月灯花
次の日の放課後、フィオナさんは空想帳を抱えて工房へやってきた。いつものように箱庭を覗くと、窓辺にいたティルへ小さく手を振る。
「ティル!」
少し遅れて、ティルが顔を上げた。
「見た! ノア君、今ちゃんと見たよね?」
「はい。だいぶ覚えてきたのかもしれませんね」
「ふふっ。ティルー」
もう一度呼ぶと、今度はすぐに首を傾げる。フィオナさんはそれだけで嬉しそうに笑っていた。
しばらくティルを眺めたあと、二人で作業台へ移る。空想帳の『おちゃかい』のページには、昔の絵の横に、ここ数日で考えた花のカップや赤い実、花蜜が書き足されていた。
「今日は、何があればお茶会になるか決めよう」
「そうですね。まだ大きさも決まってないので」
俺は作業用の紙を一枚出し、まず丸いテーブルを描いた。上手い絵ではないけれど、大きさが分かればいい。
「ティルが座った時、このくらいですかね」
「もうちょっと高い方がかわいくない?」
「カップを持ったら、たぶん届きにくいです」
「あ、そっか。じゃあノア君ので」
フィオナさんが素直に頷く。箱庭から小さな椅子を一つ出して近くへ置いてみると、ティルは少し警戒したあと、自分からちょこんと腰掛けた。
「座った!」
「この高さなら、テーブルはこれくらいですね」
「うん。それで、丸いの!」
紙の上へ寸法を書き足す。フィオナさんも横から覗き込みながら、空いているところへ小さなカップを描いた。
「花のカップは絶対いる」
「これは作り方を少し考えたいです。薄くしすぎると割れそうなので」
「じゃあ、ノア君に任せる」
そう言われると、少しだけ背筋が伸びる。
「椅子は?」
「今は一脚でいいかな」
フィオナさんがティルを見る。
「本当はね、ここにいろんな椅子が増えて、妖精もいっぱい集まってくるの。でも今はティル一人だから」
「もし増えたら、その時また作ればいいですよ」
「……増えるかな?」
「どうでしょう」
「増えたらいいなあ」
フィオナさんはそう言って笑った。
紙の上には、丸いテーブルと一脚の椅子。花のカップ、小さな皿には赤い実。飲み物は花蜜。
まだ簡単な絵なのに、前よりずっとお茶会らしくなってきた。
「こんな感じかな」
「はい。ティルが使うなら、まずはこれくらいでいいと思います」
俺が紙を見ていると、フィオナさんが「あ」と声を上げた。
「大事なの忘れてた!」
空想帳を開き、昔描いた『おちゃかい』のページを指差す。丸いテーブルのすぐ横に、大きな白い花が描かれていた。
「この花ですか?」
「月灯花!」
フィオナさんの声が一段上がる。
「私、この花も大好きなの。夕方になると開くんだけど、日が沈む少し前だけ、真っ白な花びらが金色っぽく見えるの」
「綺麗ですね」
「すっごく綺麗だよ!」
ページをめくってみると、月灯花はほかの絵にも何度も描かれていた。妖精の家のそばにも、夜の庭にもある。
「小さい頃から、妖精には月灯花が似合うって思ってたの。お茶会も、この花の下なの」
フィオナさんは俺の作業用の紙を引き寄せると、テーブルの横に大きな花を描き足した。
「ここに月灯花があってね。夕方になったら花が開いて、その下でティルが花のカップを持つの。赤い実もあって、花蜜もあって……」
話しているうちに、本人までその景色を見ているような顔になる。
「……絶対、綺麗」
俺も紙を見る。
大きな白い花。その下に小さなテーブルがあって、ティルが両手でカップを抱えている。
「……見てみたいですね」
「でしょ!?」
フィオナさんがすぐに俺を見る。
「ノア君も?」
「はい。実際にティルがそこに座ったら、たぶん……かなり綺麗だと思います」
答えると、フィオナさんが嬉しそうに笑った。
「ちょうど今年は、三日後くらいから咲きそうなんだって。庭師が教えてくれたの」
「三日後ですか」
「うん。私の部屋の近くに小さい鉢植えがあるから、咲いたらティルにも見せてあげたいな」
鉢植えなら、花を箱庭へ植え替える必要はない。根元に庭をつなげれば、ティルから見れば絵と同じくらい大きな花になる。
「鉢って、どのくらいの大きさですか?」
「これくらいかな」
フィオナさんが両手で輪を作る。俺はそれを見ながら、紙の端にだいたいの大きさを書き込んだ。
「実物を見ないと細かいところは分かりませんけど、つなげることはできそうです」
「ほんと?」
「はい」
「じゃあ、咲いたら持ってくる!」
嬉しそうに言ったところで、フィオナさんが急に「あっ」と顔をしかめた。
「でも私、次にここへ来られるの三日後なんだった」
「そうなんですか?」
「うん。明日と明後日は親戚が泊まりに来るから、学校が終わったら真っ直ぐ帰らないといけないの」
少しだけ不満そうに口を尖らせる。
「せっかくティルが名前を覚えてきたのに」
「学校では会えますよ」
「ノア君にはね。ティルには会えないでしょ」
「……それはそうですね」
フィオナさんは箱庭へ向かってしゃがみ込んだ。
「ティル、二日だけだからね。三日後にはまた来るから、忘れないでね」
ティルはそんなことも知らず、小さな木の実を抱えている。フィオナさんはしばらく見つめたあと、また作業台へ戻ってきた。
「その頃には月灯花も咲いてるかもしれないね」
「そうですね」
「じゃあ、続きは三日後!」
空想帳を閉じて鞄へしまう。
「またね、ティル。ノア君も」
「はい。また三日後」
フィオナさんが工房を出ていく。
扉が閉じると、急に静かになった。
作業台には、二人で書き込んだ紙だけが残っている。
丸いテーブル。
一脚の椅子。
花のカップ。
赤い実の皿。
花蜜。
その横に、フィオナさんが描いた大きな月灯花。
三日後。
その言葉が、妙に頭に残った。
紙を見ているうちに、さっき想像した景色がまた浮かんでくる。開いた月灯花の下で、ティルが小さなカップを抱えている。
その隣で、フィオナさんが笑っている。
気づけば、俺は棚から端材を一本取り出していた。
まずはテーブル。
ティルの椅子を横へ置き、だいたいの高さを測る。木へ印をつけたところで、ようやく自分が何をしているのか気づいた。
「……三日か」
少しだけ考えて、そのまま最初の一本を切った。




