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召喚した使い魔が、隣国の氷の皇太子だった  作者: 岡達 英茉
最終章 「分水嶺の術」
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皇太子とバード

 執務室の明かりは、夜遅くまで灯っていた。

 書面に羽ペンで字を連ねていたバシレオスが、手を止めて左手でこめかみを抑える。

 ずっと机で書類と向き合っていたせいか、バシレオスは目に疲労を感じていた。

 羽ペンをペン立てに一旦戻し、革張りの椅子の背もたれに深くもたれる。


「やれやれ、あと何か国に祝辞を書かねばならんのか」


 先日、リンツ王国での建国記念式典が終わった。

 ゴダイバ帝国の属国となっている残りの六王国も、この一月以内に次々と建国を祝う行事が予定されていて、皇太子であるバシレオスはそこに皇帝の代理として出席しなければならない。

 その際読み上げる祝辞は、時間をかけて練り上げておく必要がある。

 机上に崩れそうなほど積まれた書物は、全て次にバシレオスが派遣されることになっている、フェレオ王国について書かれたものだ。ほんの5分程度で読み終わってしまう祝辞だが、事前に入念な下調べをする必要がある。

 政治や経済、歴史について復習してからでなければ、空虚な祝いの言葉になるからだ。

 祝辞の中に盛り込む気の利いたエピソードが思いつかず、バシレオスは軽く溜め息をついた。呼気に煽られ、机上の燭台の火が揺れる。

 ユラユラと動く蝋燭の灯りに、バシレオスが目をすがめる。炎を見ていると、彼にはいつも思い出す光景があった。

 それは逃げても逃げてもなお、彼の脳裏にこびりついた残像だ。


 十二歳の誕生日を船上で祝ってもらっていたあの日。

 甲板員の一人が出火に気がつく寸前まで、バシレオスは自分の侍女達が、彼に誕生祝いの歌を歌ってくれるのを聞いていた。

 火はあっという間に船全体に広がり、逃げ道を塞いだ。そもそも船の上にあっては、逃げ道はほとんどなかったが。

 もし魔術師が乗船していれば、状況は違ったかもしれない。だが陸にいる者たちが助けを寄越す前に、火は油でも床に撒かれていたのか、船全体を包み込んだ。

 剣術ばかり磨いてきたことを、魔術の学習を疎かにしていたことを、バシレオスは悔やんでも悔やみきれない。

 バシレオスの側近たちは、飲み水として持ち込まれていた水をバシレオスを守るために、彼の周囲にどんどんかけた。

 灰が飛び交い、煙は熱風となって甲板を襲った。熱さを訴えて一番若い侍女が泣く声が聞こえ、バシレオスは煙を掻き分け、彼女を捜そうとした。

 だが最後の一つとなった水の入った樽は、屈強な軍人である側近のひとりによって、バシレオスの全身にかけられた。

 彼に水を浴びせた側近は言った。


「殿下を担いで、海に飛び込みます。海に入ったら、決して私を離さないでください」


 側近は軽々とバシレオスを抱えた。ゴードンというバシレオスと同い年の息子がいる男だ。十二歳の男の子を抱え上げるのに、慣れているのだろう。

 甲板を燃やす火に突っ込んでいくように、側近はバシレオスを連れて駆け出した。そして船の端までたどり着くなり、丸太を思わせる太い腕で彼を抱えたまま、非常事態に血走る目を波打つ眼下の大海原に向けて言った。


「よろしいですか、殿下は絶対に助からねばなりません。この敵に勝利を与えてはならないからです。もし、私が海の中で沈み始め、浮きとしてお役に立てなくなりましたら、必ず私をお放しください」


 言うなり側近はバシレオスの返事を待たず、彼を抱えて海に飛び込んだ。

 海水の冷たさに、バシレオスは気を失いかけた。朦朧としながらも生きようと足掻き、波の絶え間にどうにか息を吸い、側近にしがみついた。

 押し寄せる波のせいで、何度も船体に叩きつけられたが、気を失わずに済んだのは、その度側近の体に守られていたからだ。

 やがて船体から距離をとり、遠くに救助の船が見えた頃。

 側近の体が不意に離れ、沈んでいくことに気がついた。

 手を伸ばしてその巨体を掴もうとした。海の底に沈んでしまえば、助かる見込みはない。早く引き上げ、息をさせたかった。

 だが十二歳の少年にはあまりに重く、側近は音もなく沈んで消えた。

 離れていった重みと温もりに傷つく暇はなかった。船はバシレオスの目の前で、その頃には隙間もないほど火に覆われていた。

 船はバシレオスが乗っていたせいで、放火されたのだ。命を落とした者達は、彼に仕えていたために巻き添えを食ったにすぎない。

 帝国の皇子は強くなければ、自身に従う者達を守れないのだ。


 バシレオスは残像を振り払おうと頭を左右に振り、バン、とわざと物音を立てて机の天板を叩いた。


「いつまでも過去の経験に引きずられるとはな。情けない」


 大事なものは、いつだって失ってから気がつくのだ。

 当たり前のようにそばにいた者達ですら、失えば二度と元には戻らない。

 皇太子位争いをする者にとっては、敗北は死に直結する。皇子に生まれ、逃げられない運命ならば戦うしか、生きる術はない。

 蝋燭の火から目を背け、何気なく室内に目を彷徨わせたバシレオスは、ハッと息を呑んで硬直した。

 室内が先ほどより、明らかに明るい。

 燭台は机上にあり、バシレオスの影は背後にできるはずなのに、机の上に広げた紙の上に、彼の上半身の影が落ちている。

 つまり、光源が背後に急にできたということだ。


 バシレオスはガタン、と立ち上がるなり、背後に向けて腰から剣を抜いた。勢いで倒れた椅子が、派手な音を立てる。

 振り返った彼の後ろには、予想もしない者がいた。

 執務室の木の壁とバシレオスの間には、薄らと発光する妖精がいた。

 バシレオスが青い目をすがめる。


「――黒髪に、紫の瞳の妖精……。貴方はもしや、シェリィの守護妖精をしていたバードですか?」

「お会いするのは初めてですね。バシレオス・ダルメシアス・デフォン・ゴダイバ皇太子」

「フルネームをどうも。シェリィから貴方の名前だけは、よく聞いていましたのでね。お会いしたかったところです。――ところでなぜシェリィではなく、俺のところに? 妖精の王族が、祝辞作りを手伝いにでもいらしたのですか?」


 バシレオスは相手がバードだとわかっても、剣を下ろさない。

 並の妖精ではなかろうが、バシレオスにとってバードはシェリィを裏切った食えない存在だ。

 一応言葉遣いは丁寧ながらも、皮肉を込められた問いかけに対してバードは腕組みをして答えた。


「皇太子に聞きたいことがあって、人間界に戻りました」

「意外なことを仰る。俺に聞きたいこととは、なんでしょうか?」


 バードは向けられた剣をまるで気にする様子もなく、淡々と尋ねる。


「貴方は、なぜシェリィ様をリンツ王国からわざわざ連れ出し、この帝国に戻ったのですか?」

「何を今更」

「彼女にはガレル州の荘園で穏やかに暮らす道もあったのです」

「王太子妃になる準備をしていた令嬢が、田舎暮らしじゃもったいないのではありませんか? そんなことをわざわざ聞きに戻られたので?」

「それは後付けの理由の一つに過ぎないはずです。もっと大きな理由があったのでは?」


 バシレオスはバードの質問の意図が純粋に分からず、眉間に微かに力を入れた。

 対するバードは無表情のまま、神秘的な紫色の目をひたとバシレオスに向けている。

 バードから敵意は感じない。彼はただ、本当にバシレオスに聞きたいことがあってやってきたようだった。

 ようやくバシレオスが剣を下ろし、鞘に仕舞いながら答える。


「わかりましたよ。薄々察してはいましたが、貴方は随分変わった妖精のようですね。わざわざお越しいただきましたので、正直にお教えします。――俺は大事なものを手放す後悔を、二度と経験したくないからです。十二歳の時に、知ったんですよ。一度離せば、一生戻らないものがあると」


 バードは腕組みを解いて、ゆっくりと執務室の中を歩き出した。バシレオスを見つめながら、口を開く。


「つまり……皇太子にとって、シェリィ様は手放したくない大事な存在だということですね」


 バードの探るような目つきが気に障り、バシレオスは長い腕を広げて、肩を少しすくめた。


「それだけじゃないがな。可能な限り派手に動いてリンツまでシェリィの救出に行ったのは、俺だけでなく、彼女も同じ気持ちなのだと分かっているからだ」


 バードは瞳をぎこちなく動かし、バシレオスから視線を逸らした。

 決して広くない執務室の中を忙しなく歩き、やがて静かな口調で言った。


「貴方が本当にシェリィ様を大事に想っているのなら、頼みたいことがあります」


「俺に、妖精が頼み事ですか?」とバシレオスが乾いた笑い声を立てる。彼は机に軽く腰掛け、ギロリとバードを睨んだ。


「そうだな、俺もバード殿に確認したいことがあります。バード殿はシェリィとは守護妖精の契約を結んでいなかったのですから、彼女に今後関わることはないのでしょう? 貴方は任務でたまたまシェリィの側にいたに過ぎない」


 バシレオスは真剣な声色で尋ねたが、バードは表情を緩めて小さく笑った。

 一体何がおかしいんだ、とバシレオスが気色ばむ。


「ええ、その通りですよ。私は監視役としてここにいただけですから、当然シェリィ様には何も……特別な感情を抱いてはいません」

「そうですか? では、例えばアンジーを欲したこともありませんか?」


 間を置かずにバシレオスが質問を重ねると、バードは緩く開いていた手を、拳を握るように丸めた。温度のないアメジストのような瞳に、わずかに苛立ちの色が浮かび、白磁を思わせる美しい顔が不機嫌そうに歪む。

 自分の感情を動かされたことに気がついたのか、バードはバシレオスから目を逸らした。

 だがバードの小さな反応を、見逃すバシレオスではない。

 彼は小馬鹿にしたように鼻で笑った。


「同じ質問をしたつもりですがね。シェリィとアンジーでは、ずいぶん違う反応をしますね」

「そう見えましたか? 私にはわかりませんが」

「バード殿は想像するのも嫌悪するほど、アンジーを嫌っています。ですがシェリィに対しては……心の奥底では普通の守護妖精たちのように、彼女を来世では妖精界へ連れ帰りたいと思っている。――違いますか?」

「私は妖精です。契約もなくそんな面倒な願望は抱きません」


 どうだか、とバシレオスは片眉を上げた。

 バードがなんと答えようと、彼がここにいま来たことが答えだと、バシレオスは思った。


「私は皇太子に、ある重要なお願いをしに来たのです」


 バードは白い顔を一層白くさせ、口を開いた。

 己の過ちを、告白するために。

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