5-8 北条式「絶対に全滅しない」最強のシステム。〜 二陣の切り返しと、大将の「大勇」〜
『北条五代記』は、三浦浄心が著した、後北条氏にまつわる話題を中心とした仮名草子・軍記物語。確認されている最古の版本は寛永18年(1641年)刊。万治2年(1659年)版が流布本で残存数も多い。ともに全10巻だが内容には改変がある。出典:Wikipedia
俺だ、北条氏直だ。戦国時代、派手な大勝利を収める大名は多いけれど、実は一番難しいのは「大負けしないこと」なんだ。
俺たち北条家が五代100年にわたって関東の覇者でいられたのは、単に運が良かったからじゃない。そこには、じいさんたちの代から積み上げられた「鉄壁の軍法」があったからだ。
今日は、ある老兵が語ってくれた「北条家の負けない戦い方」と、リーダーとしての「心得」についてアーカイブしておこう。
北条軍の陣形には、絶対のルールがある。それは「備の間隔を、一町(約109メートル)きっちり空ける」ことだ。
これを維持するために、各部隊の前後には「武者奉行」が配置され、さらに全体を監視する「検使」という騎馬武者が戦場を走り回っている。
遅れる奴は後方の奉行が「さっさと行け!」と部隊に叩き込む。勝手に飛び出す奴には前方の奉行が「待て、勝手な真似はするな!」と下知する。列を乱して逃げる奴は 検使が見つけ次第、問答無用で斬り捨てる。
「軍法」を守らない奴は、味方の手で「処刑」される。この厳しさが、崩れない北条軍を作っているんだ。
もし、先陣が敵に押し負けて崩れかかったらどうするか? 普通の軍ならそのまま総崩れだが、北条はここからが本番だ。
二陣の武者奉行は、先陣が引いてくるのを見ると、すぐに部隊を「鋒矢の形」――つまり鋭い三角形の陣形に整え、鑓を突き出して敵を待ち構える。
「引いてくる味方は、二陣の横を通り抜けろ! 中に入ろうとする奴は、味方であっても斬り捨てろ!」
崩れた味方は二陣の鑓の壁を恐れて左右へ分かれて逃げていく。そして、勝利を確信して突っ込んできた敵軍の前に、「スタミナ満タン・やる気十分」な二陣が立ちはだかるわけだ。
これを「二陣の切り返し」と呼ぶ。享禄3年の小沢原の戦い(氏綱 vs 上杉朝興)でも、永禄7年の高野台の戦い(氏康 vs 里見義弘)でも、俺たちはこの「後出しジャンケン」的なカウンターで千人以上の首を獲って大逆転してきた。
戦いのプロは、深追いをしない。一試合勝ったとしても、次に出てくる「新手の敵」には勝てないのがセオリーだ。人だって馬だって、一度戦えば筋力も気力も使い果たすからだ。
勝利に浮かれて長距離を追いかけ回していると、横の藪から農民が弓を持って数人出てきただけで、「うわっ、伏兵だ!」とパニックになり、せっかくの勝ち戦が「大崩れ」に変わってしまう。
「勝って兜の緒を締めよ」。退くべき時は命を全うし、次の勝利に繋げる。これが「仁義の勇士」のやり方だ。誰も見ていないところで死ぬのは、ただの「犬死に」だからな。
ここで、大将を目指す君たちに、大切な二つの言葉を教えておこう。
文を学び、武を嗜み、智謀と兵術を駆使して「戦わずして勝つ」ことを目指す。これが真のリーダーの姿、大勇。
自分の腕っぷしだけを頼りにして、無茶な突撃をして手柄を立てようとする。この小勇は「一兵卒」の勇気でしかない。
あの有名な源義経公。彼は天才的なひらめきで「鵯越」をしたり、嵐の海を無理やり渡ったりして勝利したけれど、あれは実は「小勇(血気の勇)」なんだ。
部下の忠告も聞かず、自分の強さを過信した結果、最後は頼朝公と仲違いして滅んでしまっただろ?逆に、加藤景廉や土肥実平といった名将たちは、自分一人の手柄は見せなかったけれど、軍全体を完璧にコントロールして何度も勝利をもたらした。彼らこそが「大勇」を持った大将だったんだ。
最後に、大将を目指すなら『孫子』や『呉子』といった古典を読み、歴史のプロたちの話を聞くことを忘れるな。
あと、装備も大事だ。自分の体力に見合わない重い鎧や派手な指物をつけるのは、ただの「初心者丸出し」だぞ。特に山道での徒歩戦なら、軽くて短い武器の方がよっぽど役に立つ。これが「ベテランの知恵」だ。
……どうだい?北条五代の100年は、こういう「地味だけど確実なルール」の積み重ねでできていたんだ。派手な突撃もいいけれど、最後に応援されるのは「賢く、負けない」やつなんだよね。
俺たちの軍法、いつか君の人生の「攻略本」になれば嬉しいよ。
校訂 北条五代記 博文館編輯局(明治三十二年)
八 前陣軍に討負二陣にて切返す事
聞しは昔、老士語りけるは、我数度の軍にあひたり。大合戦にをいては、たゞ一勝負也。有無の二ツにきはまる故、先陣の者は万死一生にさだめ心たけく樊噲をもあざむく。討負敗北に至ては、心をくれ餓鬼にもをとれり。大合戦に崩れかゝつて返す事叶はず。然に小田原北条家五代の内、数度の大合戦に討勝たり。扨又みかた負る事有といへ共、つゐに一度も大負なし。是定めをかるゝ所の法度を用ゆるが故也。それいかにとなれば、かねての軍法にそなへを一手づゝ段々に立る。其間一町へだつ。一備の内、前後に武者奉行有て、をくるゝ者をばしんがりの奉行そなへの内へ追入れ、さし出る者あればつぎの奉行をさへ下知す。其上はた本より検使として騎馬の武者、惣陣を馳廻つて、両陣一町へだたる間に紛るゝ者あれば、是非を論ぜず切捨る。然にみかたの先陣いくさに討負敗北に至ては、二陣の武者奉行先立て、備をとがり矢形に立、鑓を作つて敵を待つ。みかたくづれかゝるといへ共、待つ所のみかたの鑓さきにをそれ、左右へ分れて敗走す。若もしそなへつゝにげ入らんとする者あれば、切て捨する故に一人も入得ず。敵かち軍となれば、かならず鋒矢形に追来る。然にみかた待請けたる威を見て、かなはじと前登にすゝむ者引返しぬれば、残党まつたからずとて、悉く敗軍せずして叶はざる也。北条家の軍、二陣にて切返す事度々に及ぶ。なかんづく享禄三年庚寅六月十二日、武州小沢原(をさはゞら)にて官領上杉朝興と北条氏綱合戦に、みかたの前陣討負るといへ共、二陣にて引返し千余人討取る。扨又氏康と里見義弘、下総の国高野台合戦に、先陣討負るといへども二陣にて引返し大勝あり。件の軍法は氏綱時代このかた、北条家にもつぱら是を用ゆる。軍に大負あるは備を乱すが故也。一合戦打勝といふ共、新手の敵に二度打勝事叶ふべからず。人馬ともに筋力つかれ、いきほひをうしなふによて也。ほとんど勝いくさに長途を過ぐるは不可也。士卒等かつに乗て首をとらんと、身のつかれをもわきまへず長追する時に、敵かたはらの藪せこより五人三人はしり出て矢石をはなつに至ては、すは敵むかふと見て前がけの者一人引返す。あとの者聞おぢして猶敗北す。其時節にをいては、山人百姓等、爰かしこより出走つて鹿弓を射かけなどして大崩する事ひつせり。され共兵法一様には定めがたし。時にのぞんでせりあひ軍には、勝てまくる事有、負てかつ事有。其期に至ては君命をもをそれず、師伝をも用ひず、敵によつて転化するは勇士のをのれと心にうる道也。軍陣に及び、公私の儀に付て叶はぬ所にては討死し、遁るべき所を知つては命をまつたふし、後日に本望を達する。是を仁義の勇士といふ。進むまじき所をかけ、退くべき所をのがれず討死するは義に背けり。是を血気の勇と云。一身の武勇を望むには場所を知るが肝要也。人も見ぬ所にてけなげをはたらき討死するは犬死なり。古歌に、見る人もなくて散りぬるおく山の、紅葉はよるの錦なりけりとよみしも是にたくへておもひいだせり。ほまれ有人の見る所ならば万人にゐきんで武勇をはげますべし。討死する共武名を子孫につたふべし。ほまれ有人の一言は俗士の千言にもすぐれたり。先年 秀吉公時代、濃州柳瀬表の合戦に七本鑓といはれしは、加藤肥後守、同左馬助、福島左衛門佐、脇坂中務、糟屋内膳正、平野遠江守、片桐市正、件の七人也。この人々大名に成りての改名也。是よき戦場にて前登にすゝむが故也。其上誉をうるに、大勇と小勇との二名あり。文を学び武をたしなんで智謀兵術をもつぱらとし、たゝかはずして人に勝事をはかるを大勇といひ、独りけなげを旨とし、人のならぬ所ををし破てわれと手をくだひて討勝を小勇と名付。いにしへを伝へ聞しに源九郎 義経ひとりけなげを専とせり。平家一谷に城をかまふる所に、鵯ごへといふ人力のをよばぬ高山より、義経ひとり先だつてつゞけ兵どもと下知せられたり。其後半家さぬきの国に城を興す。源氏の軍兵数百 艘の兵船を用意し渡海せんとする所に、波風あれて乗船かなはず。義経公平家追討使の宣旨をうけたまはり、悪風なり共延引すべからず、運は天にありと主ひとり元暦三年二月十六日とも綱といて乗出す。彼下知に随ひ以上五艘、彼国に着岸し平家を追討すといへ共、是は血気の小勇のふるまひにて大将のはたらきには不可也。去程に義経人のいさめをも用ひず、無理に強みをこころにかく。故に義経独歩の旨をさしはさみ万事不義有て、頼朝公と不快にしてはたして害せられ給ひぬ。扨又頼朝公、佐竹の冠者 義秀が城を責らるゝ。直実は万人にぬきんでかけやぶりおほく首を討取る。摂州一谷の城をせむる時、直実夜中に前路をまはり、卯の刻門外にすゝみ、源氏の侍 熊谷の次郎直実前陣と高声に名乗る。城中に此由を聞き、飛弾の三郎左衛門尉 盛次、悪七兵衛景清、木戸をひらき打出でたゝかふ。直実は万人にこへたる故、天下無双の剛者と頼朝よりほうび有事度々に及ぶ。され共物がしらの役は終に仰付られず。加藤次郎 景廉、土肥次郎 実平等は一身の手がらをあらはさずといへども、軍兵の統領を承り下知する事数度に及ぶ。此等の人は智略兵術を旨とするが故也。それ大将は先づ文を学び、黄石公がつたふる所をかねて心にかけ、呉子孫子が秘する所を旨とし軍兵を下知す。論語に三軍の師をばうばふべし、疋夫の心ざしをばうばふべからずと云々。ほとんどほまれをのぞむ人は文をまなび、功者にしたしんで武略を聞かずんば有べからず。馬ものゝぐ、さし物なども我力に過たるはかならずわざはひを招くべし。みる所はいかめしけれ共功者の嘲りたり。なかんづく歩立の軍、山坂にてはかろくみじかきを用ひる。是故実なりと物語せり。
〜参考文献〜
北条五代記(博文館編輯局校訂) - Wikisource
https://share.google/FGo71GTKh9plFa7d0
〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、単にWikiなどから貼り付けると元のルビが崩れて文章がグチャグチャになります。そのため原文の体裁は、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の雰囲気を感じてもらえたらと思います。
この「小説+原文併記」という形式は、たぶんなろうではあまり見ない試みだと思います。
もし面白い試みだと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければと思います。率直な感想として謹んで承ります。




