カイルとの生活⑤
在し日々を思い出し、シェリィがカイルに呟く。
「私にとっては、使い魔のバードが母親のようなものだったの」
幼児を抱いてベンチから離れていく母親を見つめるシェリィに、カイルが言う。
「――シェリィ。守護妖精は、人が思うほど召喚主の主人に心底忠誠を誓っているわけではない。妖精は本来、狡賢い生き物だ。少なくとも俺は知り合いの魔術師からそう教わったぞ」
「でも、バードはいつもそばにいてくれたのよ」
カイルはシェリィに冷たい海を思わせる青い目を向けた。
「だが、今はそばにいない。残酷なことを言うようだが、妖精も人も、人を裏切るものだ」
カイルは一旦言葉を切り、続きを言うのを躊躇う様子を見せた。
公園の芝の上で視線を何度も彷徨わせ、やがて彼は決心したように体をシェリィの方へ向けた。大きく息を吸って、カイルが硬い声で話し出す。
「俺は、子どもの頃に信頼していた身内に手酷く裏切られたことがあるんだ。大袈裟ではなく死にかけて、多くの大事な者達を失った」
「そんなことが……?」と気遣わしげにシェリィがカイルを見つめ返す。
カイルが子ども時代に受けた苦痛を想像し、シェリィが心を痛めていることが伝わったのか、彼は穏やかさを取り戻した口調で続けた。
「以来、俺は『人を簡単に信じるな。心を預けるな。弱みを見せず、完璧であれ』と、常に自分に言い聞かせてきている。そんな俺からすると、そなたは随分お人好しに見えるぞ」
「でも、誰もが完璧になれるわけじゃないわ。それにたまには心を傾けて人に寄りかからないと、疲れてしまわない?」
「隙を見せた途端に、牙を剥く者もいる。俺はもう二度と、こどもの頃のように俺のせいで大事な者達を失いたくないんだ。人を守るためには、時として鬼になる必要もある」
カイルの視線がシェリィから離れ、ぼんやりと公園を見渡す。
「そなたを責めてるんじゃない。俺が言いたいのは、シェリィはもっと人を疑ってもいいということだ」
シェリィは力なく笑った。
「カイルって、時々すごく偉そうだけど、とても優しいのね。妖精界でもモテたでしょう?」
今度はカイルがハハハと乾いた笑い声をあげる。恋人について聞かれたからではなくておそらく、やっとシェリィが笑顔を見せてくれたことに、彼は心から安堵していた。
「話を盛り上げられなくて申し訳ないが、恋人はいない。――婚約者候補なら三十人ほどいるが」
「ええっ、多くない⁉︎ 三十人?」
若干引き気味でシェリィが尋ね返す。
妖精の寿命は二百年だというから、人間との守護妖精の契約の期間は、突然の単身赴任のようなものだという。
「ということは、私が貴方を召喚したせいで、カイルは三十人も求婚者を待たせているのね。私との契約が終わって妖精界に戻ったら結婚するの?」
「うーん、どうかな。いつかはしないとならんな」
カイルの返事はいかにも興味がなさそうだった。彼は首を左右に傾けてコキコキと関節を鳴らしたあと、長い足を無造作に前に投げ出して組み、しれっと答えた。
「これでも家の者達がかなり絞って、三十に減らしたんだがな。家の者達には散々そろそろ身を固めろとせっつかれて、参っている」
「大変そうね。貴方なら引く手数多でしょうし」
「なぜそんな風に思う?」
カイルは投げ出していた足を引っ込めて腕組みをし、前屈みになってシェリィをじっと見つめる。彼女がなんと答えるのかをものすごく知りたい、といった様子だ。
「なぜって、だって人間界で魔獣討伐隊に選ばれるのは、精鋭の騎士達だけなのよ。妖精界も似たようなものでしょう? 特に魔力と武芸に秀でている妖精なんでしょうし、何より最初に出会った時も言ったけれど貴方はステ……」
そこまで言ってシェリィは急いで口をつぐんだ。
(いやだ「貴方って素敵!」だなんて面と向かって言おうとしちゃった。いくら私が召喚した妖精だからって。私ったら、はしたない)
不自然に言葉を切ったシェリィを見上げ、カイルが「俺がなんだって?」と訝しげに尋ねる。続きを促されたシェリィは動揺して、抱えていたバイオリンと弓を持ち直し、その間に頭の中を全力で回転させ、当たり障りのない答えを捻り出そうとした。
焦りで滲み出た手のひらの汗のせいで、弓を取り落としながらも、シェリィが答える。
「ええと、これは本当に私のただの個人的な好みのお話で申し訳ないけれど……。貴方の髪の色が素敵だと思うの。それに、そうね……。貴方は冷静にものを分析できるし、戦場に慣れた騎士らしく常に落ち着き払っているし、皮肉屋なのかと思えばすごく楽しそうに笑ってくれるし」
そう、カイルが笑った時は目がやや細くなって、青い海のような瞳が少し潤んで本当の海のようにより綺麗になるのだ。シェリィは「笑った時のカイルの目がすごく幻想的だわ」と心の中で思った。
カイルの良い所は挙げれば泉のごとく次々と思いつけるから不思議だ。知り合ってまだ僅かなのに。
シェリィはこれ以上はないというほどの満面の笑みで、カイルに言った。
「何より、カイルってとても優しいもの!」
シェリィは嘘ではないとちゃんと伝わるようにカイルの目を見つめて言ったが、彼は視線をパッと逸らしてすぐに前傾姿勢になって芝の上に落ちたシェリィの弓を拾った。
チラッと見えた彼の頬が赤くなっている気がしたが、再び上半身を起こした時、彼はなぜか目を泳がせ、少し不機嫌そうに口をへの字にして遠くを薮睨みしていた。
「全く、この俺に面と向かってそんなことを言うとは」
「そ、そうよね。私ったらちょっと気持ちの悪いことを言ってしまったかしら。怒ったのならごめんなさい……」
「いや、そうじゃない。別に怒ったわけじゃない。むしろ……なんていうか、そなたは急に意外なことを言って、人を驚かせるのが上手いな」
「そうかしら。初めて言われたわ」
拾ってくれた弓を受け取ろうとシェリィが腕を伸ばし、弓を持つ二人の指の位置が重なる。一瞬シェリィはドキッとしたが、互いの手と手が触れ合うことはなく、温もりも伝わらない。
シェリィはほんの少しだけ、寂しく思った。
カイルに触れたら。
彼に触れることができたなら、どれだけいいだろう。




