5-1 北条氏直は見た! 織田帝国崩壊と滝川一益の華麗なる幕引き
『北条五代記』は、三浦浄心が著した、後北条氏にまつわる話題を中心とした仮名草子・軍記物語。確認されている最古の版本は寛永18年(1641年)刊。万治2年(1659年)版が流布本で残存数も多い。ともに全10巻だが内容には改変がある。出典:Wikipedia
俺の名は北条氏直。相模小田原を拠点に関東をぶいぶい言わせている北条家の五代目、いわば「創業100年の老舗ベンチャー」の跡取り息子だ。
天正10年(1582年)。この年は、俺たち戦国大名にとって、まさに激変の年だった。この戦国争乱の乱世の覇者、織田信長。圧倒的な火力で関西を「完封」し、俺たちの好敵手だった武田勝頼をボコボコにして滅ぼした。俺も親父氏政も、当時は「信長の連勝が止まらない。ここは同盟を組んでおくのが正解だな」と、武田攻めのサポートに回っていた。
ところが、である。6月2日、歴史を揺るがす「大事件」が発生した。そう、「本能寺の変」だ。
最強の覇者が突如BANされたことで、織田帝国という巨大 組織は一瞬で瓦解。関東のパワーバランスは、音を立てて崩壊した。
そこで一番マズい状況に陥ったのが、織田家から「関東管領」という名目で上野国に派遣されていた、滝川一益(左近将監)だ。
信長の訃報を聞いたとき、一益は完全なアウェー状態だった。周りは昨日まで敵だった地元の国人衆ばかり。普通なら、情報を隠蔽して夜逃げするところだろう? 誰だって自分の命は惜しいからな。
だが、一益は「ガチ勢」だった。彼は地元の諸将を緊急招集して、こう切り出した。
「信長様が討たれた。俺はこれから主君の仇を討つために西へ帰る。前橋の城も、預かっていた人質もすべて返す。――だが、その前に北条(つまり俺たち)が間違いなく攻めてくる。俺と一緒に、一戦交えてくれる奴はいないか?」
これには上州の侍たちもシビれたらしい。「普通、人質を盾にして逃げるだろ……?」と。一益の「義」に触れた彼らは、「あんた、マジかよ。そこまで言うなら最期まで付き合ってやるよ!」と、人質を返してもらった恩義を感じて、滝川軍に合流した。
敵ながらあっぱれだ。負け戦を最高の「名誉挽回イベント」に昇華させるとは。だが、こちらも「関東の覇者」としてのプライドがある。
小田原にいた俺たちの動きも速かった。
「チャンス到来! 織田が混乱してる隙に、関東から奴らを追い出して、失った領土を全部取り返すぞ!」
まず飛び出したのは、武州・鉢形城主の叔父貴、北条安房守氏邦だ。この叔父貴、腕は立つんだがとにかく気が短い。「氏直の到着を待ってから……」なんて悠長なことは言わず、「俺一人で上州を切り取ってやるぜ!」とばかりに、前陣を切って神流川を越えていった。
だが、そこで一益殿の「気合の入った」反撃を喰らってしまう。最初の小競り合いで叔父貴の軍は200人ほど討ち取られ、まさかの敗走。一益軍の気合は最高潮に達していた。
……やれやれ、最初から俺に任せておけばいいものを。
俺は、北条の本気を見せることにした。率いる数は、10万騎(※『五代記』特有の盛り表現だが、気分的にはそれくらい圧倒的だったんだ)。雲霞のごとく押し寄せる俺たちの旗印を見て、さっきまで意気揚々としていた上州勢は一瞬でフリーズした。
「……え、これ無理ゲーじゃね?」と。
圧倒的な兵力差を前に、退却を考え始めた上州勢。だが、ここで再び一益が「漢」を見せる。
「前陣で君たちが勝った武勇は、天下に響き渡るだろう。ここからは俺たちの番だ。俺が前陣を務める。君たちは後ろで見守っていてくれ!」
一益の馬印は、金の「三ツだんご」。わずか3,000の精鋭を引き連れ、彼は愛馬・鴇毛に跨って、俺たちの目の前に躍り出た。
「かかれ、かかれ! 名を惜しめ、死を軽くせよ! これぞ織田の、滝川の戦いよ!」
一団となった滝川軍は、数万の俺たちのど真ん中に、面も振らず突っ込んできた。迎え撃つのは、俺の自慢の家臣団。松田、大道寺、清水……歴戦の猛者たちが、「長柄刀」を振るって応戦する。
そこからは、まさに地獄。斬っては斬られ、突き伏せては突き伏せ。一益の3,000騎は、圧倒的な数の暴力に晒されながらも、一時間ほど俺たちを押し留めた。あの奮闘は、まさに「鬼神の如し」だった。
しかし、戦は数だ。多勢に無勢。滝川軍はついに力尽き、多くの犠牲を出して敗走した。普通なら、ここで「絶望して切腹」か、泥にまみれて逃走するだろう。
ところが、ここからが一益の真骨頂だった。その夜、箕輪城に戻った一益。追い詰められているはずなのに、彼は残った将兵を集めて酒宴を開いたらしい。さらには、鼓を打たせ、自ら扇を持って舞い始めたというじゃないか。
「勝敗は兵家の常。俺たちはやるべきことをやった。最後はパーッとやろうぜ!」
夜明け前、一益殿は誰にも気づかれぬうちに城を出た。そして約束通り、人質たちは一人残らず無事に家族の元へ返した。彼はそのまま木曽路を越えて、自領の伊勢へと帰還した。
この戦いを見て、俺は思った。勝利したのは俺たち北条だ。だが、人々の心に残ったのは、滝川一益の潔さだった。
「義を重んじ、命を軽くして一戦に挑み、最後は綺麗に幕を引く。あいつもまた、本物の大将だったな」
俺、北条氏直は、この勢いのまま上州を制圧した。
織田という巨大な勢力が消えたこの関東で、俺たち北条五代100年の夢は、いよいよ最終局面へと向かっていく。多勢に無勢でも立ち向かう勇気。負けると分かっていても、プライドのために振るう剣。
…… これが俺の見た、北条の歴史のワンシーン。ただの記録じゃない、命のやり取りがここにはあったんだ。
校訂 北条五代記 博文館編輯局(明治三十二年)
一 北条氏直と滝川左近将監合戦の事
聞しはむかし。尾州織田の三郎信長、永禄年中京都へせめ上り、三好修理亮を追討し、義兵をあげ、天下に威をふるひ、其上二 位大納言兼右大将、平朝臣信長公に任じ、関西をなびかし給ひ、天下掌(たなごゝろ)なれ共、甲州武田の四郎勝頼敵たるによて、信長公 天正十年の春甲州へ発向し給ひ、同三月十一日勝頼、太郎 信勝父子をほろぼし、猛威を遠近にふるひ給ひぬ。相州北条 氏直は信長公と兼て一味、勝頼とは敵対なれば、是によて信長公手合として駿州へ出馬の所に、勝頼方の城高国寺、三牧橋両城はあけ退きぬ。氏直は浮島原吉原にはたを立、富士のすそ野、近里 遠村を放火あし、帰陣せり。扨又勝頼に一味する西上州の侍共、此いきほひにをそれ、皆落髪入道し、すみそめの衣をき、甲州へ参じ、降人と成なつて信長公へ出仕す。然ば氏直 名代として北条 陸奥守氏照、甲州へ参着す。大鷹三十聡、馬五十疋を進上す。信長公陸奥守に対面有て、陸奥守やがて帰国せり。信長公は甲州より引退し、近江安土の居城へ馬をおさめ給ひぬ。西上州 仕置として滝川左近将監一益をさしつかはさる。其上関東 官領職にふせられ、奥州までも手柄しだひ切取べき命旨を請け、滝川信州 小室へ着き、それより上州箕輪へうつり、其後同国 前橋の城に有て、近隣の侍共をわが旗下になす。倉賀野淡路守、内藤大和守、小幡上野守、由良信濃守(ゆらしなのゝかみ)、安中左近大夫、深谷左兵衛尉、成田下野守、うへ田 安徳斎、高山遠江守、木辺宮内太輔、長尾新五郎、皆もつて滝川が下知にしたがふ。此等の者の人質を取て箕輪の城に入をく。其いきほひのいかめしさ、狐が虎の威をかるがごとし。然所に信長公、信忠卿父子京都にをいて、同年六月二日 明智日向守光秀がためにころされ給ひぬ。此よし上州へ告げ来る。滝川聞ておどろきしが、智謀武略の者にて、上州の侍共はいまだ此義をしらざれば、近辺の諸侍を急ぎ招きよせ、滝川云けるは、当月二日信長公父子京都にをいて明智日向守がために討たれ給ひぬ。滝川京都へせめ上り、主君をとふらひ合戦し日向守を討ほろぼさん望み有と云うも、西国には羽柴筑前守秀吉あり、柴田修理亮勝家加賀(かゞ)ゑちせんに有て隣国なれば討つて上るべし。其上 中将殿、三七殿ましませば、いづれかはせ参じかれをうたん事安かるべし。然ば北条氏直、此義を聞き上州へ出馬すべし。ねがはくはわれ氏直と合戦すべし。上州諸侍一味有べきか、きかんいなやと云。上州衆此よしを聞、滝川此一大事を聞あへずしらする事、義を守り節ををもくする大将なりと、をの〳〵感じたり。此義異儀に及ばば、渡しをく所の人質滝川がために害せらるべし。以後は兎も角もあれ、一味せずんば叶ふべからずと、をの〳〵一同す。滝川此よしを聞、望みたんぬと喜悦の思ひをなしていはく、氏直大軍にてよせ来るといへ共、合戦のならひ、多勢小勢によらず、勝負を決する事は士卒の心ざしを一つにするにあり。其上一方にたゝかひ決し、万方に勝つ事をうるは武略のなす所、ひとへに天運を守り、名をおもくし、死をかろくするをもて義とせり。此度待ちいくさに至ては、敵に気をのまれ、みかたをくするに似たるか。滝川小田原へ使者をたて、申されけるは、当月二日信長公京都にをいて明智日向が為に討たれ給ひぬ。是によて滝川京都へ上り、惟任を討たんのぞみあり。前橋の居城をあけ渡すべし。急ぎ来て請け取らるべしと、武州 鉢形の城主北条 安房守氏邦所へ使者を遣はす。あはの守此よしを聞、扨は滝川上がたへにげ行くと覚へたり。西上州をばわれ一人して切てとらんと、たなごゝろににぎり、氏直出馬をもまたず前陣にすゝみ、上武のさかひかんな川を越しかなくぼまでをしよする。氏直此由聞あへず、小田原を打立。先陣は富田、石神辺に陣し、氏直は安房が陣場二里こなた本庄に旗を立、後陣は深谷、熊谷に着きぬ。然に滝川左近将監はくらか野の方に有て後陣也。西上州衆は前陣にこと〳〵くそなへり。安房守 無勢を見て、氏直はいまだ出馬なし、あはの守が一手ばかりは物の数ならず、いざ打ちらさんと一同し、おなじき六月十八日の巳の刻に至て合戦す。既に上州衆 切勝ち、あはの守敗北し、二百人程討たれ、みかたの陣へ乱入。上州衆初合戦にうち勝ち、いきほひける所に、氏直是を見給ひ一戦をもよほし、かなくぼへをしよする。軍勢十万する事 雲霞のごとし。上州衆大軍を見て肝をけし、重ねてたゝかふべき事、蟷螂が斧かなふべからず、皆々居城へ引退すべき体あらはせり。滝川是を見るといへ共、さあらぬ体にて云けるは、前陣の合戦に上州衆切勝つ事、其ほまれ天下に比類有べからず。此度の合戦にをいては滝川前陣仕べし。上州衆は後陣につゞくべしと云すて、くらか野のかたより打立。其勢津田次右衛門尉、舎弟五郎、同理助、滝川義太夫、富田喜太郎、槙野伝蔵、谷崎忠右衛門尉、栗田金右衛門尉、壁野文左衛門、岩田市右衛門尉、同平三、太田五右衛門尉、稲田九蔵、津田小平次、手勢三千余騎にすぎず。玉村かなくぼの方へはせむかふ。滝川馬じるしは金の三ツだんご也。是を正先に立、大敵をあざむきしは光武が心を移しえたる猛強の大将也。滝川鴇毛の馬に乗り、ざいをはひちにかけ、鑓を取て先にすゝみ、かゝれ〳〵と士卒をいさめて下知をなす。滝川が家老篠岡(さゝをか)平右衛門尉、前登にすゝむ。かれがさし物は篠也。其家中の者共皆篠をしるしにさす。滝川が人数たゞ一まとゐに成て、馬のくつばみをならべ、氏直数万騎はせむかふ所へましぐらに面もふらず切てかゝる。氏直先手には松田尾張守入道、大道寺するがの守、遠山ぶぜんの守、はがいよの守、山角かうづけの守、同紀伊の守、ふく島いがの守、依田大膳、南条山城の守、清水太郎左衛門尉、いせ備中守、松田肥後守等ら切てかゝる。追つつ、まくつつ、首を取つとられつ、半時たゝかひしが、滝川すでに討負敗軍す。勝に乗つていきほひ、追かけ切ふせ、つき臥、二千余人討取たり。上州衆は滝川にもかまはず、をの〳〵が居城へ引いて入。滝川其夜は箕輪にとゞまり、残党をあつめ、酒宴し、鼓(つゞみ)をならし、滝川扇を取て舞たるとかや。暁天いまだ明けざるより箕輪を打立ち、人質共を先に立、小室臼井より皆返し、きそ路を越えて、いせの国いにしへの領知、かろと島とかやに着きぬ。多勢に無勢、かなひがたき所に義ををもんじ、命をかろんじ、一合戦し、始終(しゞう)をよくおさめたると皆人感ぜり。
〜参考文献〜
北条五代記(博文館編輯局校訂) - Wikisource
https://share.google/FGo71GTKh9plFa7d0
〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、単にWikiなどから貼り付けると元のルビが崩れて文章がグチャグチャになります。そのため原文の体裁は、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の雰囲気を感じてもらえたらと思います。
この「小説+原文併記」という形式は、たぶんなろうではあまり見ない試みだと思います。
もし面白い試みだと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければと思います。率直な感想として謹んで承ります。




