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カイルとの生活②

 シェリィに召喚されて、十日目。

 カイルは屋敷のそばにある公園で、シェリィのバイオリンの演奏に耳を傾けていた。園内のベンチに座るシェリィが楽譜にメモを書き込んでいると、カイルはそれを横から覗き込みながら尋ねた。


「なぜバイオリンを毎日練習しているのだ? それも超の付く難曲として有名な『妖精の踊り』ばかり弾いているではないか」

「この曲は父が好きな曲なの。元々私の父はバイオリンが得意で、こどもの頃から私も教えてもらっていたの。父が魔獣退治に出発する前に、帰ってきたら弾いてあげると約束していたのよ」

「さぞ練習したんだろうな。その曲は著名なバイオリニストですら、途中で挫折することもあると聞くが」


 するとほんの少し誇らしげに、シェリィがニッコリと笑う。


「私ね、王太子妃教育を家でガッツリ受けてきたから、楽器や刺繍は得意なのよ」

「そうか。努力してきたんだな。この俺が聴いても素晴らしい腕前だ」


 誰のために研鑽(けんさん)を積んできたのか、と問われればマティアスのためであった。彼は去ったが、積んだ技術はシェリィに残されている。

 そこに希望を見出すべきなのか、切なくなるべきなのかシェリィは迷った。だが率直な笑顔でカイルが褒めてくれたことは、素直に嬉しい。


「お褒めに預かって、嬉しいわ。何せ、半年もこの曲ばかり練習していたんだもの」


 シェリィは自分が父のために練習していることを「もう亡くなっているのに、無駄なことを」とカイルに言われるのではないか、と一瞬身構えた。

 だがカイルは驚いた様子も見せず、ただじっとシェリィの演奏を聴いている。その反応が、彼女は一層嬉しかった。

 曲の中では簡単な部分に差し掛かったため、余裕が出たシェリィがバイオリンを弾きながらカイルに話しかける。


「私も父の影響で音楽が好きで、よく二人で管弦楽団のコンサートを聴きに行ったの。父は武人として有名だったけれど、本当は武器より楽器を愛していたのよ。父はよく言っていたわ――王侯貴族たちは魔法が得意だけれど、魔法をもってしても、美しい音楽を奏でることはできない、それができるのは人間の体と感性だけだ、って」

「なるほど。俺も管弦楽は好きだな」

「管弦楽の楽しいところは、みんなで一つの曲を――音楽の世界を作っていくところだと思うわ。といっても、夜会の演奏なんて、聴く方は何も考えずにダンスや歓談に身を委ねていると思うけど」


 夜会の演奏をじっくり聴いている貴族達はいない。

 カイルはシェリィの演奏を気に入ったらしく、曲が一番盛り上がるところでは、体を左右に揺らして聴き入ってくれる。この反応は、弾き手としては嬉しい。

 シェリィの発言に感慨を受けたのか、カイルがしみじみと言う。


「――夜会の音楽か。考えてみれば楽団などは、華やかな場の背景としか思っていなかったが……。あれも一人一人の練習の賜物だったと思うと、皆が主役に見えるな」

「そうなの。例えコンサートを開くような腕に覚えのある管弦楽団が演奏していても、貴族達は夜会で楽団員一人一人のことはビックリするほど意識してないし、視界に入らないみたい。父もそのことでよく、文句を言っていたわ!」


 きっと王侯貴族達は演奏家達を空気だと思っている。そこまで考えてから、シェリィはカイルの先ほどの発言に違和感を覚え、あれっと首を傾げる。


「カイルは妖精界で、よく夜会にご参加していたということ?」


 弓を弦から離してシェリィがカイルを見つめて尋ねるも、彼は目を素早く逸らした。


「いや、噂で聞いたことがあるだけだ。妖精王の宮殿で開かれるの夜会は、有名だからな!」


 シェリィは再び左手で弦を押さえ、弓を滑らせながら横目で隣に座るカイルを見た。


(夜会に出たことがないなんて、なんだかもったいないわ)


 カイルはベンチに寄りかかり、背もたれに腕を乗せてリラックスした雰囲気で目を伏せがちにしていた。青い瞳と、銀色の長いまつ毛が美しい。前方に投げ出すように組まれた足は長く、シェリィはその足を見ながら思った。

 もしもカイルが夜会に参加したら、どんな感じになるのだろう、と。

 長い手足を活かして、きっとダンスも映えるに違いない。いつ見ても今は毎日同じ服を着ているが、違う服を着たら、きっととても新鮮に見えるのだろう。


(凄く素敵なんだろうなぁ。いいなぁ。私も一緒に踊ってみたい……って私ったら何を妄想しているのかしら!)


「何か考えごとをしていただろ? ピッチが悪くなった」

「い、良い耳をお持ちで……」


 ズバリ言い当てられ、妄想を本人から怒られた気がして、恥ずかしくなる。練習に集中せねば、と楽譜に視線を戻して気を引き締め直す。


 綺麗な音が出せるよう、弾きながら目を閉じて、耳を四本の弦に傾ける。

 ベンチに深く寄りかかり、カイルも演奏をよく聴こうとしてくれているようで、耳をバイオリンの方に傾けている。

 難曲の荒波を乗りこなし、再び平坦な曲調の部分に入る。シェリィの緊張が緩んだことを察したのか、カイルが演奏の邪魔にらならない程度の声の大きさで、話しかけてくる。


「なかなか良いじゃないか。『妖精の踊り』は単に明るく朗らかに弾くバイオリニストが多いんだが、シェリィは陰陽併せ持った弾き方で、俺は好きだな」


 チラリと目線を上げて、シェリィがカイルに微笑む。するとカイルもニコリと微笑み、その柔らかく下がる(まなじり)にシェリィは瞬間的にドキッと胸が熱くなった。

 褒められたことが嬉しいのか、カイルの微笑みが嬉しいのか自分でもよく分からない。


『妖精の踊り』は陽気なようで悲しみもこもった、複雑な曲だ。

 ある美しい人間の少女が妖精王に見出され、やがて愛し合う仲になって妖精界に連れていかれ、共に暮らす決意をする。美しく幻想的な妖精界の王城の庭で妖精達を引き連れ、踊る場面で曲は終わる。

 シェリィはこの曲をロマンチックだと思っていた。だが今は別の見方をしている。

 少女は人間界に帰ることなく、人生を終えるのだ。彼女の家族や友人は、どれほどその決意を悲しんだだろう。

 大切な人が二度と戻らない辛さを、シェリィは今痛いほど分かっていた。

 だからこの曲はシェリィにとって、どちらの心情も描かないといけない、表現の難しい曲でもあった。

 同じ解釈をし、その難解さを分かってくれるカイルに練習に付き合ってもらえて俄然やる気が溢れ、魂を込めて弓を動かす。

 最後の楽章まで弾き切り、最後の一音の後にまるで大観衆の前の演奏会のように、弦を滑らせ終えた弓を右手で高く掲げてみせる。

 するとカイルは、力強く拍手をしてくれた。

 何度も頷きながら、シェリィに言う。


「素晴らしかった。一人の少女を巡る、壮大な舞台を観終えた気分だ」

「ありがとう。実は誰かに最後まで聴いてもらったのは、初めてなの」 

「それは光栄だな。シェリィの父親より前に聴けるとは」


 シェリィの父親に聴かせる機会があると信じているカイルの言い方に、彼女の胸がギュッと熱くなる。


(カイルって本当に優しいわ。召喚した時はどうなることかと思ったけれど)


 気が抜けたシェリィが今度はカイルについて探ろうと質問をぶつける。


「聴いてもらえて、自信がついたわ。――ところで、カイルはなぜ魔獣退治に行っていたの? 妖精界では騎士さんだったの?」


 カイルが肩をすくめる。


「ああ、そんなところだ。住民を魔獣から守るのは、俺の仕事の一つでもあった。まぁ、もっと長い目で考えると――魔獣に苦しむ人々を救いたいから、でもある」


「立派だわ」という賛辞が、シェリィの口から溢れる。それは単なる社交辞令ではなく、本心だった。

 シェリィは父を思い出していた。

 リンツ王国の民を襲う魔獣は、大陸の北部に広がる山脈からやってくる。

 北部山脈はどの国の領土でもない。大陸の最北部を横断し、魔獣を討伐するために各国が順番に討伐隊を派遣していた。

 シェリィの父が魔獣討伐のために出向いた大陸の北端地域は、険しい山や聳える広陵とした地域だ。


(お父様は、魔獣に剣を向ける時に、怖くなかったのかしら?)


 それとも、リンツの民やシェリィを守りたいという使命感に、恐怖など感じていなかっただろうか。

 シェリィは楽譜から視線を上げ、カイルの瞳をひたと見た。


「魔獣は獅子よりも大きいと聞くけれど、かれらと戦うのは怖くないの?」


 剣を向ける瞬間は、自分も魔獣の魔法や牙によって命を落とす覚悟が必要なのではないか。

 だがカイルは即答した。


「怖くない」


 言い切った後で、カイルは自分の発光する体を見下ろし、次いで視線を上げて平和そうに公園内でかけっこをしている子どもたちや、日向ぼっこをして寝転ぶ中年男性に視線を投げた。そうして自分を冷笑するかのように、フッと力なく笑った。


「こんなところで強がっても、仕方がないな。誰も俺が本音を言おうと、ここなら失望したりしないというのに」

「カイル?」


 カイルは寛ぐようにベンチの背もたれに肩を押し付け、両腕を広げて乗せた。

 空と同じ色の瞳に雲を写しながら視線を動かし、宙を見つめる。


「俺のいた場所は、弱みを見せた隙に俺を引き摺り下ろそうとする輩がたくさんいたのだ」

「妖精界って結構物騒なのね?」

「そ、そうだな。だから俺には感情に流されたり、それを表に出すことが長らく許されていなかった。理性で動かなければ、人は判断を間違えるからな」

「ここは私しかいないから、何も取り繕わなくて大丈夫よ」


 雲が途切れ、顔を出した太陽の眩しさに目をすがめ、カイルが右手で(ひさし)を作る。陽光は指の隙間から溢れたが、それでも彼は空を見上げるのをやめなかった。

 本心を明かす照れ臭さを隠したいのか、手で作った影の下で微笑を浮かべながら話しだす。


「実際は、俺も魔獣を前にすれば怖い。だが『怖くない――』と毎回自分に言い聞かせる。今しかできないのだと、恐れれば敵は更に大きくなって必ず戻ってきて次も牙を向くのだと。俺はいつもこちらが立ち上がって、自分の領分を譲ることはないと示し、その背中を皆に見せなければならない、と思っている」


 バイオリンを持っているシェリィの左手が震えた。心の底から震えるほど、カイルの発言をかっこいいと思ったのだ。

 同時に戦える彼を羨ましいと感じた。

 カイルが少し考え込んだ後で、続ける。


「魔獣退治が、誰かに言われて受動的にやっていることだったなら、本気を出せずに怖気付いていたかもしれないな」

「能動的だったから、きっと強くなれたのね。――そう考えると私の人生は全部人に決められた道を歩いてきただけだったのかもしれないわ。婚約者も、自分の将来も」


 強い展望と意思を持つカイルが、シェリィには眩しかった。


「私は今まで魔術が得意じゃなかったんだけれど、もしかしたら生まれた時から人の言いなりになってきたせいなのかもしれない……」

「一理あるのかもしれない。この俺を召喚するほどの魔術を成功させたんだからな」


 カイルがあまりに胸を逸らして自信たっぷりに言うので、シェリィはつい笑ってしまった。

 やがてシェリィの練習が再び始まり、カイルは演奏を続けるシェリィをじっと見つめてから、彼女に静かな声で呼びかけた。


「もし嫌でなかったら……その、そなたのことがもっと知りたい。色々と訳アリに見えるのだが、詳しく教えてくれないか? 公爵令嬢だったのに、一体何があったんだ?」


 シェリィが弓とバイオリンを膝上に立て、一まとめに左手で押さえる。その拍子に弓が弦を擦ってしまい、不協和音が響く。

 嫌な音にびくりと震えたものの、シェリィは大きく深呼吸をして心を落ち着けた。

 誰かに自分の見事なまでの転落人生を語るのは屈辱だと思っていたが、それが今は必要なことのように思えた。

 かつて未来の王太子妃と言われた女が、誰からも尊重されることなく、公園でひっそりと帰らぬ父を待っている。今やそばにいてくれるのは、変わり種の使い魔だけだ。


(話せるわ。平気よ。カイルにならきっと話せる。私も気持ちを整理したいし、彼なら絶対に私の人生を笑ったり、馬鹿にしたりしない……)


 弓を丁寧に立て直し、右手を軽く握って膝上に置く。

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