妖精が選んだ箱庭
「そこ、つれてって!」
フィオナさんにまっすぐ見つめられて、俺は一瞬返事に詰まった。そこまで言われるとは思っていなかったし、何より顔が近い。
「えっと……今からですか?」
「うん!」
「でも、これから授業がありますから……」
フィオナさんがぴたりと止まった。さっきまで輝いていた目が、分かりやすくしょんぼりする。
「……放課後まで?」
「はい」
「まだ朝なのに……」
本気で残念そうだった。それでも授業を抜けようとはせず、「分かった。放課後ね」と念を押して、自分の教室へ向かっていった。
俺も教室へ入ったけれど、今度はこっちが落ち着かなかった。放課後になったら、フィオナさんがうちの工房へ来る。
妖精を見に来るだけだ。それは分かっている。それでも、ほとんど話したこともなかったフィオナさんと二人で帰ると思うと、先生の話を何度か聞き逃した。
◇
授業が終わって校舎を出ると、フィオナさんはもう校門の前にいた。俺を見つけた瞬間、ぱっと顔が明るくなる。
「ノア君!」
「お、お待たせしました」
「ううん。行こう!」
俺が鞄を持ち直している間に、フィオナさんはもう歩き始めていた。慌てて隣へ並ぶ。
「工房、遠い?」
「ここから二十分くらいです」
「じゃあ、すぐだね」
フィオナさんにとっては、二十分もすぐらしい。
しばらく歩くと、フィオナさんが俺の方を向いた。
「ノア君って、箱庭を作ってるんだよね?」
「はい。ばあちゃんが縮景細工師で、俺も教わってます」
「昨日、妖精がいた箱庭もノア君が?」
「はい。俺が作りました」
「へえ……」
それだけなのに、妙に嬉しそうだった。
「今朝も本当にいたんだよね?」
「いました。窓辺に座ってましたよ」
「窓辺!」
声が大きくなり、フィオナさんが自分で口を押さえる。
「……ごめんなさい」
「いえ」
「でも、窓も使うんだ」
「開けたのは俺ですけど。届かなそうだったので」
「ノア君が?」
なぜかそこで、フィオナさんが少し笑った。
「早く見たいな」
その顔を見ていると、俺まで自然と歩くのが少し速くなった。
◇
工房へ着くと、ばあちゃんが入口の前で木材を整理していた。
「ただいま」
「おかえり。……おや?」
ばあちゃんの視線が俺の隣へ向く。そこで急に、女の子を連れて帰ってきたことを意識してしまった。
「あ、こちら、同じ学年のフィオナ・アルヴェインさんで……」
「初めまして。突然お邪魔して申し訳ありません」
さっきまで妖精の話で目を輝かせていたフィオナさんが、きれいに頭を下げた。
「ノア君から、こちらに妖精がいると聞きまして。見せていただいてもよろしいでしょうか」
「ああ、あの子かい。入りな。まだいるよ」
「本当ですか!?」
一瞬で戻った。
フィオナさんは工房へ入ると、箱庭の前まで行って急に足を止めた。そこからは驚くほど静かに近づいていく。
「この中です」
「……うん」
俺と並んで、そっと箱庭を覗き込む。
妖精は小さな食卓の前に座り、両手でカップを抱えていた。縁から中を覗き込み、何も入っていないと分かると、こてんと首を傾げる。
フィオナさんが息を呑んだ。
「…………かわいい」
それきり、しばらく何も言わなかった。
妖精がこちらに気づいて顔を上げる。知らない人が増えたからか、四枚の羽がぴんと立った。
フィオナさんは近づかなかった。両手を胸の前でぎゅっと握り、その場でじっと待っている。
やがて妖精が少しだけ首を傾げた。
「あ……」
フィオナさんの目がさらに大きくなる。
「……フィリルだ。本当にいるんだ……」
「フィリル?」
「妖精の種類だよ。四枚の羽で、先が丸くて、この薄緑色。私、本で何度も見たの」
フィオナさんは本当に嬉しそうだった。
「私、本物のフィリルを見るの初めて……」
フィリルはしばらくフィオナさんを警戒していたけれど、やがてカップを抱えたまま椅子へ座り直した。
「座った……」
「昨日から、あの椅子よく使ってます」
「昨日から?」
フィオナさんが俺を見る。
「本当に一晩ここにいたの?」
「はい。朝もここにいました」
「……それ、すごく珍しいよ」
今度はフィリルではなく、箱庭そのものへ視線を向けた。小さな家、机の下、棚の脇、開けた窓、動かせる椅子やカップを順番に見ていく。
「フィリルって、すごく警戒心が強いの。人の気配がすると、すぐ隠れちゃうくらい」
「じゃあ、人の近くで寝るのも珍しいんですか?」
「うん。こんなふうに人が作った場所で一晩過ごしたなんて、私は読んだことない」
フィオナさんは箱庭を見ながら少し考え込んだ。
「隠れられるところが多いからかな……。木でできてるし、窓もある。それに、この子が触れる大きさのものばっかり」
「それは偶然です」
「でも、使ってるよ」
ちょうどその時、フィリルが椅子から降りた。小さな家へ入り、窓辺まで歩いていく。そのまま腰を下ろし、外へ足をぶらぶらさせる。
フィオナさんの顔がぱっとほころんだ。
「ほら」
「……本当ですね」
俺も箱庭を見る。
昨日までは、何を置いてもしっくりこなかった家だ。それなのに今は、フィリルが自分で場所を選び、俺の作ったものを使っている。
「これ、本当に妖精のために作ったんじゃないんだよね?」
「はい。練習で作ってたんです」
「なのに、自分から入って、一晩ここで寝たんだ……」
フィオナさんはしばらく黙っていた。それから窓辺のフィリルを見て、嬉しそうに笑う。
「すごいよ、ノア君」
思わずフィオナさんを見る。
「この子、ノア君の箱庭を選んだんだね」
胸の奥が、少しだけ熱くなった。
「いや、でも……ばあちゃんの方がずっと上手ですし」
「なんでおばあ様と比べるの?」
フィオナさんが不思議そうに俺を見る。
「私はノア君の箱庭を褒めてるんだよ」
返事に困った。
「……ありがとうございます」
それだけ言うのが精いっぱいだった。
フィオナさんはまたフィリルへ目を向ける。妖精を見ているだけなのに、本当に楽しそうに笑っている。
俺も箱庭を見ていたはずなのに、気づけば一度だけ、その横顔を見ていた。




