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バードが見た、あの夜のすべて②

本日、2話投稿しております。

こちらは2話目ですので、ご注意ください。

 雪に閉ざされた、北部山脈。

 その地に野営する公爵の討伐隊は、魔獣の急襲を受けていた。

 魔獣たちのゾッとする咆哮(ほうこう)と、白い雪に散る絶望的な大量の血。

 騎士達はほぼ全滅だった。

 バードがどうにか探し出した公爵は、片手の数となった生存者のうち、深く眠って起きもしない騎士の一人を、必死に起こそうとするものの、徒労に終わっていた。

 公爵は日頃は自分を護衛するユトレヒトの名を何度も呼んだが、彼は辺りに見当たらなかった。

 ユトレヒトの行方も、そして騎士達が寝込んでいる理由も公爵はわからず、ましてや夜行性ではない魔獣が野営地を襲っていることに、公爵も困惑していた。

 バードが覚えた違和感は、討伐隊の壊滅という最悪の結末を迎えていた。

 公爵も魔術を用いて、氷属性の魔獣に対し、炎を出して応戦していた。だが血の匂いに殺気立つ魔獣の多さに、すぐに劣勢に転じた。

 そうしてついに公爵が深手を負った。

 妖精の中でも強い魔力を持つバードであっても、人間界で人を連れて移動魔法陣を開くことは、ほぼ困難だ。何より彼は、自分が王都に戻るだけの魔力を温存する必要があった。

 だからバードは、最後の手段として公爵を野営地から連れ出し、氷にできた深い裂け目――クレバスへ向かった。

 二人で歩く道すがら、雪の上に点々と落ちる公爵の血に胸を痛めながら。


 妖精女王の子孫であるバードは、妖精界と人間界をつなぐ穴がどこにあるのかを、知っていた。

 バードは切り立つクレバスの前に立ち、公爵に説明した。


「このクレバスに飛び込めば、妖精界に避難できます。どうか、飛びおりてください」


 公爵はバードを振り返り、目を見開いて驚いた。


「この絶壁を飛び降りれば、助からない公算の方が大きそうだぞ?」

「ご心配には及びません。私は妖精界でなら、もっと魔力を発揮できますので、あちらで公爵様を治療いたします。必ずお助けしますから、どうか私を信じてください」


 バードにも確信はない。彼にとっても、妖精女王と初代皇帝の伝説は、はるか昔の出来事なのだから。

 クレバスの上で、公爵は逡巡した。

 白い氷の裂け目は、まるでこの地を創造した神が地面を裂いたかのように深く、暗い。当然ながら、到底その先に妖精界があることなど、肉眼では確認できない。

 だがバードと公爵は、あっという間に魔獣たちに囲まれた。既に公爵の剣は砕け、使い物にならなくなっている。

 牙を剥き出し、血に飢えて充血した目を向け、騎士達の血で既に赤く染まった魔獣たちを前に、公爵は苦笑した。


「これは究極の選択だな。食われるか、氷の裂け目に挟まって息耐えるか……」

「クレバスの先は妖精界です。信じてください」


 すると公爵は首を傾けて、バードをジッと見つめた。


「不思議なことだ。お前は主人でもない私を、なぜこうまでして助けようとする?」

「シェリィ様のためです」

「だがバード。――お前は人の愛が分からないと言っていたではないか。わがままな人間の子どもに、お前は時に腹が立つのだと」


 そうだ、そんなことをかつて公爵に言った。

 バードは言葉に詰まった。

 たしかにシェリィは鬱陶しい存在だった。バードには偽の契約相手でしかなく、実際には主人ではないのだから。

 だが、今は違う。そう確信できる。

 五歳で出会い、すっかり大人の女性になった自分の主人の姿が脳裏に蘇る。

 自分の気持ちの変化に初めて気がつき、驚いたのはバード自身かもしれなかった。初めは分からなかったのだ。バードは妖精だったから。

 バードは魔獣に囲まれていることを今だけは忘れ、公爵をどうにか説得しようと、彼をまっすぐに見つめて言った。


「公爵様。仰る通り、腹が立つことは今もあります。ですが少し経ってしまえば、私の頭の中にいつも思い浮かぶのは、笑顔のシェリィ様なのです」


 笑顔のシェリィを思い出す時、バードの胸の中に溢れるのは、温かで平和な気持ちだ。

 今晩、シェリィが眠りにつく時に、バードは寝台に横たわった彼女に寝具をかけてやった。

 シェリィはお休みを告げ、寝室を出ていくバードに問いかけた。

 バードは不安そうなシェリィの声を思い出した。


「お父様は、ご無事かしら? 炎の魔術が得意だもの。きっと次々に魔獣達をやっつけているわよね」


 バードは扉に手をかけながら、答えた。


「きっとお帰りになったら、公爵様はたくさんの勲章をまた国王陛下から賜ることになりますよ」


 シェリィは掛け布団を鼻先まで引き上げながら、安堵した様子でふふふと笑った。

 扉を閉める寸前に見えたその平和な微笑を、思い出す。シェリィの顔は掛け布団で半ば隠れてしまっていたが、バードは彼女が間違いなく嬉しそうに微笑んでいたと確信できる。

 長い年月、毎日シェリィを見守ってきたのだから。

 妖精であるバードにとって、今の自分の心情は説明しにくいものだった。

 バードは自分の複雑怪奇な心情を正確に伝えようと、公爵に対して言葉を尽くした。


「私は……シェリィ様が悲しそうな時も、喜びに溢れた時も。たとえシェリィ様がわがままを言っている時も、腹が立つ生意気なことを言っている時も。過ぎてしまえば、そのすべての瞬間が愛おしいのです」


 公爵は目を瞬いて、純粋な驚きを示した。そして彼は微笑を浮かべた。

 魔獣に囲まれた絶体絶命の状況でも、公爵は純粋な喜びを感じたのだ。


「つまり……妖精であるお前も、ついに知ったということだな。それこそがバード、人を愛するということだよ」


 公爵はそう言うなり、携えていたボロボロの剣をクレバスの中に放った。

 剣は暗いクレバスの中に吸い込まれて見えなくなったがゴツッ、ガーン、と複数回氷の壁にぶつかる音が響いてきた。

 剣を放った右手を前に出したまま固まる公爵に、バードが説明する。


「二つの異なる世界を行き来できるのは、魔力を持つものだけなのです。魔力という鍵がなければ、クレバスの扉を通ることはできません」

「なるほど、その理屈で言えば、魔力持ちの私は鍵を持つわけだな。どこにもぶつからずに無事、妖精界に行けるということか」


 公爵は何かを決心したように、大きく頷いた。


「バード、お前を信じよう。だがこの私も、(とし)かな? 足が震えてしかたない。臆病者の私に代わってお前が背中を押して、私をクレバスに落としてくれ」

「かしこまりました」


 最早一刻も猶予はなかった。

 唸り声を上げる口の隙間から(よだれ)を垂らす魔獣達が、自分たちに飛びかかってくる前に。

 バードは公爵の広い背中を勢いよく押し、クレバスの深淵に突き落とした。

 公爵がものの数秒でクレバスの中に消え、バードが「私もすぐに、向かいます」と呟き、地面を蹴って公爵を追う。

 飛び降りる直前に、バードは遠くで男性の悲鳴を聞いた気がして、声がした方向を振り向いた。


(近くに人がいるのか――?)


 一瞬バードは声の主を探したい衝動に駆られたが、彼は急いで公爵を追わねばならない。

 クレバスの中に飛び込むなり、バードは完全なる暗闇と静寂に全身を包まれた。

 目を閉じるな、と自分に言い聞かせ、バードはこの先の状況をあまさず把握しようと務めた。

 重力に吸い込まれ、ひたすら落下していく。だが急に重力の方向が変わり、体がふり回されて臓器が横に押し込められるような息苦しさを感じた。バードのローブが後ろにはためき、混乱しつつも両目をしっかりと見開く。

 思わず何かに掴まろうと腕を大きく開いてしまうが、手はどこにも触れることがなかった。

 バードが普段、妖精王族に伝わる魔術で人間界に渡るときは、ものの一瞬で世界を移動する。

 だが、クレバスの扉はその感覚とはかけ離れていた。バードは初めて人間界に来た時に、シェリィの母が開いた召喚陣を通って人間界に来た。この感覚は、彼が人間の開いた召喚陣を通った時のそれと、とても似ている。

 次の瞬間、バードは何か冷たくて柔らかいものの上を、ゴロゴロと転がっていた。

 明らかに彼はクレバスの底ではなく、別の場所へと移動していた。


「ここは……妖精界か……?」


 仰向けに横たわるバードの目に映ったのは、五つの惑星が並ぶ空だ。

 妖精界に月はない。

 代わりに、それぞれ異なる色と大きさの五惑星が、いびつな弧を描いて縦に並んでいるのだ。

 バードは眩しさに目を閉じた。

 人間界の北部山脈は夜中だったが、妖精界は今昼間なのだ。

 北部山脈にあるクレバスは案の定、妖精界の街の近くなどではなく、魔獣達が多く住むような、寒冷地に繋がっているようだった。

 現在地を確認しようとあたりを見渡しながら、バードが体を起こす。

 寒々しいのは変わらないが、森の中であって高地ではないのか、近くにクレバスは見当たらない。すぐそばに小さな崖と洞窟があり、バードはどうやら洞窟から転がり出たようだった。


(こちらの入口は、クレバスではなく洞窟なのか……)


 バードは雪をふみつけて立ち上がるなり、急いで公爵を探した。

 深手を負った彼に早く、治癒術を施さねばならない。

 だが洞窟のそばには見当たらない。


「公爵様、どちらに?」


 呼びかけながら洞窟から離れ、やがて彼の視界に銀色に輝く甲冑が飛び込んできた。

 バードがいる場所から少し先は斜面になっており、公爵はそこを滑り落ちたのか、白い地面に倒れている。

 仰向けになり、顔は向こう側を向いていた。

 早く助けなければ。

 バードは滑らぬよう慎重に斜面をおり、公爵の無事を確かめようと粗い呼吸で彼の元に駆けつけた。

 公爵の肩に両手を掛け、彼を揺する。

「公爵様!」と呼びかけようと口を開きかけたが、バードの喉は固まり、声が出ることはなかった。

 公爵の金色のまつ毛には粉雪が引っかかり、溶ける様子はない。

 いつも豪快な笑い声をあげていた口元は血の気を失い、紫色に変わっている。

 公爵は、出血で膝近くまで赤く染まっていた。

 野営地で魔獣に襲われた際にできた腹部の傷は、重力の反転に耐えきれなかったのだ。

 公爵は既に事切れていた。


 風に乗って、白く輝く小さな光がどこからともなく漂いだす。小指ほどの大きさのそれは、長い尾を優雅に振り、まるで宙を泳ぐ魚に見えることから、妖精界では天魚と呼ばれる。

 命が尽きた時に、天の使いのごとく現れ、肉体を腐敗させることなく光の粒に変えて自然に戻す存在だ。


「やめろ、集まるんじゃない!」


 バードは両腕を振り、公爵の体の周りを泳ぎ始める輝く天魚たちを、追い払う。

 気がつけばバードは、震える手で公爵の体のあちこちをさすっていた。そんなことには今やもう何の意味もないと、彼自身もわかっていた。だが、バードは思いつく限りの治癒魔術を唱えながら、公爵が息を吹き返し、その体にぬくもりが戻ることを期待した。

 やがて視界が霞み、目の開閉がうまくでくなったバードは自分の目を懸命に擦った。溢れる涙が、彼のまつ毛を凍らせていたのだ。


「公爵様……。ラズロ様っ!」


 バードは公爵の名を叫び、彼の血で濡れる己の手を見下ろし嗚咽した。

 シェリィの父は、死んでしまった。

 バードがその手で突き落とし、殺してしまったのだ。

 もちろん殺すつもりなどなかった。生きて欲しかったのだ。

 自分は何ということをしてしまったのか、とバードは公爵の遺体のそばに這いつくばった。

 クレバスなど利用せず、北部山脈で残る魔力を全て消費してでも、公爵を野営地から離れた場所に連れていくべきだっただろうか。

 もしくは、他の部隊員達のように騎士らしく最後まで戦い野営地で息を引き取る方が、武人としての公爵の名誉を守れたのだろうか。

 体の芯から震え、赤い手はブルブル揺れている。寒さからではなく、強烈な恐怖と後悔で体がいうことをきかなくなっていた。

 悪い夢を見ているに違いないと思いたかったが、バードが不規則な呼吸で大きく息を吸うたび、口や肺に入り込む空気の鮮烈な冷たさに、これが現実なのだと思い知らされる。


 クレバスに飛び込んだ先に待っていたのは希望ではなく、その裂け目よりも深い絶望だった。


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― 新着の感想 ―
以前、作者様の別の作品が私の中でベストだと申し上げたのですが、今作が一番になりました! バード。ここまで明かされなかった (正確に言えば、作者様の緻密な計算の上でほんの少しずつ明かされてきたけれど、そ…
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