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第1部 夢が工事になるまで  作者: IORI


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6/10

第6話 ゼロが1つ多い

巨大構造物には、巨大な数字がついてきます。


材料。


工場。


海上基地。


宇宙施設。


打上げ。


安全。


そして、20年以上という時間。


今回は総額をいきなり見るのではなく、相馬直人たちと一緒に1項目ずつ積み上げていきます。


夢はいったい、いくらするのでしょうか。

相馬直人は、数字を見るのが嫌いではない。


むしろ好きな方だった。


長さ。


重さ。


強度。


応力。


変位。


振動数。


安全率。


数字は、少なくとも人間ほど曖昧ではない。


無理なものは無理。


足りないものは足りない。


計算を間違えない限り、相手の顔色を見て答えを変えたりもしない。


だから直人は。


その日も最初は、数字の話ならどうにかなると思っていた。



          ◆



東亜建設総合。


軌道輸送構造物・予備技術検討会。


今日の議題は、


《軌道エレベーター第一次事業費試算》


だった。


会議室前方の大型ディスプレイには、まだ総額は表示されていない。


代わりに。


《第一次超概算》


という大きな文字。


その下に。


《精度:極めて低い》


と書かれていた。


直人が言う。


「森川さん」


「はい」


「最初から不安になること書いてありますけど」


森川真帆は表情を変えない。


「不安になってください」


「もう少し夢のある始め方は」


「今日はお金の会議です」


「はい」


森川は全員を見る。


井上剛志。


宮前玲奈。


黒田夏海。


安西圭吾。


片桐礼子。


越智悠斗。


三輪敦史。


佐伯宗一郎。


そして直人。


「先に言っておきます」


森川が言った。


「今日出す数字は、正式な見積りではありません」


直人が頷く。


「現段階では、材料量産方法も、最終構造も、建設地点も、工程も決まっていません」


「はい」


「ですから」


画面を切り替える。


《目的》


《この事業が1兆円級なのか、10兆円級なのか、100兆円級なのかを把握する》


直人は少し笑った。


「ずいぶん幅広いですね」


「今はその段階です」


井上が腕を組む。


「要するに桁を見る?」


「そうです」


森川が頷いた。


「既存の宇宙エレベーター構想には、10兆円級として語られてきた例があります」


直人が画面を見る。


「じゃあ10兆円から?」


「いいえ」


「違う?」


「比較基準にはします。でも答えにはしません」


森川は直人を見る。


「私たちが造ろうとしているものは、同じ宇宙エレベーターでも同じ設計ではありませんから」


直人は少し背筋を伸ばした。


「多索式」


「はい」


「移動可能なEarth Port」


「はい」


「GEO HUB」


「はい」


「有人対応」


「はい」


「国際事業」


「はい」


「安全冗長化」


片桐が言う。


「そこは削らないでください」


森川。


「削りません」


「ならいいです」


直人が小声で言う。


「怖いなあ」


片桐。


「聞こえてます」


「はい」


森川は続けた。


「なので今日は、総額を先に出しません」


直人が聞く。


「1個ずつ?」


「1個ずつです」


「最後に合計?」


「はい」


森川が少しだけ笑った。


「覚悟してください」



          ◆



最初の項目。


《1.CLGS研究・量産設備》


画面に表示。


《2.0兆円~3.0兆円》


直人が固まる。


開始から30秒。


「……材料だけで?」


宮前玲奈が言う。


「“材料だけ”じゃないよ」


「いや、材料でしょう」


「研究室で数m作るのと」


宮前が画面を指す。


「100,000km級の構造物に供給できる量を、20年以上安定して作るのは別の話」


森川が項目を展開する。


基礎研究。


量産プロセス開発。


大型製造ライン。


複数工場。


品質検査設備。


非破壊検査。


原料供給。


電力設備。


保管。


巻取。


搬送。


予備生産ライン。


歩留まり損失。


直人は画面を見る。


「工場1個じゃ駄目ですか」


宮前。


「駄目」


「即答」


「1工場止まったら宇宙エレベーター全体止める?」


「……嫌ですね」


「なら複線化」


片桐。


「災害時に同時停止しない立地も検討してください」


森川が入力する。


直人。


「今、増えました?」


「元から入ってます」


「本当に?」


「疑うなら自分で積算してください」


「信じます」


森川が言う。


「第1項目」


画面下。


《累計:2.0兆円~3.0兆円》


越智が呟く。


「まだ材料ですよね」


誰も答えなかった。



          ◆



次。


《2.MIOTテザー製造・展張》


画面。


《3.0兆円~4.5兆円》


直人が顔を上げる。


「CLGSと別?」


森川。


「当然です」


「材料費に入ってない?」


「素材を作る設備と、構造物として加工・検査・展張する設備は別です」


安西が頷く。


「主索3系統ですからね」


森川。


「相馬さんが3本にしたので」


全員が直人を見る。


「俺?」


「冗談です」


少し間。


「半分くらいは」


「半分本気じゃないですか」


黒田が笑う。


画面。


主索A。


主索B。


主索C。


ブレース材。


接合セル。


補修用予備材。


軌道上展張装置。


地上側巻出設備。


監視センサー。


施工用ロボット。


直人が言う。


「でも3本にすることで、1本破断時の冗長性が――」


片桐。


「安全費を削る相談なら聞きません」


「してません」


「なら続けてください」


安西が言う。


「振動制御も追加です」


三輪。


「クライマーが走るなら接触面も」


越智。


「補修ロボット用の基準構造も」


直人は森川を見る。


「……上限4.5兆で足ります?」


森川。


「だから超概算です」


累計が変わる。


《累計:5.0兆円~7.5兆円》


直人が時計を見た。


会議開始から23分。


すでに最大7.5兆円。


「これ」


井上。


「何だ」


「今日、最後までやらない方が幸せじゃないですか」


「逃げるな」



          ◆



《3.Earth Port・海上施工船団》


《2.0兆円~3.0兆円》


黒田夏海の番だった。


大型半潜水式浮体。


深海係留。


動的位置保持。


大型クレーン。


資材ヤード。


テザー接続設備。


発電。


蓄電。


淡水化。


居住区。


食堂。


医療設備。


消防設備。


避難設備。


通信設備。


ヘリデッキ。


補給設備。


救難設備。


直人が言った。


「……街ですね」


黒田。


「前にも言いました」


「基地だとは思ってました」


「何人働かせる気です?」


「ピークで数千人?」


「なら数千人が生きられる設備が必要です」


「コンビニも?」


黒田は真顔で考えた。


「欲しいですね」


井上。


「そこは後で決めろ」


さらに。


作業船。


補給船。


タグ。


大型輸送船。


ROV運用船。


救難船。


警備船。


海洋観測船。


黒田が言う。


「Earth Port本体だけ見ないでください」


「船団も?」


「洋上工事は陸から歩いて通えません」


「確かに」


「燃料も、食料も、交換部品も、人も運びます」


森川。


「さらに20年以上です」


直人が小声で言う。


「海、高いな」


黒田。


「空よりは安いと思いますよ」


「その比較嫌だな」


累計。


《7.0兆円~10.5兆円》


越智が言う。


「10兆超えた」


森川。


「まだ3項目です」



          ◆



《4.初期打上げ・軌道建設設備》


《2.0兆円~4.0兆円》


直人が天井を見る。


「来た」


三輪。


「何が」


「宇宙」


初期シードテザー。


軌道側施工機。


資材。


推進剤。


組立設備。


ロボット。


予備機。


打上げ失敗への対応。


保険。


複数のロケット打上げ。


直人が画面を見る。


「将来、打上げ価格が下がれば」


森川。


「下げる可能性はあります」


直人が明るくなる。


「じゃあ下限に」


「ただし」


終わった。


「安くなれば、投入量を増やせる可能性があります」


「……つまり?」


「単価が半分になっても、2倍打ち上げれば総額は同じです」


直人。


「夢がない」


三輪。


「宇宙にはありますよ」


「うまいこと言った顔しないでください」


累計。


《9.0兆円~14.5兆円》


井上が言う。


「もう昔の構想の10兆、普通に超えたな」


森川。


「はい」


直人。


「帰ります?」


「座れ」



          ◆



《5.GEO HUB・Apex設備》


《2.0兆円~3.0兆円》


静止軌道。


約35,786km。


そこに設置するGEO HUB。


最初は巨大な宇宙都市ではない。


施工拠点。


物流。


保守。


通信。


電力。


ドッキング。


乗員滞在。


救命。


そしてさらに外側。


Apex側。


カウンターウェイト。


姿勢制御。


テザー管理。


直人が言う。


「これ、完成後に拡張する分は?」


森川。


「今回は初期運用に必要な範囲だけ」


「宇宙ホテルは?」


「入れてません」


越智。


「展望台」


「入れてません」


井上。


「お前ら遊ぶな」


森川は淡々と進める。


累計。


《11.0兆円~17.5兆円》


直人が言った。


「まだ半分くらい?」


森川。


「項目数では」


「金額では?」


「知りません」


「知ってるでしょう」


「知ってます」


「怖い」



          ◆



《6.クライマー・送電・管制システム》


《1.5兆円~2.5兆円》


三輪が説明する。


建設用クライマー。


貨物用。


保守用。


救難用。


最終的には有人用。


送電。


レーザー。


太陽光。


蓄電池。


電力変換。


地上追尾設備。


航空機検知。


自動遮断。


複数系統。


片桐が口を開く。


「航空機検知とレーザー遮断は独立系統にしてください」


三輪。


「入れてます」


「2重?」


「現案3重」


片桐が頷く。


「なら検討継続」


直人が言う。


「3重にすると高い?」


森川。


「相馬さん」


「はい」


「そこを削る話なら」


「してません」


最近。


片桐と森川の視線だけで謝れるようになってきた。


さらに管制。


テザー監視。


デブリ監視。


宇宙天気。


クライマー交通管理。


海上交通。


航空交通。


通信。


サイバー防御。


直人は画面を見ながら言った。


「管制室だけでもすごそうだな」


佐伯。


「世界で1番長い交通インフラになるんだ」


直人。


「確かに」


「信号なしでは走れん」


累計。


《12.5兆円~20.0兆円》


画面に「20兆」という数字が初めて現れた。


誰も笑わなかった。



          ◆



森川は次を出す。


《7.キリバス側関連インフラ・環境対策》


《1.0兆円~2.0兆円》


直人が画面を見る。


「ここはもっと詰めたいです」


佐伯が直人を見る。


「ほう」


先日の候補地検討会議で、佐伯に言われた言葉が蘇る。


――何をもらうかじゃない。


――何を残すか。


直人はその言葉を覚えていた。


森川が項目を表示する。


港湾強化。


空港関連設備。


道路。


電力。


通信。


淡水化。


医療。


防災。


廃棄物処理。


教育・訓練。


環境モニタリング。


漁業影響対策。


長期雇用・技能移転。


ただし。


まだ全部仮置き。


佐伯が言う。


「ここは日本側が勝手に決めるなよ」


直人。


「分かってます」


「本当に?」


「前回よりは」


「ならいい」


黒田が言う。


「海洋環境調査も長期間必要です」


森川。


「含めています」


「サンゴ、生態系、漁場」


「はい」


「工事後も」


「はい」


直人が言う。


「1兆から2兆」


佐伯。


「高いと思うか?」


直人は少し考えた。


「……思いません」


佐伯が少しだけ笑った。


累計。


《13.5兆円~22.0兆円》



          ◆



《8.安全・警備・航空海運調整・国際認証》


《0.5兆円~1.0兆円》


直人。


「これ、1項目にまとめるんですか」


森川。


「第一次なので」


片桐が言う。


「将来は分けます」


直人。


「でしょうね」


安全研究。


緊急救難。


大型事故対応。


警備。


サイバーセキュリティ。


航空路再編。


海上航路調整。


NOTAM等の運用対応。


国際認証。


第三者検証。


訓練施設。


事故調査体制。


直人が聞く。


「国際認証って、誰が認証するんです?」


佐伯。


「それを作るところからになるかもしれん」


「認証制度を?」


「世界に宇宙エレベーターの建築確認制度があると思うか?」


「……ないですね」


「なら作る」


直人は少し笑った。


「ほんとに何でも作るな」


井上。


「お前が言うな」


累計。


《14.0兆円~23.0兆円》



          ◆



直人は画面を見る。


「これで終わり?」


森川は答えなかった。


その沈黙で。


全員が分かった。


「まだあるの?」


森川が最後の項目を表示する。


《9.予備費・物価上昇・設計不確実性》


《4.0兆円~5.5兆円》


直人は数秒固まった。


「……予備費だけで?」


森川。


「はい」


「4兆?」


「最低ケースで」


「最大5.5兆?」


「はい」


「会社1個作れそう」


井上。


「何個か作れる」


直人は画面を見る。


「大きすぎません?」


森川の表情が少し変わった。


「相馬さん」


「はい」


「20年以上のプロジェクトです」


「はい」


「まだ存在しない材料を量産します」


「はい」


「世界初の構造物を造ります」


「はい」


「宇宙と海を同時に使います」


「はい」


「国際案件です」


「はい」


「物価が20年以上変わらないと思います?」


「思いません」


「工期が1日も遅れない?」


「思いません」


「材料開発が1度も失敗しない?」


「思いません」


「ロケットが全部成功する?」


「……思いません」


「政治情勢も変わらない?」


直人は佐伯を見る。


佐伯が首を振る。


「無理だ」


森川が言う。


「なら、予備費は必要です」


片桐が続ける。


「余裕がない計画は、安全を削り始めます」


直人は黙った。


それは。


分かる。


工程が遅れる。


予算が足りない。


すると。


どこかで誰かが言う。


検査を短くできないか。


予備品を減らせないか。


安全確認を並行できないか。


建設現場で。


何度も見てきた誘惑。


直人は頷いた。


「削りません」


片桐。


「お願いします」


森川が最後の数字を入力する。


画面。


《累計》


数字が更新された。



          ◆



《下限ケース》


18兆円。


会議室が静かになる。


直人は画面を見る。


まだ。


上がある。


森川が操作する。


《上限ケース》


28兆5,000億円。


誰も声を出さなかった。


越智が数字を数えている。


三輪も。


黒田は腕を組んだまま。


安西はなぜか天井を見ている。


宮前は苦笑。


井上は完全に無表情。


直人は。


もう1度。


数字を見る。


28兆5,000億円。


少し前まで。


27兆円と聞いただけでも現実感がなかった。


だが。


今は違う。


3兆。


4.5兆。


3兆。


4兆。


1つずつ。


理由を聞いた。


必要なものを見た。


その結果が。


ここにある。


それでも。


言わずにはいられなかった。


「……森川さん」


「はい」


「ゼロ、1つ多くないですか」


森川は即答した。


「私も3回確認しました」


「3回?」


「はい」


「全部同じ?」


「残念ながら」


直人は椅子にもたれた。


「残念って」


「相馬さんが始めたんですよ」


「俺だけじゃないですよ」


「最初はあなたです」


「そうですけど」


井上が笑った。


「責任取れ」


「28兆どうやって?」


「知らん」


「無茶言わないでください」


少しだけ。


会議室に笑いが戻った。


だが。


画面の数字は消えない。



          ◆



佐伯宗一郎が口を開いた。


「俺は、そんなに驚かんけどな」


直人が見る。


「28兆ですよ?」


「だから何だ」


「何だって」


佐伯は指を折る。


「新素材産業」


「はい」


「100,000km級の構造物」


「はい」


「巨大洋上拠点」


「はい」


「宇宙拠点」


「はい」


「20年以上」


「はい」


「国際インフラ」


「はい」


佐伯は言う。


「むしろこれで済むと思ってる方が怖い」


森川が頷く。


「同感です」


直人が2人を見る。


「朝からこっちは高いって言ってたんですけど」


森川。


「高いですよ」


「ですよね」


「でも、異常ではない」


その言葉。


直人は少し考える。


高い。


だが。


作ろうとしているものに対して。


あり得ない数字ではない。


森川が言う。


「勘違いしないでください」


「はい」


「28.5兆円を払えば完成する、と言っているわけではありません」


「……違う?」


「これは、今ある情報を積み上げた結果です」


「はい」


「30兆円を超える可能性も普通にあります」


越智。


「増えた」


森川。


「減る可能性もあります」


直人。


「本当?」


「CLGSの量産性が想定より良ければ」


「はい」


「打上げ価格が下がれば」


「はい」


「施工自動化が進めば」


越智が少し得意そうな顔をする。


「俺の出番」


「でも」


森川が続ける。


「安全要件が増える」


片桐。


「増えます」


「物価が上がる」


「国際情勢が変わる」


「工期が延びる」


「そうなれば上がります」


直人が言う。


「生き物ですね」


森川が頷く。


「事業費は固定値じゃありません」


画面を見る。


「この計画と一緒に動きます」



          ◆



井上が腕を組み直した。


「で」


全員が見る。


「会社1社で払えるか?」


森川。


「無理です」


即答。


直人。


「少しくらい考えません?」


「考える必要あります?」


「……ないですね」


「ありません」


井上。


「借金」


森川。


「会社が持ちません」


「共同事業」


「国内企業だけでも相当厳しい」


「国」


佐伯が答える。


「そこからだろうな」


会議室の空気が変わる。


直人が言う。


「日本政府?」


佐伯。


「まずは」


「まずは?」


「日本だけで完結すると思うか?」


直人は地図を思い出す。


キリバス。


航空。


海運。


宇宙。


「……無理ですね」


「そういうことだ」


宮前が言う。


「国際プロジェクト」


佐伯が頷く。


「金額だけ見ても、そこへ行く」


直人は画面を見る。


18兆から28.5兆。


数字が。


この計画を。


会社の外へ押し出そうとしている。


井上が言う。


「相馬」


「はい」


「お前の夢」


「はい」


「会社よりでかいぞ」


直人は少しだけ笑った。


「みたいですね」


「今頃気づいたか」


「構造物の方は前から大きかったんですけど」


「金の話だ」


「そっちは今日」


井上がため息をついた。



          ◆



そこで。


直人は1つ気づいた。


「ちょっと待ってください」


井上。


「今度は何だ」


「国際プロジェクトにしたら」


佐伯。


「したら?」


「日本政府が入る」


「そうなるだろうな」


「他国も入る」


「そうだ」


「金も出す」


「たぶんな」


直人は少し言葉を選んだ。


「じゃあ」


「うん」


「建設会社も、東建総だけとは限らなくなる」


会議室が少し静かになる。


森川が直人を見る。


井上も。


直人は続けた。


「国際入札」


「共同企業体」


「海外企業」


「技術分担」


「普通にありますよね」


佐伯が頷く。


「ある」


直人の胸の奥。


少しだけ。


嫌な感覚がした。


宇宙エレベーターを造りたい。


昔。


それだけだった。


誰が造ってもいい。


人類が造れば。


きっと喜んだ。


でも。


今は。


違う。


東建総で。


井上たちと。


宮前と。


黒田と。


安西と。


片桐と。


越智と。


三輪と。


森川と。


自分たちで。


造りたい。


その気持ちが。


いつの間にか。


生まれていた。


佐伯が聞いた。


「相馬」


「はい」


「他社に取られたら嫌か」


直人は少し迷った。


でも。


誤魔化さなかった。


「嫌です」


佐伯は笑った。


「なら取れ」


「簡単に言いますね」


「建設屋だろ」


「はい」


「仕事は待ってても来ない」


「はい」


「世界中が欲しがる工事になるなら」


佐伯は言った。


「世界中を相手に勝て」


直人は少し笑う。


「燃えてきました」


井上が横から言う。


「燃えるな」


「え?」


「まだ工事案件にすらなってない」


「あ」


「材料も未完成」


「はい」


「場所も未決定」


「はい」


「客もいない」


「はい」


「金もない」


「はい」


「今あるのは」


画面を見る。


「28兆5,000億円の超概算だけだ」


黒田が笑う。


「最悪の企画ですね」


井上も笑った。


「だろ?」


直人も。


少し遅れて。


笑った。



          ◆



森川が最後のスライドを表示した。


《第一次超概算 まとめ》


CLGS研究・量産設備

2.0兆円~3.0兆円


MIOTテザー製造・展張

3.0兆円~4.5兆円


Earth Port・海上施工船団

2.0兆円~3.0兆円


初期打上げ・軌道建設設備

2.0兆円~4.0兆円


GEO HUB・Apex設備

2.0兆円~3.0兆円


クライマー・送電・管制システム

1.5兆円~2.5兆円


キリバス側関連インフラ・環境対策

1.0兆円~2.0兆円


安全・警備・航空海運調整・国際認証

0.5兆円~1.0兆円


予備費・物価上昇・設計不確実性

4.0兆円~5.5兆円


――――――――――


総事業費


《18.0兆円~28.5兆円》


その下。


赤字。


《30兆円超への上振れ可能性あり》


さらに。


《東建総単独事業としての実施》


《不可能》


直人が言う。


「成立困難じゃなくなった」


森川。


「数字を積んだら、こっちは断言できます」


「冷たい」


「事実です」


次の項目。


《必要措置》


1.国家レベルでの事業化検討


2.国際協力スキームの検討


3.ホスト国との予備協議


4.官民分担の整理


5.事業主体・資金調達方式の検討


6.東建総の事業参画領域の整理


7.経営会議への報告


直人の視線が。


最後で止まった。


「経営会議」


井上。


「そういうことだ」


「誰が?」


「俺」


「頑張ってください」


「お前もだ」


直人が止まる。


「俺?」


「当然だろ」


「役員相手に?」


「そうだ」


「技術本部長が説明すれば」


「逃げるな」


「逃げてません」


「今逃げようとした」


「少しだけ」


井上が言う。


「相馬」


「はい」


「28兆円の計画を会社の上に持っていくんだ」


「はい」


「技術の説明だけじゃ通らん」


直人は黙る。


井上が続ける。


「なぜやるのか」


「はい」


「会社に何の意味がある」


「はい」


「社員に何を背負わせる」


「はい」


「事故が起きたら誰が責任を取る」


「……はい」


「それでも」


井上は直人を見る。


「なぜ、これをやる価値があるのか」


直人は。


答えられなかった。


テザーの説明ならできる。


135ギガパスカル。


静止軌道。


多索式。


Earth Port。


全部。


説明できる。


でも。


28兆5,000億円を使ってまで。


なぜ。


人類は宇宙への道を造るのか。


その答えは。


計算式には書いていなかった。



          ◆



帰宅したのは21時を少し回っていた。


「ただいま」


「おかえり」


沙織。


結衣は自室。


直人は食卓へ座る。


沙織が夕食を温める。


「今日は?」


「金」


沙織の動きが止まる。


「……お金?」


「宇宙エレベーターの」


「いくら?」


直人は少し考えた。


「聞きたい?」


「その言い方、嫌な予感しかしない」


「18兆から」


「うん」


「28兆5,000億円」


電子レンジが。


ちょうど鳴った。


沙織は。


料理を取り出さない。


「……円?」


直人は笑った。


「俺も確認した」


「何回?」


「森川さんが3回」


「全部円?」


「全部円」


沙織はしばらく黙った。


「うちの住宅ローン」


「うん」


「誤差だね」


直人が吹き出した。


「誤差ではない」


「なんか急に小さく見えてきた」


「それで返済額は減らないから」


「現実に戻さないで」


沙織が夕食を出す。


直人が手を合わせる。


「いただきます」


しばらく食べて。


沙織が聞いた。


「会社で払うの?」


「無理」


「じゃあ日本?」


「日本だけでも多分無理」


「外国も?」


「そうなると思う」


「キリバスも?」


「もちろん」


沙織は椅子へ座った。


「どんどん大きくなるね」


「うん」


「怖い?」


直人は少し考えた。


「金額は怖い」


「それ以外は?」


直人の箸が止まる。


「俺の手から離れていく感じがする」


沙織は少し考えた。


「前にも言ったけど」


「うん」


「1人じゃ作れないんでしょ」


「うん」


「会社1社でも無理」


「うん」


「日本だけでも無理」


「たぶん」


「なら」


沙織は言った。


「手放すんじゃなくて」


「うん」


「一緒に持ってもらえばいいんじゃない?」


直人は止まった。


「一緒に持つ」


「28兆なんて、1人で持ったら潰れるよ」


「会社でも潰れる」


「じゃあ、なおさら」


直人は少し笑った。


「それ、役員会で使っていい?」


「嫌」


「いい言葉なのに」


「私の台詞を28兆円の会議に持っていかないで」


「使用料払うから」


「いくら?」


「住宅ローン1回分」


「安い」


「相場分からないから」


沙織が笑った。


直人も笑った。



          ◆



その夜。


《SE_個人メモ》


直人は開く。


《忘れてはいけないこと》


その下。


新しい行。


6.1人で持とうとしない。


少し考える。


7.大きすぎる夢は、大勢で持つ。


保存。


画面を見つめる。


18兆。


28.5兆。


30兆超。


朝なら。


ただ。


「高すぎる」


と思った。


今は。


少し違う。


この数字は。


「無理だ」


と言っているのではない。


こう言っている。


――お前たちだけでは足りない。


会社だけでは足りない。


日本だけでも足りない。


だから。


次へ行け。


数日後。


東亜建設総合・役員会。


相馬直人は。


初めて。


技術者ではない人間たちの前で。


宇宙エレベーターについて語る。


そこで。


聞かれる。


最も単純で。


最も答えるのが難しい質問を。


――相馬君。


――君は本当に。


――これを造るつもりなのか。

第6話では、宇宙エレベーターの事業費を初めて項目ごとに積み上げました。


作中の第一次超概算は、


18兆円~28.5兆円。


さらに条件次第では30兆円を超える可能性もあります。


ただし、これは完成した設計に対する正式見積りではありません。


まだ材料量産方法も、最終構造も、建設地点も、施工工程も確定していない段階で、「この計画はどの桁の事業なのか」を把握するための数字です。


CLGS研究・量産設備。


MIOTテザーの製造と展張。


Earth Portと海上施工船団。


軌道建設設備。


GEO HUBとApex設備。


クライマー、送電、管制。


キリバス側の関連インフラ。


安全、航空、海運、国際認証。


そして20年以上先まで見据えた予備費。


1つずつ積み上げた結果、直人たちは1つの結論へたどり着きました。


東建総1社では造れない。


けれど、それは「造れない」という意味ではありません。


会社より大きいなら、国へ。


1国より大きいなら、世界へ。


直人の夢は、少しずつ「僕が造るもの」から「僕らが造るもの」へ変わり始めています。


次話――


第7話「本当に造るのか」。


舞台は東建総の役員会。


今度の相手は技術者ではありません。


株主。


社員。


会社の存続。


事故責任。


そして、20兆円をはるかに超える事業。


そこで直人は、数字にも計算式にも答えがない問いを突きつけられます。


「相馬君。君は、本当にこれを造るつもりなのか?」

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