絶筆断片 断片一「澱みの観測」
(編者注。第一の束は、麻紐でくくられた覚え書き三十余葉である。以下は、王国歴1448年、刈入れの月の日付を持つ数葉を、日の順に写したものである。文字は端正で、行はまっすぐに揃っている。)
刈入れの月 3の日
問いは、酒袋の底から来た。
婆やが新しい酒を漉すのを眺めていた。布を通った酒は澄み、布の上には黒い澱が残る。婆やはそれを庭の隅に捨てる。問う。世界という酒袋の澱は、誰が、どこに捨てているのか。
笑うなかれ。私は真面目である。魔導とは、世の流れを汲み、コルの器に通して、望む形に澄ませる業である。これは機構の原論の第一頁に書いてあることだ。ならば澄ませたぶんだけ、どこかに濁りが残るはずである。原論は、その行方を書かない。汲むことと澄ませることばかりを教えて、捨てることを教えぬ帳簿は、勘定を半分しか書いていない。
半分の帳簿を、数千年に渡り誰も怪しまなかった。今日から私が怪しむことにする。
刈入れの月 7の日
言葉を定める。世の流れが使われたのちに残る重い残滓を、仮に、澱みと呼ぶ。重い、というのは目方のことではない。沈む性質を言う。澄んだものは昇り、濁ったものは沈む。酒がそうであり、川がそうであり、人の噂ですらそうである。世界だけが例外であると考える理由を、私は持たない。
沈むならば、行き着く先は底である。統一神書は、世界の底なるものを闇界と呼び、それ以上を語らない。谷の者は、もっと簡潔である。底、と呼ぶ。
仮説を立てる。創世このかた、世界の澱みは、底に向かって沈み続けている。人が栄え、魔導の行使が増えるほど、沈むものは増える。底には、創世からの澱みが、溜まり続けている。
刈入れの月 12の日
証しを集めに、麓へ下りた。
鉱山の年寄りに会う。いちばん深い坑道の話を乞うと、年寄りは長らく黙り、それから言った。深いところには、黒い水が湧く場所がある。触れてはならぬと教わる。灯りを近づけると、灯りのほうが暗くなる、と。冗談の顔ではなかった。
古戦場の井戸のことも聞き集めた。崩滅の折に大きな魔導の吹き荒れた土地では、いまも井戸の水が重い、と言う者が多い。重い、という言い方を、誰に教わるでもなく皆がする。獣は飲まず、鳥は上を渡らぬそうである。
学者の書くものには、これらはひとつも載っていない。民の言い伝えには、いくらでもある。物語は嘘をつくが、出鱈目は言わない。どこかで読んだ言葉である。誰の言葉だったか。
(編者注。この葉の余白に、小さく、龍語学者の書なり、と後から書き足されている。)
刈入れの月 18の日
見積もりを立てた。丸一日、数字と組み打ちした。
千年の闘争のあいだに費やされた魔導を、神統書の戦の記述から低めに見積もる。崩滅そのものを加える。無暦の三百五十年、王国歴の千六百年余りの、日々の暮らしの魔導を加える。灯り、竈、井戸、癒やし。ひとつずつは塵にすぎない。だが世界じゅうの塵が、二千年、毎日、沈み続けたとしたら。
出た数字を、三度検算した。三度とも、同じところに落ちた。
数の上では、底はとうに一杯である。あふれた澱みが地表に滲み、井戸という井戸が重くなり、世界は、すでに濁り切っていなければならない。
だが、世界は澄んでいる。今朝も谷の水は冷たく、麦は実り、婆やの麦餅は香ばしい匂いを立てていた。
帳尻が、合わない。溜まっているはずのものが、足りない。
刈入れの月 26の日
狂いのわけとして、説明を三つ立てる。
一。澱みは、いずれ消える。これは採らない。在るものが理由なく無に帰する例を、私はこの世にひとつも知らない。
二。澱みは、どこかへ漏れ出ている。ありうる。だが、どこへか。神書は、門守神が世界の門を守ると教える。門番のいる家から、汚水だけが黙って漏れるものだろうか。しかも神書は、あの門が何を入れぬための門なのか、何を出さぬための門なのかを、ついに書いていない。これは面白い。覚えておく。
三。何かが、受け止めている。底のどこかで、誰かが、沈んでくるものを受けて、溜めて、堰き止めている。
三つのうちで、これがいちばん馬鹿げている。世界の底に、酒袋の澱を啜ってくれる誰かがいる、というのか。神話にも、そのような酔狂な神はいない。八柱の誰ひとり、そんな汚れ仕事を引き受けたとは書かれていない。
書かれていない。
今日はここまでにする。
刈入れの月 34の日
これらの覚え書きを、いずれ一書に編もうと思う。題も決めてある。
先だって、崖の縁で北の淵を眺めていたら、婆やに叱られた。淵を長く見るものではありませんよ、先生。谷では子供にそう教えるのだそうだ。うまいことを言う。学問とは、まさにそれをする仕事だからだ。皆が見るなと教わった淵を、誰かが代わりに、長く見る。
題は、淵睨録、とする。淵を睨む男の記録である。人は笑うだろう。笑わせておく。
良い問いは、良い酒に似て、底に澱を残す。この澱は、私が啜ろう。
今夜は、よく眠れそうである。
(編者注。第一の束は、ここで終わっている。次の束まで、五年の隔たりがある。付け加えることが、ひとつだけある。この最後の数葉あたりから、余白に、渦を幾重にも重ねたような小さな図が、現れ始める。はじめは幾何の図式のように整っている。整っているのは、はじめのうちだけである。)




