5-2 小田原の侍の身だしなみ 〜 黒い歯と抜き毛と超Vネックの美学 〜
『北条五代記』は、三浦浄心が著した、後北条氏にまつわる話題を中心とした仮名草子・軍記物語。確認されている最古の版本は寛永18年(1641年)刊。万治2年(1659年)版が流布本で残存数も多い。ともに全10巻だが内容には改変がある。出典:Wikipedia
どうも。身だしなみには気を使っているダンディ作家、三浦浄心だ。
さて、今回は俺たちの地元・小田原北条家に仕えていた侍たちの「ライフスタイル」と「ファッション」について語ろう。
ぶっちゃけ、当時の北条家の侍たちは、現代(江戸時代)の俺らが想像するよりずっと「ちゃんとしていた」。北条家の侍が一番大事にしていたのは「仁義礼智信」。要するに、人として、武士としてのコンプライアンスを完璧に守るメンタリティだ。
源氏、平氏、藤原氏、橘氏……そんな名門の血を引くエリートたちが、自分の身の程をわきまえ、上司を敬い、部下を慈しむ。まさにホワイト企業の鑑みたいな組織だったんだ。
でも、ただ真面目なだけじゃない。北条家の侍には、今の若者が聞いたら「えっ、マジで……?」と引くくらいの、尖りすぎた美学があった。
1. 弓・鉄砲・そして「イヌ」
まずは正月のルーティン、俺らの「仕事始め」を紹介しよう。1月7日に御弓はじめ。まずは弓のトッププロ、鈴木大学頭を筆頭に、射手たちがズラリと並んでスキルを披露する。1月8日には鉄砲はじめ。翌日は最新デバイス、火縄銃の撃ち初めだ。
そして、北条家の正月イベントで一番アツいのが、「犬追物」。場所は、小田原にある「御犬の馬場」。広さは長さ約90メートル、横約54メートルという広大な特設ステージだ。ここに烏帽子に直垂というガチの正装で着飾った射手たちが登場する。そこへ20匹、30匹というワンちゃんたちが解き放たれる。
「この舞台で一番目立ってやるぜ!」とばかりに、彼らは馬を走らせて矢を放つ競争をするんだ。これをプロデュースしていたのは、弓馬術のレジェンド、小笠原播磨守。主君である氏直様が「仁(思いやり)」を大切にしていたから、部下たちもみんな「仁」をベースに動く。「仁者は山を楽しむ」なんて言うけれど、北条の侍たちは、静かに、でも着実に万物を育てる山のような安定感を持っていたわけだ。
2. 「陰口」禁止! 徹底された大人のマナー
おそらく驚くと思うのが、俺らの普段の「話し方」だ。北条家の侍たちは、敵であっても味方であっても、大名クラスの人間に対して口汚い悪口を言うことは絶対になかった。「あいつマジでクソだな」みたいな愚痴は、武士のプライドが許さなかったんだろう。
さらに、道端で知らない人とすれ違う時も、山や海で遊んでいる時も、相手が立派な僧侶だったり、貴婦人や子供だったり、あるいは神社仏閣の前を通る時は、必ず馬から降りて礼を尽くした。「君臣の礼」を何よりも重んじる。それが当時の「小田原スタイル」であり、関東中の武士たちが「かっこいい……!」と真似した最先端の振る舞いだったんだ。
3. 【閲覧注意】命懸けのメイク「お歯黒」
さて、ここからが本題だ。当時の侍たちの「身だしなみ」が、今の感覚からするとかなり独特というか異様なんだ。
まず、侍は老いも若きも「歯を黒く染めていた(お歯黒)」。「えっ、お歯黒って女性の文化じゃないの?」と思うだろ?だが、俺らにはガチな理由があった。
「賢い臣下は二人の君主に仕えず。黒い色は他の色に染まらない」
つまり、お歯黒は「私は主君に一生ついていきます」という、不変の忠誠誓約の証だったんだ。だから、戦場に行く時は必ず歯を黒く染め、口の中を清潔にする。なぜかって? 自分が討ち取られた後、首実検(顔パス確認)をされる時に、歯が白いと「あ、こいつ雑魚キャラだな」と判定されてしまう。逆に歯が黒いと「おっ、こいつは覚悟が決まった立派な侍だ」とランクアップして扱ってもらえるからだ。まさに、「死ぬ準備」としてのフルメイク。
源平合戦のレジェンド、斎藤実盛が白髪を黒く染めて出陣したのと同じ、熱い武士のこだわりがそこにはあった。
4. 極限のグルーミング:「月食」と「付け毛」
さらにヤバいのがヘアスタイルだ。俺らは「月食」という、今でいう「中剃り(逆トンスラ的なもの)」をしていた。驚くのはそのやり方だ。なんと、木製の大きな木鋏を使って、頭頂部の毛やこめかみの毛を「引き抜いて」いたんだ!
地肌が透けて見えるほどスカスカに抜き、残った毛を「美男石」という整髪料でカッチカチに固めて高く盛り上げる。さらに若手たちの間では、「付け毛」が大流行。毛先をモミの木みたいにフワフワにしたり、わざわざ別の毛パーツを作って、パーマをかけたみたいにチリチリに縮ませて、花束みたいに盛り付けたりしていた。今でいう「盛り髪」に近いかもしれない。
戦国時代の小田原は、実は日本屈指のオシャレタウンだったんだ。
5. 「超Vネック」と「ハイウエスト」の黄金比
最後に、俺らの着付けだ。イケてる連中が好んだのは、「のけえもん」というスタイル。これは、着物の襟を極端に後ろに引いて着る着こなしだ。どれくらい引くかというと、背骨にある「膏肓」というツボが見えるくらい。今でいうバックレスドレスか、超ディープなVネックみたいな感じだろうか。これに合わせるのが、「胸高の袴」。前を高く、後ろもグッと持ち上げて履く。すると、後ろの襟と袴のラインの間が15センチから18センチくらい開くことになる。
「大胆に開いた背中×超ハイウエスト」。
これが小田原北条家の侍たちの「勝負服」であり、当時は「これこそが丁寧で洗練された風俗だ」と思われていたんだ。
……さて、この話を、現代(江戸時代)の「今どきの若者」たちに話して聞かせた時のこと。俺が「昔の小田原の侍は、毛を抜いて、歯を真っ黒にして、背中を全開にしてたんだぞ」と語ったら、彼らは爆笑した。
「礼儀の話は分かりますけど、その格好はマジで笑える。今そんな奴がいたら変質者ですよ!」
実際にその時代を見てきた俺からすれば、当時はそれが最高にクールだったんだけどな。
でも、それでいいんだと思う。
「何事も、その時の流行に合わせて生きるのが一番良い」
歯を黒く染める情熱も、髪を盛りすぎるこだわりも、すべてはその時代を精一杯生き、主君のために命を懸けようとした男たちの証。
今のファッションも、100年後の若者からすれば「おかしな格好」かもしれない。けれど、そこに「自分なりの美学」があるなら、それはいつの時代も、立派な「侍の形義」なんだから。
校訂 北条五代記 博文館編輯局(明治三十二年)
二 関東昔侍形義異様なる事
見しはむかし。さがみ小田原北条家諸侍、仁義礼智信を専とし、形義作法たゞしく、源平藤橘の四姓をかしらとし、八十氏の旧流をくんで、天下にをいていやしからず。然に宿因をかんじて果をなす所、高下ことなりといへ共、我々の分限を知つて、上を敬ひ下を憐れみ、仁義を本とせり。殊にもて弓馬の学びをこたる事なし。立春には氏直公、正月七日御 弓場にをいて御弓はじめあり。鈴木(すゞき)大学頭を前とし、射手の衆参候す。八日に鉄砲はじめ、両日御前にてをの〳〵武芸をあらはす。扨又御 犬の馬場と号し、長さ五十 間、よこ三十間程、犬追ふ物の馬場あり。射手はゑぼし直垂を着し馬に乗り、犬は二十疋三十疋をはなす。射手は爰をはれと矢数をあらそふ。小笠原はりまの守、是を執行す。大学に一家仁なるときんば一国仁をおこすといへるがごとく、氏直仁をもつはらとし給へば、諸侍仁をおこなふ。仁者は山をたのしむといひて、山ははたらかずじねんにしづかに有て草木万物生ずるがごとし。かるがゆへに仁は五常のはじめにして、義礼智信の四ツは仁の内にあり。然に関東諸侍、常に礼義をみださず、敵みかたによらず大名たる人をば、常の物語にも口きたなくはいはず。未聞不見の人にあふといふ共、道路の辻、山野花月の遊興、あるひは有智の高僧、あるひは上臈少人、神社仏寺等の前にては、かならず下馬をなし、其くらゐ〳〵にしたがつて礼義其様厳重に有て、跼蹐の礼、終日をこたらず、君臣の礼いよ〳〵をもんじ給へり。諸侍の形義異様に候ひし。上下のひだのためよう、衣紋のりきやうに至るまでも、小田原やうとて皆人まなべり。常の放言にも、賢臣二君に仕へず、黒色へんぜざるをもて鉄漿とすといひて、侍たる人は老若共に歯黒をし給ひぬ。歯海経に云、東海黒歯国有、其俗婦人歯こと〴〵くくろくそむ。今あんずるに、日本 東海中国ゆへ、是を訓と云々。昔関東、敵みかた合戦し首実検の時、はぐろの首をば侍の首とて先上へ懸けたり。故に戦場へ出るには討死を心がけ、揚枝をつかひ、はぐろをもつぱらとせり。いにしへの実盛はびん髯を墨にそめ、小田原北条家の侍ははぐろをす。古今ことなれ共、其心ざしはおなしき者なり。扨又げつじきと名付て、木をもて大きに木ばさみを作り、其げつじきにてかしら毛をぬき、又鬢の毛のあひだをぬきすかし、皮肉の見ゆる程にして、髪をばびなんせきにてびんを高くつけあげ給へり。若殿原達は、髪さきをもみふさのごとくにゆひ、又つけがみとて別にかみさきをこしらへ、うらをもみ、ちゞみをよせて花ふさなどのごとくに作り、付髪してゆひ、衣裳をきるには、のけゑもんと名付て、けたかく引きつくろひ、ゑりをせなかの中ぼね四のゆまでのけて、膏盲の灸の見ゆる程に着し、はかまの前をむなだかに、うしろごしをあげてき給ふ。其程に後のゑもんつきとはかまごしの間、五寸六寸程有し也。廿四五年以前までは、関東諸侍の形体風俗叮寧にかくこそ有つれと、今の若き衆に物語なせば、若き衆聞て、礼義の事はさもこそあらめ、昔関東侍の形義、聞さへおかしきに、今見るならばいかにと云て笑ふ。実見なれし愚老も、今見るならばさもやあらん。何事も其時の風俗をまなびてよかるべし。
〜参考文献〜
北条五代記(博文館編輯局校訂) - Wikisource
https://share.google/FGo71GTKh9plFa7d0
〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、単にWikiなどから貼り付けると元のルビが崩れて文章がグチャグチャになります。そのため原文の体裁は、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の雰囲気を感じてもらえたらと思います。
この「小説+原文併記」という形式は、たぶんなろうではあまり見ない試みだと思います。
もし面白い試みだと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければと思います。率直な感想として謹んで承ります。




