間に合わない
翌朝になった。フィオナさんが工房へ来るまで、あと二日。
昨夜作った丸テーブルを、ティルがいつも使っている椅子の前へ置いてみる。少し離れたところから眺めていたティルは、やがてそろそろと近づき、天板を指先でちょんと触った。横から脚の下まで覗き込んでから椅子へ座ると、両手をテーブルに乗せてぺたぺたと叩く。
「……高さは大丈夫そうだな」
もちろん返事はない。それでも降りようとはせず、今度は天板の上を小さな手で撫でている。
「朝から何してるんだい?」
振り返ると、ばあちゃんが工房の入口に立っていた。
「昨日話してたお茶会のテーブル。ティルに合うか見てた」
「もう作ったのかい。ずいぶん早いねえ」
「……三日後に月灯花が咲くから」
ばあちゃんはテーブルの横に置かれた紙を見る。丸いテーブルや花のカップに混じって、フィオナさんが描いた大きな月灯花が残っていた。
「三日後までにって頼まれたのかい?」
「いや。そういうんじゃないよ」
「じゃあ、急がなくてもいいだろう?」
「……せっかくだから」
自分でも、あまり答えになっていないと思った。
ばあちゃんはしばらく俺を見ていたけれど、それ以上は聞かなかった。
「まあいいさ。まず顔を洗ってきな。眠そうな顔で学校へ行くつもりかい?」
「そんなに?」
「そんなにだよ」
慌てて顔を触ると、ばあちゃんが笑った。
◇
放課後、廊下を歩いていると後ろから名前を呼ばれた。
「ノア君!」
親戚が来ると言っていた通り、フィオナさんはもう帰る支度を済ませている。小走りで俺のところまで来ると、真っ先にティルのことを聞いてきた。
「元気?」
「はい。今朝も赤い実を食べてました」
「いいなあ。私も見たかった」
本気で残念そうに口を尖らせてから、フィオナさんが俺の顔をじっと見る。
「……ノア君、眠い?」
「え?」
「ちょっと目、赤くない?」
思わず視線を逸らした。
「昨日、ばあちゃんの仕事を手伝ってて。少し遅くなっただけです」
「そっか。大変だね」
フィオナさんはそれ以上追及せず、すぐにいつもの顔へ戻った。
「あと二日かあ」
「二日?」
「ティルに会えるまで。長いよ」
フィオナさんにとっては、ただティルに会えない二日間だ。
「月灯花も今朝見たら、蕾がかなり膨らんでたの。三日後には持っていけると思う!」
「……楽しみですね」
「うん!」
笑って手を振り、そのまま帰っていく。
あと二日。
俺も鞄を持ち直し、工房へ急いだ。
◇
工房へ戻ると、ばあちゃんの作業台に見覚えのある縮景が置かれていた。町を離れるベルク夫妻から頼まれている家で、本来なら来週までに仕上げればいいはずのものだ。
「ばあちゃん、これ……」
「ああ。出発が早まったんだってさ。明後日の朝には町を出るらしい」
寝室の家具と、台所の細かな道具がまだ残っている。ばあちゃん一人でも間に合わない量ではない。でも、それなら考えるまでもなかった。
「俺、寝室の方やるよ」
「お茶会は?」
「こっちが先だから」
依頼を受けて作っているものだ。俺が勝手に始めたお茶会より優先するのは当たり前だった。
それからはベルク夫妻の縮景だけを見る。寝室の棚を組み、二人分の小さな椅子を削り、台所に吊るす鍋の金具を作った。同じ流れの作業を続けているつもりなのに、作業台の端にあるお茶会の紙が何度も目に入る。
「ノア。そこ、幅が違うよ」
「え?」
手元を見ると、別の家具の寸法で板を切ろうとしていた。
「あ……ごめん」
「今日はそっちだけ見な」
「うん」
俺はお茶会の紙を裏返した。
依頼品の作業が一区切りついた頃には、窓の外は暗くなっていた。ばあちゃんが工房を出たあと、俺も道具を片づけかけたけれど、裏返した紙へ目がいく。
あと二日ある。
「……カップだけ」
一つだけ試して、それから寝ればいい。
薄い木を削り、花びらの形を残しながら小さな器を作る。ティルが両手で抱えても滑らないように少しくびれをつけ、割れない程度に厚みを残した。出来上がった頃には、もう日付が変わっていた。
◇
翌朝。フィオナさんが来るのは、もう明日だった。
昨夜作った花のカップをティルの前へ置く。すぐに興味を示したティルが両手を添え、持ち上げようとした。
動かない。
もう一度力を入れる。小さな身体が前へ傾き、四枚の羽までぱたぱたと動く。それでもほんの少し浮いただけで、すぐに床へ戻ってしまった。
ティルは諦めずにもう一度持ち上げようとしたけれど、最後にはカップの前へぺたんと座り込んだ。羽までしゅんと下がっている。
「……重いのか」
割れないように厚く残しすぎた。
「ごめん。これは駄目だな」
カップを回収すると、ティルが名残惜しそうに目で追う。今分かってよかったと思う反面、明日までに作り直すものが一つ増えた。
学校へ行く時間まで二つ目を削り、そのまま工房を出た。
◇
昼休み、フィオナさんが俺の席までやってきた。
「ノア君。明日だね!」
「……はい」
「月灯花、今朝ちょっと開きかけてたの。たぶん明日の夕方には一番きれいに咲くよ」
嬉しそうに話したあと、また俺の顔を見る。
「やっぱり眠そう」
「そうですか?」
「昨日も遅かった?」
「ばあちゃんの仕事が、ちょっと立て込んでて」
嘘ではない。
フィオナさんは少し心配そうに眉を寄せた。
「ちゃんと寝てね?」
「はい」
「ほんとに?」
「……はい」
返事が少し遅れたせいか、じっと見られた。
でも友達に呼ばれると、「じゃあまた明日!」と手を振って戻っていく。
明日。
その言葉だけが、ずっと頭に残った。
◇
放課後もベルク夫妻の縮景にかかりきりになった。最後の確認で台所の香辛料入れが一つ足りないことに気づき、小さな瓶を三つ作る。夕食を挟み、ようやく箱へ収めたところで、ばあちゃんがほっと息を吐いた。
「これなら明日の朝、渡せるね」
「うん」
依頼品は終わった。でも、お茶会は終わっていない。
丸いテーブルと椅子はある。花のカップは失敗したまま。赤い実を置く皿も、月灯花の鉢とつなぐ庭も、まだ紙の上にしかない。明日の放課後にはフィオナさんが来る。
俺は椅子へ座り、二つ目のカップを削った。
今度はできるだけ軽くする。けれど花びらの縁を薄くしすぎて、仕上げの途中で小さな音がした。
ぱきっ。
花びらが一枚、作業台へ落ちる。
「……っ」
三つ目は底が小さすぎて、置くと傾いた。ティルは転がったカップを追いかけ、楽しそうに押している。
「それは遊ぶやつじゃないんだけどな……」
思わず少し笑った。でも時計を見ると、すぐに笑えなくなった。
四つ目の木片を手に取る。
「ノア」
顔を上げると、ばあちゃんが工房の入口に立っていた。作業台に並んだ失敗作を見て、小さく息を吐く。
「今日はもう置きな」
「……もう少しだけいい?」
「明日も学校だよ」
「分かってる」
ばあちゃんは俺の顔をじっと見た。
「眠い頭で削って、指まで削るんじゃないよ」
「うん」
工房の扉が閉じる。
明日の朝、ベルク夫妻へ縮景を渡す。そのあと学校へ行って、放課後にはフィオナさんが月灯花を持ってくる。
窓の外は、もう真っ暗だった。
それでも月灯花の下に置く庭は、まだ紙の上にしかない。
俺は四つ目のカップに、もう一度刃を当てた。




