バードが見た、あの夜のすべて③
空から舞い落ちる粉雪は、次第に公爵の体を埋めていく。
その顔だけは守ろうと、バードは両手で雪を払い、公爵を覗き込んだ。
公爵は目を大きく開けたまま、死んでいた。死ぬつもりはなかったのだ。
まだ無念なのだと、やり残したことがたくさんあるのだと、最期の瞬間まで生きるつもりだったのだと、バードに伝えるかのように。
公爵には守るべきものがあった。
この死を、シェリィにどう伝えればいいのか。それに公爵を、彼女の元に連れ帰らねばならない。だが、そのどちらも不可能に思えた。
再び光る魚達が、いつの間にか公爵の上を泳ぎ始めていた。
まるで水中のように空気を漂い、白い光を放ちながらゆっくりと公爵の体に近づいていく。
こうしてどんどん集まり、やがては全身を光で覆ってしまうのだ。
「来るなと言ったはずだ! 異世界の者に手を出すな!」
たとえ追い払ったとしても、一時凌ぎに過ぎない。
天魚が公爵に触れられぬよう、彼を棺に入れてやらねばならない。
公爵を光の粒に変えるわけにはいかないからだ。
そして何よりも、バードもそろそろシェリィの元に戻らねばならない。一度召喚陣を通った経験がある妖精は、契約がある限り以後自力で自由に二つの世界を行き来できる。
バードが契約なしに同じことができるのは、妖精王族だからだ。
だが死んで魔力を失った人間である公爵は、もはや二つの世界をつなぐ穴を通り抜けることができない。
人間の魔術で呼ばれる妖精のように、誰かに人間界から召喚してもらわねば、戻ることができない。
だからバードは後ろ髪を引かれる思いで公爵をその地に残し、単身シェリィの元に戻った。
バードの行為は、妖精界でも物議を醸した。
結果的にバードは、妖精界に伴侶以外の人間を勝手に連れてきただけでなく、殺してしまったのだ。
妖精王はバードの越権行為を問題視し、バードはまもなく妖精王族特有の懲戒処分を受けた。
それは四枚の翼のうち、二枚を切られるというものだ。
もちろん、切り落とすのではない。
下の翼の二枚について、その先端部分を切断するだけだが、例えるならそれは風切り羽を切られて従順に躾けられる鳥達のように、忠誠心を植え付けるための罰だった。
本来は屈辱を与えることが最たる目的の懲罰だったが、バードは屈辱というより、翼を切られたせいで高度魔術を操りにくくなったことに困った。
公爵の魔獣討伐隊の悲劇は、ろくにまともな調査がされず、「ラズロ・キャドベリーの力不足と失敗」のせいだと結論づけられた。不可解な点は、隠蔽されたのだ。
バードはシェリィに、公爵の最期を話さねばならなかった。いつまでも先延ばしにはできない、とバードもわかっていたが、そう簡単には行かなかった。
バードはなかなか公爵の死を、伝えられなかった。真実をシェリィに話す勇気がなかった。
公爵の遺体は野営地で発見されなかったため、シェリィは彼の生存を信じていたからだ。色んな意味で、バードはシェリィに失望されたくなかった。
何より、シェリィが事実を知れば、彼女は北部山脈に行ってクレバスに飛び込み、父に会いに行きかねなかった。そんな危険な真似はさせられない。
――ではどうやって、シェリィの父の遺体を人間界に連れていくか。
シェリィが父の死を受け入れられる頃合いを見計らって、人間の中でも王族として強力な魔力を持つリンツ王家の王太子マティアスに、公爵を召喚してもらうほかなかった。
そのためバードはマティアスがシェリィと結婚したら、真実を彼らに明かすつもりだった。
ところがそんな風に一日、また一日、と決断の日を先延ばしにしているうち、決定的に局面が変わった。
マティアスが一方的に、婚約を破棄したのだ。
だからアンジーが守護妖精召喚の魔術を発動させた、と気がついた瞬間。バードは、閃いた。
バードは本来、マティアスを監視するためにいる。王太子妃になれなくなったシェリィには、彼がそばにいる意味がなくなった。今やアンジーがマティアスの婚約者になった以上、バードの本来の任務のためには、彼女の守護妖精となり王太子を見張るべきである。
さらには、アンジーとその叔父の懐に飛び込み油断させてしまえば、公爵家を乗っ取る彼らの悪事を暴ける可能性もある。
二律背反のような理屈だ。
バードは自分が選んだ方法の孕む矛盾に気がついていたが、結果的に彼は賭けに出て、アンジーの手を取り跪いた。
そこからは修羅の道だった。
シェリィの叔父達の信頼を得るため、徹底してシェリィを無視し、アンジーを崇拝して仕えた。
時にはアンジー親子の信頼を揺るぎないものにしようと、シェリィ扮する侍女に手荒い真似もした。
シェリィに憎まれようとも、バードは計画を完遂した。
そうしてマティアスの犯した禁忌は決定的となり、妖精王はリンツ王国から王杖を奪うことで、魔力を取り上げる決意をした。
寡黙だが善良な第二王子が正式に王太子として立太子すれば、王杖は戻される余地がある。だが人間界にも魔力の上に胡座をかいてはならないという、良い教訓になっただろう。
こうしてバードはラズロ・キャドベリーと彼の部隊を死に追いやった者達に、因果応報を思い知らせることができた。
全てはバードによる、復讐劇でもあったのだ。
もっとも、全てがバードの計画通りに行ったわけではない。
バードが予想しなかったことに、王宮に囚われたシェリィを迎えにきたのは、帝国の皇太子だった。
彼らはバードが預かり知らぬところで出会い、互いに愛する人を手に入れていたらしい。
自分がシェリィを人間界で幸せにせねば、というバードの思いも報われたのだ。それが彼が考えていた方法とは、少し違っていたにせよ。
バードは自分の本来の任務も、そして守護妖精としての偽の任務も、今やどちらも果たし終えたと感じていた。
だからもはやバードには、人間界に残る意味がないように思われた。――ただひとつ、ラズロ・キャドベリーを人間界に帰すという点だけを除いて。




