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新訳 北条五代記 〜 近所の隠居が書いたメモがガチの戦記だった件 ~ 北条の覇道、その系譜  作者: 条文小説


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5-5 外交官・江雪斎の「八丈島ライフ」がエモすぎる。〜 天女の島で見せた能と、涙の強制ログアウト 〜

挿絵(By みてみん)


北条五代記ほうじょうごだいき』は、三浦浄心が著した、後北条氏にまつわる話題を中心とした仮名草子・軍記物語。確認されている最古の版本は寛永18年(1641年)刊。万治2年(1659年)版が流布本で残存数も多い。ともに全10巻だが内容には改変がある。出典:Wikipedia

 俺だ、北条氏直だ。前回は、部下の村田久兵衛から聞いた「八丈島の逆ハーレム事情」を話したが、今回はもう一人の重要人物……というか、我が北条家が誇る「文武両道の天才」板部岡江雪斎の、さらに深いエピソードを語ろう。


 江雪斎は、もともと伊豆の坊主だったんだが、字がめちゃくちゃ上手くてキレ者だったので、俺の右筆兼・外交官として抜擢した。後にあの豊臣秀吉公からも「田舎者とは思えないほど礼儀正しく、話が面白い」と絶賛されるほどのスペックを誇る男だ。


 そんな彼が、八丈島の「行政管理」のために島へ渡った時の、最高にエモいそしてちょっと笑える物語だ。


 江雪斎殿は多趣味で、特に「能」が大好きだった。せっかく島に来たんだからと、彼は島の住人たちを集めて、能の演目『定家ていか』を披露することにした。笛や太鼓を鳴らし、本格的な舞台を島で再現したんだ。


 『定家』の見せ場といえば、恋の執念で幽霊となった主人公が地面を這い回るシーンだ。江雪斎が舞台を這い回りながら、ドラマチックに幕の内側へ消えていくと……島の連中は大興奮!


「うおおお! なんか這いずり回る姿がめちゃくちゃ面白れぇ! 本土の『能』ってやつ、初めて見たけど最高じゃねーか!」


 ……江雪斎としては「恋の悲哀」を表現したつもりだったんだが、島の連中には「最高に面白いエンタメ」として受け入れられたらしい。まあ、喜んでもらえたならOK、というのが江雪斎の度量の広いところだな。


 ここで、この島の「公式記録」についても触れておこう。そもそもこの島を「発見」したのは、初代・早雲のじいちゃんの時代。伊豆の侍、朝比奈六郎知明という男が「南に島があるっぽい」という噂を聞きつけ、大船で乗り込んだのが始まりだ。


 その功績で、朝比奈家は代々「下田」の統治を任されることになった。今でもその孫の兵庫助が下田を治めているのは、この「島発見イベント」のおかげなんだ。だが、江雪斎には別の「ファン理論」があった。


「昔、鎌倉時代に下河辺行秀という弓の名手がいた。彼は頼朝公の前で鹿を射損じ、恥じて出家して『智定房』と名乗った。彼は最後、紀州熊野から『補陀落渡海ふだらくとかい』……つまり、極楽浄土を目指して海へ消えたんだ。……ひょっとしたら、彼がたどり着いた『理想郷』こそが、この八丈島だったんじゃないか?」


 380年前の伝説の武士が、この島で天女と出会い、今の島民のルーツになった……。なんてロマンチックな考察だろう。江雪斎殿は、この島を単なる領土ではなく、「乾坤(世界)の外にある別世界」だと感じていたんだ。


 八丈島の女性たちは、とにかく働き者だ。彼女たちの主な仕事は「絹を織ること」。これは俺たち北条家への年貢(貢絹)なんだが、彼女たちにとってはそれ以上の意味があった。彼女たちは、本土から来た「むこどの(つまり北条の侍たち)」へのプレゼントとして、最高級の絹を夜通し織り上げる。


「来年、聟どのたちが帰る時、最高のお土産を持たせてあげたいの!」


「私こそ、一番いい絹を織って、聟どのに自慢してもらうんだから!」


 ……もう、涙ぐましいじゃないか。


 「家の系図に載るほどの名誉」として、彼女たちは愛する男のために競い合って技術を磨く。北条家に届くあの美しい絹の裏には、そんな乙女心(ガチ恋勢の情熱)が詰まっていたわけだ。


 だが、楽しい時間は終わる。三年の滞在が過ぎ、帰還の船が出る日。浜辺は地獄のような修羅場……いや、「究極の別れイベント」の会場と化した。女房たちはもちろん、下男や下女までもが浜辺へ走り出し、波に裾を濡らしながら船にしがみつく。


「私を捨てて行くの!? 日本人の心は、そんなに冷たいの!?」


「お願い、行かないで! せめてもう一度だけ抱きしめて!」


 あちこちで阿鼻叫喚の泣き声が響き、船に乗った侍たちも「俺、やっぱり残るわ……」と心が折れそうになっている。その時だ。外交官・江雪斎が、ガチで刀を抜いた。


「貴様ら! いつまで未練がましくグズグズしてやがる! これ以上遅れる奴は、俺が一人ずつ斬って海へ流してやるぞ!」


 江雪斎は船のともからまで走り回り、泣いている侍たちを怒鳴り散らした。非情に見えるが、これが彼の「優しさ」だった。そうでもしないと、誰もこの「極楽」から帰れなくなるからだ。船が動き出す。


 島を見れば、女たちは高い所に登り、竿の先に白い絹を結びつけ、それを全力で振っている。その姿は、かつて遣唐使の夫を見送った松浦佐用姫まつらさよひめの伝説さえ凌ぐほど、美しく、悲しい光景だったという。


 村田久兵衛は、語り終えると再びうつ伏せになって泣き崩れた。


「ああ……島の女たちが言っていた『本土の人は、見た目より心が優しい』という言葉が忘れられません。もう一度、あの島へ……」


 俺、氏直はそれを聞きながら、改めて江雪斎という男の凄さを思った。島で能を舞い、歴史を考察し、最後は鬼となって部下を現実に引き戻す。そんな江雪斎だからこそ、秀吉公との厳しい外交交渉も、小田原開城後の身の振り方も、常に「仁義」を忘れず立ち振る舞えたんだろう。


 八丈島。それは北条家にとっての年貢の供給源である以上に、戦国を駆け抜けた男たちが、ほんのひと時だけ「人間」に戻れた、夢のような場所だったのかもしれない。


【三浦浄心の解説メモ】

 江雪斎(江雪入道)殿は後に、北条家が滅びた後もその才能を惜しまれ、秀吉公の直臣(御伽衆)として召し抱えられました。


 今回登場した「定家」という能の演目、実は江雪斎殿の「十八番」だったらしく、氏直公の前でも度々披露していたそうです。


 また、八丈島の女性が男性をリードする文化は、実は現代の民俗学的にも「女性の力が強かった」という記録と一致する部分があります。


 歴史とは、戦いの記録だけではありません。絶海の孤島で交わされた、こんなにも熱い「恋の記憶」もまた、北条100年の歴史の大切な1ページです。




校訂 北条五代記 博文館編輯局(明治三十二年)




五 江雪入道一興の事付男女別の事


聞しは今。村田むらた久兵衛きうべゑ八丈島はちじやうじまの物語、右にくはしくしるし侍る。扨又江雪こうせつ入道は、のうずきにて有けるが、島の者共に能をして見せんと、笛尺ふえしやく八皷(つゝみ)をならし、定家ていかまひ給へり。はひまとはるゝや、定家かつらと云所にて、座中ざちうをはひまはり〳〵、はかなくもかたちうづもれて失にけりまで、はひ〳〵まくの内へ入ければ、島の者ども是を見て、扨もめづらしや、はひまもり給ふすがたの面白おもしろや。御国衆の能をはじめて見たり。何事か是にまさらんと云。江雪入道、島の方角はうがくたづねらるゝ所に、船頭せんどうこたへて、此島は日本よりは南、未申ひつぢさるにあたりたれば、伊豆の国より紀州きしう熊野くまのへちかくおほへ候。江雪云、新勅撰しんちよくせんに、和田わだはら、なみもひとつに三熊野くまのの、はまみなみは山のはもなしとこそよみたれ。されば此島の女は、かたちいつくしくゆうなるよそほひ、人間にあらず天人あまかとあやまたる。むかし天智てんち天皇てんわう御宇ぎよう大和やまとの国よし野の山へ天人五人あまくだり、すみかをもとめんとせしか共、人倫じんりんかよふ山なればむなしく天上へ帰りさる。大裏だいり五節せつまひと云事あり、其五人の天乙女あまをとめをまなび給へり。新拾遺しんしういに、そでかへす、天津乙女あまつをとめもおもひ出よ、よし野のみやのむかし語りをとよめり。あへてもて天乙女此島へ下り栖となせるにや。爰は人間世に有べからず。それ仙翁せんおうは一ツのつぼの中に世界有てたのしび、商山しやうざん四皓こうたちばなの木の中に栖有てたのしむ。かくのごときんば八丈女橋中皓ぢやうぢよちうこう壺中仙ちうせん、是みな乾坤けんこんの外にて別世界べつせかい也。ていればをとこ我朝わがてう人形にんぎやうにひとしくして、梵語ぼんご漢語かんごをもとなへず、和語わごさへづる事ふしぎなり。むかし清盛公きよもりこう朝頼よりとも公の時代に至て非常ひじやう流人るにんおほく遠島ゑんとうす。西は鎮西ちんぜい鬼海きかいが島、北は佐渡さどが島、東はゑぞが島、南は伊豆の大島ならで遠島のさたなし。それより以来このかた、延徳ゑんとく年中、早雲 宗瑞そうずい伊豆の国を治め給ひしまでも、八丈島の名を聞ず。其比 豆州とうしう賀茂かもの住人、朝比奈あさひなの六郎 知明ともあきらと云侍あり。是より南海にあたつて島有よし聞及び、大船一艘そうに人多く取乗り、伊豆下田の津より渡海し、彼の島につき、民家みんかをなびかし、末代伊豆の国内たるべき旨中さだめ、帰海きかいし、早雲へ此よし告しらしむ。早雲 喜悦きゑつなゝめならず。八丈島見出したるけんしやうに、伊豆の国下田のごうを朝比奈の六郎知明、子々孫々永代ゑいたい他のさまたげ有べからずと云々。故に今知明が孫、あさひな兵庫助ひやうごのすけ下田を知行す。此島より北条家五代、毎年の貢絹ぐけんをおさむる事 千秋万歳せんしうばんぜいなるべし。倩島の男に付て昔をかんがへ見るに、頼朝よりとも公下野しもつけの国なす野の御狩みかりの時、大鹿おほじか一かしら、せこの内よりかけ下る。幕下ばつかことなる射手いてをゑらび、下河辺しもかはべ六郎行秀ゆきひでをめし、是をべきよし仰らる。厳命げんめいなりといへ共、其矢鹿にあたらず。此鹿せこの外にはしり出る。然る所に小山をやま左衛門尉朝政ともまさ射とゞめをはんぬ。よて行秀は、世に有てきがひなしと、狩場かりばより出家しゆつけをとげ、逐電ちくてんし、行がたしらず。其後 紀州きしうくまのに有て、智定房ちぢやうばうがうし、日夜 法花経ほけきやうをどくじゆしつるが、くま野なちのうらより補陀楽山ふだらくせんに渡る時に、一封ほうの状を認(したゝ)め、智定房同朋どうぼうたくして、北条武蔵むさし守殿へをくりしんずべきの旨申置により、紀州糸我いとがしやうより是を持参ぢさんす。天福てんふく元年五月廿七日に鎌倉へ到来とうらいす。武州御所へ此状を持参し、御前おんまへにをいて、すはうの前司ぜんぢちかざね披見ひけんす。さんぬる三月七日、智定房くま野なちの浦よりふだらくせんに渡る。在俗ざいぞくの時より出家遁世とんせい以後の事をしるす。将軍家もふびんにおぼしめし、武州いにしへ弓馬きうばの友たるよしあはれみ給ふ。御所にかうする人々、感涙かんるいをくだすと云々。弓矢取身はやすからず。ていれば、かの智定房が乗舟のりふねは、ふなやかたをこしらへ、其中へ入の後、外よりくぎをもて皆打付、一ツのとぼそもなくして、日月の光を見る事あたはず、たゞともしびによるべし。卅ケ日程の食物しよくもつ、ならびに油等あらぶとう、わづかに用意よういすと云々。此ふだらくせんと云は、南方なんばう海のはてにたのしむ世界有とかや。あたかも是八丈島の事なるべし。智定房此島へわたり、天乙女あまをとめと契りをなし、それより男もあまたになり、日本の風俗をまなびぬるか。是ははや三百八十余年以前の事也。おぼつかなし。然ば此島にて父母女子ぶもによしをまふくる事をねがふより、昔もためしあり。から玄宗げんそう御在位ざいゐの時、天下の父母たる者、むすめをうまん事を仏神へいのりてねがふ。長恨歌ちやうこんかに、つゐに天下の父母の心をして男をうむ事ををもんぜず、女をむ事ををもんぜしむと云々。我朝わがてうにも有べき事なりと申されし。扨又女共いふ様、来の年聟むこ殿、御帰国きこくのみあげ物を、はや今より用意せんと、いとをくり返し、絹を織出し、たくさんに聟へ取せけるを、女房の手がら、末代家の系図けいづなりと所の者ほめければ、何れの女房も我をとらじと、夜を日にいで絹ををり、わざをなす事いとまあらず。扨中一年滞留たいりうし、三年目の夏、南風なんふうを待えて舟を出さんと、皆人はし舟に取のれば、まくらならべし女房はいふにをよばず、下人げにんまでも名残なごりをおしみ、浜へはしり出、もすそを波に打ひたし、舟に取付、たもとにすがり、我をばすてゝゆき給ふべしや、あらつれなの日本人の心や、今生こんじやうの名残是までなり、後の世にあひ見ん事もさだめなしと、足ずりし、舟ばたをたゝき、声をばかりにさけぶ有様、たとへんやうぞなかりける。これ恋路こひぢと云事は、しのぶをもて本意ほんいとせり。後撰集ごせんしうに、忍ぶれど、色にいでけり我恋こひは、物や思ふと人のとふまでと平兼盛たいらのかねもりはよめり。扨又定家卿ていかのきやうの歌に、うら山し、声もおしまずのらねこの、心のまゝにつまこふる哉とゑいぜしは、八丈島の恋路にことならず。国衆もさすが岩木いはきにあらねば、心よはくも舟を出しかね、それ一樹じゆのもとにやすみ、一河のながれを渡るれ共、過別すぎわかるれば名残をおしむならひぞかし。褒姒ほうじ一たびゑみて幽王ゆうわう国をかたふけ、玉妃ぎよくひかたはらにこびて玄宗世を失ひたまひぬ。ましてや此女房達は人間のかたちにあらず、たゞ是天人あまくだり、うどんげなる三年の契り、今別わかれとなれば五衰すいくるしみも是にはいかでまさるべき。恩愛をんあいの道はつなげるくさりのごとし。釈迦しやか善提ぼだいの道にいらんとて十九にして都を出給ひしに、やしゆたらによに名残をおしみ出かね給ひけり。仏猶かくのごとし、いはんや凡夫ぼんぷをやと、たがひにかこち、かこたれ、なきかなしめる有様は目もあてられぬ風情ふぜいなり。江雪入道是を見て、何なにとて舟にはをそなはるぞ、にくい奴原やつばらが有様哉、皆一々に海へ切ながさんとかたなを抜いて艫舳ともへをはしりまはり給ひければ、ちからをよばず舟を出す。くがにてよびさけぶ其声、はる〳〵と波路なみぢをわけて聞ゆれば、舟人も思ひやられて涙に暮れて前後も分ず。舟も行々、声もきこへねば、女ども高き所にのぼり、竿さほの先に白き絹をむすびつけ、手々に持ちておどりあがり、さほをふりける有様は、欽明きんめい天皇の御時、大伴ともの佐提比古さたいひこ遣唐使けんたうしにてもろこしへ渡りし時、妻のさよ姫は名残をおしみ松浦まつら山へのぼり、きぬのひれをふり其舟を招きしも、是にはいかでまさるべき。女のむつごとに、御国衆はかたちより心なんまさりたると云しこそ、忘れがたけれ。島の事人に語るもうらめしさに、ふつと思ひ切て有しに、せんなき事を語り出し、二度物を思ふといひすて、うつぶきに臥してなみだにむせぶ。愚老聞て、島の物語われ聞さへ心そゞろにうかれぬ。其女房をせめて一目見ばやと床しきに、其方三年とせあひなれ浅からぬ契り、思ひやられてあはれなりことはりなりと共に涙をながし袖をしばりたり。然に江雪入道の事、我小田原に有てよく存たり。げに今思ひ合する事あり。江雪斎こうせつさい島にて定家の能を仕たる由申ければ、氏直聞召きこしめし御しゆゑんの時節、江雪島にての定家と仰有しに、けうある人にて度々どゞまはれたり。宏才弁舌こうさいべんぜつ人にすぐれ、其上仁義の道有て文武に達せし人也。弓箭ゆみや評定の時も、氏直公一門家老衆の中にくはゝり給ひき。一年秀吉ひでよし公在世の時、氏直使者として江雪入道上洛らくせられしに、秀吉公対面有て、ゐ中者といへ共礼義の次第厳重也と御感ぎよかん有しと也。氏直没落以後、秀吉公へめし出され、板部岡江雪、山岡道阿弥だうあみ此両人は常にはなしの御あひてに参られたり。然に八丈島の女房、ふしぎ有事古き文にも見えず。され共見聞集けんもんしう題号だいがうに応じ、久兵衛物語を記し侍る也。

〜参考文献〜

北条五代記(博文館編輯局校訂) - Wikisource

https://share.google/FGo71GTKh9plFa7d0


〜舞台背景〜

 この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、単にWikiなどから貼り付けると元のルビが崩れて文章がグチャグチャになります。そのため原文の体裁は、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。

 せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の雰囲気を感じてもらえたらと思います。

 この「小説+原文併記」という形式は、たぶんなろうではあまり見ない試みだと思います。

 もし面白い試みだと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。

 逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければと思います。率直な感想として謹んで承ります。

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