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召喚した使い魔が、隣国の氷の皇太子だった  作者: 岡達 英茉
最終章 「分水嶺の術」
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ゴードンの来訪

 ゴダイバ帝国の帝都に来て、シェリィが驚いたことは数え切れない。

 彼女が最も驚いたのは、ゴードンのことだった。

 移動魔法陣を使ってシェリィを以前ベネスティアに連れ出したゴードンは、大陸の魔術師の頂点にいる者――ゴダイバ帝国の筆頭魔術師だったとわかり、シェリィは目を回した。

 帝国の筆頭魔術師といえば、魔術の教科書に「世界最高峰の魔術師」と記載される職業であり、魔術を学んだ経験のある者にとっては、神のような存在なのだ。




 そして今日、筆頭魔術師のゴードンは一冊の分厚い本を持って、皇太子宮殿のシェリィとバシレオスを訪問していた。

 ゴードンは客間に入ってバシレオスと向かい合うなり、心の中で「おやっ」と小さく首を傾げた。


(あらヤダ。殿下ったら、今日はちょっとだけお疲れのようね)


 革張りのソファに深く腰掛けたバシレオスは、何やら少しだけ暗い表情をしていて、彼にしては生気がない。ゴードンはその鋭い観察眼で、皇太子のいつもとの些細な違いに気がついた。

 昨日、バシレオスは皇帝の呼び出しに応じ、皇宮から帰ってきたばかりらしいが、ゴードンもバシレオスが父親に何を言われたのかは、流石に察しがついた。

 だが今日はゴードンが持ってきた()()を伝えることが重要だ。

 ゴードンはバシレオスとシェリィが座るソファとの間にある木のローテーブルに、ドン、と本を置いた。

 その古びた紫色の表紙の本に、二人の視線が落ちる。

 金色の染料で描かれた表紙の絵は、ローブと秤だ。

 この二つは魔法の象徴でもあり、中を開かずともゴダイバ帝国と七王国の者ならば、この本は魔術書だと分かった。かなりの年代物なのか、表紙に張られた革はところどころ破れている。

 ゴードンが両腕を組み、はっきりとした声で二人に言う。


「今日は、凄いご報告があるんです。――シェリィが殿下の魂を召喚した魔術は、どんな魔術だったのかがやっと解明できたのですよ」


「本当か?」とバシレオスが顔を上げ、シェリィが身を乗り出す。

 ゴードンは長い足を組み、肩にかかる赤い髪の束をファサッと背中の方へ払った。


「この発見のために、ありとあらゆる魔術書を読み漁りました。その量たるや、意外とこのアタシでも知らない魔術がたくさんあるって気がついて、ちょっと傷ついちゃったくらいです」


 自分の胸が痛んだということをジェスチャーで表したいのか、ゴードンがローブの下の筋骨隆々とした胸を、そっと両手で押さえる。

 シェリィは反応に困ったのか、分かりやすく目を彷徨わせてから最終的にバシレオスを窺ったが、彼がなんの反応も示さないのを見て、これがゴードンの通常運転なのだろうと判断し、黙っていることにした。

 ゴードンが何食わぬ顔で続ける。


「シェリィが妖精召喚術のつもりで揃えた道具は、ガチョウの卵に絹の糸。それにラピスラズリに少量の砂利、ユリの種にアサガオの種。あと、ダイヤモンドの代わりにガラス片よね」

「ダイヤまで代用したのか」


 バシレオスが今更のようにギョッとしてシェリィを見る。

 シェリィはバシレオスに、ラピスラズリとユリの種をケチったことは既に教えていたが、ダイヤについては隠していたのだ。

 気まずそうに首を引っ込めるシェリィをよそに、ゴードンが続ける。


「でもその材料と妖精召喚の詠唱だけでは、どの魔術書をめくっても『コレだわ!』ってしっくりくる魔術はなかったんです。だけどね、多分シェリィが魔術を行った時に、意図せずある材料がそこに加えられていたんじゃないかしら?」

「ある材料……とはなんですか?」

「アンタの涙よ、シェリィ。妖精を召喚しようとしていたとき、アンタは泣いていたんじゃない?」


 シェリィはハッと考え込み、そういえばそうかもしれない、と頷いた。

 ゴードンはラメが散らされた煌めくピンク色のしおりを挟んだページを、片手で開いた。

 紫色の魔術書は、全てのページが古代文字で書かれており、残念ながらこの場ではゴードンにしか読めない。彼はインクの薄くなった文字を注意深く辿って読み上げた。


「『これはゴダイバ帝国初期に発見された魔術の一つである。大変難易度の高い術であるが、必要な魔力量は決して多くない』」


 そこまで聞いたシェリィが「だから私でも発動できたんですね」と納得できたように頷く。

 ゴードンが淡々と続きを読む。


「『しかしながら、稀有な材料を揃えねばならないため、成功率は非常に低い。成否を決するのは、術の最後に加える材料である。全材料を揃えたら、最後に【世界一悲しい雫】を加えねばならない』とあるわ」


 世界一悲しい雫、という単語をシェリィが頭の中で咀嚼する。


「まさか、それが……私の涙だったということですか?」

「ええ、そうよ。この召喚術は、己の『運命を変える者と出会うため』の魔術なの。運命という大河の抗いがたい強い流れを変える、壮麗な山となる術。だから、術名は『分水嶺の術』というの」

「分水嶺……? 初めて聞く術名です」

「ええ。画期的な魔術だけれど、使う者はあまりいなかったのでしょうね。この魔術はすぐに廃れたの。欠点が多い魔術だからよ」


 分水嶺の術とやらの欠点は、言われずともシェリィにもわかる気がした。


「――材料の涙が、不確実ですものね。自分の涙が『世界一悲しい涙』なのかは、誰にも分からないですし。何より、相手を体ごと呼び出せないところに、問題があると思います。不自由過ぎるし、魔術の発動で突然召喚された側は周りも含めて大混乱になります」


 そうなのよ、とゴードンが頷く。

 シェリィは魔術書に手を伸ばした。例え字を読めなくても、自分が発動させた術の存在を確認しようと、掠れたインクの上に指をそっと滑らせる。


「確かに、この魔術のおかげでカイルと……バシレオス殿下と会えて私の運命は変わりました。落ちぶれて弱っていくだけの運命にあった私の人生を、変える魔術だったのですね」

「これは本当に、奇跡的な偶然だったのよ。アタシ、気づいた時はゾクゾクしちゃったわ。アンタは守護妖精召喚術ではなく、意図せず古代の分水嶺の術を成功させたのだから。忘却の彼方にあった古代魔術を、再現したのよ」


 ゴードンがその時の興奮でいっぱいになった心境を再現しようと、目を驚きに見開いて両腕を手でさすってみせる。バシレオスとシェリィは、改めて自分たちを引き合わせた力がいかにほんの数滴の偶然によって発動された魔術だったのかを知り、どちらともなく見つめ合った。

 バシレオスが心からホッとした顔でゴードンを見つめ、彼を(ねぎら)う。


「でかしたぞ、ゴードン。あの召喚術が何だったのかは、ずっと気になっていたんだ。謎が解けて全てが明らかになって、良かった。やはりゴードンは実力だけでなく、知識も世界一の魔術師だな」

「いやん、殿下ったらぁ。そんな分かりきったことを〜」


 ゴードンがポッと頬を紅色に染め、分厚い胸板を屈めて照れたようにもじもじと動かす。


「ゴードン。俺からの感謝を表して、今からすぐにそなたの大好きなアフタヌーンティーを用意させる。一緒に午後の茶菓子を楽しもうじゃないか!」


 バシレオスの提案に、ゴードンが乙女のように目を輝かせる。

 皇太子の宮殿の調理師は、デザート作りが上手なことで有名だった。



 その日の夕暮れ。

 心ゆくまでスイーツを堪能してバシレオスの宮殿を後にするゴードンは、乗ってきた馬車の前で一旦立ち止まり、宮殿を見上げた。

 橙色の堅牢な宮殿は、ゴードンが子供の頃から通った馴染みの場所だ。

 ブルーノも交えて、バシレオスと三人で庭園でボールを追いかけ、回廊を走り、中庭の噴水で水浴びをした。長じてからは、バルコニーで星空を見上げて酒を酌み交わした。

 ここは第一妃の陰謀のせいで父を失った子供達が集い、結束を深めた宮殿でもある。

 ゴードンは苦々しく笑って独り言を言った。


「ふぅ。やっぱり殿下に嘘をつくのは、気がひけるし緊張したわ」


 馬車の扉を開けるために、扉に手をかける若い御者に話しかける。


「今から皇宮に走らせてちょうだい。皇帝陛下に用があるのよ」


 御者が丁重に頭を下げて馬車の扉を開けると、ゴードンは彼にウィンクをした。


「アタシって、イケない女よねぇ?」


 御者はなんのことかわからず、返事に窮していた。

 だがゴードンは意に介することなく、颯爽と馬車に乗り込んだ。

 魔術書に書かれた『分水嶺の術』の真実を、ゴードンは今バシレオスとシェリィに明かすつもりはなかった。

 ゴードンの考えでは、皇帝だけに知らせることが肝要だった。少なくとも、今は。

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