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カイルとの生活④〜バードの雪の魔術〜

 カイルは背もたれに深くもたれ、シェリィをじっと見つめて続きを待っている。

 シェリィはプレッシャーを感じて、マティアスの人間的な魅力について何か語らねばと思うものの、何も出てこない。


「ひ、人を好きになる時って、理由なんてないものだもの。恋に落ちる瞬間って、一瞬だというでしょう? 気がついた時にはマティアス王太子殿下を意識してしまって、ドキドキさせられていたの」


 もっともらしいことを言ってその場をやり過ごす。だが言っているシェリィも自分の気持ちがよくわからなくなっていた。もしかしてシェリィは自分の婚約者ではなかったら、王太子を好きになっていなかったのかもしれない。

 ある意味、赤ん坊の頃から婚約していたシェリィは、恋愛をすることが許されなかったため、女性にはどうやってある日「恋する人」ができるのか、よくわからなかった。

 カイルはシェリィの説明に納得しかねているのか、渋い表情のまま「そんなものか」とだけ呟いた。

 二人の間に、ぎこちない無言の空気が流れる。

 やがてベンチに座るシェリィとカイルの前に小さな男の子が走ってきて、芝生に足を取られて転んだ。二人はあっと同時に顔を上げたが、後ろからすぐに母親らしき女性がやってきて、男の子を抱き上げる。


「転んじゃってびっくりしたわね、痛いの痛いの、飛んでいけー」


 母親に優しい声をかけられ、幼児はホッとしたのか「うわぁぁぁん」と大声で泣き出した。小さな顔をぐしゃぐしゃに歪めて涙を流しつつも、もみじの手で母親の肩にギュッとしがみついている。

 その光景をぼんやりと見つめながら、シェリィには蘇る記憶があった。


 あれはシェリィが六歳のころ。

 初めてポーレビン辺境伯令嬢のコレッタが領地から王都に出てきて、王都のタウンハウスに一時滞在した時のこと。

 ポーレビン家は近隣の貴族達に娘を紹介するため、同じ年頃の令嬢や令息達を呼んで、タウンハウスで盛大にコレッタの誕生日パーティーを開いた。

 同い年の貴族の令嬢としてそのパーティーに呼ばれていたシェリィは、お気に入りのドレスを着て、広大な伯爵家のタウンハウスの庭園を走り回っていた。子どもたちで鬼ごっこをしていたのだ。

 だがその途中、シェリィは鬼に見つかるまいと庭園の奥の方に走り、自分のドレスの長い裾につまずき、転んでしまった。

 運悪く丁度石畳の上にいたシェリィは、両膝を擦りむき、膝は血で真っ赤になった。お気に入りのドレスの裾も破れ、あまりの痛みとショックにシェリィはパニックになって大泣きした。

 すぐに無言で現れ、両腕でシェリィを抱き上げたのは守護妖精のバードだ。


「痛いよぉ、痛い!」


 安心したからか、もしくは慰めて欲しかったからか、バードにしがみついてシェリィは一層激しく泣いた。

 元々この日、シェリィは朝から機嫌が悪かった。本当は母の形見である「青のティアラ」を今日の誕生日につけたかったのに「子どもが身につけるものじゃない」と父に諭され、断念したのだ。

 ティアラを使う機会がなかなかないシェリィは、今日くらいは使わせてもらえると思っていた。そんな目算がはずれ、彼女はとてもがっかりしていたのだ。

 バードはパーティーで盛り上がる庭園のエリアを避けて、木々の影に隠れるようにして伯爵邸の建物に入り、伯爵家の医務室にシェリィを連れて行った。


 医務室で伯爵家常駐の看護師がシェリィの怪我の手当をしてくれる間、様子を見にやってきたのは、コレッタの母である辺境伯夫人だった。

 辺境伯夫人は非常に貫禄のある人物で、目力のある大きな目の持ち主だった。

 平民の生まれながら頭がよく、ポーレビン辺境伯領で起業し、若くして貿易でひと財産築いた女性で、その才覚を見込まれて伯爵に求婚されたのだという。

 まだメソメソと泣いていたシェリィが、夫人の迫力にピタリと泣き止む。

 夫人はゲストが怪我をしたと聞き、心配して様子を見にきたようだった。

 一瞬で泣き止んだシェリィを見て、夫人が感心したように言う。


「まぁ、流石は公爵家のお嬢様だわ。お強くてご立派ね」


 まさか「貴女の迫力が怖くて」とは言えないシェリィは、夫人を黙って見上げた。貴族の夫人は皆コルセットでウエストを締めつけ、真ん中でポキリと折れそうなほどのくびれのある体で頼りなく歩くものだったが、夫人はかなり様子が違う。

 夫人は実に堂々と歩いてきた。

 そして看護師に軽い治癒術をかけてもらっているシェリィの隣に座り、アレコレと的確な指示を看護師に出していく。

 大柄な夫人がすぐ隣に腰掛けたことで革張りのソファーの座面が傾き、シェリィは隣に転がりそうになるのを、背中にピンと力を入れて、どうにか堪えた。

 看護師は入り口に立ってシェリィ達の様子を見ているバードをチラリと見つつ、シェリィの膝を濡らした布で拭いてくれながら言った。


「お嬢様くらいの年齢の方に仕える守護妖精を、初めて見ました。子どもは魔力が不安定で、使い魔を呼べませんから」

「バードはお母様が呼んだのよ」

「まぁ。素敵なお母様ですね」


 すると夫人がキランと目を光らせ、ひときわ意思の強そうな瞳をシェリィに向けた。


「それなら、十分気をつけた方がいいわ」


「何に?」とシェリィが目をパチパチと瞬く。

 夫人はバードに聞こえないようシェリィの耳元に顔を寄せて、秘密の話をするように耳打ちした。


「人を介して呼んでもらった守護妖精は、主人との絆が弱いせいで誰かに奪われやすいのよ。妖精界から召喚するより、人間界の妖精を呼ぶ方が簡単だもの」

「えっ、私のバードを取っちゃう人がいるかもしれないってこと?」


 驚いてシェリィが目を丸くする。

 そんな話はまだ小さいシェリィに、誰もしてくれたことがなかった。

 だが夫人は重々しく頷いた。


「そうよ。特に見栄えの良い妖精は狙われやすいの」


 夫人は「見栄えの良い」という部分を強調するようにはっきり発音し、視線だけバードに流した。

 びっくりしているシェリィを宥めるように、看護師が優しく言う。


「お嬢様はお小さいからまだお気づきではないかもしれませんが、奥様のおっしゃる通り、あの妖精は狙われやすいはずです。とても美しい個体ですから」


 そんなのは嫌だと動揺するシェリィを宥めようと、夫人が口を開く。


「いずれは貴女も、王立グランデ学院に入学するでしょう? そこでちゃんと、魔術を体系的に学べば、自分の守護妖精をとどめておけるようになるはずよ」


 シェリィはコクコクと頷いた。

 将来、自分の婚約者であるマティアスと同じ学院に行くことを、シェリィは既に知っている。


「魔術について学院でたくさんお勉強をしたら、バードが他の人と守護妖精の契約を結ぶのを、止められますか?」


 夫人は大きく力強い目を優しげに細め、穏やかな笑みを見せた。


「少し違うわね。魔術でバードの心や気持ちを変えるのは無理なの。それは呪術と呼ばれるもので、誰かの心をいじることはできないのよ」


 呪術については、シェリィも聞いたことがあった。

 魔術は便利だが、何でもやっていいわけではない。魔術で精神に介入すれば、施術された者は元に戻らず「人形化」してしまうのだという。

 そのため、呪術と呼ばれて禁止されているのだ。


「学院で魔術の()()()をバランスよく、鍛えるの。そうすれば、自分の守護妖精が誰かにつけいられる隙を見せずに、済むわ」


 そこまで言ってから、夫人はいかにも大事なことを伝えようと言った雰囲気で、人差し指を顔の前に立て、声を更に落として言った。


「けれど一番大事なのはきっと、魔術の強さでは勝てない、守護妖精との心の絆を作ることだと思うわ」

「何の話をしているんです?」


 こちらのヒソヒソ話に気づいたバードが大股で近づいてきて、看護師と夫人をじっと見た。看護師が慌てて包帯の残りを薬箱にしまい始める一方、夫人はシェリィに愛嬌のあるウィンクを送ってから、バードに答えた。


「女同士の話よ。気にしないでちょうだいな。さぁ、お嬢様。手当ては無事済んだから、パーティーにもどってまたコレッタと遊んでもらえるかしら?」


 バードは再びシェリィを抱き上げ、庭園に出た。

 シェリィはバードの肩に腕を回しながら、迫力ある伯爵夫人のことを思い出していた。小さなシェリィの胸中を、モヤモヤとした不安が渦巻く。

 庭園で遊ぶコレッタ達が見えてくるとバードはシェリィを下ろしたが、彼女はバードにしがみついた。


「私、もう帰りたい。膝が痛いもん。これじゃあみんなと遊べないし」


 しがみつかれたバードが、少し険のある声で言う。


「お友達の誕生日パーティーですから、中座は失礼ですよ。お祝いなのに、そんな風にいつまでも不機嫌でいてはいけません」

「でも……。コレッタがお誕生日プレゼントをたくさんもらってて、ズルいんだもん。ツリーハウスまでもらったんだよ」

「今日の主役はコレッタ様ですから。ご主人様もご自分のお誕生日の時は、山のように贈り物をもらえますよ」


 シェリィはコレッタのツリーハウスが欲しかったのではない。

 コレッタが一番欲しいものを、ちゃんとわかってくれてそれをプレゼントしてくれる母という存在が、羨ましかったのだ。

 コレッタはこの先、何年も、もしかしたら何十年も母から誕生日プレゼントをもらえるだろう。だがシェリィには、どうひっくり返ってもそんな日はこない。

 シェリィがしがみついて動こうとしないので、バードが溜め息をついて彼女の肩に手をかけて体を離した。

 バードが少しだけ中腰になり、シェリィの前で両手の掌を上に向けて、言い聞かせるように話しだす。


「仕方ありませんね。今日は特別ですよ。雪を見せて差し上げますから、機嫌を直してください」

「雪? やったぁ! やったぁ!」


 途端にシェリィが上機嫌になり、その場でピョンピョンと跳ねる。

 大陸北部に行ったことがないシェリィは、雪を見たことがなかった。彼女にとって雪は絵本や劇の中にしか存在しない、幻想的で不思議なモノの象徴だった。 だからこうして時折もの凄く特別な日にだけ、バードは魔術で雪を作り出してくれるのだ。

 バードが念押しのように言う。


「私達妖精は人間界では本来の百分の一程度の魔力しか、発揮できません。雪をお見せするのはかなり魔力を消費しますから、当分見納めですよ?」

「分かってるもん!」


 上に向かって広げたバードの手のひらの上に、白い霧が漂い始める。空気が局部的に冷たくなっているのだ。

 数分もかからないうちに、バードの手のひらの上に小さな雪片が現れ、ヒラヒラと舞い落ちる。シェリィは目を輝かせてバードの手に顔を寄せ、じっくりと雪を見つめた。

 雪片の一つ一つは近づいて見れば、複雑な形をした結晶だ。小さな芸術作品のような雪の結晶はバードの手のひらに当たると、崩れるように消える。だが雪の量が増えるに従い、徐々にバードの手のひらの上に、白い層ができていく。


「積もってきたよ! 見て、バード!」


 シェリィは興奮して視線を上げ、バードを見た。だがシェリィの期待に反して、彼は無表情に彼女を見つめ返すだけだった。

 時折こうしてバードが雪を見せてくれる時、彼はいつも自分では雪に見向きもせず、ただシェリィの顔を見ているのだ。

 シェリィはそれがなぜなのか理解できず、ワクワクする気持ちを共有できないことが、少しだけ寂しいと感じた。


(あの頃は、バードの手の上に積もった雪を指でかき集めて遊んでいた。ただ単に楽しい思い出だったけれど、今思えば――バードは冷たさに耐えて私に付き合ってくれていたのよね……)


 誰より身近にいて、大切な存在だった守護妖精が、シェリィを置いていってしまった。シェリィの魔力が少なかったせいだけでなく、二人の絆も雪のように溶けたのだろうか。

 バードはあの雪を、今頃アンジーにも披露しているのかもしれない。

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