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二人の気持ち

 ゴダイバ帝国に来たシェリィは、帝都の巨大さと繁栄ぶりに目を回していた。

 建築物の規模も人々の活気も、街中に溢れるものの種類も、リンツ王国とは比べ物にならないくらい、豊かだった。

 バシレオスの住まいである皇太子宮殿も、リンツ王国の王城より大きく、何気ない廊下の装飾一つですら、リンツ王宮の謁見の間と比較しても引けを取らないくらい、豪奢なのだ。

 ゴダイバ帝国に着いてからというもの、バシレオスの選んだ女官がシェリィを帝都の観光地に案内してくれて、彼女は見るもの全てに圧倒された。

 そして一週間も経つころには、少々身の置き場に困り始めていた。

 滞在先のバシレオスの宮殿から一歩でれば、シェリィの周りに人だかりができた。

 どうやら自分は皇太子が連れ帰った恋人、として有名になっているらしい、とシェリィは自覚せざるを得なかった。


 午前中に皇宮へでかけていたバシレオスは「少し出かけてくる」と言っていたわりに、なかなか皇太子宮殿に戻らなかった。

 バシレオスの乗った馬車が戻ったのは、昼過ぎだった。

 シェリィはバシレオスの帰還に気づいてすぐに彼を出迎えたが、馬車を降りるなり彼は興奮した様子でまくし立てた。

 バシレオスが皇帝と話し合いを終えた後。リンツ王国から、使者が到着したのだ。そしてそれをきっかけに、皇宮は上を下への大騒ぎに包まれた。

 リンツ王国の使者は、第二王子が正式に王太子として立太子したことを報告しに来たのだが、それを待っていたかのように皇宮の皇室神殿に妖精が現れたのだ。妖精は四枚の翼を持っており、妖精王の使いの者だった。

 妖精は、王杖を手にしていた。


「妖精王は、バードがリンツの大聖堂から持っていった王杖を返してくださったんだ」


 シェリィはバシレオスが馬車の扉を閉める間も与えず、彼に尋ねた。


「では皇帝陛下は、リンツ王国に王杖を戻して下さるでしょうか?」

「すぐにとはいかないだろう。だが、かならず戻されるはずだ。このままでは七王国が不安定化するからな」

「それなら……安心しました」


 妖精王は王杖をゴダイバの皇帝に返すことで、再び魔力をリンツに戻すのを許したのだ。

 王杖がない状態が続けば、いずれリンツ王国から魔力は完全に消えてしまう。そうなればリンツは国力を失い、ゆっくりと隣国に吸収されていくかもしれない。

 王杖の行方に安堵すると同時に、シェリィには気掛かりがあった。


「皇宮の神殿に現れたのは、黒髪の妖精でしたか? もしかしてその妖精は、紫色の目をしていましたか?」


 シェリィはその妖精が、バードなのではないかと密かに期待した。

 シェリィの質問の意図をすぐに理解したバシレオスが、首を左右に振る。


「現れた妖精は、リンツの大聖堂から王杖を持ち去った妖精――バードとは別の妖精だ。彼とは髪の色が違っていたし、何より初老の妖精だった」


 シェリィは目に見えてがっかりした。

 力なく視線を下ろし、つぶやく。


「リンツ王国に魔力が戻るなら、とてもありがたいですけれど。でも……それならバードはもう、人間界に戻ってこないのでしょうか……?」


 アンジーの守護妖精となってバードが近くにいないだけの状況と、現在の彼が誰の妖精でもなく人間界にすらいない状況は、全く違う。


(私はもう二度と、バードと会えないの?)


 胸を塞がれる思いでいるシェリィだったが、バシレオスの後に続いて、御者が馬車から木箱を二箱も下ろし始めたため、何の箱だろうと不思議に思った。彼は随分な大荷物を、皇宮から持ち帰ったようだ。

 宮殿から出てきた使用人たちが数人がかりで木箱を抱え、建物の中へ運び入れていく。

 バシレオスはシェリィの額にキスをしてから玄関に向かいつつ、使用人に命じた。


「木箱は物置にでもしまっておいてくれ。当分出さないから、上に物を積んでしまっても構わんぞ」


 宮殿の入り口で別れた使用人たちの背中を見送り、シェリィがバシレオスに尋ねる。


「皇宮から何を持ち帰ったのですか? 随分重そうだけれど……」

「父上が俺の婚約者候補とやらを勝手に増やしたのだ。候補者達の肖像画を押し付けられたよ」


 バシレオスはハハハと笑ったが、シェリィは全く笑えず、頭から冷水を浴びせられた思いがした。

 シェリィはバシレオスが妃にしたい女性として扱われ、リンツ王国からやってきた。だが皇帝陛下はシェリィが皇太子妃にふさわしいとは思っていないのだ。


(当然よね。わかっていたことだわ)


 シェリィは宮殿の正面玄関を通ってホールにつくと、赤い絨毯が敷かれた大きな階段を見上げた。

 濃い色の木目調の階段の一段一段には、埃一つ落ちていない。併設された温室のガラスドームは、ピカピカに保たれている。

 この巨大で手入れの行き届いた宮殿の主人の妃の立場というものは、決して軽くない。

 笑顔の消えたシェリィを見て、バシレオスが心配そうに彼女の腕にそっと触れる。


「予定外の外出で、俺の帰りが遅くなったのを、怒っているのか? 昼食を取ったら、一緒に帝都の歴史博物館に行こう」


 シェリィは今朝、バシレオスを帝都にある歴史博物館に一緒に行こうと誘っていたのだ。

 初代皇帝と妖精女王の伝説が最も保存され、今に伝えられているのは大陸ひろしといえども、帝都の歴史博物館だけだから。

 だがもちろん、シェリィを落ち込ませたのはバシレオスの帰りが遅かったからではない。


「私が殿下の立場を悪くしてしまうなら、すぐにリンツに帰るべきだと思うのです」


 バシレオスが慌てた様子でシェリィの顔を覗き込む。


「何を言うんだ! ただの肖像画だ。あんなものをもらってきたからといって、気にすることはない。――それともそなたは、リンツ王国に帰りたいのか?」


 シェリィは首を左右に振ってから、バシレオスの手をそっと振り払った。


「私は殿下がこうしてご無事で、その上私を助けるようにリンツに来てくれて本当に嬉しかったです」

「では、なぜ? 俺が嫌になったのか……? 皇太子という立場が鬱陶しかったのか? それとも、俺の家が大家族過ぎて面倒になったのか?」


 シェリィは真面目に答えたかったのだが、これにはフッと軽く噴き出してしまった。たしかに、以前バシレオスは自分の実家を大家族と言っていた。間違いではないが、シェリィが想像した大家族像とはかなり違った。


「そうじゃありません。――守護妖精だと思って呼んだカイルが凄く素敵だったから、友達になれて本当に嬉しかったし、ずっとそれ以上の……頻繁に会えて恋人と呼べる存在でいてくれたらどんなに良いだろう、と思っていました」

「俺も同じだ。でも俺は『思う』だけじゃなく、実際に俺のそばにいてほしい」


 バシレオスは離れた手で再びシェリィの手に触れた。

 シェリィと向き合い、彼女の両手をそっと取る。


「そなたが好きだ、シェリィ」


 真正面から改めて気持ちを告げられ、シェリィが瞬きをするわずかな間に、頬をどんどん赤らめていく。


「俺の気持ちはもう十分伝えたつもりでいたんだが、何度でも言おう。シェリィが好きだ。俺にとって、そなたは世界で一番大事な人なんだ。だから、リンツに帰るなんて言わないでくれ」

「私も、貴方が好きです」


 バシレオスがシェリィの両手をギュッと握り、嬉しげに言いかける。


「それなら、帝国に残って……」

「けれど貴方は……皇太子殿下ですもの。私達の気持ちだけで結婚するのは難しいです」

「できる。何しろ、俺はこのバシレオス様だからな」


 言い切るバシレオスのあまりの自信にシェリィは戸惑い、なんと反論すべきか咄嗟に思い付かず、無言で彼を見上げた。

 バシレオスがにっこりと微笑む。


「俺は昔……、十二歳の時に大事なものを、いっぺんに失ったのだ。以来、情を持った存在は絶対に諦めないし、離さないと決めている」


 シェリィは自分の手を握るバシレオスの手に、どんどん力が込められていくのを感じた。


(殿下がこんなふうに思ってくださるなんて。リンツでは傲岸不遜と有名な皇太子だったのに。広められていたデマと本当の姿があまりに違って、悔しいわ)


 バシレオスはシェリィの左手を持ち上げ、その甲にキスをした。


「俺は向き合って戦うぞ。簡単には諦めないから、覚悟してくれ」

「殿下……」

「要するにシェリィは俺からもう、離れられないということだ」

「帝国とリンツの関係を考えると、簡単ではない気が致しますが」

「道は進もうと死力を尽くせば、必ず開く。俺はうまく行くという気がするぞ!」


 あまりの前向きさと自信に、シェリィが再び笑ってしまう。

 そしてそんなバシレオスらしさが、シェリィは本当に素敵だと思った。

 笑ったシェリィを見て、バシレオスがさらに笑顔を深める。


「今や俺は、そなたを笑顔にすることに生き甲斐すら感じるんだ」


 バシレオスが両腕を広げ、シェリィを抱きしめる。

 シェリィはその胸の中に閉じ込められる息苦しさを感じつつも、それを遥かに上回る快適さと喜びを感じた。




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