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カイルの正体②

 距離を詰めて近くで見れば見るほど、皇太子はカイルだった。いや、正確に言えば、カイルは皇太子だった。

 シェリィは親しみから思わず微笑んでしまいそうになるが、彼が皇太子なのだと現実を自分に言い聞かせ、失礼のないように目線を下げてコレッタと共に膝を折った。

 皇太子はシェリィの至近距離まで来ると、爽やかに言った。


「なるほど。ここに来て俺を出迎えてくれているとは、話が早い。ブルーノから監禁と聞いて、居ても立っても居られなくなっていたが。思ったより丁重に扱われていたようで、安心した」


 皇太子は明らかにシェリィに話しかけていたが、彼女は何が起きているのか把握しきれず、またどんな態度で接していいのか判断しかねて、顔を上げることも口を開くこともできない。

 すると見かねたバシレオスが、やや不安そうに口を開く。


「――久しぶりだな、シェリィ。俺だよ、オレ」


 新手のサギのような台詞に、誰もが何が起きているのか分からず静まり返る。シェリィは床の一点を見つめながら、硬直していた。

 大回廊にいる国王もマティアスも衛兵も、駆けつけた大臣達も女官達も、皆が呼吸すら忘れて完全なる静寂を作り出している。

 バシレオスが首を傾げて、あっと呟いてから口を開く。


「そうか、シェリィ。いつもと違う格好をしているから、もしかして俺がわからないのか?」


 シェリィは回廊中の人々の視線を痛いほど感じなから、より深く膝を折った。


「もちろんわかります。貴方様はゴダイバ帝国の皇太子殿下・バシレオス様にあらせられます」

「それじゃ答えになっていない、シェリィ」


 ではどんな答えが欲しいのか、とシェリィがようやく顔を上げた。

 目が合うとバシレオスは満面の笑みを浮かべた。その爽やかさに、シェリィの意識がが引き込まれる。


「俺はいつまでも、そなたのカイルだ。本名も知らない俺を信じてくれたそなたを、俺は決して裏切らないと誓う」

「カイル……」


 バシレオスが急に身を屈め、シェリィの前に片膝をついて彼女の手をとって見上げる。周囲の人々は、展開が全く読めず、固唾を飲んでその様子を見守っていた。

 静まり返る王宮の中で、カイルが言う。


「俺はそなたの使い魔だ、シェリィ」


 静寂の中ではあるものの、その場に集う人々の表情に、衝撃が走る。

 シェリィの足は、完全に動揺から小刻みに震えていた。


(カイルったら。この場でそのセリフは、完全に反則だわ)


 二人にゆっくり近づきながら、国王は動転して裏返りそうな声で尋ねる。


「皇太子殿下、これは一体どういうことでしょうか?  シェリィ嬢とはどういうご関係で?」


 バシレオスが立ち上がって国王を振り返る。その手はシェリィの手を握ったままだ。


「俺はある春の日に、シェリィ・キャドベリーに心を盗まれたんだ。彼女とは交流を深めて互いに国を行き来してきた。そうだよな、シェリィ?」


 くるりと振り返ったバシレオスは綺麗に微笑んでいたが、同時に同意せよという強烈な圧をシェリィに与えていた。

 シェリィの背中を、汗がツーと滑り落ちる。


(困ったわ。たしかに魔術でカイルを呼び出したのは、私だし。言い回しは誤解を招きかねないけれど、言っていることは全部間違っていないし)

「は、はい。仰る通りです、殿下」


 どうにか返事をするシェリィの目の前に、意外な人物が転がり出る。

 制止しようとする女官の手を振り払ってシェリィと皇太子の前にやってきたのは、マティアスだった。

 マティアスは目を赤く血走らせ、眉根を盛大に寄せて口を開いた。


「そんなはずはない! シェリィは皇太子と国をまたぐ恋愛ができるような女じゃない。殿下は王太子たる僕をハメるために、シェリィを味方につけようとなさっているのでしょう!」


 シェリィは卒業パーティーでマティアスに言われたことを思い出し、フツフツと怒りが込み上げた。

 シェリィなりに鋭い目つきでマティアスを睨み、彼に言う。


「殿下は私には、恋愛ができないと? そうですよね、殿下は以前仰いましたよね。私はガリ勉で生真面目な女だと」


 かつての自分のセリフを思い出したのか、マティアスがオロオロと頭をかく。


「生真面目とは言っていない。ま、真面目、と言ったんだ!」

「今更誤魔化されても、殿下にはつまらない女だったのだと、十分分かっております。マティアス王太子殿下。……いえ、もう王太子殿下ではなくなるでしょうけれど。殿下の婚約者ではなくなり、私の方こそ幸いです。私も本当の愛を知らなかったので、その点では殿下と同罪です。ですが、殿下が父を殺めようとしたことや、父の部隊にしたことは、絶対に許しません」


 マティアスが顔を怒りで赤くさせ、シェリィを威嚇するように胸を逸らして拳を握る。


「誰に向かってそんな口を聞く」

「マティアス殿下。お分かりになりませんか? 上に立つ者は、率先して規範を守るべきなのです」

「黙れ。……この際だから言わせてもらうが、容姿も僕とは不釣り合いな上に、勉学しか取り柄のない女のくせに」


 マティアスの幼稚な批判に、シェリィは呆れた。言葉を返す気力をつかの間、失う。

 シェリィが図星をさされて弱気になったと考えたマティアスは、勢いづいてここぞとばかりに続ける。


「だいいち、シェリィ。君はたいした魔力も持たない。貴族の片隅にも置けない女のくせに、更なる高みの王族になろうなど、そもそもが間違っていたとわからないか? わきまえるんだな!」

「ピーピー(わめ)くな、うるさいぞ。そもそもシェリィは俺の妃になる女性だ。そなたこそ、礼儀をわきまえろ」


 バシレオスが煙たげに口を挟み、その冷たい響きを纏うバリトンの声にマティアスがウッと押し黙る。

 妃になる予定どころか、バシレオスが皇太子だったと今知ったばかりなのに、シェリィは「ちょっと待って」と口を挟みたい気持ちでいっぱいだったが、帝国の権威を大鉈(おおなた)のように振るバシレオスを前に、反論する隙がない。

 バシレオスはシェリィの肩に右腕を回し、動揺しきりの彼女を引き寄せてマティアスを見下ろした。


「生まれつき持つものが少なかったからといって、努力で差を埋めようとしたことが、なぜ非難の対象になるのかわからん。むしろ賞賛されるべきことだろう。それにな、シェリィが王族になるわけがない。彼女は、皇族になるのだから」


 そう言ってバシレオスはシェリィの額にそっとキスをした。

 皆が目を丸くする中、バシレオスだけがごく自然な微笑みを浮かべて言う。


「シェリィ、ゴダイバに行こう。今すぐにそなたを俺の国に連れ帰りたい」

「ええと、い、今すぐ……ですか?」


 バシレオスは青い瞳をどこか挑戦的に光らせ、ニッと笑う。


「ベネスティで別れる時に、約束したはずだ。俺が次にそなたをまた誘ったら、二つ返事でゴダイバに来てくれると」


 確かにそうだった。だがこんな状況で誘われると、誰があの時予想できただろう。


(だって、カイルが皇太子だなんて知らなかったし!)


 このままバシレオスについていけばどうなるのか。もしくは、彼を断ってリンツに残ればどうなるのか。

 シェリィの困惑を分かってか、バシレオスは両手でギュッとシェリィの手を握りしめた。今は触れ合うことができる喜びを、噛み締めるように。


「ありがたいお言葉ですが、皇太子殿下と私とでは、立場があまりに違います。これは少々、無茶振りというものです」

「無茶振りなものか。そなたと俺が出会い、恋に落ちた。それ以上に必要なことがあるか?」


 まっすぐな言葉と共に、期待に満ちた眼差しを愛しいバシレオスから贈られれば、シェリィにも断るのは難しい。

 気がつくと彼女は小さく微笑んで、頷いていた。


「承知しました。ゴダイバ帝国に、私をお連れくださいませ」


 皇太子は近くにいるマティアスを振り向き、命じた。


「法的にはシェリィがまだそなたの婚約者だということに不満なのは、そなただけではないぞ。俺もだ」


 シェリィはなんとなく先の展開を察知し、バシレオスの腕をそっと払って彼から離れようとした。だがバシレオスの動きはもっと早かった。

 バシレオスは素早く屈んで、シェリィを抱き上げたのだ。

 そうして彼はシェリィをたまらなく愛しげに見つめ、言った。


「シェリィ、そなたはこれで晴れて自由の身だ。リンツ王国に思い残すことは、もうないだろう? さぁ、俺と帝国に来てくれ」


 ようやく障害もなく、シェリィに思いを伝えられるようになったバシレオスの瞳は、彼女が想像したより何倍も熱くて甘い。抱き上げる腕は強く、鋼のようだ。

 とんでもないものを召喚してしまった、とシェリィが今さらのように実感する。

 呼んでしまったカイルが大物すぎたのだ。世話をし、転じて頼りにした存在が、期せずして何倍も大きくなって舞い戻ってきた。

 どうやら自分は別の意味で自由の身にはなれそうにない、とシェリィは悟った。

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― 新着の感想 ―
更新ありがとうございます 土曜の朝から今1番続きが気になる作品が 読めて幸せです お忙しい中、感想に返信していただき 嬉しかったです 『帝国編』!楽しみです
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