5-4 南の島への島流しと思いきや?…八丈島は「逆ハーレム」の楽園だった件。
『北条五代記』は、三浦浄心が著した、後北条氏にまつわる話題を中心とした仮名草子・軍記物語。確認されている最古の版本は寛永18年(1641年)刊。万治2年(1659年)版が流布本で残存数も多い。ともに全10巻だが内容には改変がある。出典:Wikipedia
俺だ、北条氏直だ。今日は、我が北条家がガチで統治していた「絶海の孤島」について語ろう。
場所は伊豆の下田から遥か南。八丈島。この島、実は初代・早雲のじいちゃんが「見っけ!」と発見して以来、俺たち北条家の直轄領になっていたんだ。
三年に一度、下田から選りすぐりの水夫たちを乗せた大船を出す。目的は年貢の徴収。八丈島の特産品は、最高級の「絹」だ。
……と、ここまでは普通の領土運営の話なんだが、この島、実は「戦国時代の異世界」と呼ぶにふさわしい、とんでもない文化を持っていたんだ。
ある時、俺の側近である村田久兵衛という男が、遠い目をして語り出した。久兵衛は以前、我が家のエリート外交官・板部岡江雪斎に随行して、八丈島へ上陸したことがある数少ない経験者だ。
「ああ……八丈島……。あそこは夢か幻か。死ぬ前にもう一度だけ行かせてください、神様仏様……!」
正直、俺は笑った。だって、古本によれば南の島(鬼界ヶ島とか)の住人って、「髪はボサボサのツクモ髪、肌は真っ黒、眼はランランと光り、言葉は雷のようにうるさくて何言ってるか分からん」っていう、ほぼ「鬼」みたいなスペックで書かれてるだろ?だが、久兵衛は涙目で首を振ったんだ。
「若殿、それは完全にデマです。あそこは、天女の島です」
久兵衛が見た八丈島の真実。それは、俺たちの常識を根底から覆すものだった。ビジュアルは、肌は透き通るように白く、髪は長く艶やかな黒髪。ファッションは 自分たちで織った上質な絹の服を何枚も重ね着している。教養も読み書きができ、歌を詠んだり草子を読んだりするのを何よりの楽しみにしている。
本土にいる女たちが白粉で必死に白く見せているのに対し、彼女たちは「天然で美白」。おまけに、本土の珍しい本をプレゼントすると、めちゃくちゃ喜んでくれる。
久兵衛いわく、「平安時代の貴族の女性が、タイムスリップして南の島に住み着いた」みたいな光景だったらしい。それに対して島の男たちはというと、肌は黒くて痩せ細り、まるで「痩せ人形に服を着せたような」地味な存在感だったそうだ。
さらに驚愕なのが、その社会システムだ。一言で言えば、「超・女尊男卑」。仏教の教えでは「女に三界の家なし(女は一生定まった家がない)」なんて言うけれど、八丈島では真逆。「男に三界の家なし」なんだ。
跡継ぎも 女の子が生まれると「よっしゃあ!」と親戚一同で大喜び。家財も地位もすべて娘が継ぐ。男の子が生まれると「ああ、捨てたも同然だな」と思われる。成長したら、どこかの家に「入婿」に出されるだけ。家の主(家主)は常に女性。すべての主導権は女性が握っている。
そして、三年に一度、俺たちの船(国衆)が島に着くと、島中がお祭り騒ぎになる。島の女性たちは天に祈るんだ。「どうか、我が家に国衆が泊まってくれますように!」と。
もし、本土から来た侍が自分の家を気に入ってくれたら、その家の女房は大喜び。じゃあ、もともとの夫はどうするのか?
「おお、御聟入ですか! かたじけない。所領の面目です。帰国されるまで、ゆっくりしていってください」
……そう言って、自分はサッと家を出て、別の場所で生活を始めるんだ。残された本土の国衆は、その家の新しい「期間限定のご主人様」として、美味しい食事と美女に囲まれ、まるでお姫様のサロンに招かれたような贅沢三昧の生活を送る。まさに「邯鄲の夢」。この世の極楽だ。
だが、夢には必ず終わりが来る。一年の滞在が終わり、帰還の船が出る時。島の女性たちは浜辺に立ち、涙を流しながら「また必ず来てください! 次も私の家に入ってくださいね!」と、何度も何度も約束を交わす。
船が沖へ出ても、彼女たちは浜辺で白い袖を振り続け、その姿が霧の中に消えるまで見送ってくれるんだ。久兵衛は語り終えた後、ポツリと言った。
「下田に帰ってきた後も、毎晩夢に見るんです。あの島での栄華も、今のこの寂しさも、すべては夢の中の出来事だったんじゃないかって……」
……どうだい?戦国時代、俺たちが治めていた海には、そんな「桃源郷」が実在していたんだ。
厳しい戦いの中で、ふと見上げた南の空。そこには、俺たちの知らない「もう一つの日本」があったのかもしれないな。
校訂 北条五代記 博文館編輯局(明治三十二年)
四 八丈島へ渡海の事
聞しは今。愚老伊豆の国、下田と云 在所へ行きたりけるに、里人語りしは、是より南海はるかにへだて、八丈島あり。此島は日本の地よりも唐国へ近く覚へたり。それいかにと云に、雲しづかなる時分、此島より見れば唐国に当り定まつて雲たなびく山あり。是唐国より別に有べからず。共此島をもろこしにてはいまだしらず。北条早雲の時代、関東より此島を見出し、伊豆の国の内に入たり。北条氏直公時代までは三年に一度、伊豆の国下田より渡海あるに、大船に水手をすぐり取のせて、秋 北風に此島へわたる。年貢には上々の絹を納むると、くはしく語る所に、村田久兵衛と云者ものいひけるは、我先年八丈島へわたりしが、今にをいて此鳥なつかしく、夢まぼろしに立そひ忘れがたし。存命の中に今一度此島へわたらばやと、仏神へいのれ共かひなしといふ。我聞て、むかし治承の比、俊寛僧都、康頼入道、丹波少将三人、鬼界が島へながされし事、古き文にみえたり。此嶋の男女の有様、髪をけづらずゆひもせず、つくものごとくかしらにつかねいたゞき、色黒く眼ひかり、山田に立るかゞしに似たり。畑をうたざれば米穀のたぐひもなし。薗の桑葉をとらざれば絹布の衣服もあらばこそ。木の皮をはぎて身にまとひ、こゑは雷のごとくすさまじくして、いふとはりも聞しらず。昔鬼がすみければ鬼界が島と名付。さて又硫黄有ゆへにゐわうが島共いへり。され共日本 近きにや、つり舟も行、ゐわうもとめに商人の舟も行と聞。此八丈は卅の渡海、まれなる島なれば、いかなる夷畜生の栖といひしに、此島なつかしく恋しきとはいふぞと云てわらひければ、久兵衛聞て、我主板部岡江雪入道は、元来いづの下田の郷の真言坊主也。能筆ゆへ氏直公へめし出され、右筆に召つかはれたり。是により伊豆島々の事をよくしられたり。故に伊豆七島のさし引を仰付られ、一年江雪斎八丈島仕置として渡海の時節供して渡りたり。此島の事あらかじめ物語をば聞しかど、人の語る様にはよもあらじと思ひしに、女房色白く、髪ながふして黒し、形たぐひなふ、手足瓜つまはづれ、いとやさしくかほばせ口つきあひ〳〵しく、上々の絹をかさね着て、立居ふるまひ尋常に愛敬有てむつまじさを、一同見しより、扨も我此島に来り、かゝる美女にあふ事、いかるな神仏の御引あわせぞやと我身をかへり見るに、色くろく有てすがた賤しく、衣類までも見ぐるしければ、ならびて居るもはづかしさに、昔男のなりひら、かほる中将の身とも生れかはり、此女房と契りをむすび、天にあらば比翼の鳥、地にあらば連理の枝とならばやと思ふに付ても、此鳥は天竺唐土日本をはなれ、南海はるかにうかびたる島なれば、昔時天人り、此島を栖となし、其ゆかりの女房にておはしけるぞや。さなくばいかでか程まで容色たぐひなふ、心ざまゆふにやさしく、花のかほばせ、もゝのこび雪のはだへ、一つとしてかく事なきのふしぎさよと、心空にあくがれ、浮立雲のごとく也。史記に士はをのれをしる者のために用ひられ、女はをのれをよろこぶ者のためにかたちを作るといへるがごとく、我国の女はかほに白粉をぬり、形を色々にかざる。此島の女房は生れつきのすがた其まゝに有て、うつくしさ、たとへていはん様もなし。物をかき歌さうしを明暮もてあそび、やさしき道のみ友となせり。去程に日本の土産物とて珍しき双しをとらすれば、何か是にはしかじとよろこぶ。扨又男は女にかはり、色くろくすがたいやしき、やせ人形に小袖をきせたるがごとくなれば、日本人も是にすこし心をなぐさみぬ。女房絹を織り、北条家へ貢絹とておさむる故にや、むかしより家主は女にて、男は入聟なり。仏は五障三従と説き給ひて、女に三つの家なし。此島は世界にかはり、男に三つの家なし。去程に女子を持ぬればよろこび、親の家財跡職をわたし、男子を持ぬればすてものに思ひ入聟になす。万事皆女房のさし引也。此島へ日本の舟着きぬれば、島のおさきもいり先立ち、国衆をともなひ、其好みの家に入、其家の女房を其妻とさだむるゆへに、女房共 天道祈りをかけ、我家へ国衆をいらしめ給へとねがふ。国衆とは日本人をいふ。国衆の入らざる家の女は、天道をうらみ、身をかこちあへるばかり也。国衆入ぬる家、よろこぶ事、たとへばから天竺に住付てゐたる子や親が、不慮の仕合有て帰朝し二たびあへる心ち、扨又及びなき人を年とし月 恋託しがまれにあふがごとし。我乗たる舟此島へ付たりしに、島の肝煎いそぎ来て、はや〳〵島へあがらせ給へ、御国衆を聟入させ申べし。御舟よりすぐに御目ずきの女房の家へ入せ給ふべしと、国衆をともなひ望みの家に一人づゝ入をく。其家の亭主出合、御聟入かたじけなや、所にをいての面目たり。帰国まではゆる〳〵とおはしませと心よくいとまごひして、よの在所へ行て年月を送る。女房 舅親類下げ人までも、御聟入めでたきとよろこびあへる事、たゞ手の上におさあひ子を置き愛するがごとく、皆人集りてもてはやしければ、国衆は思ひの外のたのしみ、玉の台に有て女御更衣あたりにみち〳〵て栄花の花なはざかり、喜見城のたのしび、是たゞ邯鄲の夢の心地、もしさめなばいかゞせんと思ひぬるのみ、筆にもつくしがたしとかたる。扨又 国衆入らぬ家の女は、朝夕浜辺に立ち、沖をながめて歎き、あはれ我家へも御国衆入らせ給へかしと、袖をぬらして祈る。是を見れば、情いとあはれにして、同じ人の身ながら、所かはれば、かくも風俗ことなるものかと、心もおどろきぬ。去程に一年過ぎ、帰帆の時節近づきければ、女房涙を流し、いかに御国衆、いま一度御渡海ありなば、必ず我家へ入らせ給へと、幾度も契りをかはす。我も名残を惜しみつゝ、舟に乗りて島をはなれけるが、沖に出づるほどに、島の山々(やまやま)霞みわたり、松風の音ほのかに聞ゆ。顧みれば、女房浜辺に立ち、袖をふりて見送りける。その姿雲の間にまぎれ、やがて見えずなりぬ。その時の心地、夢かうつゝかと疑ひ、しばし舟の上にて呆然たり。さて下田へ帰りし後も、かの島の風景と女房の容色と、忘るゝ事なく、夜ごとに夢に見え、今もなほ、あの島へ再(ふたゝ)び渡らばやと、思ひやまず。人は笑へども、心はとゞまらず。それ世の中は、たゞ一夢のあひだの逢瀬に似たり。島にての栄花も、帰国の身の憂さも、皆夢のうちにすぎぬる事ぞかし。と久兵衛語りければ、聞く人もまた、ただあはれに思ひぬ。
〜参考文献〜
北条五代記(博文館編輯局校訂) - Wikisource
https://share.google/FGo71GTKh9plFa7d0
〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、単にWikiなどから貼り付けると元のルビが崩れて文章がグチャグチャになります。そのため原文の体裁は、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の雰囲気を感じてもらえたらと思います。
この「小説+原文併記」という形式は、たぶんなろうではあまり見ない試みだと思います。
もし面白い試みだと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければと思います。率直な感想として謹んで承ります。




