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カイルとの生活①

 シェリィはあまり厳しくない主人だと分かったからか、カイルはその朝から、随分遠慮なく自由気ままに過ごすようになった。

 朝食の後、シェリィは家に残っていた紅茶の葉の缶を開け、茶を淹れた。

 以前マティアスからプレゼントされた茶葉で、もったいなくて開けられず、大切にとっておいたものだが、今日は何の躊躇もなく開けられた。

 紅茶缶をくれた時のマティアスとの思い出は、誇らしく嬉しいものだった。だが彼に婚約破棄を言い渡された直後から、思い出も紅茶缶も、悲しく苦しいものへと変わっていた。

 けれど缶の蓋を開け、内袋を思い切って破った瞬間。負の塊となって沈んでいた感情が軽くなったのを感じた。

 良い香りの紅茶が入ると、シェリィはティーカップを居間にいるカイルの元に運んだ。

 カイルは居間のソファに深く腰掛け、新聞を広げて読んでいた。


(えっ、その新聞……どこから取ってきたのかしら⁉︎)


 配達員の近所の少年は、執事のために新聞を裏門のポストに入れてくれるのだが、どうやら執事が取る前に勝手に持ってきたらしい。

 あまりに堂々と読んでいるので、執事が購読しているのだとは、指摘できない。


(人間界の新聞に興味があるなんて、不思議な妖精ね)

「カイル、紅茶をどうぞ。――あの、何か役立ちそうな情報はあったかしら?」

「ああ、とても……」


 カイルは開いていた新聞を閉じ、宙を見た。そしてゆっくりと青い瞳を動かし、ようやくシェリィの差し出すティーカップを捉えた。


「ありがとう、シェリィ」


 新聞を読む守護妖精にお茶を淹れるなんて、主従が逆転したみたいだ、とシェリィは笑って伝えようとしたが、新聞記事から目を上げたカイルの顔を見て、思いとどまった。

 神の贔屓を一身に受けたような綺麗な顔が、辛そうに歪んでいるのだ。


「――何か悲しい記事でも載っていたの……?」

「北部山脈で行われていたゴダイバ帝国軍の魔獣討伐部隊の記事を、見ていたんだ」

「魔獣に興味があるのね。たしか、その討伐隊は皇太子殿下が率いていたのよね。帝国軍に大きな被害があったの?」

「いや、今回の討伐では奇跡的に死者は出なかったそうだ。もちろん、怪我人は多く出ているが」

「さすが皇太子殿下が率いているだけあるわね。武芸に秀でてらして、戦では負け知らずだと聞いているもの」


 シェリィが皇太子を賛辞すると、カイルは座り心地が悪そうに椅子の上で腰を浮かし、座り直した。

 カイルが咳払いをしてから紅茶を飲み始め、シェリィもテーブルの上の新聞に目を落として文字を辿る。記事には皇太子の的確な指揮統率のお陰で、帝国の魔獣討伐隊は北部山脈の稜線の向こう側へ完全に魔獣を追いやることに成功した、と書かれている。

 これでもう辺境地域の民は、当分魔獣による攻撃に悩まされなくて済むのだ。

 カイルがティーカップをテーブルに置き、深いため息とともに呟いた。


「全治一ヶ月か……」


 なんのことだろう、とシェリィが目線だけ動かして誌面を確認する。

 兵士達にも怪我人はいるようだが、治るまでの具体的な期間が書かれているのは、皇太子の状況だけのようだ。


(会ったこともない皇太子の怪我の状況に胸を痛めるなんて、優しいのね)


 新聞を読んだカイルは、その後も珍しく大人しくなって物思いに耽っていた。





 シェリィの家にカイルが現れてから、はや一週間が過ぎた。

 ここへ来た数日は、カイルはシェリィや初めて見るリンツ王国に対して、かなり警戒をしているようだった。

 だが不思議なことに最近はリンツ王国に遊学をしている気分にでもなったのか、一日街中をぶらついてきたり、守護妖精らしく丸一日シェリィの側にいて、彼女を観察するようになっていた。

 どうやらリンツの人々の暮らしを経験することに、興味が出てきたらしい。


 カイルは午前中は市場でのシェリィの買い物につきあい、重たいものは持ってくれた。 

 昼を食べた後はシェリィの趣味であるバイオリンの演奏を聴き、時にアドバイスをし、シェリィが夕食を作るのをすぐ後ろから興味深そうに見ていた。


(気になる。すっごく気になる!)


 シェリィがジャガイモの皮をむき、にんじんを茹でている間、カイルは感心した様子で「こう調理するのか」と呟いていたのだ。


「料理とは、存外時間がかかるものなのだな。いやはや、リンツ王国の庶民の暮らしは、見学のし甲斐があるな」

「私、一応貴族なのよ……。それに私は、素材を茹でたり焼いたりしているだけよ。料理とは程遠いかもしれないわ」


 食事の支度をしている間中、張り付いて観察してくるので、あまりに気になったシェリィはカイルにも簡単な皮剥きや筋取りといった作業を手伝わせた。

 そしてその度、つい笑ってしまうほどカイルは料理の手伝いが下手だった。

 正直、シェリィ自身も公爵令嬢だったので、最近まで自炊などほぼしたことがなかった。やむにやまれず自炊をやり始め、やっと少し手慣れてはきたものの、ちっとも腕前が良いわけではない。

 だがこのレベルの料理に感心するということは、カイルが妖精界でよほど誰かが調理する姿を見てこなかったということだ。


「カイル、たいていの妖精は料理ができるわよ? そんなに料理が珍しいなんて、貴方は妖精界で料理を全くしなかったの?」


 問われたカイルは急に手を伸ばして調理台の上のボウルの中を覗き込んだ。そうして中の茹でたイモを無意味に指でつつきながら答える。


「妖精界にも、貧富の差があるのだ。俺の家は一応使用人がいて、料理は任せきりだった」


(それにしても、限度がある気がするけれど。厨房がカイルの日常的に使うスペースから、かなり離れていたということよね?)


 きっと妖精界では、ある程度の名家なのに違いない。シェリィは薄っすらそんなことを考えた。

 だからシェリィの今の暮らしや、一般の人々の生活を目にして、物珍しさを感じているのだろう、と。

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