5-6 北条家の怪物、清水太郎左衛門。〜 牛を持ち上げ、馬を絞め殺し、首をねじ切る怪力の系譜 〜
『北条五代記』は、三浦浄心が著した、後北条氏にまつわる話題を中心とした仮名草子・軍記物語。確認されている最古の版本は寛永18年(1641年)刊。万治2年(1659年)版が流布本で残存数も多い。ともに全10巻だが内容には改変がある。出典:Wikipedia
俺だ、北条氏直だ。戦国時代っていうのは、時々「これ、ステータスの割り振り間違えてない?」っていうレベルの怪物が現れる。
今回紹介するのは、我が北条家が誇る最強のパワーファイター、清水太郎左衛門。伊豆の清水家といえば、代々俺たちに仕えてくれるガチの譜代侍なんだが、この太郎左衛門はもう、スペックが「人間」の枠を完全に超えていたんだ。
太郎左衛門がなぜこれほど強かったのか。結論から言うと、遺伝子(DNA)が強すぎた。彼の母親のエピソードがまずヤバい。
ある日、彼女が氏神様にお参りに行く途中の坂道でのことだ。一頭の牛が、穀物を二俵も背負ったまま崖下に転げ落ちそうになっていた。後ろ足は崖に落ち、岩角に荷物が引っかかってギリギリ止まっている絶望的な状況だ。普通なら「誰か助けてー!」と叫ぶか、牛を諦める場面。だが、彼女は違った。
「あらあら、可哀想に。ちょっとどいててね」
彼女は集まっていた野次馬をどけると、牛と荷物をまとめて両腕で抱え上げ、そのまま道の上まで「よっこらしょ」と戻してしまったんだ。
……人間業じゃない。その超人マザーの腹から生まれたのが、太郎左衛門だったというわけだ。
太郎左衛門本人の怪力エピソードも、現代の力士たちが裸足で逃げ出すレベルだ。彼は以前、「甲斐黒」という、一日に一斗の大豆を食うほどの荒馬を飼っていた。あまりに凶暴で誰も乗れず、厩から出すのにも男が六〜七人がかりで綱を引くような「猛獣」だった。ある時、太郎左衛門がこの馬に飛び乗り、鞭を打って走らせた。
ここまではいい。だが、彼が気合を入れて両太ももでギュッ!と馬を締め付けた瞬間、その馬は即座に血を吐いて絶命したという。……締め付ける力が強すぎて、馬の胴体が潰れたんだな。
それ以来、彼は「蛇でも綱をつけて乗りこなしてやるぜ」なんて豪語するようになった。
戦場での太郎左衛門は、もはや「重戦車」だ。常陸の佐竹義重との合戦のとき。彼は愛馬・岩手鴇毛にまたがり、黒糸威の鎧を着て、背中には八の字の旗をなびかせて登場した。
武器は刀じゃない。一丈あまりの樫の木を六角形に削り出した、巨大な「棒」だ。彼はこの棒を片手で軽々と振り回し、敵陣へ突入。右に一振り、左に一振り。一太刀で5人、10人と敵を粉砕していく。棒に当たった者は、防具ごと肉をひしがれて即死。まさに「無双ゲーム」のリアル版。彼が通った後には、敵の死体の山が築かれたという。
彼の伝説が確定したのは、元亀3年の「三方ヶ原の合戦」だ。当時、俺たちの親父氏政が武田信玄公へ援軍を送った際、太郎左衛門も大将の一人として参戦した。徳川家康公の軍勢が敗走する中、太郎左衛門は金ぴかの馬鎧を着た立派な敵の武者を見つけた。
「逃がさねえぞ!」
彼の咆哮は鳴神のように響き渡り、周りにいた敵の家来たちはその気迫にビビって逃げ出した。太郎左衛門は逃げる武者に追いつくと、兜の首を守るパーツ「しころ」をガシッ!と掴んで引き寄せ、そのまま力任せに首をひねった。その結果、首は文字通りねじ切られ……。
以来、彼は「ねじ首太郎左衛門」と呼ばれるようになったんだ。……いや、怖すぎだろ。
実は俺も、彼の力をこの目で見たことがある。ある時、宴会の席でちょっと彼を試してみたくなって、俺は八寸もある太い「鹿の角」を二本、彼の前に放り投げた。
「太郎左衛門、これを素手で壊せるか?」
彼はニヤリと笑うと、その二本の角をまとめてガシッ!と片手で掴んだ。
次の瞬間。
メキメキメキッ!という嫌な音とともに、硬い鹿の角が真っ二つに引き裂かれたんだ。俺も周りの連中も、一瞬で酔いが冷めたよ。「これ、怒らせたら俺の首も鹿の角みたいになるんじゃ……?」ってな。
清水太郎左衛門。体格も骨格も人並み外れ、戦えば無双、怒れば首をねじ切る。彼はただの力自慢じゃない。駿河の長久保城を任され、武田信玄や勝頼といった猛者たちと渡り合って一度も遅れを取らなかった、智謀も兼ね備えた名将だったんだ。関八州にその名を知られた大力士。後にも先にも、これほどの「物理アタッカー」はいないだろうな。
……どうだい?北条家には、こんな怪物みたいな侍がゴロゴロいたんだぜ。
校訂 北条五代記 博文館編輯局(明治三十二年)
六 清水太郎左衛門大力の事
見しはむかし伊豆の国の住人、清水上野守は、小田原北条 家譜代の侍、関八州に其名をえたる武士なり。されば上野守が妻女、山上の社氏神へ宿願有て参詣する途中の坂に、牛穀物を二俵つけながらふして有。見ればあと足二つをがけへふみおとし、岩角に俵かゝつて留る。荷縄をきるならば牛谷へおちて死すべし。引上べき様なく、ふびんなる有様なり。女房是を見て、あたりの者をのけ、一人そばへより、牛とたはらをいだひて中へ持上げ、道中に牛を立たてたり。此女の力、人間のわざに非ずと人さたをせり。其腹に男子一人有。清水太郎左衛門尉是なり。母の力を請次ぎ、大力の名をえたり。或時太郎左衛門、甲斐くろといふ馬を一疋もつ。一日に大豆を一斗くらふ悪馬なるゆへ乗るものなし。馬屋の内を出すには、中間六七人有て綱を付てひき出す。鞍をく事ならず。太郎左衛門此馬に飛乗り、鞭を打てはしる時またにてしむれば、立所に血をはきて死す。扨又奥州より出たる岩手鴇毛と号す駿馬を持たり。尾おかみあくまでちゞみ九寸あまりにて強馬なり。長久保より鷲巣の嶺へは、上り道五里程あり。此馬の心見んため、甲冑を帯し旗をさし、卯の刻に長久保を乗出し、鷲巣を目がけむち打て、野原を真直に馳行く有様、たゞ逸物の鷹八重羽の雉を見て升かきの羽を飛ぶがごとし。鷲巣の嶺へのり上げ、いきもつかせず引返し、即刻長久保へ帰馬するに、あせをくださゞる名馬なり。太郎左衛門、蛇なり共綱を付て乗るべしと荒言をはく。一年 佐竹義重と北条氏 政常陸の国にをいて合戦の砌、太郎左衛門尉、岩手鴇毛の駒に駕し、黒糸おどしのよろひ着、八の四方の旗をさし、樫の棒を一丈あまりにつゝ切、六角にけづり、此棒を持て、はんくわいをふるひ、敵軍勢の中へ乗入て、棒の石づきをつ取のべ、片手に持て、弓手妻手のかたきを一払ひに五人十人討ひしぐ。ばうにあたつて死する者其数をしらず。数度の合戦に先をかけ、強きをくだき、敵をなびかし、みかたをたすけ、剛者の名をえたりき。するがの国中長久保の城主なり。甲州信玄勝頼父子とたゝかひ、つゐに一度もをくれをとらざる武略智謀の人、世にまれなり。然に一年信玄と参州源の家康公とのたゝかひの時節、信玄より氏政へ加勢をたのみけるに付て、大藤式部少輔、清水太郎左衛門尉両大将として、三千 騎の軍兵を率し、信玄にはせくはゝる。比は元亀三年 壬申十二月廿三日 申の刻に到つて、家康公と遠州みかたが原の合戦に、信玄勝利をえられたり。此節大藤式部少輔は討死す。太郎左衛門尉馬上に鑓を取て真先にすゝみ、猛威をふるひ、爰(こゝ)にてもかしこにても太郎左衛門と名乗りて、千騎万騎が中へ切て入といへども、名にをそれてこと〴〵く敗北し、面をあはする人もなし。敵は敗軍する。其内に金の馬よろひかけ、くれなゐおどしの鎧着たる武者一騎、大人とおぼしくて郎従あまたかこみ落行くを、太郎左衛門尉是を見て、駒に鞭うて、のがすまじと大声をあげてよびかくるは鳴神のごとし。郎従等このいきほひにをそれ、左右へ分わけて迯退く。追付け甲のしころをつかんで引返し、鞍の前輪にをし付、ねぢ首にぞしてけり。故にねぢ首太郎左衛門と云て、大力の名をゑたり。氏直此ものゝ力の程をかんがみ給はんがため、或時 興じて太郎左衛門こうする前へ八寸まはりの鹿の角を二ツなげ出されければ、二ツの角を一手ににぎつて引さきたり。氏直も感じ、諸人も奇特におもひたり。着量骨柄人にすぐれ、関八州にならびなる大力、末代まではまれある人なり。
〜参考文献〜
北条五代記(博文館編輯局校訂) - Wikisource
https://share.google/FGo71GTKh9plFa7d0
〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、単にWikiなどから貼り付けると元のルビが崩れて文章がグチャグチャになります。そのため原文の体裁は、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の雰囲気を感じてもらえたらと思います。
この「小説+原文併記」という形式は、たぶんなろうではあまり見ない試みだと思います。
もし面白い試みだと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければと思います。率直な感想として謹んで承ります。




