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バードが見た、あの夜のすべて①

 妖精界と人間界は別々の進化を遂げており、かつて二つの世界は繋がっていなかった。


 だがある時、妖精界に溜まりすぎた魔力の仕業か、いくつかの穴が開いた。

 知恵あるものはその穴に近づきはしなかったが、餌に飢えた魔獣(まじゅう)たちは別だった。

 魔獣たちは穴に近づき、やがてそれが単なる穴ではなく、人間界に続いていることを知った。魔力のない、非力な生き物で溢れる、餌だらけの世界に。

 かくして魔獣たちは人間界に出入りし、そこのものたちを(ほふ)り食い漁った。

 その事実に気付き、魔術で穴を塞ぎ始めたのが、今から二千年前に妖精界を統治していた王――妖精の女王だった。

 妖精女王は魔力という針と魔術の糸で、各地に存在していた穴を懸命に縫い塞いでいった。

 膨大な魔力と根気を使い果たし、ついに最後の穴を塞ぐ時。彼女はふと人間界を覗いてみたくなった。まるで何にでも興味を持つ子どものように、何げなく湧いたほんの小さな好奇心から。


 妖精女王が穴に入り、両世界をつなぐ扉を通ってたどり着いたのは、雪だらけの極寒の山脈だった。

 そして丁度その時、悪さをする魔獣たちを討伐するために山脈に来ていたのが、若く勇ましい正義感溢れる人間の勇者だった。

 妖精女王と勇者はその地で偶然の出会いを果たし、二つの世界について語り合った。

 戦だらけの乱世にある人間界を、そして魔力だらけで不具合の生じ始めた妖精界について、二人は互いの危惧を語った。

 妖精女王は何度も人間界を行き来し、そのために最後の穴は閉じずにいた。

 そうして幾度も語り合った二人が到達した結論は、妖精女王が魔力を勇者に授け、人間界に平和をもたらすことだった。

 なおかつ、妖精女王は魔力が悪用されぬよう人間を見張るため、自分の一族に連なる者たちは、人間界と妖精界を自由に行き来できる魔術を編み出した。


 やがて協力関係にあった妖精女王と勇者の間に、特別な感情が芽生えた。

 勇者は、同じ目線で語れる美しき妖精女王を愛するようになった。

 そして妖精女王は、賢く有能な勇者を手に入れたいと切望した。

 勇者は時の流れと共に初代の皇帝となったが、妖精女王への想いを貫き、独身のまま生涯を終えた。

 死後は、妖精界で共に生きたい――その想いで皇帝は妖精界へ渡った。

 そして判明したのである。妖精と人間は互いの子をもうけることができ、生まれる子は魔力の安定した妖精になると。

 こうして始まったのが、人間と守護妖精の契約だった。


 バード・シュタインベルクが生を受けたのは、妖精王に連なる特別な家系だった。

 長男ではなかったため、自分の領地を持たない彼は、妖精王の命令により、人間界のある国――リンツ王国に誕生した新たな王太子を観察することになった。

 妖精の王族達は、二千年前の人間との約定を守るため、魔力が悪用されないよう、皇帝や国王、そして彼らの後継者達を連綿と見張ってきたのだ。

 もっとも、人間の皇族や王族は妖精を召喚することがない。だからバードは、ゆくゆくは王太子の最も近くにいられるであろう「彼の婚約者」の守護妖精になることにしたのだ。それこそが、シェリィ・キャドベリーだった。


 妖精界には子どもが少ない。彼らは非常に長寿で、子ができにくいからだ。

 それまで子守などしたことのないバードには、五歳のシェリィの相手を務めることが苦痛だった。

 感情の起伏が少なく、人の気持ちの波に影響されにくい妖精でさえ、人間の子どもの相手は難しい。

 バードは表向きは自分の主人であるシェリィを、時に軽蔑し、時に憎み、時にどうでもよくなった。本来、彼の監視対象はシェリィではなく、マティアスなのだから。

 バードは出会った時から、シェリィが彼にやたらまとわりついてくることに閉口した。


「バード、こっち来て」

「一緒に行って、バード」

「バード、どこ?」


 シェリィは使い魔であるバードを、しょっちゅう呼んだ。そのしつこさに彼が辟易するほどに。

 とりわけバードはシェリィが子ども特有の汗でベタついた手で、彼のローブの裾を掴んでくるのが嫌だった。皺になるし、何より汚らしい気がして。

 だが世話を続けるうち、バードの気持ちに変化が表れた。

 よくよく観察すれば、シェリィが掴んでこない日は、体調が悪いということが分かった。だから掴んでこない時は、逆に不安を覚えるようになった。

 何より、バードはシェリィから無条件に自分の守護妖精として信頼されることに、次第に心地よさを感じるようになった。

 つかまってくる手は、彼に寄せる信頼の証だと気がついたのだ。

 シェリィの豊かな喜怒哀楽に接しているうちに、バードの心は動いた。

 いつしかバードはシェリィの心に近いところでものを考えるようになった。

 つまり、シェリィに同調するように、彼女が嫌うものを嫌い、彼女に優しいものに好意を抱き、彼女の喜びは彼の喜びとなった。


 シェリィは王太子妃となる自分の使命をよく理解し、素直に努力を続けた。

 公爵令嬢に必要なマナーを習得し、学院でも立派な成績をおさめ、マティアスとの交際も順調に見えた。

 シェリィの結婚後は、王室を監視する役割が、さらに果たしやすくなるだろう。バードは自分の任務遂行になんの問題も起きないことを確信し、安心していた。

 けれど同時に、シェリィの享受するほとんど全てのもの――身分も富も、婚約者という立場さえ、彼女の父である公爵に由来する事実は明白だった。

 だからこそ、絶対にラズロ・キャドベリーを失うわけにはいかなかった。


 公爵は過去何度か魔獣討伐に出かけており、成果を上げていた。そのため、シェリィが学院最終学年のときの冬に、彼が出征することになった時も、誰もがあまり危機意識は持っていなかった。

 だが公爵が魔獣討伐に出かける時。

 バードはなぜか、いつもとは違うことが起こりそうな嫌な予感がした。

 まず普段と違ったのは、シェリィの婚約者マティアスがキャドベリー邸までわざわざ見送りに来て、公爵を長々激励をしていったことだ。

 マティアスは随行員の中に強い魔力を持つものを連れていた。

 その随行員は公爵邸に滞在中、バードですら感知できるほどの、強力な魔力を使って術を発動させた。

 何の術を掛けたのかとバードが尋ねると、マティアスは公爵が留守中の屋敷を守るための保護魔術をかけさせたと説明をした。

 違和感はあったものの、相手は王太子なのだから、卓越した才能を持つ魔術師を連れていてもおかしくはない、とバードは納得していた。

 だが結果的にその油断が、平穏で幸福な公爵家の日常を消し去った。

 この時既に、公爵の従者であるユトレヒトは、第一皇子ステンの邪術によって絡め取られていたのだ。


 バードは予め、公爵が出発する前に彼を守るため、防御魔術を彼にかけていた。

 ところがあの夜。

 北部山脈で公爵は強い攻撃に立て続けにあったようで、バードのかけた術が外れ、防御効果がなくなったのだ。

 公爵の身に危険が迫っている、とバードには分かった。

 既に寝床に入ったシェリィを置いて、バードは北部山脈に移動した。妖精は人間界で、魔術を十分に使うのが難しい。けれど溜めていた魔力を消費して、彼はどうにか公爵のもとへ飛んだ。


 その地で――野営地でバードが見た光景は、想像を絶する悲惨なものだった。

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