皇帝とバシレオス
皇太子バシレオスがリンツ王国からゴダイバ帝国に帰国した。
それと前後して、領地から帝都に連行されてきていた第一皇子のステンが、自分の罪を認めて帝国全土に衝撃が走った。
皇太子の暗殺未遂後も、かろうじてまだ権力を握っていたステンは完全に失墜し、囚われの身となったのだ。
だがその噂と同じくらい、帝国の貴族から庶民に至るまで、人々の話題の種となったのは、ある女性の存在だった。
バシレオスはリンツ王国から一人の女性を連れ帰り、自分の宮殿に滞在させているのだ。
バシレオスが帰国してから、一週間後のこと。
皇帝はついに重い腰を上げて、バシレオスを皇宮に呼びだした。
広大な皇宮の絢爛豪華な謁見の間に、皇帝の張りのある声が響き渡る。
「そなたがリンツ王国に乗り込み、マティアス元王太子の罪を暴いて帝国に戻ってから、一週間が経つ。帝国を揺るがす事件を未然に防いだそなたの洞察力と行動力は、賞賛に値する」
「父上、お褒めいただき、光栄です。ありがとうございます」
バシレオスは大理石の床に片膝をついたまま、自信ありげにニッと笑った。もっとも、皇帝は彼の笑みには釣られなかった。
「そこでだ。そなたが連れてきたリンツ王国の令嬢だが、そろそろ帰国させてはどうだ? なにしろ一週間もいたのだから、帝都を観光するには十分だったろう?」
「シェリィは観光のために連れてきたのではありません。将来的に俺の妃にす……」
「いいか、バシレオス」と皇帝が片手を上げて、バシレオスの発言を遮る。
「そなたの婚約者候補は、昨年やっと三十人に絞ったばかりではないか。いずれの令嬢も、気の毒だがシェリィ嬢より皇太子妃に相応しい」
「ですがその三十人の中に、俺が結婚したい女性がいないのですから、仕方ありません」
ピリピリと張り詰めていく空気感に、謁見の間の入り口に控える皇帝の側近が居心地悪そうに身じろぎする。
「属国とのいざこざは十分だ。そなたはゴダイバ帝国の皇族か、貴族の中から妃を選ぶべきだ。リンツ王国の貴族とは違って、我が帝国の貴族令嬢達は実に洗練されているし、何より我が国の法や慣習に精通していて、皇太子妃としてふさわしい」
そういうなり皇帝は、パチンと手を叩いて側近に合図を送った。
心得たとばかりに一礼をしてから、側近が謁見の間の隅に置いてあったカートをゴロゴロと押してくる。
カートには何かが山と積まれ、上から赤いビロードの布がかけられていた。
側近が皇帝の目の前までカートを運ぶと、皇帝は満足げに口元を緩ませて玉座を下り、カートの前に立った。
「そなたのために、素晴らしいものを集めたぞ、バシレオス。これだけ集めれば、そなたを今夢中にさせているシェリィ嬢より惹かれる令嬢がいるはずだ! 父に感謝するのだな」
皇帝はビロードの布の端を片手で掴み、えいやとそれを一気に剥がした。
カートに高く積まれていたのは、大小さまざまな大きさの額入りの肖像画だった。
皇帝が一番上の一枚を手に取り、ジャーンと見せびらかすようにバシレオスに向ける。
「どうだ? 美しいだろう。ソレイユ公爵家のマリアナ嬢だ。才女と名高いだけあって聡明そうな目をしている」
「はぁ。ーーですが、随分痩せていますね。健康面が不安です」
「そうか? まぁ、確かに胸も存在感がないな」とボヤきつつ、皇帝は別の肖像画を手に取り、どうだとばかりにバシレオスに向けた。
「お前の従姉妹のセレーナだ。公務に尽くしてきた彼女は、帝国内でも尊敬を集めている。胸も大きいぞ?」
「俺は金髪の女性は苦手なんです。俺を暗殺しようとした第二妃を思い出してしまいますので」
かつての自身の妃の一人の悪事を取り沙汰され、気まずさからゴホゴホと皇帝が咳き込む。
「では、何色の髪が好みだんだ?」
「茶色の髪です。シェリィのような」
皇帝が急いで次の肖像画を引き出す。とりわけ大きなその額縁は、絵を提供したその令嬢の実家の自信のほどを表していると言えた。
「この令嬢はどうだ? 茶髪の茶目だ。そしてなんと本命のダンテス公爵家の令嬢だ! しとやかで従順な、古風な女性だと聞いている。見よ、見事に豊満で健康的な体型だ」
バシレオスが顎に手を軽く当て、首を傾ける。
「俺は割と意見をはっきりいうタイプの女性が好きなんです。そう、シェリィのような」
「……なかなか好みが細かいな。それならこの令嬢がちょうどいい!」
次にカートからガサガサと皇帝が取り上げたのは、少し小ぶりな肖像画だった。
「ロッテシルト伯爵家の令嬢だ。家柄は落ちるが、やり手と有名な一族で近年の隆盛は目を見張るものがある。まぁ、胸は小さいが……」
バシレオスは立ち上がると大股で皇帝の前に向かった。
「俺は胸の大きさにこだわっていませんが」
「ああ、そうか? そなたは我が息子ながら、稀有な男だな。ならば身長はどのくらいの高さを希望だ?」
「身長はちょうどシェリィと同じくらいがいいんです」
皇帝はいよいよ呆れて、肖像画をカートに戻した。深いため息をついて、両腰に手を当てる。
「いい加減にせんか。全ての好みが、リンツの例の令嬢だと言いたいのか?」
「そうです。シェリィと同じ女性は二人といません。ですから、彼女を妃にしたいのです」
バシレオスは真剣な顔で皇帝に訴えた。
皇帝は一瞬その熱心な青い瞳を見て、怯んだ。
今までバシレオスが特定の女性に関心を抱いたことはなかった。側近のブルーノとばかりつるんでおり、もしや男色なのかと気になってすらいた。
そんなバシレオスがやっと女を熱く愛することに目覚めたのは喜ばしいが、隣国の廃太子の元婚約者、というのは喜ばしくない。
皇帝が額に手を当て、鬱陶しいほどのため息を再びつく。
「そなたは皇太子なのだ。気の毒だが自由に妃を選ぶのは難しい。最初にセレーナの妹のエレーナを第一妃にしなさい。エレーナは茶髪だからな。エレーナと最低でも一人皇子をもうけてからなら、シェリィ嬢を第二妃に迎えることを許そう」
「俺は妃を複数迎える気はありません。実母に振り回されて、どちらかが倒れるまで戦う兄弟を作りたくないのです」
「そなたの気持ちもわからんではない。だが皇太子の立場を軽んじるな。まだ我を通すなら、シェリィ嬢を迎えるのは第一妃のセレーナに皇子を二人産ませてからだ!」
「セレーナとエレーナを、間違えてらっしゃる」
姉妹の名前が紛らわし過ぎて、ごちゃごちゃにしてしまった皇帝のミスを、バシレオスが冷静に指摘した。
「父上、俺にも考えがあります。これ以上リンツ王国との仲が悪化すれば、百害あれど一理もありません。特にリンツ王国は王杖を失い、王国内から魔力が急速になくなってきています。ならばシェリィを妃にして、もう一度属国七王国との信頼関係を強化すべきです」
皇帝は近くに侍る側近に疲れた顔で手を振り、カートの上の乱れた肖像画の数々を、綺麗に整えさせた。
そうしていかにもこれが最大限の譲歩だと言わんばかりに、バシレオスに告げた。
「エレーナに抵抗があるなら、第一妃はこの中からお前がシェリィ嬢と話し合って選べ。カートの絵の中からならば、誰でも許してやろう。良いな?」
良いわけがない、とバシレオスは眉を顰めた。
だが皇帝の決意は硬いようで、これ以上反論しても益がないとバシレオスは考えた。少なくとも今は。




