北条五代記(博文館編輯局校訂) - Wikisource

https://share.google/FGo71GTKh9plFa7d0


〜舞台背景〜

 この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、単にWikiなどから貼り付けると元のルビが崩れて文章がグチャグチャになります。そのため原文の体裁は、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。

 せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の雰囲気を感じてもらえたらと思います。

 この「小説+原文併記」という形式は、たぶんなろうではあまり見ない試みだと思います。

 もし面白い試みだと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。

 逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければと思います。率直な感想として謹んで承ります。

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