第八話 黒川正臣
小会議室の窓から見える駐車場には、すでに建物の影が長く落ちていた。
朝から石垣の上へ差していた光は、いつの間にか山の斜面へ移り、窓際の机も、使われていない白いスクリーンも、少しずつ色を失い始めている。
廊下の向こうでは、誰かが書類を重ねる音や、引き出しを閉める音がしていた。昼間は絶え間なく聞こえていた電話の呼び出し音も途切れ、支所全体が、閉庁時刻へ向けて静かに片づいていく。
今日の夕方便で、私はこの島を離れる予定だった。
ノートパソコンの画面には、先ほど送信した構成案がまだ開かれている。
トップページへ仮に置いた二の鳥居。この島では、一年に一度、山へ婿を送る。
その下には、山の女様、五つの禁忌、祭礼見学案内、神社までの経路が、初めて見る人間にも理解できるよう整然と並んでいた。
構成案は八人へ送られた。
中川支所長。
潮見さん。
浜谷さん。
東京本社の営業担当者。
デザイナー。
映像担当者。
撮影担当者。
直属の上司であるチーム長。
ただ一度、送信ボタンを押しただけで、これまで島の中で口頭か紙の帳面にしか残されていなかった情報が、それぞれの端末へ移っている。
その事実を改めて考えながら、私はスマートフォンに届いたメッセージを開いた。
> 今いいですか。
> 黒川正臣について、もう少し分かりました。
> 雑誌の現物ではありませんが、当時の記事を引用した別の資料があります。
> 電話できますか。
午前五時四十分に少し寝ると書き、実際に眠り始めたのが何時だったかは分からないが、昨日は午後から仕事だと言っていた。
十分な睡眠を取れたとは思えなかった。
私は会議室の外を見る。廊下には誰もいない。
まだ役場へ報告する段階ではない。
黒川正臣という人物が、昭和六十二年の雑誌記事を書いた人間と同一人物なのかさえ、正式には確認できていない。
中途半端な情報を話せば、役場側にも余計な判断をさせることになる。
私は会議室の扉を閉め、スマートフォンから電話をかけた。呼び出し音は一度で切れた。
『先輩、お疲れさまです。』
「おはよう。よく眠れた?」
『もう夕方ですよ。』
「そういう意味じゃない。午後から仕事って言ってたでしょ?結局何時間寝たの?」
『四時間くらいです。』
「くらい?」
『細かいことはいいじゃないですか。』
「よくないでしょう。」
『それより、今は一人ですか?』
「支所の会議室にいる。扉は閉めたよ。」
『潮見さんは?』
「別の仕事をしてる。どうして?」
『まだ確定していない情報なので、できれば最初は先輩だけに聞いてほしかったんです。』
「分かった。何が見つかったの?」
通話の向こうで、紙を動かすような音がした。
昨日までは、ほとんどの調査をパソコンの画面上で行っていたはずだが、必要な部分を印刷したのかもしれない。
『先に、昨日見つけた雑誌について説明します。正式な誌名は、地方紀行誌の「瀬戸内風土紀行」。昭和六十二年秋号に、瀬戸内周辺の島と祭礼を扱った特集があります。』
「現物は見られた?」
『まだです。ただ、平成十七年に発行された民俗研究会の紀要で、その特集が取り上げられていました。論文の題名は、「地方紀行誌における島嶼祭祀の表象」。昭和後期の旅行雑誌が、各地の祭礼をどう紹介したかを比較しているものです。』
「三影島も出てる?」
『出ています。中心的な事例ではありませんが、一節を使って紹介されています。元の記事の題名も、参考文献に載っていました。』
私はノートパソコンへ新しいメモを開いた。
「記事の題名は?」
カナちゃんは一度、息を整えるように間を置いた。
『「男を山へ嫁がせる島――三影島・山神婚礼祭」です。』
言葉を打ち込む。男を山へ嫁がせる島。
島で誰かが使った表現ではない。奥本さんも、浜谷さんも、潮見さんも、そのような言い方はしなかった。
山へ婿を送る。
山の女様に婿を迎える。
島の人間が説明する時には、曖昧であっても、祭りは島の内側にある言葉で語られていた。
男を山へ嫁がせる島。
その見出しには、最初から、外から眺める人間の視線があった。
「執筆者は?」
『黒川正臣です。参考文献には、そう記載されています。』
「じゃあ、昭和六十三年の婿役と同じ人?」
『その可能性はかなり高いです。ただ、記事を書いた黒川正臣と、神社の帳面に記された黒川正臣が同一人物だと示す資料は、もう一つあります。そこは後で説明します。』
私はペンを置き、椅子へ深く座り直した。
「論文には、元の記事の内容も載ってる?」
『一部だけです。全文ではありません。見出しと、冒頭の短い引用、それから論文を書いた人の分析です。』
「読んでもらえる?」
『はい。少し待ってください。』
紙をめくる音がした。
『「海と山に閉ざされた小島では、年に一度、一人の男が、人ならぬ花嫁のもとへ送られる」。引用されているのは、ここまでです。』
私はその文章をメモへ入力した。
『海と山に閉ざされた小島。人ならぬ花嫁。』
短い文章の中で、三影島はすでに現実の島ではなく、怪談の舞台へ変わっている。
連絡船は毎日運航している。役場の支所があり、診療所があり、水産加工場がある。
島で暮らす人間は、漁へ出て、魚を加工し、船の欠航や医師の来島日を気にしながら生活している。
その島が、外部へ向けた文章の中では、海と山に閉ざされ、一人の男を人ならぬ花嫁へ差し出す場所になる。
「……ずいぶん、印象が違うね。」
『論文でも、その点が指摘されています。記事は島の伝承を紹介していますが、出典が明記されていない部分が多く、島内で語られていた内容と、編集上加えられた説明が混在している可能性がある、と。』
「黒川さんが、話を作った?」
『それは分かりません。』
カナちゃんは、すぐに否定した。
『雑誌記事の見出しは、編集部がつける場合もあります。本文も、執筆者が提出した原稿へ編集者が手を加えることは珍しくありません。黒川さん自身がどこまで扇情的に書いたのか、現物を見ない限り判断できません。』
「論文には、黒川さんの取材の仕方について何か書かれてない?」
『ありません。記事だけを分析した論文なので、取材過程までは扱っていません。ただ、引用されている箇所以外にも、山の女様を、男性を欲しがる異類の花嫁として描いていたようです。』
「欲しがる。」
『先輩が奥本さんから聞いた言葉と同じですね。』
「でも、奥本さんは、花嫁とは言ってない。」
『はい。外から来た読者に分かりやすい形へ、意味を組み替えたんだと思います。婿がいるなら、相手は花嫁だろう、と。』
昨日まで島の人々から聞いてきた祭りとは、随分違うものに見えた。
けれど、私が構成案を作る時に行ったことと、どこが違うのだろう。
いや、同じではない。
私は確認できない伝承を掲載保留にし、複数の由来があることも明記した。呪いや祟りという言葉も加えていない。
しかし、散らばっていた話を、初めて見る人間にも分かる順番へ並べた。
山の女様。
婿役。
白装束。
二の鳥居。
五つの禁忌。
情報を整理することは、意味を整理することでもある。黒川正臣も、同じことをしただけなのかもしれない。
それがどれほど丁寧な仕事だったのかは、まだ分からないが。
「翌年の続号については?」
『そちらも、全文は見つかっていません。ただ、昭和六十三年夏号の目次画像が残っていました。正確には、過去に古書店が掲載した商品画像を、別の個人サイトが引用していたものです。画質はよくありませんが、拡大すると記事名と短い紹介文が読めます。』
「記事名は?」
『「記者、山の婿になる――三影島再訪」。』
会議室の外で、何かが床へ落ちた音がした。乾いた軽い音だった。
誰かが書類か文房具を落としたのだろう。咄嗟に扉の方を見たが、人が入ってくる気配はなかった。私は少し声を潜めた。
「黒川さん自身が、婿役になったということ?」
『紹介文には、「昨年、本誌で紹介した三影島・山神婚礼祭へ、執筆者の黒川正臣が婿役として参加」とあります。』
「それなら、帳面の黒川正臣と同じ人で間違いなさそうだね。」
『同姓同名の別人である可能性は、かなり低いと思います。前年に三影島の記事を書き、翌年には婿役として参加すると雑誌で予告され、神社の祭礼執行簿にも同じ名前が島外者として残っている。これだけ一致すれば、同一人物とみてよいでしょう。』
「自分から希望したのかな。」
『分かりません。』
カナちゃんの返答は早かった。
『雑誌の企画として編集部が提案したのかもしれませんし、黒川さん自身が希望した可能性もあります。島側から頼んだのかもしれない。誰が最初に言い出したのかは、今の資料にはありません。』
「島外の人を婿役にしてもよかったんだろうか。」
『昭和六十三年の祭礼が途中で止まった理由と、関係があると思います?』
「まだ分からない。」
『そうですね。島外者だったから止まったのか、別の理由で止まったのかも分かりません。』
私は昨日撮影した二の鳥居の写真を開いた。暗い木々の中に、古い鳥居が立っている。
その手前に、白装束の男を置けば、よい写真になる。昨日、神社を下りる時、私はそう考えた。
三十八年前、黒川正臣も、雑誌の企画として同じ場所へ立つ予定だった。
読者へ見せるために。
そのために、前年に取材した祭りへ戻り、自分自身が婿役になった。
「続号は、祭礼の前に発行されたもの?」
『夏号なので、予告記事だった可能性が高いです。祭礼は八月十六日ですよね?』
「そう。帳面にも、昭和六十三年八月十六日と書いてあった。」
『本当に、十六日で間違いありませんか?』
カナちゃんの声から、先ほどまでの調査結果を報告する速さが消えた。問い直すというより、私がその日付を確認するのを待っている。
「待って。」
私は祭礼執行簿の画像を開いた。
黄ばんだ紙。
昭和六十三年八月十六日。
天候の記載。
黒川正臣。
島外。
祭礼、二の下にて止む。
直会、行わず。
白布、二の下。
拾わず。
「八月十六日で間違いない。」
『祭礼が途中で止まった以外に、その場で怪我人が出た記録はないんですよね?』
「ない。死亡や失踪の記載もないよ。」
『役場からも、祭礼に関連した事故は確認されていないと説明されたんですよね?』
「そう。浜谷さんも、祭りの最中に怪我人が出た記録はないと言ってた。」
通話の向こうで、カナちゃんが短く息を吸った。
『少なくとも、死亡事故が起きたのは、祭礼の最中ではなかったんだと思います。』
私は祭礼執行簿の画像から顔を上げた。閉じた会議室には、私一人しかいない。
窓の外には、夕方の駐車場と石垣がある。その上に見える山は、日が傾いたため、朝よりも黒く見えていた。
「どういうこと?」
『地域新聞の記事索引を見つけました。記事の全文ではなく、縮刷版の画像から作られた索引です。祭礼の五日後、八月二十一日付の記事に、黒川正臣という名前があります。』
「何の記事?」
カナちゃんは、すぐには答えなかった。
『本土側の海岸で、男性の遺体が発見されています。』
手の中のペンが、机の上でわずかに動いた。
「……黒川さん?」
『はい。身元は、県外在住の雑誌記者、黒川正臣。死因は溺死とみられ、目立った外傷はなく、警察は事件性が低いと判断した、と記載されています。』
「祭りの、五日後?」
『遺体が発見されたのが、五日後です。死亡時刻までは、索引には出ていません。』
「三影島のことは?」
『記事には出ていません。少なくとも、確認できた範囲にはありません。』
「雑誌記者だったことは書いてある?」
『はい。肩書きと時期が一致しているので、祭礼に参加した黒川正臣と、遺体で発見された黒川正臣は、同じ人物とみてよいと思います。』
私はノートパソコンの画面へ目を戻した。
祭礼執行簿には、黒川正臣が婿役だったことが書かれている。
祭りが二の鳥居で止まった。直会は行われなかった。白い布は拾われなかった。
しかし、その男が後に死亡したことは書かれていない。
「記事の画像はある?」
『索引から、縮刷版の該当頁を確認できました。画質はよくありませんが、読めます。今送ります。』
スマートフォンが短く震えた。メッセージへ添付された画像を開く。
新聞紙面の一部だった。
古い印刷を撮影したものらしく、紙面全体が灰色に霞み、文字の輪郭もところどころ潰れている。地方欄の下部、広告と小さな記事の間に、十数行ほどの記事があった。
> 海岸に男性の遺体。
>
> 二十一日早朝、県内沿岸部の海岸で男性の遺体が発見された。身元は県外在住の雑誌記者、黒川正臣。死因は溺死とみられ、目立った外傷はなく、警察は事件性が低いとみている。海へ入った場所および詳しい経緯は不明。
それだけだった。
山神婚礼祭。
三影島。
婿役。
二の鳥居。
どの言葉もない。五日前まで、黒川正臣が島にいたことさえ、記事からは分からない。
「取材で周辺にいたことも書かれてない?」
『索引には、数日前まで取材で近隣地域に滞在していた、とあります。ただ、紙面画像では文字が一部潰れていて、正確な表現までは読めません。記事全文の複写を申請します。』
「どこから海に入ったかは、分からない。」
『はい。遺体が見つかった場所と、海へ入った場所は同じとは限りません。潮流で運ばれた可能性もあります。』
「祭りの後、黒川さんが島を出た記録は?」
『まだ見つかっていません。』
「船便の乗船名簿は?」
『当時、定期船の乗客名簿をどこまで保存していたか分かりません。航空機のように、全乗客の氏名を記録していた可能性も低いです。』
「宿泊先は?」
『不明です。島の民宿に泊まったのか、本土側に滞在していたのかも分かりません。』
祭礼は八月十六日に途中で止まった。黒川の遺体は、八月二十一日に本土側の海岸で発見された。
その間に、五日ある。
黒川が祭礼の夜に島を出たのか。
翌日まで残っていたのか。
本土側の宿へ戻ったのか。
誰かに会ったのか。
荷物をどこへ置いたのか。
どこから海へ入ったのか。
資料には、何もない。
「カナちゃん。」
『はい。』
「島の人たちは、知ってると思う?」
『……分かりません。』
その返答は、潮見さんのものとよく似ていた。
『昭和六十三年当時に島にいた人なら、祭礼の婿役が数日後に亡くなったことを知った可能性は高いと思います。ただ、今の役場職員や、当時まだ幼かった人まで知っているとは限りません。』
「浜谷さんなら、知っているかな。」
『現在が五十四歳なら、当時は十六歳くらいですね。祭礼保存会に関わる家の人なら、知っていても不自然ではありません。』
「奥本さんは、確実に知ってる。」
『おそらくは。ただ、新聞記事に三影島の名前がないなら、後から島内で伝えられたことになります。誰が、いつ、どのように知らせたのかは分かりません。』
奥本さんの言葉が、一つずつ蘇った。
人は死ぬ。
島でも、本土でも、人は死ぬ。
浜谷さんも、同じことを言った。
祭りの前にも後にも、人は死にます。
言葉どおりだった。
黒川正臣は、祭礼の最中には死んでいない。三影島で遺体が見つかったわけでもない。
祭礼は八月十六日。
遺体の発見は、五日後の八月二十一日。
死因は溺死。
事件性は低い。
祭りとの因果関係を示す記録はない。
誰も、事実と異なることは言っていない。
「役場の資料にも、本当に載らないものなのかな。」
『不自然ではありません。』
カナちゃんは落ち着いて答えた。
『祭礼は、当時は神社と保存会が主体の行事だったんですよね?』
「そうだと思う。」
『遺体が見つかったのは本土側。日付も祭礼の五日後。警察が水難事故として扱ったなら、三影島の役場が管理する祭礼事故の記録へ載らない可能性は十分あります。自治体の管轄も違うかもしれません。』
「でも、祭礼の婿役だった。」
『それは、後から二つの記録をつないだから分かることです。新聞記事だけを読んでも、三影島には結びつきません。神社の帳面だけを読んでも、その後に黒川さんが亡くなったとは分からない。』
「島の人が、意図的に切り離した可能性は?」
『あります。ただし、隠蔽だとはまだ言えません。』
カナちゃんの声には、興味を持った時の速さがありながら、断定を避ける慎重さが残っていた。
『島外の人間が祭りの後に亡くなったと広まれば、祭りの祟りだと騒がれるでしょう。亡くなった人や遺族への配慮で、関係づけなかった可能性もあります。雑誌記事の影響で外部の人が来たなら、同じことを繰り返したくなるかもしれない。島内で誰かの責任を問う声が出た可能性もあります。』
「誰かの責任。」
『島外者を婿役にした人。祭りへ入れた人。雑誌の取材を受けた人。中断を決めた人。黒川さんを最後に見た人。本当の因果関係や、実際に何が起きたか分からなくても、人は責任を置けそうな場所を探しますから。』
昨日の浜谷さんの顔を思い出す。
加工場で働く人々へ声をかけ、冷凍車の到着を気にし、魚の出荷と雇用を守ろうとしていた。
奥本さんの家にあった、古い仏壇。生前、毎日のように神社へ上がっていたという夫。
黒川正臣の死が、三十八年前に島の人間関係をどう変えたのかは、まだ分からない。
ただ一人の男が死んだ。島外から取材に来た記者であり、祭礼の婿役を務めた男が、その五日後に死んだ。
「……祭礼と死亡の間に、何があったんだろう。」
『今の資料だけで言えるのは、祭礼が途中で止まり、その五日後に黒川正臣の遺体が見つかった。それだけです。』
「祟りだとは言えない。」
『もちろんです。祭礼後に本土へ戻り、別の理由で海へ入った可能性もあります。事故かもしれないし、自分から入った可能性も否定できません。事件性が低いという判断も、事件性が絶対にないという意味ではない。今は、何も分かりません。』
「どうして祭りが止まったかも、分からない。」
『はい。死亡と中断を結びつけるには、その間の行動が必要です。』
「祭りの後、黒川さんがいつ島を出たか。」
『それが最初です。』
カナちゃんはの声は慎重だった。
『ただ、四十年近く前のことなのでかなり厳しいと思います。当時の船便記録。民宿の宿帳。雑誌編集部に残っている取材経費や予定表。警察発表。新聞記事の続報。黒川さんの所属先。遺留品がどこで見つかったか。祭礼当日に島へ来た人がいたか。』
「祭りを見に来た人?」
『昭和六十三年夏号で、黒川正臣が婿役になることを予告していたなら、読者が興味を持った可能性があります。』
紙の頃でも、人は来た。奥本さんの言葉が、今までより明確な意味を持って浮かぶ。
「雑誌を読んで、祭りに来た人がいたのかな。」
『可能性はあります。でも、その記録はまだ見つかっていません。』
「島の人に聞けば。」
『まだ待った方がいいです。』
カナちゃんの返事は早かった。
『黒川正臣という名前を出した時に、誰がどう反応するか分かりません。先輩一人で聞くのはやめてください。』
「役場の人と一緒なら?」
『その人が何も知らなかった場合、知っている人が話しにくくなることもあります。逆に、役場の立場で質問されたと思われれば、回答をそろえられる可能性もある。』
「回答をそろえるって、隠すために?」
『隠すためとは限りません。昔の話を、外の人へどう説明するか相談するだけでも、結果として同じ答えになります。』
「じゃあ、誰から聞くべき?」
『まずは資料を増やした方がいいです。』
「……また朝まで調べるつもりでしょう。」
『今日はもう寝ました。』
「四時間でしょ。」
『十分です。』
「十分じゃないよ。」
『今は、それより優先順位の高い話をしています。』
すでに完全に興味の焦点が合っている。注意しても止まらないことは分かっていた。
「無理だけはしないで。」
『先輩もです。』
「私は仕事だから。」
『仕事なら危険なことをしてもいいんですか?』
「そういう意味じゃない。」
『先輩、いつこっちに帰って来るんですか。』
「もう今日の夕方の便に乗らないといけない。」
『じゃあ、もう島民へ話を聞きに行かなくていいですよね。』
「分かったって。」
『先輩の分かったは、とても信用度が低いです。』
「カナちゃんに言われたくない。」
短い沈黙の後、電話の向こうで小さく笑う気配がした。
『新聞記事の画像と、紀要の該当部分を送ります。どちらも調査用として扱ってください。構成案へ入れないように。』
「もちろん。黒川さんについては、掲載保留にしてる。」
『もう誰かに共有しました?』
「構成案は、さっき八人に送った。」
『黒川さんの死については?』
「書いてない。祭礼中断の詳細を確認するまで掲載保留、とだけ。」
『それなら問題ありませんね。訂正する内容はないです。』
誤ったことは書いていない。黒川正臣は島外の婿役だった。
祭礼は途中で止まった。詳細は確認できていない。
構成案に書かれた内容は、今もすべて正しい。
その正しい文章の外側に、死者が一人増えただけだった。
◇
電話を切った後、カナちゃんから送られてきた資料をパソコンへ移した。
一つ目は、平成十七年の民俗研究会紀要。画面上には、縦書きの論文をスキャンした頁が表示される。
本文の途中に、昭和六十二年の雑誌記事が引用されていた。
> 昭和六十二年、地方紀行誌『瀬戸内風土紀行』は、三影島の祭礼を「男を山へ嫁がせる島」として紹介した。記事は、島内で「山の女様」と呼ばれる存在を、男性を求める異類の花嫁として描いている。ただし、祭礼由来に関する記述には出典の明示がなく、島内伝承と編集上の演出が混在している可能性がある。
その下の脚注には、
> 黒川正臣「男を山へ嫁がせる島――三影島・山神婚礼祭」『瀬戸内風土紀行』昭和六十二年秋号。
と記されていた。
二つ目は、翌年の雑誌目次を撮影した画像だった。
写真は斜めに歪み、頁の端には古書店の商品番号らしい札が写り込んでいる。拡大すると、中央付近に、
> 記者、山の婿になる――三影島再訪。
という記事名が見える。
その下に小さく、
> 昨年、本誌で紹介した三影島・山神婚礼祭へ、執筆者・黒川正臣が婿役として参加予定。
とある。
そして、三つ目。昭和六十三年八月二十一日の地域新聞。
地方欄の片隅に、黒川正臣の死がある。
三つの資料を、画面へ順番に並べる。
昭和六十二年。
黒川正臣は、三影島の記事を書いた。
昭和六十三年。
黒川正臣は、山神婚礼祭の婿役として島へ戻った。
八月十六日。
祭礼は二の鳥居で止まった。
八月二十一日。
黒川正臣の遺体が、本土側の海岸で発見された。
私は神社で撮影した祭礼執行簿の画像を、新聞記事の隣へ移動した。
左側には、黄ばんだ紙と墨の文字。
> 祭礼、二の下にて止む。
> 直会、行わず。
> 白布、二の下。
> 拾わず。
右側には、灰色に霞んだ新聞紙面。
> 海岸に男性の遺体。
> 死因は溺死。
> 事件性は低い。
> 海へ入った場所および詳しい経緯は不明。
神社の帳面には、祭礼が二の鳥居で止まり、直会が行われなかったことだけが残されている。
新聞には、五日後に一人の雑誌記者が、本土側の海岸で遺体となって発見されたことだけが記されている。
どちらの資料にも誤りはない。どちらの資料にも、もう一方の出来事を結びつける言葉は一つもない。
私は二つの画像を画面の左右へ並べ、その間に残された、何も記録されていない五日間を見つめた。
しかし、その空白を島で確かめる時間は、もう残されていなかった。




