第7話 本当に造るのか
100,000km上へ伸びる構造物を造るなら。
その前に、どれだけ深く、広く、地上へ根を張ればいいのでしょうか。
政府。
企業。
金融。
研究。
そして、まだ出会っていない人たち。
今回は、目には見えない最初の「工事」の話です。
相馬直人は、朝から78枚の資料を抱えていた。
正確には。
紙ではない。
役員会用プレゼンテーション、全78ページ。
表紙。
目次。
材料。
構造。
Earth Port。
テザー展張。
クライマー。
電力。
施工。
保守。
安全。
候補海域。
航空。
海運。
概算事業費。
直人としては。
かなり削った。
つもりだった。
「相馬」
井上剛志が言った。
「はい」
「何枚だ」
「78枚です」
「捨てろ」
「え?」
直人は聞き返した。
「今、何て?」
「捨てろ」
「どれを?」
「68枚」
「ほとんどじゃないですか」
井上は直人の端末を覗く。
「お前、役員に135ギガパスカルから説明する気か」
「重要ですよ」
「お前にはな」
「役員にも重要です」
「役員会で最初に聞かれるのは、引張強度じゃない」
「じゃあ何です?」
井上が直人を見る。
「会社を潰す気か、だ」
直人は黙った。
横で森川真帆が言う。
「私は10枚にしました」
直人が見る。
「いつの間に?」
「昨日」
「俺、昨日23時まで作ってたんですけど」
「知ってます」
「言ってくださいよ」
「楽しそうだったので」
「止めてください」
「次からそうします」
宮前玲奈が笑う。
「じゃあ相馬君の78枚は資料編で」
「読んでもらえます?」
井上。
「たぶん読まれない」
「そんな」
「経営者は暇じゃない」
「俺だって暇じゃないですよ」
「78枚作る暇あっただろ」
言い返せなかった。
直人は自分の資料を閉じた。
目の前。
東亜建設総合株式会社。
本社会議フロア。
この先にあるのは。
技術者の会議室ではない。
経営会議室。
扉の向こうには。
社長。
副社長。
財務。
法務。
海外事業。
人事。
技術。
安全。
会社全体を背負う人間たちがいる。
直人は小さく息を吐いた。
井上が横を見る。
「緊張してるか」
「してません」
「してる顔だ」
「これが普通です」
「現場事故の原因調査の時より硬いぞ」
「役員が8人いますから」
「事故現場にはもっと怖い人いるだろ」
「職長さんとか?」
「そうだ」
直人は少し笑った。
井上が扉へ手をかける。
「行くぞ」
「はい」
そして。
東建総にとって初めての。
宇宙エレベーター経営会議が始まった。
◆
会議開始から37分。
相馬直人は。
ほとんど喋っていなかった。
森川が説明している。
大型ディスプレイ。
《軌道輸送構造物 第一次超概算》
CLGS研究・量産設備。
2.0兆円~3.0兆円。
MIOTテザー製造・展張。
3.0兆円~4.5兆円。
Earth Port・海上施工船団。
2.0兆円~3.0兆円。
その下にも項目は続く。
最後。
《総事業費》
《18.0兆円~28.5兆円》
《30兆円超への上振れ可能性あり》
森川が言った。
「繰り返しますが、正式な見積りではありません」
財務担当役員が聞く。
「精度は」
「低いです」
「どれくらい」
「現時点で20兆円と言って、最終的に25兆円になっても驚きません」
「35兆円なら?」
「驚きますが、否定できません」
「50兆円」
森川は少し考えた。
「そうなる条件が見つかれば、計画自体を見直すべきです」
役員が頷く。
驚いていない。
直人はそれが意外だった。
もっと。
「馬鹿げている」
とか。
「そんな金があるか」
とか。
言われると思っていた。
だが。
誰も言わない。
法務担当役員が聞く。
「候補地」
佐伯宗一郎が答える。
「キリバス共和国、キリスィマスィ島南方の赤道海域を有力候補帯として見ています」
「合意は」
「ありません」
「政府接触」
「まだです」
「なら候補であって予定地ではない」
「その通りです」
安全担当役員。
「テザー重大破断時の被害想定」
片桐礼子。
「未完成です」
「最大被害範囲は」
「分かりません」
直人が少し身構える。
だが片桐は続けた。
「分からないので、建設可否判断へ進む前に解析します」
役員は頷いた。
「それでいい」
次。
人事担当。
「必要人員」
井上。
「現時点では推定不能です」
「数千?」
「建設ピークでは、それ以上になる可能性があります」
「日本人だけで?」
佐伯。
「不可能でしょう」
「20年以上?」
「それもあり得ます」
質問。
回答。
質問。
回答。
誰も夢を語らない。
誰も宇宙を見上げない。
会社。
責任。
人。
金。
事故。
契約。
直人は思った。
――これも。
宇宙エレベーターの話なんだ。
やがて。
社長が初めて口を開いた。
「森川君」
「はい」
「確認する」
「はい」
「当社単独で、この事業を実施できるか」
森川は資料を見なかった。
「不可能です」
即答だった。
会議室が静かになる。
社長はしばらく森川を見ていた。
それから。
「そうか」
一言。
直人の心臓が少し強く打つ。
ここだ。
否決。
そう思った。
だが。
社長が続けた。
「なら」
机の資料を閉じる。
「この部屋だけで決めても意味がないな」
直人が顔を上げた。
◆
「必要な相手を出せ」
社長が言った。
佐伯が立ち上がる。
ホワイトボード。
最初に。
《政府》
次。
《ホスト国》
《金融》
《保険》
《材料》
《重工》
《宇宙》
《電力》
《海運》
《航空》
《通信》
《大学・研究機関》
《海外建設》
さらに。
《国際機関》
直人が見ている。
佐伯が振り返った。
「他に?」
黒田。
「環境研究」
追加。
片桐。
「第三者安全認証」
追加。
森川。
「地方自治体」
追加。
宮前。
「材料メーカーだけじゃなく、製造装置メーカー」
追加。
越智。
「ロボット」
追加。
三輪。
「半導体と電力変換」
追加。
安西。
「センサー」
追加。
ホワイトボードが埋まっていく。
直人が言った。
「……多いですね」
佐伯。
「少ないくらいだ」
「これ全部?」
「全部だ」
直人はボードを見る。
宇宙エレベーター。
という文字は。
どこにもない。
なのに。
全部。
宇宙エレベーターだった。
井上が言った。
「相馬」
「はい」
「お前、18年ずっと上ばっかり見てただろ」
直人が少し笑う。
「100,000kmありますから」
「知ってる」
井上はホワイトボードを指した。
「だったら、その前に下だ」
「下?」
井上が机の資料を指で叩いた。
「根を張れ」
直人は答えなかった。
その言葉が。
妙に残った。
◆
経営会議の結論は。
宇宙エレベーター建設承認。
ではなかった。
否決。
でもない。
《軌道エレベーター事業化可能性に関する社外サウンディング》
社長決裁。
守秘範囲限定。
情報開示は必要最小限。
相手によっては秘密保持契約を締結。
目的。
《各関係主体の参加可能性、要求条件、制度上の障壁、技術的役割、事業成立条件の把握》
直人が資料を読む。
「要するに」
佐伯。
「聞いて回る」
「参加してくれって?」
「違う」
「じゃあ」
佐伯が言った。
「こう聞く」
少し間。
「もし、本当にやるとしたら」
直人を見る。
「あなたは何を条件に、話を続けますか」
直人は頷いた。
「賛成してもらうわけじゃない」
「賛成を取りに行くには早すぎる」
「じゃあ何を取りに?」
佐伯は笑った。
「宿題だ」
直人は嫌な顔をした。
「また増えるんですか」
片桐が横から言う。
「増えます」
「ですよね」
「当然です」
こうして。
宇宙エレベーターは。
東建総の外へ出た。
◆
最初の根は。
政治だった。
◆
東京。
国会議事堂から、それほど離れていない会議室。
非公式。
出席者は少ない。
東建総側。
佐伯。
井上。
森川。
宮前。
直人。
政府側。
内閣官房の産業政策担当官。
経済産業分野の官僚。
宇宙政策担当部署の職員。
そして。
製造業の集積地域を選挙区に持つ、与党の中堅国会議員。
直人にとって。
政治家へ技術説明をするのは初めてだった。
議員は資料をめくる。
特に驚いた様子はない。
「総事業費」
「はい」
森川。
「最大で現時点28.5兆円。30兆円を超える可能性もあります」
議員は顔を上げた。
「最初に確認していいですか」
佐伯。
「お願いします」
「宇宙エレベーターを造るので、政府から30兆円ください」
資料を閉じる。
「という話なら、今日はここで終わります」
直人の背筋が少し固くなる。
佐伯は平然としていた。
「その話ではありません」
「でしょうね」
議員は再び資料を開いた。
「もしそうなら、こんな資料作ってこないでしょう」
ページを進める。
CLGS。
製造工場。
自律施工ロボット。
高出力送電。
電力変換。
大型海洋浮体。
深海係留。
センサー。
宇宙輸送。
超長期安全管理。
「私が気になるのは」
指が止まる。
CLGS。
「これです」
宮前が少し前へ出る。
「材料ですか」
「はい」
「宇宙エレベーターが完成しないと使えませんか?」
宮前は即答した。
「いいえ」
議員。
「例えば?」
宮前が答える。
「長大橋梁」
「航空・宇宙構造材」
「超軽量補強材」
「高性能ケーブル」
「洋上構造物」
「用途は強度、量産性、耐久性によって変わります」
「つまり」
議員が言う。
「宇宙エレベーターが失敗しても、この材料技術は残る」
宮前。
「研究がそこまで到達すれば」
「保証は?」
「ありません」
「そこは正直なんですね」
「研究なので」
議員が少し笑った。
次。
越智のロボット。
黒田の海洋施工。
三輪の電力。
資料をめくるたび。
宇宙エレベーターから。
別の産業が見えてくる。
政府側の官僚が言った。
「これ、分解した方がいいですね」
直人が聞く。
「分解?」
「宇宙エレベーター計画、という1本の研究開発事業にする必要はありません」
「でも全部必要です」
「全体には必要です」
官僚は言う。
「ただし、公的支援制度は目的が違う」
材料研究。
製造設備。
大学との共同研究。
宇宙技術。
中小企業の技術開発。
人材育成。
地域産業。
「補助金、助成金、交付金を全部同じ財布だと思わないでください」
森川が頷く。
「制度ごとに申請主体も対象費目も違う」
「そうです」
「東建総が全部申請する話ではない」
「むしろ不自然です」
直人が聞く。
「じゃあ」
「材料会社は材料会社」
「大学は大学」
「ロボット会社はロボット会社」
「共同研究体を作る場合もある」
「民間資金でやる部分もある」
「税制措置を検討する部分もある」
「全部」
官僚は資料を指した。
「使える制度と、使えない制度を洗う必要があります」
直人が思わず言った。
「何個くらいあります?」
森川が横を見る。
「相馬さん」
「はい」
「また数字から入る」
「気になるので」
官僚が少し笑った。
「かなりあります」
直人。
「それは助かります」
「使えるとは言ってません」
「ですよね」
そこへ。
議員が口を開いた。
「もう1つ」
直人を見る。
「相馬さん」
「はい」
「宇宙エレベーターが完成しなかった場合」
直人の表情が変わる。
「はい」
「日本に何が残ります?」
直人は。
答えようとした。
だが。
言葉が出なかった。
完成しない。
その可能性は。
ずっと考えてきた。
材料が届かない。
施工が成立しない。
安全が確保できない。
国際合意が作れない。
でも。
その時。
何が残るか。
考えたことがなかった。
宮前が言った。
「材料は残ります」
越智。
「ロボットも」
黒田。
「海洋施工技術も」
三輪。
「送電と電力変換も」
片桐。
「安全工学も残せます」
森川。
「工場と雇用も。継続できる用途が作れれば」
佐伯。
「国際案件を動かせる人材も」
直人は。
仲間を見る。
自分だけ。
少し遅れていた。
議員が頷いた。
「そういう話です」
直人を見る。
「研究開発っていうのは」
少し考える。
「最後の果実だけ食べられれば成功、というものでもないでしょう」
直人は聞く。
議員が続ける。
「世の中には」
「軍事や宇宙や国家研究から始まって」
「別の用途へ広がった技術がいくらでもある」
「最初に想定した使い方と、最後に社会を変えた使い方が違うことだってある」
ページを閉じる。
「だから」
「宇宙エレベーターが完成する保証がない」
「それだけで研究するなとは言いません」
直人の目が少し動く。
「ただし」
議員の声が変わる。
「“失敗しても何か残ります”と言えば、何にでも税金を使っていいわけじゃない」
会議室が静かになる。
「種を蒔いたと言うなら」
「その種がどこへ落ちるのか」
「どう育てるのか」
「誰が使うのか」
「そこまで考えてください」
直人は黙って聞いた。
「果実が実らなかった時にも」
「技術」
「人材」
「設備」
「知財」
「新しい企業」
「別の市場」
「そういうものが日本に残るように」
議員は言った。
「研究計画そのものを作る」
宮前の表情が変わる。
直人にも。
その意味が分かってきた。
宇宙エレベーターを造るために。
材料を作る。
ロボットを作る。
船を作る。
電力技術を作る。
その途中。
できたものは。
宇宙エレベーターだけのものではない。
完成前から。
社会へ出ていける。
直人が小さく言った。
「種」
議員。
「何です?」
「いえ」
直人は少し笑った。
「分かりました」
議員は最後に言った。
「政府として宇宙エレベーター建設に賛成する、とは言えません」
「はい」
「今ここで、新しい予算を約束することもできません」
「はい」
「でも」
資料を持ち上げる。
「これだけの研究テーマがあるなら」
「話を終わらせる理由もありません」
直人は。
その言葉を。
しっかり聞いた。
◆
2本目の根は。
金だった。
◆
国内大手金融機関。
会議開始8分。
直人はすでに止められていた。
「相馬さん」
「はい」
「構造説明は後で結構です」
「まだテザーの話を」
「そこじゃありません」
金融機関側の担当者。
企業金融部門。
大型インフラ案件を何件も扱ってきた人物だった。
「1つ教えてください」
「はい」
「この宇宙エレベーター」
資料を見る。
「誰が、お金を払うんです?」
直人が少し考えた。
「事業費は」
「建設費ではありません」
「はい」
「完成後です」
直人が止まる。
担当者が続けた。
「誰が乗る?」
「貨物?」
「いくら払う?」
「年間輸送量は?」
「競合する打上げ手段は?」
「黒字化まで何年?」
「運営主体は?」
「為替リスクは?」
「事故で半年止まったら?」
「収入がなくても返済できますか?」
直人は。
途中から。
完全に黙った。
森川が答えられるものを答える。
だが。
まだ。
ほとんどが仮定だった。
会議終了後。
エレベーターホール。
直人が言った。
「全然、テザー聞かれなかった」
森川。
「銀行なので」
「135GPaも」
「銀行なので」
「Earth Portも」
「少し聞かれました」
「融資額の方で」
「銀行なので」
直人はため息をついた。
佐伯が隣で言う。
「勉強になっただろ」
「なりました」
「何が」
直人は考える。
「造った後まで、事業なんですね」
佐伯が頷いた。
「当たり前だ」
「俺、完成したら半分終わりだと思ってました」
「建設屋だからな」
「はい」
「でも客は」
佐伯が言う。
「完成してから金を払う」
直人は。
また宿題が増えた気がした。
◆
3本目。
海外。
◆
東建総が過去の大型港湾工事で協業したことのある。
欧州系の海洋・インフラ企業。
オンライン会議。
相手側は。
海洋構造技術者。
宇宙部門担当者。
事業開発責任者。
最初。
技術者は。
完全に食いついた。
「3本?」
直人。
「現在案は」
「単索ではなく?」
「局部損傷時の荷重再配分を――」
「興味深い」
安西と相手側構造技術者の話が。
あっという間に専門用語だらけになる。
黒田は半潜水式Earth Port。
越智は補修ロボット。
三輪はクライマー。
会議は。
直人が一番慣れた形になった。
技術。
質問。
反論。
数字。
直人は楽しかった。
やっと。
宇宙エレベーターの話ができる。
そう思った頃。
相手側の事業開発責任者が言った。
「技術の話は非常に面白い」
通訳を介さず英語で。
佐伯が答える。
「ありがとうございます」
「そこで」
相手は聞いた。
「日本政府は参加しますか?」
直人の表情が止まる。
佐伯。
「まだ決まっていません」
「キリバス政府は?」
「未接触です」
「事業主体は?」
「未定」
「知的財産の管理主体は?」
「未定」
「最終設計責任は?」
「未定です」
相手は少し黙る。
それから。
「では」
「誰が全体を統合する?」
直人が答えようとして。
止まった。
材料。
日本。
ロケット。
別企業。
海洋。
海外。
政府。
複数国。
軌道設備。
また別。
全部。
誰かが。
つながなければならない。
相手側の技術者が言う。
「私たちはEarth Portの一部なら力になれるかもしれない」
別の担当者。
「宇宙構造は、別会社が強い」
「材料もそうでしょう」
「しかし」
事業開発責任者。
「100の優れた技術を集めても」
「100個の部品ができるだけです」
「宇宙エレベーターにはならない」
直人は。
その言葉を聞いた。
「誰かが」
相手は言う。
「全体を1つの工事にしなければならない」
会議後。
直人は。
その言葉をメモに残した。
《全体を1つの工事にする》
そして。
しばらく見つめた。
◆
3週間。
東建総の社外サウンディングは続いた。
研究機関。
材料企業。
造船。
重工。
電力。
通信。
航空。
保険。
大学。
海外企業。
全部を。
直人が直接回ったわけではない。
社内の各部署。
グループ企業。
既存の取引先。
佐伯の海外ネットワーク。
会社が長年かけて作った人間関係。
何十本もの線が。
外へ伸びた。
そして。
戻ってきた。
◆
《社外サウンディング結果》
会議室。
直人は一覧を見る。
《強い技術的関心》
《条件付き検討可能》
《政府関与が前提》
《事業主体要整理》
《収益モデル要提示》
《知財管理要整理》
《安全責任主体不明》
《ホスト国合意必須》
《国際法整理必須》
《追加情報必要》
《現時点で参加判断不能》
直人が言った。
「……賛成って書いてないですね」
佐伯。
「ないな」
「1個も?」
「1個も」
直人は肩を落とした。
「3週間かけて?」
佐伯。
「上出来だ」
直人が顔を上げる。
「これで?」
「ああ」
「誰もやるって言ってないですよ」
佐伯が笑った。
「相馬」
「はい」
「30兆円の計画を初めて見せられて」
「はい」
「その場で“ぜひ一緒にやりましょう”って言う会社」
少し間。
「お前、信用できるか?」
直人は考えた。
「……怖いですね」
「だろ」
井上も言う。
「誰も追い返してない」
直人が一覧を見る。
確かに。
断る。
ではない。
条件。
条件。
条件。
全部。
話を続けるための条件。
直人が言う。
「慎重なんですね」
佐伯。
「本気になる可能性があるから慎重なんだ」
その言葉。
直人は。
少しだけ。
嬉しかった。
◆
その日の夕方。
再び。
経営会議室。
社長へ報告。
3週間前と同じ部屋。
でも。
直人には。
違う場所に見えた。
社長が結果一覧を読む。
長い。
最後まで。
誰も急かさない。
そして。
資料を閉じた。
「相馬君」
「はい」
「聞きたい」
直人は社長を見る。
「本当に造るのか」
質問だった。
でも。
問い詰める声音ではない。
直人は。
すぐには答えなかった。
まだ、宇宙エレベーターが自分だけの夢だった頃なら。
即答したと思う。
造ります。
そのために会社へ入ったんです。
そう言った。
でも今は。
知っている。
安全。
家族。
20年。
キリバス。
海。
空。
30兆円。
政府。
金融。
海外企業。
そして。
計画が完成しなかった時に。
何が残るのか。
直人は言った。
「……まだ」
社長が聞く。
「まだ?」
「それを決められるところまで、来ていません」
会議室が静かになる。
直人は続ける。
「昔なら」
「造りますって答えてました」
「でも」
「今は」
少し考える。
「僕が造りたいだけで」
「造っていいものじゃないって分かりました」
誰も口を挟まない。
「造れるのか」
「造っていいのか」
「安全なのか」
「その場所で暮らしている人が受け入れられるのか」
「一緒に造る人がいるのか」
「金を出す価値があるのか」
「全部」
「まだ分かりません」
社長。
「なら、やめるか」
直人は。
今度はすぐ答えた。
「それも、まだ早いです」
社長の口元が少し動く。
直人は続ける。
「もう1つ」
「分かったことがあります」
「何だ」
「もし」
「最後まで届かなかったとしても」
少し間。
「全部が失敗になるわけじゃない」
宮前を見る。
「材料」
越智。
「ロボット」
黒田。
「海洋技術」
三輪。
「電力」
片桐。
「安全」
佐伯。
「人」
直人は社長へ戻る。
「途中で生まれたものを」
「別の場所で使えるようにする」
「人材を残す」
「技術を残す」
「工場を残す」
「新しい仕事を残す」
「それも」
「この計画の成果にできると思います」
社長が聞く。
「宇宙エレベーターが完成しなくても?」
直人は少しだけ苦しそうに笑った。
「完成させたいです」
その言葉だけは。
迷わない。
「でも」
「完成以外を全部失敗にする計画には」
「したくありません」
社長は。
しばらく何も言わなかった。
やがて。
「そうか」
椅子へ背を預ける。
そして。
ホワイトボードを見る。
3週間前。
佐伯たちが書いた文字。
一部は消えている。
それでも。
まだ残っていた。
《政府》
《ホスト国》
《金融》
《海外》
社長が言う。
「井上」
「はい」
「まだ根が浅いな」
井上が笑った。
「はい」
「佐伯」
「はい」
「広げろ」
「分かりました」
社長は最後に直人を見る。
「相馬君」
「はい」
「君もだ」
「はい」
そして。
「もっと根を張れ」
宇宙エレベーター建設は。
その日も。
決まらなかった。
材料も。
1mも伸びていない。
海にも。
何も浮かんでいない。
宇宙にも。
何もない。
それでも。
直人には。
3週間前より。
ずっと。
工事が進んだように思えた。
◆
同じ日の夜。
霞が関。
ある政府庁舎。
1通の内部資料が。
転送された。
《軌道輸送構造物に関する民間企業からの予備的相談》
添付資料。
東亜建設総合株式会社。
宇宙エレベーター。
受信した女性は。
タイトルを見て。
数秒。
動かなかった。
内閣官房。
国際法・国際制度調整を担当する。
榊原美緒。
42歳。
「……宇宙エレベーター?」
ページを開く。
赤道。
キリバス。
洋上Earth Port。
100,000km級テザー。
航空交通。
海上交通。
宇宙空間。
国際事業。
読み進める。
そして。
あるページで。
手を止めた。
《想定手続》
《ホスト国建設許可》
榊原は。
少しだけ眉を寄せた。
「違う」
誰もいない執務室で。
小さく言った。
「これ」
もう1度。
ページをめくる。
海。
空。
宇宙。
国境。
主権。
条約。
安全保障。
榊原美緒は。
資料へ赤いコメントを入れた。
《要整理》
さらに。
その横。
《建設許可のみでは不十分》
保存。
画面を閉じる前に。
もう1度。
資料の表紙を見る。
そして。
小さく呟いた。
「これ、本気なの?」
翌朝。
東亜建設総合へ。
内閣官房から。
1本の連絡が入る。
第7話では、宇宙エレベーターの建設は決まりませんでした。
代わりに、東建総は初めて会社の外へ出ました。
政府。
金融。
海外企業。
それぞれが同じ宇宙エレベーターを見ながら、まったく違うものを見ています。
そして直人も、「完成することだけが成果ではない」と知り始めました。
材料、ロボット、海洋技術、人材、工場、知識。
最終的な果実だけでなく、その途中で生まれた種を見つけ、育て、社会へ残すこと。
それも巨大研究開発の意味の1つなのだと思います。
宇宙へ伸びる世界樹には、まだ見えない根が必要です。
次話――
第8話「建設許可では足りない」。
東建総の資料は、内閣官房・榊原美緒の手に渡りました。
次に直人たちが向き合うのは、技術でも金でもありません。
国境。
主権。
条約。
そして、「誰が宇宙エレベーターの鍵を持つのか」という問題です。




